ピアノの音色 (愛野由美子のブログです)

クラシックピアノのレッスンと演奏活動を行っています。ちょっとした息抜きにどうぞお立ち寄り下さいませ。

ネットのご縁

2011年03月31日 | Weblog
先日、私の教室にレッスンの問合せのお電話がありました。春は入れ替わりのシーズンです。お引っ越しで辞めていく生徒、また、春からピアノを始めたい方など、少し教室が動くときです。そのお電話も、レッスン依頼のお電話でした。ただし、単発でお願いしたいということでした。お話を聞いてみると、その方は、今回の地震に遭遇し、地震の翌日に急きょ、お嬢さんを連れて実家のあるこちらに、里帰りしてきたということでした。お嬢さんがピアノを一生懸命なさっていて、発表会前でもあり、春休みが終わってあちらに戻るまでに、少しでもレッスンを受けさせたいということでした。「先生のブログ、もうずっと前から読んでいました。それで、思い切って連絡しました」ということで、レッスンの運びとなりました。

このブログを書き始めて5年を超えました。我ながらこつこつとよく続いてると思います。ただし、中身については全く自信ありません。それでも今回のその生徒のお母さんのように、私の知らないところにも読者の方がいて、なにかのきっかけでこんなご縁ができるなんて、本当に嬉しいことです。

先日書いた「てんでんこ」のお話のときも思わぬ反応があって、びっくりしました。以前からネット上で知り合いだったTさんからコメントをいただきました。Tさんの同級生が釜石市で小学校の校長先生をされているというのです。そしてその方も学校の生徒さんも、まさに「てんでんこ」で無事だったとおっしゃっていたそうです。そのTさん、実は海外にお住まいの方なのです。

九州の田舎町に暮らす私が、ネットを通じて日本中、どころか、世界中の人と繋がれる。ピアノという共通の関心事、そしてネットの力、この二つが重なり合って、拡がる世界。なんだか、すごいなと、改めて思っています。。。

今年に入って、ブログに加えてツイッターとフェイスブックも始めました。ミクシーのアカウントも持っています。利用の仕方、活用の仕方については、まだよく分っていませんが、あまり時間を取られ過ぎないように、それからネット上のエチケットをきちんと守るように心がけながら、使いこなしていきたいと思っています。

ヘビーユーザーではない私でも、こんなに色んなご縁がある、ネットの力。これが、いい方向に利用されるなら、こんない大きな力はないと思います。現に、今回の地震でも情報の発信の速さや、協力の広がり方などは、ひと世代前とは、確実に違うと思います。この力は大きいと思います。

今回、レッスンを受けにきてくれたお嬢さん、地震で本当に怖い思いをして、きっと不安な気持ちで一杯だったろうと思いましたけど、そんな様子も見せず、一生懸命ピアノに取り組む彼女の姿勢に、私は感動しました。私の方こそ勇気づけられました。一生懸命レッスンしました。彼女なら大丈夫、自宅に戻ってからも、またしっかり弾けると確信しています。

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水のいらないミルク

2011年03月30日 | Weblog
今、原発問題で水の汚染が危惧されています。被災地では乳児を抱えた多くのお母さん方が、お湯を使うミルクを作れずに困っているそうです。

私は20年以上前にアメリカで末の娘を出産しました。母乳の出にくい私は、それまで、赤ちゃんには粉ミルクとばかり思っていました。ところが、アメリカでは、なんと、粉ミルクをみつけられなかったのです。近所のお店には、水なしのそのまま飲ませるタイプの缶入りミルクしか置いてなかったのです。1回ごとに使い切るくらいの、小さな缶入りの、赤ちゃん用ミルクでした。アメリカで産まれ育った娘は結局全部これにお世話になりました。

その後、日本に帰国した時には、もうミルクには全く縁がない生活だったので、気に留めることもなかったのですが、今回、被災地支援の活動についてのツイッターや、報道などをみて、日本に水なしミルクが存在していないということにとても驚いています。

