僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

青春18きっぷの旅 盛岡へ

2009年04月23日 | 旅行

明けて3日目の4月7日。
朝、ホテルのテレビで、仙台の桜の開花宣言をしていた。もう遅いわ。

東北本線・仙台発8時30分の列車に乗り、8時55分、松島で途中下車。

松島を観光するには、東北本線の松島駅より、仙台と石巻を結ぶ仙石線の松島海岸駅の方が中心地に近くて便利、とガイドブックに書いてあったが、今日はこのあと平泉にも寄りたいので、東北本線から外れるわけにはいかない。

次は10時07分の列車に乗らなければならないので、松島にいられるのは1時間ちょっとである。松島駅は案外こぢんまりとした駅だった。コインロッカーに荷物を入れようとしたが、ロッカーが小さくて、荷物が入らない。

仕方なくそのまま駅前に出ると、タクシーが並んでいた。
その1台に、
「時間がないので、てっとり早くどこか景色のいいところへ連れて行ってもらえませんかねぇ」
と頼むと、運転手さんは、「はいはい」と言って、荷物をトランクに入れ、
「いやぁ、時間がないって先に言ってくれたほうが、ありがたいね~」
と顔をほころばせ、
「じゃぁ、まず、一番いいところへ案内しますよ」
そう言って、細くて急な坂道を上って行った。

人影のない、ひっそりとした小さな展望台で車を降りた。
5人も上がればあふれ落ちそうな小さな展望台だったけれど、そこから、松島湾が一望できた。いやぁ~、これはまた、素晴らしい眺めである。

20歳の時の自転車旅行で松島を通った時は、松島タワーというのがあった。
その日は曇天だったのを覚えているが、僕はタワーに上り、そこから松島を展望した。しかしそのタワーは、マジに恐怖を感じるほど、ものすごく揺れていた。「そのうち倒れるのでは…」と当時の日記に書いているが、後年、このタワーは危険だということで撤去され、今はもう存在しない。やっぱりなあ。

今日も、天気はいいが、昨日と同じように少しだけ霞んでいる。
「ほんとだったら、あっちにチンカザンも見えるんだけどネェ」
運転手さんは、かなり年配の人であった。
話に方言が混じるので、ところどころ、わからない言葉が出てくる。
「へ…? チンカザン…? ちんかざん…?」
あ、金華山のことを言ってるのだと、しばらくして、わかった。

運転手さんはそのあと僕たちを松島の中心地らしきところまで連れて行ってくれた。目の前が海である。車を降りると「松島観光協会」という建物があり、すぐ横に桟橋があった。ひとりのおじさんが僕らのところへ駆け寄って来て、
「遊覧船にお乗りでしょうか?」と尋ねた。客引きの人である。
「すみません。時間がありませんので…」
期待に応えられず、なんだか、申し訳ない気持で、おじさんに謝る。

シーズン・オフのうえ、まだ時間が早いということで、観光客の姿はほとんどない。目につくのは観光協会の人や、みやげ物屋さんや、遊覧船関係者の人たちばかりだ。僕たちの姿を見ると、みんな「いらっしゃい!」といっせいに声をかけてくれるので、なんとなく照れくさく、居心地が悪い。

五大堂や瑞厳寺などが近くにある。
しかし、なにせ次の列車の時刻が迫っているものだから、まわりを少し歩き、海の景色をしばらく見たあと、あたふたとその場を後にして、10時07分の小牛田行きの列車に乗った。そして終点小牛田には10時27分に着いた。今さらながら、のんびりしているのか、せわしないのか、どうもわけがわからない旅行であるなぁ~と、我ながら思う。

小牛田は「こごた」と読む。
「へぇぇ、そういう読み方をするの?」と妻が感心していた。

そういえば、仙台で「愛子」という地名に「あやし」と仮名が振ってあったのを見て、思わずふたりで顔を見合わせたものである。
「愛子」を「あやし」と読むのも、なかなか面白い。

小牛田で一関行きに乗り換える。
小牛田発10時44分。一関着11時31分。
一関発11時36分。そして、11時45分に平泉に着いた。

平泉駅前の「泉」というそば屋で昼食。
外へ出ると、なんと雨が降っていた。
今日は日本全国が「晴れ」であったはずだ。
しかし雨はどんどん激しくなる。そんな、殺生な!
傘は…?
平泉駅のコインロッカーの荷物の中に入れたままだ。あぁ~。

雨の中、歩いている人なんぞどこにもいない。
しかし僕らは、中尊寺に向かって歩いた。
ここは岩手県。宮沢賢治のふるさとだ。
雨ニモ負ケズ…の精神を発揮しなければならないのだ~

