後半は飛鳥寺から飛鳥板蓋宮跡、そして石舞台の近くまで行き、
そのあと「亀石」とある上に小さな字で「橘寺」とあります。
その橘寺から、道に迷いながら(笑)飛鳥歴史公園へ。最後に
その下の高松塚古墳へ行ったあと、飛鳥駅へ到着しました。
見どころいっぱいの「飛鳥の里テクテク歩き」の後半です。
前回は飛鳥寺へ向かう所で終わりました。
このあたりは、随所にこのような案内板があります。
地図に赤で書かれている「現在地」は飛鳥寺のすぐそばでした。
そしてテクテク歩いて行くとその飛鳥寺がありました。
飛鳥寺は、日本史で習ったあの曽我馬子(そがのうまこ)が造営した日本初の本格的寺院だとされています。
飛鳥寺の門前に「飛鳥大佛」という石碑が建っています。
「飛鳥大佛」というのは現存する仏像では日本最古のもの、とありますが、何度か火災を受けて、今は仏像の顏の一部と耳と手の一部だけが残っているということです。ここへ来るまで同行のFさんも、「飛鳥大仏は頭だけしか残ってないんや」と何度も説明をしてくれていました。
飛鳥寺を過ぎて、民族資料館を通り、「酒船石遺跡」というのを見ました。
写真に撮ったのですが、写真ではわかりにくい石造物なので載せませんが、酒造りに用いたと伝わるそうですがはっきり分かっていないということ。この目で見ても、それが何の形なのか、さっぱりわかりません(笑)。関心のある方はこちらを見てください。
さて、ここからまた、道を間違ったりしながら回り道をテクテク。いったん広いバス道に出た後、進んでいくと、石舞台の近くを通りましたが、ここは以前にも行ったことがあるのでパス。行く手に大きな休憩所が見えたので、そこでお昼のお弁当を食べました。日なたを歩いていると暑いのですが、日陰のベンチに座ると割に冷たい風が吹いて、ちょっと寒かったです。
さて、また地道になり、また道を間違えて回り道をしたりしながら美しい山々と田んぼの景色を眺めて歩いていたら、Fさんから「あれが橘寺やで」と教えられました。
今歩いて来た道を振り返って撮った写真です。
中央に見える屋根が橘寺です。いい風景ですよね。
橘寺は聖徳太子が生まれたとされるお寺として有名とのことです。
さて、そこからまた上ったり下りたりしながらズンズン歩いて行くと、そろそろ本日の最後のお目当てである高松塚古墳が近づいてきたことを示す石碑が見えました。
国営飛鳥歴史公園
高松塚周辺地区
…と書かれているようでした。
そこからまたテクテク(ず~とテクテクですわ)。
そして高松塚古墳に到着です。これまであまり人の姿は見えなかったのですが、やはり名所中の名所だけあって、何人もの観光客がいましたね。
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高松塚古墳。
絵に描いたような、きれいな円墳です。
この高松塚古墳が一躍有名になったのは1972年。この石室に極彩色の壁画が発見されて大ニュースになりました。あれからちょうど50年が経ったのですね。早い、早い。
これを最後に、やがて車が走っている道路に出て、信号を渡ったら近鉄の飛鳥駅がありました。
飛鳥駅に着いたのは午後3時ごろでした。
10時頃から歩き始めて約5時間。
F先輩のおかげで、本当にいいウオーキングができました。
帰りの電車の中でスマホの歩数計を見たら、約26,000歩でした。まあ僕は小柄で歩幅が狭いので、人よりは歩数が多いと思いますが(笑)。