アメリカでは少なくとも20年以上前から当たり前に存在していた物が、日本にはなかったなんて、ちょっとびっくりです。これはきっと、家庭の水道水に対する信頼感の差がもたらしたことかも知れませんね。欧米に比べて日本では水道水に対する信頼感がずっと高いので、これまで何の不安もなく水道水でミルクを作るということに慣れてきたのだと思います。けれども、その水道水に対する信頼が薄れると・・・。

日本の粉ミルクメーカーだって水なし缶入りミルクを作ろうと思えば簡単に出来ると思います。メーカーとしては、これまで、あまり需要がないということで製品化しなかっただけ、ということらしいです。今すぐにでも緊急に作ればいいのにと思います。確かに、1本1本空き缶を捨てなきゃいけないとか、量が多くなると重いし、ストックするための場所もとるという難点もありますけれど、子供の安全にはかえられません。しかも慣れると手軽で簡単で、とても扱いやすいので、赤ちゃんだけではなくて、忙しいお母さんにとっても有難い製品だと思います。

カルピスだって、カルピス・ウォーターを販売してるんだから、日本の粉ミルクメーカーさんも、頑張って!!

ツイッターが運んだミルク フィンランドから被災乳児支援」(サンケイニュース)

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てんでんこ

2011年03月29日 | Weblog
「てんでんこ」という言葉を初めて知りました。言葉自体の意味は「てんでばらばら」という意味だそうです。そしてこの言葉は、昔から津波の被害に遭ってきた三陸地方で、いざ、津波に襲われた時の心構えとして、長く教えられてきた言葉なのだそうです。そして今回の大津波のときに、実際にこの教えが多くの子供たちの命を救ったということです。

以下、読売新聞の記事から
「東日本巨大地震による津波で大きな被害を受けた岩手県釜石市と大船渡市で、津波に備えた知恵や工夫が奏功し、多くの子供たちの命が救われた。釜石市では、津波から身を守る方法として三陸地方に伝わる『津波てんでんこ』が効果を発揮」した。

「死者・行方不明者が1200人以上に上った釜石市では、全小中学生約2900人のうち、地震があった3月11日に早退や病欠をした5人の死亡が確認された。しかし、それ以外の児童・生徒については、ほぼ全員の無事が確認された」

 「市は2005年から専門家を招いて子供たちへの防災教育に力を入れており、その一つが『てんでんこ』だった。度々津波に襲われた苦い歴史から生まれた言葉で、『津波の時は親子であっても構うな。一人ひとりがてんでばらばらになっても早く高台へ行け』という意味を持つ。」

「てんでんこ」は、一家全滅をさけるために、一人でも多くの人の命ををつないでいくために、津波の恐ろしさを身を持って体験した人々からの教えとして、語り継がれている教訓なのです。常日頃から「津波の時は、てんでんこだからね」と互いに納得し合って、結果的に誰かを助けることができずに自分だけが生き残ったときも、決して自分を責める、その人を責める、そんなことのないようにということも含まれた教えだそうです。

今回の津波では、それぞれの生徒や先生が、一目散に高い方向に走って逃げ出したのだそうです。それぞれに各自がまず、自分の命を守り、完全に津波がおさまってから、各避難所で、お互いを探し当てて家族が再会するという約束を、あらかじめしているのだのだそうです。

この小学校は、いつも避難訓練でこのてんでんこ教育をしていてそれが効果を発揮したということです。

この「てんでんこ」自分ではどうだろうと、少し考えてみました。子供の身を案じて引き返す親を誰がとめられましょう。私なら必ず引き返します。親の身を案じて引き返す子供についてはどうでしょう。私なら断固、「てんでんこ」して欲しいと思います。子供が残って行くべきだと考えています。

こういう考え方の親に対しては、きっと「てんでんこ教育」が必要なのかもしれません。でも、いざというときは状況次第。極限状況の中での瞬時の判断ですから、私だってどういう行動をするか分ったものではありません。だからこそ、「そのとき」についての想像力をたくましくして心の準備をしておく必要があるともいえます。そういうわけで、津波の時は「てんでんこ」という教え、とても考えさせられました。個々人や家族、まだ見ぬ子々孫々、そして町や村という共同体の命をつなぐことまで視野に入れた、深い教育だと感じました。

