4月28日。旅も5日目、最後の1日である。
これまでと違って、空がどんよりとしている 。
リュックに折りたたみ傘を入れて、8時過ぎにホテルを出た。
めざすルーブル美術館は午前9時に開く。
僕らのホテルからセーヌ川に向かってまっすぐ南へ行くとルーブルへ着くはずだ。
「3kmくらいだと思うから、歩いて行こうね」と3人で言い合う。
3人とも、歩くことが大好きな人間だ。姉も、妻も、驚くほど健脚である。
体調に問題を抱える僕が、一番危なっかしい存在だといえる。
8時過ぎにホテルを出て、モンマルトル通りを南へ南へと歩いた。
といっても、この通りは南東へ延びている。
何度も言うが、パリの道は斜めに延びているので、同じ通りを歩き続けていると思わぬ方向へ行ってしまう。
途中で何度かコースを修整しながら、南へ南へ歩いたら、フランス銀行に出た。
その南側がもうルーブル美術館である。開館の9時までには、15分以上あった。
「お、並んでる、並んでる」
ルーブル美術館の入口であるピラミッドに、ズラリと人の列。
その最後尾に並んだ。まだ開館していないから、列は動かない。
この程度の人数なら、動き始めたら、そんなに時間はかからないだろう。
9時になり、人々は前に進み始めた。
ピラミッドの中に入ると、いくつものチケット売場があり、人々がどどっと押し寄せるが、係員が空いているチケット売場にお客を分散させるように指示している。
チケットを買って、さあ入場だ。
ピラミッドから降りていくとチケット売り場が何ヶ所かある。
(↑ ↓ この2枚は帰る時に撮影したものです)
入場料は1人9ユーロ(1ユーロは160円です)
とりあえず、モナ・リザとミロのヴィーナスのところへ行かなければならない。
人の流れについて行こうとしたら、いくつもの階段や通路があって、みんなそれぞれバラバラに行ってしまうので、どの方向へ進むか迷った。しかし地上階を適当に歩いていると、ミロのヴィーナスの場所に出た。
姉はじっと2mを越す大理石のヴィーナス像を見上げている。
「はぁ~。これが、ミロのヴィーナス…」
携帯電話を取り出して写真を撮っている。
開館直後の時間帯なので、まだ人の数は少ない。
ミロのヴィーナスとは4度目の対面となるが、今日が一番ひっそりしている。
やっぱり、僕はルーブル収蔵の大蒐集品群の中でも、これが一番好きだ。
じっと見つめていると、うっとりと、しあわせ気分がこみ上げてくる。
1964年、東京五輪を半年後に控えていた4月のこと。
僕が高校生になりたての頃であるが…。
このミロのヴィーナスが日本へやって来た。世間は大騒ぎであった。
東京と京都の二ヶ所の美術館で一般公開された。
テレビや新聞でも、ものすごい観客が押し寄せている様子を繰り返し報じていた。
高校の同級生が「家族でミロのヴィーナスを見てきた」と得意そうに話した。
僕は、いいなぁ、と思いながらも、うちの親はそんなことに興味は持っていなかったし、誘い合わせて行くような友人も知人もいなかったから、仕方ないわ、と諦めた。それが4度も会うことになるとは…。
まあ、せめてもう少し若い頃に会いたかったけど。
しばらくは至福の時間を楽しむ。
「では、次はモナ・リザへ…」
と、僕らは階段に向かって歩いた。
2階が「絵画コーナー」ということになっている。
あちらこちらに「モナ・リザ」への矢印があるのでわかりやすい。
階段にさしかかったところに、もうひとつの超有名な彫像「サモトラケのニケ」があった。ちょうど、階段の踊り場にあり、見物客を「ようこそ!」と歓迎する形で威風堂々とそびえている…という趣だ。
サモトラケのニケ
階段を上がり、広い通路に出て、右側の部屋をのぞくと、沢山の人だかりが出来ていた。
突き当たりの壁に、小さなモナ・リザが掛けられていた。
壁の中央にルーブル1の人気者 「モナ・リザ」が。
初めてルーブルに来たとき(14年前)は、モナ・リザは通路に掛けられていた。手を伸ばせばさわることもできた。それが、いつのまにか大きな部屋を与えられ、絵のまわりにはロープが張られて近づけないようになった。
そのわりには、ミロのヴィーナスは、今でも手を伸ばすと「おさわり」ができるようなところに置かれている。まあ、ここは紳士淑女の街・パリだからね。宝物にさわったりするような不心得者はいない、という前提ですべて成り立っているのかもしれない。
モナ・リザを見て一息つきながら、「民衆を導く自由の女神」「ナポレオンの戴冠式」「カナの婚礼」などの大作を堪能する。
カナの婚礼(ヴェロネーゼ)
