私たちが、ピアノの練習曲として使っている「クラーマー=ビューロー 60の練習曲」。ピアノ教育に広く使われている練習曲で、私も子供の頃よく練習しました。コンクールの課題曲になることもしばしばあります。
この「クラーマー=ビューロー」は、イギリスのピアニスト・作曲家のクラーマーが作曲したたくさんの練習曲の中から、ドイツの指揮者ビューローが選択・改訂して出版されたもので、この両人の名前をとって「クラーマー=ビューロー」と呼ばれています。
ヨハン・バプティスト・クラーマー (1771年 - 1858年) はドイツ生まれのイギリス人ピアニストで作曲家です。音楽一家に生まれ、ピアニストとして頭角を現しました。クレメンティに師事したこともあり、1770年生まれのベートーヴェンとはわずかに1歳違いの同時代人です。二人は当時、超一流ピアニストとして並び称され、親交も深かったそうです。当時、ピアニストとしてのベートーヴェンはその解釈と表現力に優れ、クラーマーはその完璧なテクニックで優れていると評されていたそうです。後に出版事業にも進出したクラーマーはベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番をイギリスで出版しました。この曲に「皇帝(Emperor)」という異名をつけたのはクラーマーだと言われています。
一方、ハンス・フォン・ビューロー(1830年 - 1894年)はドイツの音楽家で、指揮者、ピアニストとして活躍しました。ピアノについてはリストにその才能を見いだされて指導を受けており、リストの娘コジマと結婚しています(後に離婚)。指揮者としてはワーグナーの影響が大きく、ワーグナー譲りの近代的指揮法の創始者として後世に名を残しました。
私の手元にある音楽之友社版の楽譜には編者であるビューロー自身が書いた「序言」が載っています。その日付が1869年ということですからクラーマーの死後ほぼ10年経ってこのビューロー版が出版されたようです。その当時すでに大変評価の高かったクラーマーの「練習曲」はクラーマー自身の版に加えて他の編者による改訂版がすでに何種類か世に出ていたそうです。そうした中でさらにビューローが自身の選択と注釈とで新たな改訂版を出版する気になったのはなぜか? その理由がふるっています。
当時出版されていたクラーマーの練習曲の二巻本(全84曲)をビューローは大変高く評価しています。それが教則本としてすでに幅広く世に用いられていることももちろん良しとしています。しかし、ビューローは言います。
「この練習曲に提示されている教材は(一般に普及している割には)徹底的に使用されることが少ない(中略)。何と言う皮相さ、何と言う無思慮な練習ぶりで生徒及び教師はこれを扱っているだろう。多かれ少なかれ、杓子定規に第一冊をざっと『おさらい』し、それからおそらくはまた、第二冊も当然まえ以上に速成に卒業することで、この教育は事足れりとしている」
ビューローさん、怒っています。憤懣やるかたないという感じがひしひしと伝わってきます。「こんないいものを、みんなどうしてもっとちゃんとやらないんだー! 」
これが動機になってクラーマーの練習曲の改訂版を作ることにしたんですね。世のピアノ教師そして生徒ともども「クラーマー=ビューロー」に取り組む時にはこのビューローさんの熱い思いに応えるよう真面目に取り組むべきでしょう。
ちなみにビューローの改訂版の主な特長は①多すぎる曲数(元は84または100)を減らす ②首尾一貫していなかった曲の並べ方を変える ③指使いの指示の変更(ピアノの構造の変化も踏まえて)などです。また全体を通しての編集方針としては、「クラーマーの中でも未来を目指している側面を擁護して、過去に目を向けているクラーマーの方を無視するのが自分の義務と考えた」と記しています。こうした方針をもって編纂したからこそ時代を超えて親しまれているのでしょうね。
現代の私たちから見れば「クラーマー=ビューロー」は古典派を中心にしたテクニックを磨く重要な練習曲集の一つです。生徒たちも苦戦しながら頑張ってくれています。レッスンしながら、自分自身が苦戦した頃を思い出します。あの頃やってもやっても分からなかったことが今はこうすればよかったんだと思えることがあったりして、それが嬉しくて、そうしたことを生徒に伝え、苦戦を乗り越えられるように、手助けしています。ビューローさんにお叱りを受けないよう真剣に取り組みたいと思います。とはいえ、我々はさらにそれから時を経て、ロマン派や近現代の作品も大量に目のあたりにし、ビューローさんの言うようにしっかりこの一冊全部を完璧に全うするというのは至難の業というのが正直なところですが・・・。