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リストと若冲

2011年03月28日 | クラシック豆知識
今年は、リストイヤーです。リストのことが語られ、リストの曲があちこちで演奏されることと思います。ムジカ・ノーヴァの4月号に「フランツ・リスト、ピアノ作品の背景」という記事が載っていて、そこに、リストがベルリオーズに宛てた手紙の一節が紹介されています。リストによれば、様々な芸術のジャンルを超えて、「天才」と呼ばれる人たちにはなにか隠された類似性があるというのです。そして、リストは「ラファエロとミケランジェロを知ることによって、私はモーツァルトとベートーヴェンについてより深く理解できるようになりました」と書いているのだそうです。

これは、要するに、音楽の世界にだけ没頭するのではなくて、様々な芸術や自然に目を向けて、それらに共通した何かを感じ取る、これが重要だということではないでしょうか。音楽のジャンルの中で、室内楽、オーケストラ、オペラなどいろんな音楽に触れるのはもちろんですが、絵画や、彫刻、建築さらに自然などにも目を向けて、何かを感じ取ることが大事だということだと思います。

私などヨーロッパで産まれたクラシックをずっと勉強してきていながら、一度もヨーロッパに行ったことがありません。なので、ラファエロもミケランジェロも本物をみたことなどありません。けれど、展覧会で見た伊藤若冲の絵とか、京都や奈良の仏像や寺社建築、そして庭にやってくる小鳥のさえずりなど、私にとって手の届く範囲の天才たちの営みや自然の営みに接するたびに、私は言いようのない感動を覚えます。そしてこのことは私の音楽に大なり小なり必ず影響を及ぼしていると思います。

リストのピアノ曲を弾きながら、若冲の絵を思い出しています。リスト風に言えば「私は若冲を知ることによって、リストについてより深く理解出来る」ようになった気がします。二人とも驚異的なまでに緻密で繊細、精確な技巧の持ち主で、しかも二人とも、実はネアカな芸術家なんだと思います!

「紫陽花双鶏図」伊藤若冲、プライス・コレクション

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頭の中の音楽

2011年03月26日 | レッスンメモ
頭の中でぐるぐる音楽が流れている時ってありませんか?ずっと、同じ曲が流れている時。そんな時は、おしゃべりをしたり、こうやって文章を書いたりすることが少し滞ります。なんだか、頭の中で考えることがフリーズしているような、でも音楽だけは頭の中で鳴らしているという状態です。もちろん、頭の思考回路が完全に一時停止しているというわけではないのですが、なにかうまく回らないという感じです。

そもそも、言葉では表せないほどの感情や、あふれ出る思いが、音楽というかたちになって出現すると思うのですが。私のいろんな感情や気持ちが整理出来ずにいる時、そしてその感情が溢れそうになる時に、頭の中で音楽が流れてくる・・・そんな気がします。

そんな時は、このブログもなかなか筆がさっさと進まず、よいしょ、よいしょという感じで書いているときもあるんです(笑)

でも、音楽がいつも私を助けてくれて、包んでくれます。たとえ、実際にそとから聴こえてきていなくても、頭の中でも鳴り続けてくれるのです。

誤解のないように言っておくと、聴こえてくるのではなく、自分の中で声を出さずに歌っている状態です。ここまで書いた文章を家族が読んで、「幻聴じゃないか?」なんていうのですが、それではありません。わかって頂けますよね?

今朝も鳴っています。鳴らしています。音楽よ、ありがとう!

