僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

映画 だらだら日記

2011年07月16日 | 映画の話やTVの話など

レンタルビデオ店でお目当ての映画を探すのも、それなりに難しい。
先日、TSUTAYAで、東野圭吾原作の「容疑者Xの献身」を探したが、
どこを探しても見つけられず、仕方なく別のDVDを借りて帰った。

それを息子に話すと、「絶対に置いてあるはずだけどなぁ」と不思議がり、
「テレビドラマのガリレオのところは見たの?」 と僕に尋ねた。

「見ていない。テレビドラマとこれとは関係ないやろ」 と答えると、
「その映画にはガリレオが出てくるのだから、そこに置いてあるはず」
と自信ありげな言葉が返ってきた。

僕は再びTSUTAYAへ行き、テレビドラマのコーナーを探した。
すると、息子が言ったように、ガリレオシリーズの中にまじって、
映画 「容疑者Xの献身」 があった。 「あ、よかった~」
そう思いながらも、一方では、なんでやねん、という気持ちだった。

テレビドラマはテレビドラマ。 映画は映画。 別のモノではないか。

僕は邦画のコーナーの隅から隅まで探したのである。

「新作」 や 「準新作」 の場所を除き、
アクション、ミステリ・サスペンス、ホラー、恋愛、青春、
…など、いろんなカテゴリの棚をすべて探しまわり、
むろん、分類されていない一般邦画のコーナーも全部見た。

でも 「容疑者Xの献身」 は邦画の場所には置かれていなかった。
それが、TVドラマのコーナーに並んでいたとは、なんのこっちゃ。

「だって、その映画には福山雅治のガリレオが出てくるからね」
と息子は繰り返すのだが、だから映画をTVドラマコーナーに置くのか?
そういうところへ頭がまわらない僕のような人間も、いると思うのだよ。

少なくとも両方のコーナーに置いておくのが、店としての配慮だろう。

とまあ、そんなことで、映画「容疑者Xの献身」を見た。

小説のあらすじを6月11日のこのブログ、
「はじめての東野圭吾」で書いたので、
それをここに、再度掲載します。

天才数学者がひそかに慕う女性が、執拗につきまとう元夫を、娘と2人で殺してしまう。
彼は、自首しようとするその母子を思いとどまらせ、自分の指示通りに動くように言う。
そうすることによって、彼はその女性に寄せる恋慕の情を成就させたいと考えたのだ。

そして、母子のアリバイ工作をし、得意の緻密な思考で完全犯罪を企てる…。

小説は犯人の側から描かれているので、妙に共感し、つい犯人を応援したくなった。

しかし、途中から湯川という物理学者が登場し、事件の謎を解明していく。
彼が、テレビで福山雅治演じた探偵ガリレオである。

ガリレオの明晰な推理で、天才数学者の完全犯罪も、
あと一歩というところで頓挫してしまう。

これが小説のストーリーだが、映画は、原作に忠実に描かれていた。

期待どおりの出来栄えで、容疑者役の堤真一が絶妙の味を出していたし、
原作には出てこない女性刑事の柴咲コウも、キラッと輝いていた。

しかし、小説でもこの映画でも、つい、容疑者の肩を持ってしまう。
快刀乱麻の推理を展開する福山ガリレオが、冷酷非情に見える。
「福山さん、なんとか堤さんを見逃してやってくれない?」 なんて思う。

それだけ、このストーリーの中にハマってしまっている証拠だろう。

原作を読んでいたので、映画の前半の、ちょっとしたシーンにも、
あぁこれが重要な伏線になるんだなぁ、なんて思いながら、楽しめた。

TSUTAYAでさんざん探しまわって借りてきた甲斐があったというものだ。

それに引きかえ…と言えばナンだけど、これまで少し触れてきた
「インシテミル」 という映画には、ついていけなかった。

「7日間のデスゲーム」というサブ・タイトルがつき、

時給112,000円の心理戦。参加者10名。死ぬか、稼ぐか

…というキャッチコピーには思わずヨダレが出そうであるが、
ぞくぞくっとするミステリ映画というものではなく、
どちらかと言えばホラーじみて、荒唐無稽すぎた。

映画は考えるものではなく感じるものである、とよく言われることだが、
こういう世界に入ってくると、何? この映画は? と考えざるを得ない。

う~む。 感性が鈍ってきているのだろうか? 

