僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

五島列島・福江島の思い出

2022年10月09日 | ウォーク・自転車

朝ドラ「舞い上がれ」の舞台となっている五島列島へ行ったのは今から43年前のことでした。手元に当時の日記があるので確認すると、1979年(昭和54年)、夏季休暇と有休をもらって7月12日から23日まで、12日間、自転車で九州を走りました。

大阪からフェリーで門司へ行き、そこからスタート。まず佐賀県の唐津まで行って、虹の松原のキャンプ場で1泊。翌日は長崎へ行き、オールナイトの映画館で一夜を過ごした。そして次の日の朝、当初は予定していなかった五島列島へフェリーが出ていると聞いたので、「よ~し、行ってみよう。五島列島へ!」と思い立ったのです。

 
  五島列島は東シナ海に浮かぶ大小約150の島々。
  福江島はその中心となる島です。

フェリーの2等の床にごろんと寝転んで、3時間半後に、福江島の福江市に着いた。今は五島市になっていますが、当時は福江市でした。

福江島の観光地図を見ると、島の北側に「魚津ヶ崎」という所にキャンプ場があったので、今日はそこまで走って、テントを張ることにした。

 
 地図の右側に島の中心部「福江」があります。
 その下に「鬼岳」。北には魚津ヶ崎という岬があり、
 ここのキャンプ場でテントを張って一夜を過ごしました。
 

自転車をこぎ始め、まず福江市内を回ってみた。

走り始めてすぐに、お城のようなものが見えた。
あとから知ったことだけど、これは石田城(または福江城)といって、江戸時代の最後に建てられた城で知られているそうです。この町は城下町だったんですね。

 
  城門に自転車を止めて写真を撮る。  

その城門を、制服を着た女子高生たちが出入りしているのを見て不思議に思ったので、通りがかったおばさんにわけを聞くと、お城の中に高校があるのだそうだ。
「へえ、お城に高校? 珍しいですね」と僕が言うと、おばさんは、
「だって、お城を何にも使わずに置いておくのはもったいないですもの」
と言ったので、ふ~ん、それもそうかな~んて思いました。

ここを背景に写真を撮ってもらおうと、その近くにいた女子高生のグループに声をかけ、
「写真を撮ってくれますか」とお願いしたら、彼女たちは、
「あんたが撮ってあげなさいよ」
「いやぁ~。あんたが!」 
と、お互いが押し付け合って、誰も僕からカメラを受け取ってくれようとせず向こうへ行ってしまいました。ガッカリ(笑)。

ちなみに、上の石田城の門の写真はちょっとピンボケなので、ネットから写真を拝借しました。

 

そんなことをしながら、ひととおり市内見学を終えて、僕は郊外に出た。

ずんずんと坂道を上がって行くと福江の町と海が一望された。

 
 坂道はしんどいけれど、素晴らしい景観に気持がほぐれる。

後方を仰ぐと、鬼岳という、名はいかめしいが、山全体が緑の芝生で覆われた、標高300m級のなだらかな山の風景が目に入った(右の奥の山です)。

 

そしてここから、山中の道路を北へ向けて約1時間半走った。沿道に民家も少なく、ひっそりと、眠るような静けさが支配する。太陽はガンガン照りつけているが、あたりは沈黙の世界である。ずいぶん遠くまで、来たものだなぁ、と思いつつ、ペダルをこぐ。

ときどき、集落に子どもたちの遊ぶ姿が見える。彼らは、例外なく、僕を見ると動きを止め、何か不思議なものでも見るように、僕をじぃっと目で追っている。さっきの女子高生たちといい、子どもたちといい、僕は何か怪しげな人間に見えるのだろうか??

3時に、魚津ヶ崎キャンプ場に到着した。

近くに、「遣唐使の最後の寄港地」というところがあり、記念碑が建っていた。キャンプ場といっても、誰もいない。 岬に芝生が広がっているだけだ。
しかし、町営キャンプ場だけに、トイレと水道はあった。

このキャンプ場は岐宿町というところの町営で、テントを張っていたら管理人だという年配の男の人がやって来た。「どこから来たの?」と聞かれたので「大阪です」と答えたら「大阪から!」と、驚かれていた。この男性、夏は岐宿町の臨時職員としてキャンプ場の管理人の仕事をし、冬は漁師をされているという。
「おじさんはブリの漁をしているんだよ。この岬のあたりには、冬はブリがたくさん来るんだよ」と言った後、「じゃあ、明日からも気をつけてね」と、優しい言葉をかけてくれて帰って行かれた。

 

 
  魚津ヶ崎キャンプ場からの風景(ネットの写真です)。

ここ、西の果ての日没は、遅い。
パンフレットには、
「ここは、日本で一番最後に夕日の沈む場所です」
と書いてありました。

 
  キャンプ場でテントを張っていたのは、僕一人でした

何かホッとした気分で、僕は自宅の妻に手紙を書き、食事をして、あとは何もすることがなくなったので、海を眺めて日が暮れるのを待った。
やがて、夕日は、キラキラとまばゆい光彩を放ちながら、海の色と交錯し合い、徐々にその姿を隠し始めた。

テントではず~っと携帯ラジオをかけていたのですが、聞こえてくるのは日本語ではなく韓国語ばかり。ラジオをいじっていると、NHK放送だけはちゃんと日本語が流れていました。やはりここは東シナ海なんだ、と実感した次第です。

さて、福江島には1泊しただけで再び長崎に戻り、長崎の街をブラブラし、そこからは、天草西海岸や牛深、川内、鹿児島と走り、九州本島最南端の佐多岬まで。そこから北上して宮崎県へ。日南海岸道路を走り、最後は日向港から大阪行きのフェリーに乗って帰り、無事に12日間の旅を終えました。

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五島列島の福江島にはわずか1泊2日しか滞在しなかったのですが、それでもここの風景は今もはっきりと記憶に残っています。

1週間前から始まった「舞い上がれ」を見ていると、五島の海や山の美しい風景が随所に出て来るので、ドラマを見ながら、40数年前のこの自転車旅行の思い出に浸っている僕です。

 

★追記

 当時の旅行日記です。

 
 これがノートの表紙。A4サイズです。


 
  そしてこれがその中身。
  ヘタな字がぎっしり並んでいます。
  全部で66ページを使ってこの旅行日記を書きました。

僕の本棚には、自転車旅行と海外旅行とマラソンなどの資料や日記、写真等がワンサとあります。そろそろ処分しなければ、と思っているんですけどね~

 

 

 

コメント
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