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ゲンちゃん

2011年03月26日 | Weblog
我が家には猫だけではなくて、犬もいます。名前はゲンちゃんです。彼も以前このブログに登場したことがあります。

ゲンちゃんはもう13歳です。我が家のペットの中では最長老です。そのゲンちゃん、とても元気な犬だったのですが、2年ほど前のある日、急に元気をなくして右目が痛いような素振りを見せたので、病院に連れて行きました。そこで、突発性緑内障と診断されて、もう治らない病気だ、失明のおそれもあるといわれてびっくりしました。薬で進行を遅らせるしか方法はないと言われて、毎日眼圧を下げる目薬をするのが日課になっていました。けれどもしばらくして元気にはなりましたけど、やっぱり右の眼は視力を失ってしまいました。それ以来、左目だけで以前と変わらないような生活を続けてきました。

ところが、今度の大地震の次の日のこと。ゲンちゃんがまた急に元気がなくなったのです。もう片方の眼も悪くなってきたのかと心配した矢先、家の中のリビングのテーブルとか、ソファとかにぶつかる姿を見て愕然としました。リビングにゲンちゃんの座るお気に入りの場所があるのですが、そこに行くのにも真っ直ぐいけません。あちこちにぶつかっています。ゲン、もしかして見えてないの?

その後、病院で点滴をしたり、薬をもらったりしましたが、もう両目とも見えてないのは明らかです。これからは、ゲンは両目とも失明した生活を余儀なくさせられます。突発性なので、本人も突然の暗闇の生活にとまどっているようで、とても不安そうにしています。少しずつ慣れてきてはいますが、私たちが注意してあげないと、足を踏み外したり、物にぶつかったりして大変なことになります。散歩はもちろん、家の中でもあんまり動かなくなりました。



とても可哀そうです。できるだけ声をかけて少しでも安心させたいです。私はゲンちゃんにも随分救われてきました。とても優しい犬で、大人しくて、控えめで、猫にも遠慮して気を使うくらい。決して吠えたりせず、人懐っこいゲンちゃんです。

犬も猫も人間も、年と共に老いて行き、色々と身体に問題が出てくるものです。これも生き物の定めというものでしょうか。

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ピアノの管理

2011年03月25日 | Weblog
私の宝物は?と聞かれたら、友人や家族はもちろんだけど、モノでいうならやはりピアノ。これが私の宝物。この宝物とは他の誰とよりも長く、一緒にずっと暮らしています(もう50年くらい!)。

現在、愛用のピアノは13年前に購入したのですが、以来、恐ろしく酷使しているので、ズタズタに疲れてきてしまっています。もちろんメンテナンスには気を使っていますが、調律師さんが来るたびに、「こんなに使って」とあきれるほどです。

ピアノを置いている部屋の、湿度管理も大切です。今年は、例年よりずっと寒い年でしたから、暖房をガンガンつけるしかなくて、いつもよりピアノ部屋の乾燥が激しかったと思います。多分そのせいで、もう、ピアノが限界でうなりをあげたり、ヒステリーをおこしたりしています。

夏場に湿度の高い日本、特に九州のように長い夏や梅雨のある地域に住んでいると、ピアノ部屋の湿度管理と言えば湿気対策こそが重要になってきます。特に梅雨時などは、ピアノにとって試練の時で、この時期の乾燥をきちんとやってあげるかどうかで、ピアノの状態は全然違ってきます。毎年冬になって乾燥してくるとやっと安心するというのがいつものことでした。

しかし、今年の冬は寒さのせいで、ピアノ部屋の乾燥は尋常じゃありません。せっかくの乾燥も、度を超すとかえってピアノを悪くするようです。音が乾燥し過ぎていて、もうちょっとでピアノが割れるんじゃないか?と不安になるほどです。

やっと、3月も末になってきて、少しずつ暖かくなってきたので、エアコンをつける時間も短くできるようになってきました。今日は早速調律師さんにきてもらって、調律をしてもらいます。調律の後のピアノって、本当に気持ちいいのです。まるでお風呂からあがったばかりのように、気持ちよさげな、きれいな音を放ってくれます。

今日の夜、お風呂上がりのピアノに出会うのが楽しみです!

