おさかな’sぶろぐ

日々感じたことを徒然なるままに。。。

安佐広島2

2021年03月05日 23時00分37秒 | 建物
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年7月17日)
 原爆ドーム見学後、広島城へ移動。広島城訪問も初めてではなかったのですが、記録写真残したのはこの日が初でした。城跡は昭和28年(1953)に国の史跡に指定されています。天守は鉄筋コンクリート造で復元されたものです。
 広島城の築城主は毛利輝元になります。もともと毛利氏の居城は吉田郡山城(安芸高田市)で堅固な山城でした。吉田郡山城は要害であり、また山陰・山陽を結ぶ地にあたり、戦国の領土拡張期においては絶好な位置でした。毛利元就の孫である輝元の時代になると、豊臣秀吉によって天下は安定期に入り、それまでの防御を主目的とした城造りから、城を権力のシンボルとして領国の政務・商業の中心地とした城下町を形成する時代となり、太田川下流の三角州に城を築いたのが広島城になります。築城は天正17年(1589)に始まり天正19年(1591)入城。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで減封されて広島を去った毛利輝元に代わって福島正則が入城。福島家の時代に穴太衆によって城が整備され約1km四方の広大な城になりました。元和5年(1619)福島家が改易され、紀伊和歌山藩から浅野長晟が転封して入城し、以後明治まで浅野家の居城となっています。


広島城 天守閣|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)



広島城 天守閣|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)

 江戸期の天守閣は、原子爆弾投下までは現存していました。当初は爆風で吹き飛ばされたとなっていましたが、調査の結果、建物の自重で自壊したことが判明されています。昭和28年に国の史跡に指定されたことから、天守再建の機運が高まり、昭和33年(1958)に現在の天守が再建されました。鉄筋コンクリート造ですが、外観に関しては江戸期の天守を忠実に再現しています。現在、再建天守の老朽化が進んできたことから、耐震改修を行うのか、それとも木造にて再建するのか、議論されているようです。個人的には木造再建が希望ですけど。

 表御門と平櫓は、平成元年(1989)から始められた城跡整備によって再建されています。


広島城 表御門・平櫓|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)


広島城 平櫓・多聞櫓・太鼓櫓|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)

▶広島城
住所:広島県広島市中区基町21−1
開館時間:天守閣:9時~18時|二の丸:9時~16時半
入城料:370円(天守閣)

▶広島市(沼田郡)の変遷
⓪郡区町村編制法施行|1878年|明治11年11月1日|広島区(ひろしまく)
(対象)沼田郡広島城下・観音村・川添村・船入村・水主町新開・吉島新開・六町目村・江波新開・白島村・安芸郡大黒村・段原村・比治村・尾長村・大須賀村・大須新開・東新開・皆実新開・矢賀村の一部
①市制施行|1889年|明治22年4月1日|広島市(ひろしまし)
②区設置 |1980年|昭和55年4月1日|広島市中区<旧沼田郡エリア>(ひろしましなかく)


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