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この「クラーマー=ビューロー」は、イギリスのピアニスト・作曲家のクラーマーが作曲したたくさんの練習曲の中から、ドイツの指揮者ビューローが選択・改訂して出版されたもので、この両人の名前をとって「クラーマー=ビューロー」と呼ばれています。
ヨハン・バプティスト・クラーマー (1771年 - 1858年) はドイツ生まれのイギリス人ピアニストで作曲家です。音楽一家に生まれ、ピアニストとして頭角を現しました。クレメンティに師事したこともあり、1770年生まれのベートーヴェンとはわずかに1歳違いの同時代人です。二人は当時、超一流ピアニストとして並び称され、親交も深かったそうです。当時、ピアニストとしてのベートーヴェンはその解釈と表現力に優れ、クラーマーはその完璧なテクニックで優れていると評されていたそうです。後に出版事業にも進出したクラーマーはベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番をイギリスで出版しました。この曲に「皇帝(Emperor)」という異名をつけたのはクラーマーだと言われています。
一方、ハンス・フォン・ビューロー(1830年 - 1894年)はドイツの音楽家で、指揮者、ピアニストとして活躍しました。ピアノについてはリストにその才能を見いだされて指導を受けており、リストの娘コジマと結婚しています(後に離婚)。指揮者としてはワーグナーの影響が大きく、ワーグナー譲りの近代的指揮法の創始者として後世に名を残しました。
私の手元にある音楽之友社版の楽譜には編者であるビューロー自身が書いた「序言」が載っています。その日付が1869年ということですからクラーマーの死後ほぼ10年経ってこのビューロー版が出版されたようです。その当時すでに大変評価の高かったクラーマーの「練習曲」はクラーマー自身の版に加えて他の編者による改訂版がすでに何種類か世に出ていたそうです。そうした中でさらにビューローが自身の選択と注釈とで新たな改訂版を出版する気になったのはなぜか? その理由がふるっています。
当時出版されていたクラーマーの練習曲の二巻本(全84曲)をビューローは大変高く評価しています。それが教則本としてすでに幅広く世に用いられていることももちろん良しとしています。しかし、ビューローは言います。
「この練習曲に提示されている教材は(一般に普及している割には)徹底的に使用されることが少ない(中略)。何と言う皮相さ、何と言う無思慮な練習ぶりで生徒及び教師はこれを扱っているだろう。多かれ少なかれ、杓子定規に第一冊をざっと『おさらい』し、それからおそらくはまた、第二冊も当然まえ以上に速成に卒業することで、この教育は事足れりとしている」
ビューローさん、怒っています。憤懣やるかたないという感じがひしひしと伝わってきます。「こんないいものを、みんなどうしてもっとちゃんとやらないんだー! 」
これが動機になってクラーマーの練習曲の改訂版を作ることにしたんですね。世のピアノ教師そして生徒ともども「クラーマー=ビューロー」に取り組む時にはこのビューローさんの熱い思いに応えるよう真面目に取り組むべきでしょう。
ちなみにビューローの改訂版の主な特長は①多すぎる曲数(元は84または100)を減らす ②首尾一貫していなかった曲の並べ方を変える ③指使いの指示の変更(ピアノの構造の変化も踏まえて)などです。また全体を通しての編集方針としては、「クラーマーの中でも未来を目指している側面を擁護して、過去に目を向けているクラーマーの方を無視するのが自分の義務と考えた」と記しています。こうした方針をもって編纂したからこそ時代を超えて親しまれているのでしょうね。
現代の私たちから見れば「クラーマー=ビューロー」は古典派を中心にしたテクニックを磨く重要な練習曲集の一つです。生徒たちも苦戦しながら頑張ってくれています。レッスンしながら、自分自身が苦戦した頃を思い出します。あの頃やってもやっても分からなかったことが今はこうすればよかったんだと思えることがあったりして、それが嬉しくて、そうしたことを生徒に伝え、苦戦を乗り越えられるように、手助けしています。ビューローさんにお叱りを受けないよう真剣に取り組みたいと思います。とはいえ、我々はさらにそれから時を経て、ロマン派や近現代の作品も大量に目のあたりにし、ビューローさんの言うようにしっかりこの一冊全部を完璧に全うするというのは至難の業というのが正直なところですが・・・。
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