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ピアノがうまく弾けた時

2011年03月24日 | レッスンメモ
ピアノを練習していて、あるいは本番で、上手く弾けた時と弾けなかった時というのは、当然あります。このうまく弾けたと本心から思える演奏は、本当に少ないのですが、上手く弾けた時はそれが本番であろうと、自分の練習室であろうととても嬉しいものです。

ところが、けっこうコンサートなどでは、失敗したりこう弾きたかったのに・・と思う箇所は、鮮明に覚えていて、会心の演奏とか、いい音とかをちゃんとは覚えていなかったりします。でも、大切なのは上手く弾けた時の記憶。自分は、どの状態でこんな風に弾けたか、これをわからないと、タダのまぐれになってしまいます。

初めはまぐれでも、そのまぐれを何回も繰り返して続けることが出来るようになれば本物です。そのためには、上手く弾けた時のことをよく分析して覚えておく必要があります。練習室でも、上手く弾けた!と感じる回数を多くすることが、段々成功していく秘訣です。

たとえほんの一ヶ所でも、上手く弾けたと感じることができれば、喜びがあるし、わずかな希望を持つことができます。達成感さえ味わうことが出来ます。そうやって、もっと、もっと前向きになって、さらに練習に打ち込むことができる。こうしてどんどん相乗効果が生まれて、波にのっていく。こういうサイクルに入った時の生徒の成長には目を見張るものがあります。それまでなかなか熱心に練習してくれなかった生徒でも、何かのきっかけで突然このサイクルに突入! ということはよくあることです。

上手く弾けた時の記憶というのは、とても大切です。

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ピアノのおけいこ、初心者の壁

2011年03月23日 | レッスンメモ
多くの初心者の生徒が最初につまずくことは、何でしょうか?もちろん個人差はあるとして、私が長年教えてきた経験から言えることを書いてみます。

①「左右の手が同時に違う動きをするとき」
まずは、右手の指と左手の指それぞれが、同時に、違う動きをする時です。初めて楽譜にこういう部分が出てくると、つまづく生徒が出始めます。片手ずつ交互に、右手で弾いたり左手で弾いたりしながら一つの曲を弾くのは、ほぼ全員あまり問題なく進んでいけます。トンプソンの「小さな手のためのピアノ教本」などは、片手ずつ分担して弾くようになっていて、交互に弾かせるようにできています。これなどは、みんなすぐ弾けるようになります。しかし、問題は、その先です。同時進行でそれぞれ右手と左手が違うことをしながら弾かなければならない曲に進むと、壁にぶつかるようです。

②「譜読み」
次に、なんとかそれにも慣れてきて、ワンランク上の楽譜に進むと、少しずつ楽譜の内容が複雑になってきます。そうすると、楽譜を読むのが嫌い、面倒くさい、苦手という生徒が出てきます。読譜力というのは、本当に個人差がありますが、たいていブルグミュラーの「25の優しい練習曲」あたりが境目になります。ここでつまづく生徒とそうでない生徒に、はっきり分かれてきます。それでも何とかここを乗り越えてくれた子には、ピアノを弾く、あるいは弾きたいという姿勢がきちんと出来てきているように思います。

③「指が回るかどうか」
さらにレッスンが進んでいくと、譜読みなども問題にならなくなって、生徒それぞれに応じて色んな個性、長所や短所が出てきます。きれいな音が出せているかどうか、音符をなぞるだけでなくて、ちゃんと歌えているかどうか、チェックポイントはいろいろですが、一番多く共通している問題は、曲のテンポについていくのに十分な指の動きができているかどうか、つまり指がきちんと回っているかどうかということです。これなどはもうほんとに永遠の課題で、早くて複雑なパッセージを正確に素早く弾きこなすための努力には際限がありません。

さて、生徒がこのような壁にぶつかった時、どうやって乗り越えるお手伝いをしていけば良いのでしょうか。私は二つの方法で生徒の背中を押してあげるようにしています。

一つは、「だましだまし」。言葉は悪いのですが、生徒がつまずき始めたなとこちらが察知したら、無理をしないで細かく段階を踏むようにします。ちょっと負担が大き過ぎたかなと感じたら、その半歩手前の教材を挟んだり、同じものの量を少なくして、部分的にやっていったり、なるべく本人が、自分の直面した問題を意識しないうちに、自然に出来るようになっていたという状態に持って行くように仕向けるのです。最近は、譜読みなどは、嫌になる前の段階から、曲とは別に譜読み訓練をかなり前からするようになりました。

