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おさかな’sぶろぐ

日々感じたことを徒然なるままに。。。

屋島寺本堂

2023年08月30日 23時00分47秒 | 建物
屋島山上に建つ屋島寺は、真言宗御室派準大本山の寺院で、本尊は十一面千手観世音菩薩です。寺伝によると創建は天平勝宝6年(754)で、開基は鑑真となっています。四国八十八箇所第八十四番札所にもなります。本堂は元和4年(1618)に建てられています。鎌倉時代の前身堂の部材も一部用いられているそうです。規模は桁行五間、梁間五間、向拝三間で、屋根は入母屋造、本瓦葺です。昭和30年(1955)に国の重要文化財に指定されています。


御茶屋(本陣)跡

2023年08月11日 23時55分40秒 | 建物
JR西条駅前を東西に伸びる道は、西国街道と呼ばれる道です。江戸の頃、西条駅周辺は「四日市」と呼ばれていた宿場町があって、現在の「酒蔵通り」の町並みに引き継がれています。「四日市」は広島藩内の宿場の中でも最大で、宿場の中心には「御茶屋」と呼ばれた本陣が置かれ、参勤交代の大名や幕府の要人の多くが宿泊していました。本陣の建物は、明治になると賀茂郡役所、続いて賀茂地方事務所として利用されていました。現在は賀茂鶴酒造株式会社の所有となってて、内部は非公開で、道路から見える部分のみの見学になります。門は当時の表御門を復元したものです。


奥田元宋・小由女美術館

2023年08月09日 23時25分20秒 | 建物
『奥田元宋・小由女美術館』は、日本初、夫婦で文化勲章受賞の日本画家・奥田元宋と人形作家・奥田小由女の夫婦の名を冠した美術館になります。奥田夫妻は、美術館設立をかねて念願して自作の多くを手元に置いており、郷里の三次市に寄贈し、美術館として形となっています。設計は柳澤孝彦氏で、竣工は平成17年(2005)になります。建物の間にある池に夜の月が映える光景がロビーから眺められるよう設計されてて、「日本一月が美しい美術館」として知られていますが、残念ながら時間の都合で入館できずに見ることは出来てません。




トレッタみよし

2023年08月08日 23時01分47秒 | 建物
「トレッタみよし」は、地場特産品や特産物を販売する農業交流の拠点施設です。地場産の杉丸太を斜めにした組柱で鉛直力と水平力を負担して、葡萄棚をイメージした米松集成材を2段に重ね水平構面を構成した24mの大屋根としています。明るく開放的な建物でした。三次市に出かけた際に、ランチを食べようと思い立ち寄りましたが、かなり混雑してたので断念し、下の写真のみを撮影だけでした。



所在地:広島県三次市東酒屋町438
竣工年:平成27年(2015)
設計:ナフ・アーキテクト&デザイン

明石市立中崎公会堂

2023年08月02日 23時21分01秒 | 建物
現存する明石市内の公共建築物としては最古である『明石市立中崎公会堂』です。建築は明治44年(1911)になります。当時の明石郡の1町・11村が共同で、地元の寄付などを原資に「明石郡公会堂」として建設しています。一帯は中崎海岸と呼ばれていて、公会堂周辺は、中崎遊園地として整備されていました。設計は加護谷祐太郎になります。加護谷氏は、東大寺大仏殿の修繕にも携わっていたようで、西洋風の建築様式が主流であった公会堂を、仏教寺院風なデザインで設計されています。平成12年(2000)に明石市の都市景観形成重要建築物、平成24年(2012)には国の有形文化財に登録されています。




明石城

2023年08月01日 23時45分49秒 | 建物
JR明石駅北側に位置する明石城は、明石松平家8万石の居城でした。明石松平家の治世は、天和2年(1682)からで、それまでは越前国大野藩の領主でした。江戸幕府当初は、明石は姫路藩池田家の所領でしたが、元和3年(1617)池田光政が鳥取藩に転封となり、信濃国松本藩より小笠原忠真が10万石で入封したことから明石藩が始まります。その際に明石城を築城しました。寛永9年(1632)に小笠原家は、豊前国小倉藩に転封、以降、戸田松平家・大久保家・藤井松平家・本多家と藩主家が変わり、明石松平家からは10代の藩主の変遷を経て明治に至っています。江戸期の遺構建物としては、下の写真の2つの櫓が現存しています。坤櫓(左)と巽櫓(右)になり、いずれも三重櫓で、重要文化財に指定されています。坤櫓は、伏見城から移築されたと伝えられていて、天守が築かれなかった明石城では天守の代用として使われていました。巽櫓は、船上城から移築されましたが火災により焼失し、現在の櫓はその後再建されたものです。最初に移築された櫓は、船上城では、天守であったとの記録もあるようです。江戸期の三重櫓は全国で12基しか残ってなくて、明石城はそのうちの2基になります。


