■「東北(とうぼく)への路」 その2
2006/4/24(月)
★ 昨日(4月20日)は春の嵐。
芽吹いたばかりの新緑にわずかに残っていた桜、桃の花もすべて散り去りました。
本日は、うらうらな陽光、生まれたてのような、どこか怜悧な透き通る微風が体をよぎっていきました。
松尾芭蕉は、「弥生も末の七日」(陰暦の三月二十七日)、深川の草庵を引き払い、東北へと旅立ちました。
暁前の出立。
「月は有あけにて、ひかりおさまれる物から、富士の峯幽(はるか)に見えて、
上野谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし」と書いております。
この記述から、私は、花の盛りに江戸を旅立った、と思っておりました。
ところが、そうではありませんでした。
「弥生も末の七日」は、新暦の5月16日に当たるそうです。
花はもうとっくに終わり、したたるような新緑、初夏に差し掛かる頃です。
この旅は、芭蕉五十一歳の人生のなかで、晩年といえる四十六歳の時です。
彼は人生を「花」に見立て、自分は散リ行く花、あの咲き誇る上野谷中の桜を再び見ることがない
かもしれない、と心に詠じたのかもしれませんね。
「草の戸も住替る代ぞ雛の家」という句が想いを掻き立ててくれます。
「草の戸」とは、いわば、世捨て人の草庵のことだそうです。
この老い先短い世捨て人(芭蕉)が、庵を畳み、旅立ちます。
その空家に次は、お雛様を飾るような子や孫のいる新しい家庭が移り住みことでしょう。
“そうあって欲しい”と念ずる芭蕉。
散る桜を想う老人、お雛様と無邪気に遊び笑う幼子の姿が重なり合います。
老いと幼の見事な対比、人の世の悠久の流れ、流転が、この一句に見事に込められています。
7月1日の「伝通院コンサート」の第一曲目、斉藤明子さん演奏の10弦ギター用独奏曲はこうした
世界を表現したい、と思いますが、どうなることでしょう・・・
★中村洋子ホームページ http://homepage3.nifty.com/ytt/yoko_r.html
★「東北への路」チケットお申込みは...
平凡社出版販売株式会社 中崎 まで。 電話 03-3265-5885 FAX 03-3265-5714
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽
2006/4/24(月)
★ 昨日(4月20日)は春の嵐。
芽吹いたばかりの新緑にわずかに残っていた桜、桃の花もすべて散り去りました。
本日は、うらうらな陽光、生まれたてのような、どこか怜悧な透き通る微風が体をよぎっていきました。
松尾芭蕉は、「弥生も末の七日」(陰暦の三月二十七日)、深川の草庵を引き払い、東北へと旅立ちました。
暁前の出立。
「月は有あけにて、ひかりおさまれる物から、富士の峯幽(はるか)に見えて、
上野谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし」と書いております。
この記述から、私は、花の盛りに江戸を旅立った、と思っておりました。
ところが、そうではありませんでした。
「弥生も末の七日」は、新暦の5月16日に当たるそうです。
花はもうとっくに終わり、したたるような新緑、初夏に差し掛かる頃です。
この旅は、芭蕉五十一歳の人生のなかで、晩年といえる四十六歳の時です。
彼は人生を「花」に見立て、自分は散リ行く花、あの咲き誇る上野谷中の桜を再び見ることがない
かもしれない、と心に詠じたのかもしれませんね。
「草の戸も住替る代ぞ雛の家」という句が想いを掻き立ててくれます。
「草の戸」とは、いわば、世捨て人の草庵のことだそうです。
この老い先短い世捨て人(芭蕉)が、庵を畳み、旅立ちます。
その空家に次は、お雛様を飾るような子や孫のいる新しい家庭が移り住みことでしょう。
“そうあって欲しい”と念ずる芭蕉。
散る桜を想う老人、お雛様と無邪気に遊び笑う幼子の姿が重なり合います。
老いと幼の見事な対比、人の世の悠久の流れ、流転が、この一句に見事に込められています。
7月1日の「伝通院コンサート」の第一曲目、斉藤明子さん演奏の10弦ギター用独奏曲はこうした
世界を表現したい、と思いますが、どうなることでしょう・・・
★中村洋子ホームページ http://homepage3.nifty.com/ytt/yoko_r.html
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平凡社出版販売株式会社 中崎 まで。 電話 03-3265-5885 FAX 03-3265-5714
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