もう一つは、練習のプッシュ。最終的にはすごいピアニストもものすごい練習をしているのですし、結局は練習しないと弾けない局面がやってきます。いろいろきれい事を言っても、ある程度まで進んだら、練習は不可欠。問題はその動機づけです。これを一人一人の性格や受けとめ方、タイプに応じて、練習の大切さを感じさせるようにもっていくことです。コンクールが良いモチベーションになる子もいるし、「これを弾きたい!」という曲に出会うかどうかによっても、練習に対する姿勢が大きく違ってきます。そういう意味で色んなクラシックの名曲をレッスン中に紹介したりするのはもちろん、ご家庭でも普段からクラシックを聴ける環境を作ってあげるとありがたいと思います。取り組む曲の選定を良く考えて、大好きな曲を練習する。そうすればやる気が出るし、苦しい練習も苦にならなくなりますよね。

こうやって、生徒と一緒に励んで、もうそろそろ30年になります。

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遠くに飛ぶ音

2011年03月22日 | レッスンメモ
同じホールで、つまり音響効果が同じなのに、演奏を聴くとき、音そのものがよく遠くに飛んで、「通る」演奏者と、あまりよく通らない演奏者があると感じます。

遠くに飛ぶ音とか、通る音というのはホールをぐるんと回って会場全体に響いて聴こえます。それに比べると通らない音というのは、なにかくぐもっていて、ぐるんと回っている気がしません。最近のホールはホール自体も、それからピアノもとても立派で、音が聴こえないということはありません。くぐもっていてもよく聴こえます(音の大小の問題ではありませんから)。でも、弾き手によっては、私たち聴衆が音に包まれた感じがしない場合があるのです。

コンクールなどで、よく練習してあり、立派な演奏ばかりという中で、大きく差がでてくるのは、この点も一つはあると思います。

鍵盤を定位置から押し下げて、音を出すのですが、押し下げて下げ止まったところは、わずか1センチくらい下です。たった1センチを下げるのに、いろんなことを瞬時に腕やひじ、手首から指への連動した動きをして、音を出すに至ります。鍵盤から指を離さずに打鍵するとその加速は少しで、上から打鍵すると加速は大きくなり衝撃は大きくなるはずです。

では、鍵盤を強くたたけば音は鳴るかというと、ただガツンとたたくと人間の疲労度のわりに、音は鳴ってくれません。弾く前から脱力の準備をし、指先が鍵盤にあたった瞬間から脱力が始まり(それでもたった1センチだから瞬時です)最終的に手が降りたという感覚で、脱力を図ると鳴ってくるような気がします。

イメージトレーニングとよくいいますが、まさに音出しはそれだと思います。私の方法が誰にでもいいかというとそんなことはなく、もちろん、私もいまだに試行錯誤です。ただ、言えることは、大きな箱の中を鳴らすというイメージ、そして客席の方向に向かって音を飛ばす、というイメージをしっかりともつことが重要だということです。金子一朗氏の「挑戦するピアニスト」という著書の中に「右斜めに音を飛ばすというイメージ」というのがありますが、この言葉はとてもインパクトがあってわかりやすかったです。これはつまり、ステージのピアニストから見て客席は右側なので、その二階席の奥まで音を飛ばすというイメージです。これだと思います。

常にそのイメージを抱きながら、音を作り出すと違ってくるのではないかと思っています。

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譜読み譜読み

2011年03月21日 | Weblog
今日はお彼岸の中日。我が家では昨日、午前中にお墓掃除に行きました。それから午後はずっと譜読みをしました。譜読み待ちの曲、数曲をガンガン譜読みしました。ざっと100ページ以上あると思います。

譜読みの時は、指使いを考え考えしながら、鉛筆で指番号を書いては、消しゴムで消し、ああでもないこうでもないとやっていくので、かなり頭と時間を使います。それでも、2回目の譜読みでもっといい運指を発見したり、少しテンポを速めて弾いてみると、また弾きにくい処を発見したりの繰り返しです。もう昨日は頭がパンクしそうでした。ずっと、余計な事を考えずに譜読みに集中しました。

