松山市太山寺町の「太山寺」は、四国八十八ヵ所霊場の第52番札所でもあります。
寺の創建伝説に「一夜建立の御堂」っていうのがあります。
それによると、飛鳥時代の用明天皇2(587)年、豊後国臼杵の真野の長者という者が難波に船で向かう途中、高浜の沖で嵐に遭遇したそうです。そこで、長者が平素から信仰する観音に念じると山頂から光が差し嵐が止み、光の差した場所に行ってみると十一面観音を祀った堂があったようです。長者は感謝しそこに寺院を建立するため、豊後より一晩で建材を持ち込み、山腹に一夜にして寺院を建立したという伝説です。
その後、天平5(733)年、聖武天皇の勅願により行基によって本尊の十一面観音が安置され、天平勝宝元(749)年に現在の地に移転されたと伝えられています。
嘉元3(1305)年に、伊予国守護河野氏によって現在の本堂(国宝)が再建され、近世には松山城主加藤氏の庇護を受けて栄えたそうです。
現在文化財に指定されてる建物が2棟あります。
二王門(重要文化財)

鎌倉後期の再建の、三間一戸八脚門。屋根は入母屋造の本瓦葺となっています。
本堂(国宝)

嘉元3(1305)年の再建。規模は桁行七間、梁間九間。屋根は入母屋造の本瓦葺です。
均整のとれた美しい建物です。
◆『太山寺』詳細データ
住所:愛媛県松山市太山寺町1730
山号:瀧雲山
宗派:真言宗智山派
本尊:十一面観世音菩薩
寺の創建伝説に「一夜建立の御堂」っていうのがあります。
それによると、飛鳥時代の用明天皇2(587)年、豊後国臼杵の真野の長者という者が難波に船で向かう途中、高浜の沖で嵐に遭遇したそうです。そこで、長者が平素から信仰する観音に念じると山頂から光が差し嵐が止み、光の差した場所に行ってみると十一面観音を祀った堂があったようです。長者は感謝しそこに寺院を建立するため、豊後より一晩で建材を持ち込み、山腹に一夜にして寺院を建立したという伝説です。
その後、天平5(733)年、聖武天皇の勅願により行基によって本尊の十一面観音が安置され、天平勝宝元(749)年に現在の地に移転されたと伝えられています。
嘉元3(1305)年に、伊予国守護河野氏によって現在の本堂(国宝)が再建され、近世には松山城主加藤氏の庇護を受けて栄えたそうです。
現在文化財に指定されてる建物が2棟あります。
二王門(重要文化財)

鎌倉後期の再建の、三間一戸八脚門。屋根は入母屋造の本瓦葺となっています。
本堂(国宝)

嘉元3(1305)年の再建。規模は桁行七間、梁間九間。屋根は入母屋造の本瓦葺です。
均整のとれた美しい建物です。
◆『太山寺』詳細データ
住所:愛媛県松山市太山寺町1730
山号:瀧雲山
宗派:真言宗智山派
本尊:十一面観世音菩薩
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