貴乃花が引退してからは好きだった大相撲もほとんど見なくなった。
その後、朝青龍や白鵬、照ノ富士らに代表されるモンゴル勢が続々出てきたことで、大相撲への興味が薄らいだ。ただ、NHKで夜中に放送する大相撲ダイジェストだけは一応録画して見ていた。25分番組だから見やすいし。
その大相撲の大阪場所(春場所)の昨日の千秋楽。
ものすごい記録が生まれましたね~。久しぶりに興奮しました。
ご承知のとおり、尊(たける)富士という力士が、新入幕で優勝を成し遂げたのですが、新入幕の力士が優勝したのは1914年(大正3年)以来110年ぶりだという。なんとまぁ、110年ぶりだって!
おまけにこの尊富士、前日14日目に敗れた際、右足首を負傷し、車椅子で支度部屋へ運ばれて行った。この様子では千秋楽の出場は無理だろうと言われていた。もし休場なら不戦負け。優勝の可能性はかなり低くなる。
とまぁ、そんなことだったので、昨日だけは久々に大相撲の実況生中継を見た。そしてやがてお目当ての尊富士が土俵上に現れた。
…結果は、足のケガも何のその、彼は全力を出し切って快勝し、優勝賜杯を手にしたのでした。
優勝インタビューを受ける尊富士
これはすごいねぇ、とテレビの前で感心していたら、
「この優勝したお相撲さんは、モンゴルの人?」と妻が聞いた。
「えっ? う~ん、え~っとねぇ」
いやぁ、知らんわ~
なにせ先場所は十両で先々場所は幕下なんだから、今場所まで名前も知らなかった。それが日本人なのかモンゴル人なのか、全然知らない。
「そやねぇ」と早速スマホで調べると、
「青森県出身」とあった。
妻にそう伝えた後、細かく調べて見ると、
「青森県金木町(現・五所川原市)の出身」とあったのです。
え~~!
僕はこれを見て、
「金木町」と言えばあの金木町?!」
「五所川原と言えばあの五所川原?!」
と、思わず口走ってしまった。
高校生の頃から、太宰治の小説に没頭していた僕は、20歳の時の自転車での北海道往復旅行の時に、青森県の金木町に行っていたのだ。そこには太宰治の生家があり、当時は「斜陽館」として旅館を営んでいた。旅行前からそれは知っていたので、僕はその太宰の生家で泊ることも決めていたし、予定通りそこで一泊した。その夜のことは、今もつい先日のことの様に覚えている。
「そうか、青森県の金木町出身の力士だったのか~」
そう思えば、尊富士が急に身近な存在に思えてくるのだから面白い。
青森県の津軽の金木町。そして現在は五所川原市に吸収。
この太宰治のゆかりの地で生まれ育った尊富士が、110年ぶりの新入幕優勝を成し遂げたのだった。
ホント、先場所まで全く知らなかった力士だったのに、
な~んか、うれしかったなぁ。
蛇足ですが…
自転車旅行当時の写真を載せます。
弘前から五所川原までの道路を走る。
沿道の景色は見渡すかぎりリンゴの木で埋まっていた。リンゴの実はまだ小さいように見えていたが、すべて丁寧に紙袋に包んであった。
五所川原から太宰のふるさと金木町へと向かう。
ガソリンスタンドの上に「金木」の標識が。
金木まで、あと6キロの地点だ。
とうとうやって来た斜陽館。
値段は高かったけど、1泊しました。
入口に自転車を置いてパチリ。
★今はもう旅館としての斜陽館ではなく、
五所川原市の施設になっています。
現在の斜陽館です。
太宰治記念館「斜陽館」 - 五所川原市 (goshogawara.lg.jp)