地震から一週間以上たち、被災している方々は言葉に言い表せないほどの思いをしていて、またそうでない私たちにも大きな気持ちの変化があったはずです。気持ちが崩れ、何も手につかず、あまりのことに茫然としてしまった日々でした。被災していない私がそんなことではいけないのですが、正直そんな感じでした。

昨日、譜読みをしながらグリーグの美しい旋律に涙を流しながら弾きました。地震の前と後では、自分の気持ちに変化が生じたことを感じます。乗り越えて、希望をもってピアノに向かわなきゃいけないと思っています。

4月に予定しているホームコンサート、予定通り開くことに決めました。福岡も予定通り。さらに佐賀ではチャリティーコンサートの依頼を受けました。(詳細は後ほど)一歩ずつでも、前に進んで行きたいと思っています。

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JR今昔

2011年03月20日 | Weblog
昨日、電車に乗って出かける時、改札口にお馴染の駅員さんがいて、お互い笑顔で挨拶を交わしながらホームへ向かいました。ここの駅員さんたちには、電車通学をしていた娘が随分お世話になったものです。田舎の小さな駅ですから、毎日駅を利用する娘のことこもすぐに覚えていただけたようで、よく声をかけてもらったり、ギリギリに駆けこんだときは電車を待たせてくれたり(ホントにすみません)ということもあったほどです。

話変わって、昔、私自身が高校生だった頃のお話です。当時はJRではなくて国鉄の時代。その頃、私は佐賀県の家から博多まで、毎週一回、国鉄の電車に乗ってピアノのレッスンを受けに通っていました。あの頃は、たくさんの駅員さんがいて、そんなに忙しそうではなかったのですが、なんだか、イライラしてるみたいで、叱られたりしました。自動販売機もなかったし・・・。何にもわるいことしてないのに、「さっさとして下さい」みたいな・・・。職員さんたちの態度。切符を買うときも特急券を見せる時も、何だかいつもこちらが叱られているような気になってしまうほど。「すみません」だとか、「ありがとうございます」だとか、お客の方が言ってました。その答えは無愛想に「はい」だったのです。

それが今では様変わり。笑顔で、丁寧に、優しく親身になって乗客に接してくれています。しかも、皆さん本当に忙しそうに働いています。JRになって、昔と比べるとずい分社員数も減ってきているのでしょう。大変だろうなあと頭が下がります。

普段は車で移動する事が多くて、電車に乗る機会はそんなにないのですが、ここのところ続けて乗る機会があって、高校の時のことを懐かしく思い出しました。

お知らせ
先日、このブログでもお知らせいたしましたが、明日3月21日の九電イリス大分主催「愛野由美子ピアノコンサート」は、延期となりました。明日のコンサートはありませんので、お間違えのないようにお願いいたします。楽しみにして下さった方々、申し訳ありません。

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うちの猫

2011年03月19日 | Weblog
我が家には、猫がいます。白黒の「はちわれ」模様の猫で、まあ完全な雑種です。ランという名前で、時々このブログにも登場するのですが、昨年は怪我で手術したりして、つらい思いをさせました。今は元気になり、なかなかのおどけっぷりというか、ドジぶりを発揮して、いつも私を笑わせたり、なごませたりしてくれます。

「どうして、大皿の上に正座してんの?!」の図

大体、本人としては笑わそうと思ってないところがいいと思います。本人としては、あくまで普通、というか真剣なのでしょうが、階段を一歩踏み損ねて、ガタンと落ちそうになったり、高いところから自分でジャンプしたのに、着地失敗してドンと落ちた感じになったりします。歳のせいもあるかもしれませんが、実は若い頃からこういうドジはよくやっていました。基本的に運動能力が普通の猫より少し劣っているのではないかと思われます。しかも何事につけ、学習ということが苦手なようで、何度も同じ失敗を繰り返すのです。