この映画は、ホリプロの作品だそうだ。 やっぱりなぁ。
…何がやっぱりか、わからないけど。

話のついでに、もう一つ、最近見たDVDの話を。

これも刺激的なコピーが話題になった「運命のボタン」である。

このボタンを押せば、あなたは100万ドル(約1億円)を受け取る。
ただしこの世界のどこかで、あなたの知らない誰かが死ぬ。
さて、あなたはボタンを押しますか?

そういったような宣伝文句だった。

キャメロン・ディアスが出ているので、あやしい映画ではないだろう。
そう思って見たのだが、思いっ切りあやしい映画であった。
面白いといえば面白い映画だったけれど、これもサスペンスではなく、
ホラー系に加えてSFの要素もごちゃごちゃと加わったB級映画だった。

あらすじは、こうだ。 

(ただし、後でネタバレが出てきますので、これから見ようという方は、
あとのほうは、読まれないほうがいいかと思います)

ある日の明け方、ノーマ(キャメロン・ディアス)とアーサー(ジェームズ・マースデン)夫妻のもとに箱が届く。箱の中には赤いボタン付きの装置が入っていた。その日の夕方、スチュワート(フランク・ランジェラ)と名乗る謎の人物がノーマを訪ね、驚くべき提案を持ちかける。
「このボタンを押せば、あなたは100万ドル(約1億円)を受け取る。ただしこの世界のどこかで、あなたの知らない誰かが死ぬ。提案を受けるかどうか、期限は24時間。他言した場合取引は無効」。 ふたりは道徳的ジレンマに迷うが、目の前に1億円を見せられ、生活が苦しいこともあり、結局ボタンを押してしまう。だが、それは想像をはるかに超える事態の始まりに過ぎなかった。(Woman.exciteシネマより)

ボタンを押せば1億円がもらえる。
しかし、それによって知らない誰かが死ぬ。
あなたはどうしますか…って?

う~ん。 1億円と引きかえに、知らない誰かが死ぬ。

最終的には、悩みながらも、押してしまうのかな~と思ったりする。
ま、悩まない人もいるんだろうけど。


映画でも、キャメロン・ディアスの夫婦は、悩み抜く。
しかし最後には、妻のキャメロンが衝動的にボタンを押す。
その瞬間に、ある家庭で、家庭内殺人という悲劇が起きる。

ネタをバラしてしまうと、次にそのボタンは別の家庭に持ち込まれ、
その家の人が同じ条件を提示されてボタンを押すと、そのとたん、
今度はキャメロン・ディアスが、愛する夫に撃ち殺されるのだ。

う~っ。 予想もできなかった結末。 あぁ、怖い。

こうして、次から次へとボタンが押され、
その度に、直前に押した人物が死ぬ…
ということが繰り返されてきたのだ。

映画は、自分の利益のためには他人の死もいとわない、
という人間のエゴがテーマなのかも知れないけれど、
あいだに火星探査プロジェクトやら、人体実験やらが絡み、
鼻血をたらす人たちやゾンビのような集団などが出てくる。
どうも、このへんのところが、よくわからなかった。

運命のボタンをキャメロン・ディアス宅に持ち来む男、フランク・ランジェラは、
やけどが原因ということで、顔の半分がえぐれている。 このメイクがすごい。

この映画の中で最も強く印象に残ったことは…と聞かれると、このメイクと、
キャメロン・ディアスの美貌がちょっと褪せてきたかなぁ、ということでしょうか。

あ、それから、もうひとつ。
キャメロン・ディアスの夫役で出ていたジェームズ・マースデンだが、
顔がタレントの小島よしおにそっくりだった。

まあ、映画の評価としては 「そんなの、関係ねぇ」 わけですが。

オッパッピー! (どっちも、もう古いわ)

すみません。 長かったわりには、つまらない感想文で。

 

 

 

 

 

 

コメント
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