おさかな’sぶろぐ

日々感じたことを徒然なるままに。。。

愛知県の温泉

2005年06月08日 19時35分28秒 | 温泉
明日から、愛知県3泊の出張です。
愛知県にはどのような温泉があるのか調べてみました。

○南知多温泉郷 / ○西浦温泉 / ○吉良温泉 / ○形原温泉 / ○三谷温泉 / ○蒲郡温泉 / ○尾張温泉 / ○三ツ蔵温泉 / ○大名古屋温泉 / ○犬山温泉 / ○猿投温泉 / ○笹戸温泉 / ○榊野温泉 / ○小渡温泉 / ○湯谷温泉 / ○岩津温泉 / ○塩津温泉 / ○赤引温泉 / ○白鳥温泉 / ○富士見温泉 / ○尾張天王の湯 / ○半田天然温泉 / ○岡崎竹千代温泉 / ○内海温泉 / ○岩神之湯温泉 / ○稲武温泉 / ○湯の島温泉 / ○兎鹿嶋温泉

どこかの温泉にはチャレンジしてこなければね~!
せっかくの愛知県ですから(^^)v

「わからない」という方法8

2005年06月08日 18時45分09秒 | 日記・雑談
第二章 「わからない」という方法 より抜粋
2 「わかる」とはいかなることか
◆完成されたものはいつか壁にぶつかる
 既に完成しているノウハウの「わかりやすさ」は十分に考え抜かれ、くずしようがない。その「わかりやすいやり方」に対して「わからない」の声が上がった時、手の打ちようがない。
◆知らない人はどこまでもしらない
 「知らない人間」を相手にするときは、「相手がどこまで知らないでいるか」を把握しなければならない。「知っている人間」にはそれが「常識」であっても、「知らない人間」は、それをこれから知っていくのである。「教える側」と「教えられる側」のギャップはこのようなところから開いていく。
◆先生は優等生しか好きじゃない?
 「優秀」か「出来が悪い」かは、「教える側」の基準である。だが、「むずかしいか、むずかしくないか」の基準は、「教えられる側」が決めるはずのものである。
◆教えられる側の論理
 人間の理解というものは順を追って起こるもので、「教えられる側」には「教えられる側なりの筋道」がある。教える側は、それを把握しなければならない。でなければ、教えられる側に、「わかった」という理解は訪れない。
◆人は「わかりやすさ」をバカにする
 「わからない」とは、「人に〝小学生になる必要〟を教える事態」である。それは「知っている」人達にとっては、「過度のわかりやすさ」などというものは、不必要で不愉快で拒絶したいものである。
◆「なんにも知らない人間」を相手にするのは面倒である
◆「わかりやすい顔」をしているものがわかりやすいわけではない
◆「わかる」とは納得することである
 「わかる」とは、順を追って理解していくことである。そうすることによって、学ぶ側に「納得」が起こる。その基礎プロセスは時間のかかることである。それを拒絶する人達は「これだけ覚えればもう安心」という促成ノウハウを求める。促成ノウハウが要求するものは、「理解」ではなく「暗記」である。脳が「わかった」と思えば、もう「知っている」ことになる。脳が考える仮想現実の中でだけ「達成」は起こって、当人は「もう理解した」と思う。
◆「暗記」は無意味な忍耐である
 暗記するのは脳である。何故「暗記」が無意味なのか?それは本来だったら「納得する」という方向へ進んでいるはずの身体が、置き去りにされているからである。「脳に届く暗記」ではなく「身体に届く納得」が大事である。
◆熊川哲也もそうだった
 「わかる」へ至るために必要なことは、自分の中に存在している「わからない」を、すべて掘り起こす作業である。
◆効率のよさは効率の悪さに通じる
 「わかるべきことはいかなることか」を知るのは、「至るべきゴールの認識」である。「至るべきゴール」がどのようなものかを、明確かつ具体的に把握してしまえば、努力の結果は「達成」へと至る。しかし、「わからない」を探さずに「わかる」ばかりを探したがる人は、「わかる」と思うことだけをテキトーに拾い集めて、いかにも「それらしい」と思えるものを作り上げる。だがその達成は、「似て非なるものへ至る達成」なのである。
◆無能な部下とエリートの上司
 似ているが違うものとして、「知っているけどできない」と「わかっているけどできない」があげられる。人は多くのことを脳味噌に決めさせ、身体の各部に命令を下している。つまりは脳は「エリート大学出身の優秀とされる上司」である。脳の率いる「自分」という部署を構成するのは、身体という部下達である。「わかる」とは、その部下達が、自分の仕事を自分なりに自覚し、働き始めることである。時間がかかっても、「自分のやるべきことはいかなることか」を理解した時、身体という部下はとんでもなく大きな働きをする。
◆脳は哀れな中間管理職
 脳というものは「エリート大学の出身」を自称しても、所詮は身体という部下を信用していない「哀れな中間管理職」である。「世間体」とか「情報」とか「流行」という上司に振り回されてばかりいる。ハウツー本には目を通すが、肝心の「部下の心」は目に入らない。つまりは「知っているけどできない」である。