「洗濯機の中が好き」の図


にもかかわらず、このランちゃん、自分のことは人間だと思っているらしくて、我が家の他の猫や犬に対して、明らかに「上から目線」でみています。通りすがりにガンを飛ばして威嚇したり、場所取りの仕方が横暴だったりします。しかも、我が家に一大事があって「どうする?」などと家族間で真剣に話し合っているときは、その輪の中に、どこからともなく、呼びもしないのに、必ずぐいぐいっと入ってきて、「なになに? どうした?」と会議に参加するのです。

「会議中の難しい顔」の図


夜、私は彼女と一緒にベッドに入るのですが、二階にある寝室には私がランちゃんをお姫様抱っこして連れて行くことになっています。自分一人では決して上がって来ないのです。もちろん日中は、二階と一階を一人で行ったり来たりしているんですよ。彼女のトイレは二階にありますから。なのに、何を心得違いしているのか知りませんが、夜、寝るときだけは、お姫様抱っこで二階に連れて行けと、こうなっているのです。もし、「勝手にいらっしゃいね」と一階に残したまま私が先に寝室に行ってしまうと、どうなるか。パジャマに着替えて布団に入った頃に大きな声が聞こえてきます。ほんとに大きな声で「わーわー、やーやー」と、階段の下から「迎えに来て」コールです。これでは眠れません。結局私は根負けして、下までお迎えに行かなければならいのです。

「やっぱ、甘えん坊」の図

しかし、私が風邪でベッドに伏せったりしているときは、ずっとそばを離れずに私の横にいて、時々手で私の顔をなでてくれたりします。ほんとに「大丈夫?」って心配してくれているように思います。こんなところもあるので、少々の我儘は許しています。こんなときはとても救われますから。

えっ?! それは人間の勘違いですって? ただ、暖かいからベッドにいるだけ? 猫は心配なんかしてくれないって? そうかも知れませんね。 だけどそれでもいいんです。それが人間であれ、猫であれ、自分以外の相手の本当の気持ちなんて、実は決して分らないものなのかも知れません。でも、ひとつだけ、間違いなく言えることは、何かの魂胆を持って嘘をついたりしないことです。

勘違いも思い違いも、ひいては幸せか不幸かも、自分が決めるんですよね。

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庭の春

2011年03月18日 | Weblog
今朝は、お天気のいい日です。春にしては、まだ寒いけど、太陽の明るさは眩しいくらいです。

我が家の庭の花たちが動き始めました。我が家の庭の花は、お隣やご近所に比べてなぜか開花が遅く、のんびりやさんばかりなのですが、ようやく咲き始めてきました。

ヒマラヤユキノシタ  文字通り、雪の下からぐぐっと力を貯めて立ち上がるようです。


かぐわしい香りの水仙たち
 

ピンクのジンチョウゲと白のジンチョウゲ
 

去年の秋に植えたツバキの苗木です。まだ小さいのに大きな花を咲かせてくれました。三頭身!?


うつむきに咲くクリスマスローズ。この控えめで清楚な感じがとても好きです。


花盛りまであと少し。確実に春は近い。

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日常

2011年03月17日 | Weblog
九電イリスのコンサート延期の知らせを受けて、早速、昨日はグリーグのピアノ協奏曲の譜読みにとりかかりました。グリーグの譜読みのことをずっと気にしながら、目前のコンサートの曲につい、一生懸命になって、同時進行で練習することにバランスを欠いていました。グリーグの譜読みも遅れていたのです。まずはしっかり譜読みをしなければなりません。

グリーグの曲は元々大好きで、譜読みをしているとこの曲の魅力にどんどん惹きつけられ、2楽章は特に、とても気持ちが和みます。

いつも通り生徒のレッスンをし、グリーグの譜読みを始め、私は私の生活を淡々と過ごしています。そのことの大切さを噛みしめながら、いざという時のために力をためたいと思います。なにがあっても、日常というのは、やってきます。朝が来てご飯を食べる、仕事をする、家族を思う、友人を思う、お風呂に入る、睡眠をとる。どんな時も、地球がぐるんと回って、朝が来ます。今日も寒いけど、春が必ずやってくる。

そう思いながら、私は仕事を一生懸命やろうと思います。


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