今夜は、内田光子のCDを聴いています。内田光子といえば、あの衝撃的なコンサートを忘れることが出来ません。それは、10年以上も前の話になります。当時、アメリカに住んでいた私は、NYのリンカーンセンターに内田光子のリサイタルを聴きに行きました。そこで、ベートーヴェンのピアノソナタ30番作品109を聴いて、しばらく、美しさと充実感に圧倒されて、もう言葉で言い表せないくらい感動しました。
ニューヨークでは、本当にたくさんのコンサートを聴きに行きました。思い出深いコンサートが数え切れないくらいあります。リッジウッドという町にすんでいた私は、カーネギーホールやリンカーンセンターのあるマンハッタンまで、ジョージ・ワシントン・ブリッジ(通称GWブリッジ)を渡り、ハドソン川を右手に見ながら、一人で車を飛ばしたものです。
ニューヨークに内田光子がやってくると、必ずチケットをとりたいのですが、ちょっと油断すると完売になってしまいます。内田光子は超人気者でした。仕方がないのでシーズンチケット(各種のコンサートをセットにして販売されるもの)を購入するようにしました。
そのセットの中身は、興味のある大本命のものと、さほど興味をもっていないものが混ざっているのですけど、毎回同じ席でセットになっているので、お隣も毎回同じ方。そのうち顔見知りになり、軽くあいさつなど交わして、コンサート談義が始まることになります。
そんな関係の最初のきっかけになったのが内田光子のコンサートでした。作品109の演奏の後、私の席の隣で「Oh!beautiful]とため息まじりにもらした彼女の一言で、目が合い、同感の私もにっこり。そして、アンコールの曲の後に、「あの曲は何?」と聴かれて、私がそれに答えて、一気ににコンサート仲間となったのでした。一人で通ったコンサートの数々も、こうやって楽しく過ごすことができました。
ニューヨークでは、本当にたくさんのコンサートを聴きに行きました。思い出深いコンサートが数え切れないくらいあります。リッジウッドという町にすんでいた私は、カーネギーホールやリンカーンセンターのあるマンハッタンまで、ジョージ・ワシントン・ブリッジ(通称GWブリッジ)を渡り、ハドソン川を右手に見ながら、一人で車を飛ばしたものです。
ニューヨークに内田光子がやってくると、必ずチケットをとりたいのですが、ちょっと油断すると完売になってしまいます。内田光子は超人気者でした。仕方がないのでシーズンチケット(各種のコンサートをセットにして販売されるもの)を購入するようにしました。
そのセットの中身は、興味のある大本命のものと、さほど興味をもっていないものが混ざっているのですけど、毎回同じ席でセットになっているので、お隣も毎回同じ方。そのうち顔見知りになり、軽くあいさつなど交わして、コンサート談義が始まることになります。
そんな関係の最初のきっかけになったのが内田光子のコンサートでした。作品109の演奏の後、私の席の隣で「Oh!beautiful]とため息まじりにもらした彼女の一言で、目が合い、同感の私もにっこり。そして、アンコールの曲の後に、「あの曲は何?」と聴かれて、私がそれに答えて、一気ににコンサート仲間となったのでした。一人で通ったコンサートの数々も、こうやって楽しく過ごすことができました。