明石市立天文科学館

2023年07月26日 22時54分44秒 | 建物
明石市立天文科学館は明石市にある「時と宇宙」をテーマとした博物館です。昭和35年(1960)の開館になります。日本に現存する天文科学館の中では、最初に竣工した館になります。平成7年(1995)の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けましたが、平成10年(1998)に新装開館しています。平成22年(2010)に国の有形文化財に登録されています。


所在地:兵庫県明石市人丸町2-6

旧波門崎燈籠堂(明石港旧灯台)

2023年07月24日 21時55分52秒 | 建物
明石港がつくられたのは元和7年(1621)になるそうです。当時の藩主は小笠原忠政になります。寛永年間(1624~44)頃、港の入口にあたる波門崎に石壁を築いて港を改修しています。旧波門崎燈籠堂(明石港旧灯台)が造られたのは、明暦3年(1657)頃で、藩主は松平忠国になります。現存する日本の旧灯台のうち設置年代は2番目に古いとされ、明石市指定文化財にもなっています。昭和38年(1963)まで、現役の灯台として利用されていたようです。現在は明石港の歴史を語るシンボルとしてランドマークとなっています。



所在地:明石市港町2-9

春風館・復古館

2023年07月13日 23時01分35秒 | 建物
たけはら町並み保存地区内の本町通から西に向かう路地である大小路沿いに建つ「春風館・復古館」です。どちらも重要文化財ではあるのですが、非公開なので路地に面した門と塀しか見ることが出来ません。
頼山陽の叔父である春風は、大阪で医学と儒学を学び、医業を開業し、塩田経営にも乗り出し、天明元年(1781)に春風館を建築。その後、安政元年(1854)に焼失しましたが、安政2年(1855)再建されています。本町通に並ぶ商家ではなく長屋門をもつ屋敷構えとなっています。頼春風の養子である小園の子三郎が分家し、春風館の西側に隣接して復古館を建てています。



NIPPONIA HOTEL

2023年07月10日 23時37分28秒 | 建物
全国の歴史的建造物を活用して事業展開してる『NIPPONIA HOTEL』が、たけはら町並み保存地区にも展開しています。全国で維持に困っている歴史的建造物は多数存在しているのですが、活用法が見いだせず朽ちてしまっている建物も多数のも現実です。そういった観点からNIPPONIAのような資本が入るのも良いことだと思います。





旧岩本邸

2023年07月09日 23時41分04秒 | 建物
たけはら町並み保存地区内に建つ「旧岩本邸」です。現在はリノベーションされていて「SAMURAI HOUSE-安芸竹原邸-」となっています。東京に本社を構える『株式会社サムライインキュベート』の拠点となっているようです。青い漆喰がとても印象的な建物で、屋根にちょこんとかぶってる破風が目を引きます。たけはらの街並みはいろんな色の漆喰が塗られているのも興味深いですね。


旧松阪家住宅

2023年07月08日 23時23分21秒 | 建物
むくり屋根が印象的な『旧松阪家住宅』です。江戸末期の文政年間頃に建てられた商家で、往時は製塩業や醸造業などの商いを手掛けられていたようです。むくりをつけられた屋根は出し桁により軒を深くし、柱・梁などの構造体にも漆喰が塗りこめられています。漆喰はクリーム色?になるのかな、とても周囲の街並みと違う独特な存在感を出しています。正面左寄りに設けられた玄関左側壁は、腰板張りの上与力格子が設けられていて、右側は出格子となっています。つし2階部分の虫籠窓には雲形の枠に菱格子となっています。竹原市指定の文化財となっています。



西方寺普明閣

2023年07月07日 23時14分31秒 | 建物
たけはら町並み保存地区・本町通りの中央あたりから入る石段の上にある浄土宗の寺・西方寺の境内南側に立つ、舞台造の観音堂です。普明閣と呼ばれています。竹原市指定有形文化財です。この建物も、観光案内でよく紹介されています。



大覚寺 石舞台・勅使門

2023年06月30日 23時43分01秒 | 建物
京都市右京区嵯峨大沢町にある大覚寺は真言宗大覚寺派の大本山の寺院です。大沢池を含む境内には国宝、重要文化財、史跡、名勝、登録有形文化財など豊富な文化財があります。空海にもゆかりのある寺院です。下の写真は石舞台と勅使門です。なかなか絵になる風景です。


大阪天満宮

2023年06月22日 23時34分16秒 | 建物
 「天満の天神さん」と呼ばれ大阪市民に親しまれている「大阪天満宮」は、天歴3年(949)の神社です。天満宮なので、もちろん祭神は菅原道真公です。そもそもは、白雉元年(650)、孝徳天皇が難波宮を造営した際、その西北に守護神として大将軍社が創建された始まりだそうです。
 延喜元年(901)に菅原道真が藤原時平によって九州大宰府へ左遷させられた際、当地の大将軍社に参詣し、旅の安全を祈願しています。延喜3年(903)に菅原道真が没した後に天神信仰が広まり始め天暦3年(949)に創建されたのが現在の大阪天満宮になります。
 本殿及び拝殿は、天保14年(1843)の再建になります。下の写真は、拝殿になります。


 こちらは、表大門です。