途中に「高館義経堂」へ寄った。源義経の終焉の地である。
一人200円を払って、丘陵の階段を上がり、お堂へ行った。
そこから見下ろす北上川の景色は美しい。

源義経主従供養塔があった。昭和61年に造られたそうだ。
義経堂の中には、凛々しい義経の甲冑姿の像が祀られていた。
義経堂のすぐそばに、芭蕉の句碑が建っていた。

芭蕉が「おくのほそ道」で平泉を訪れ、
「夏草や 兵(つはもの)どもが 夢の跡」
という、一世の名句を詠んだことはあまりにも有名である。

窓口でもらった資料によると、元禄2年(1689年)の旧暦5月13日に、芭蕉はこの高館に立ち、眼下に広がる夏草が風に揺れる様を眺めてこの名句を詠んだという。その場所に、芭蕉の句碑が建っているのだ。

高館から階段を下りて、窓口の男性に会釈をしたら、その男性は、
「傘はお持ちじゃないんですか? よかったら、これを使ってください」
と言って1本の傘を僕たちに貸してくれた。
「あ、どうも。ご親切に、ありがとうございます」
と僕たちは、丁寧にお礼を言い、それを借りた。
傘には大きな文字で、「毛越寺」と書かれていた。
「ここは毛越寺の系列なんですよ」とその男性。

僕たちはその傘で雨をしのぎながら、中尊寺まで歩いた。
40年ぶりに訪れた中尊寺は、閑散としていた。
月見坂を奥へ奥へと歩き、弁慶堂などを見ながら、これも芭蕉の、
「五月雨の 降り残してや 光堂」の句で有名な金色堂でUターンして、元の道を引き返し、他に誰もお客のいない静かなみやげ物店の2階で、コーヒーを飲んだ。いや、コーヒーを飲んだのは妻で、僕はビールを飲んだ(がはは)。

借りた傘を駅に置き、そのまま改札に向かおうとして、妻が「あ、コインロッカーの荷物!」と言ったのでハッとした。危ない、危ない。荷物を忘れてそのまま列車に乗ってしまうところであった。

平泉発2時46分の列車に乗り、4時09分に今日の目的地である盛岡に着いた。駅近くにあるホテルにチェックインしたあと、カメラ屋を探した。雨はもう降っておらず、盛岡の空には、お日様がテカテカと光っていた。

で、なんでカメラ屋なのか…?
デジカメのSDカードが「残り容量がありません」となったのだ。
予備のSDカードを持って来ていたはずだが、どこをさがしてもない。
「えらいこっちゃ。写真、撮られへんがな」

盛岡タウンマップで、「まつむらカメラ」というのを見つけたので、そのマップを頼りに、盛岡駅から東へ歩き、カメラ屋を探し当て、SDカードを求めたが、「当方には置いてございません」と言われた。
「ない…? では、どこに行ったらSDカードがあるんですか…?」
「盛岡駅に現像所があるので、そこなら売っているかと思います」

また駅に戻り、「現像所」を探しあて、無事にSDカードが手に入った。
やれやれ…。

カメラ屋から盛岡駅に戻るとき、北上川に架かる開運橋という橋を渡った。
「開運橋? へぇ。こんなところで宝くじでも売ってたら、当たりそうや」
と言っていたら、本当に宝くじ売り場があった。

さて夜は何を食べようか、ということになった。
盛岡の名物は、わんこそばや冷麺やジャジャ麺などの麺類だという。
「麺なぁ…。麺でビールを飲むと、お腹がふくれすぎるなぁ」
何かといえばビールのことばかり考える僕なのである。

盛岡駅ビル「フェザン」の中の「おでんせ土産館」とか、「めんこい横丁」とかを歩いてみたが、結局、迷った末、「前沢牛の店」という看板の出ている店に入った。前沢牛は、脂がよく乗った、コクのある肉だった。ご馳走さん!

 

 

 
    松島駅は思ったよりこぢんまりとしていた。



 
  タクシーの運転手さんが連れて行ってくれた展望台から松島湾を一望。

 

  
   松島観光協会のすぐ前。このあたりが松島の中心地みたいだ。

 

 
   瑞厳寺への参道に、芭蕉が座っていた(?)

 

 
   車窓の こんな ありきたりな風景が 好きだ。



 
  平泉駅から中尊寺まで、雨の降る道を歩く。 人も車も…何もない。



 
   平泉の高館にある 芭蕉の句碑。「夏草や 兵どもが 夢の跡」

 

   
   中尊寺で。40年前、20歳の自転車旅行の時の僕です。

             

    
    同じ場所で  40年後です。あはは。



 
  金色堂。これも芭蕉の 「五月雨の 降り残してや 光堂」
の句で有名。



 
  平泉駅で。 今日の目的地 盛岡行きの列車を待つ。



 
 盛岡市内で。 開運橋の手前に  「やっぱり」  という感じで 宝くじ売り場があった。

 
   

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (9)
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