民衆を導く自由の女神(ドラクロア)
今回は初めて3階まで上がった。
そこにはルーベンスやフェルメールなどの作品が展示されている。
お目当てはフェルメールの「レースを編む女」であった。
3階は静かで人影も少ない。
これまでで、最も落ち着いてルーブルを歩けたと言える。
しかし、隅々まで見て歩こうと思えば1週間はかかりそうだ。
僕らのような短期旅行では、ルーブルもヴェルサイユもオルセーも、弾丸超特急のスピードで回らねばならないのは残念だが、せめてここルーブルで、少しは静かに鑑賞ができたことは嬉しい。
レースを編む女(フェルメール)
階段を降りて、またモナ・リザの部屋に戻ると、もうそこは大変な賑わいで、人が部屋からあふれ出ているほどだった。やっぱり、少しでも早く来てよかったな~。
言うまでもないけれど、モナ・リザは、ダ・ヴィンチによって約500年前にイタリアのフィレンツェで描かれた。
今から100年ほど前、モナ・リザが盗まれたことがある。
2年後に発見されて大事に至らなかったのであるが、犯人はルーブルに出入りして絵画の額を作ったりしていた木工大工であり、フィレンツェの人間だった。
「モナ・リザを故郷へ返したかった」と、動機を述べたという。
まあ、モナ・リザも500歳を超えたんだから、そろそろ故郷のフィレンツェに返してやってもいいんじゃないか、と、3年前にフィレンツェに行ってすっかりフィレンツェファンになった僕は思うのである。ルーブルにはあり余るほどの宝物があるのだから、モナ・リザの1枚くらい…と言ってはパリの人たちに叱られるか。なんと言っても世界で一番有名な絵だもんね。
美術館の窓から、中庭を見る。
館内で何人か、模写をしている人を見かけた。
どの絵も、どちらが本物かわからないほどそっくりである。
模写をする人たちも多かった。
ただし、ひとつだけ、そっくりでないものがあった。
女性の上半身の裸体画を、模写している人の絵であった。
やや遠目に見てのことだけど、両者を比較すると…
顔はそっくりだったが、乳房の形が、本物のほうが断然よかったのでアル。
(僕はこういうことには、比較的うるさいのです)。
本物の絵にもっと近づいて、美しい乳房を至近距離で見たかったし、ついでに画家の名や題名を見ようと思ったけれど、真ん前に模写している人が立ちはだかっているので、絵のそばに寄ることが難しい。無理にかいくぐって絵の前に行くのは、絵が絵だけに、いささか恥ずかしい気持ちもある。そんなときは、この人たちはちょっと邪魔。近くで見たくても、つい遠慮してしまうから 。
そのまま通り過ごしたが、今でも本物の絵のほうの乳房が気になって仕方ない。
あれは、何という絵だったのだろうか。
画家も題名もわからないので、ネットで見ようとしても検索のしようがない。
あ~~ん、残念だなあ 。
僕たちは昼前にルーブル美術館を出た。
一方、入口の回転扉からは、どんどんお客さんが入ってくる。
ルーブル美術館にお別れを告げて…
ルーブルの入口であるピラミッドをあとに、コンコルド広場やシャンゼリゼ通りに通じるチュイルリー公園のほうへ歩いて行った。公園の手前に、カルーゼル凱旋門がある。
「えっ…?」と姉は、こんなところに凱旋門が現れたので、不思議な顔をした。
「凱旋門って、いくつもあるの…? ええ~~っ」
ルーブルを出たところにあるカルーゼル凱旋門。
このアーチを抜けるとチュイルリー公園があり、その先に、コンコルド広場、
シャンゼリゼ通り、そして、一番よく知られた凱旋門がある。
カルーゼル凱旋門をくぐって、コンコルド広場やシャンゼリゼ通りに通じるチュイルリー公園をぶらついた。中央に広い散歩道があり、左右対称に作られた美しい公園である。
チュイルリー公園内で。
なんだか、東京の六本木ヒルズにも、こんなクモがおったような気がする。
チュイルリー公園からルーブル美術館の方を向いて撮影。
僕たちは、向こうからこちらへ歩いてきた。
公園の中をぶらつきながら、やがてこの池のそばまで歩いてきた。
姉は熱心に携帯電話をのぞきこんでいる。
先ほどのルーブル美術館で撮影した写真を、目を細めて眺めている。
ルーブルの興奮がなかなか冷めやらぬ様子である。
そして姉は僕に、「これ、見て…」と目の前に携帯電話を差し出した。
「ミロのビーナスも、こんなに小さくしか写っていないわ」
そう、つぶやいた。
僕は、その携帯画面を見せてもらい、少しためらったあと、小さな声で言った。
「アネさま。そ、それは、モ、モナ・リザでござります」
「…?????」
「ミロのヴィーナスではなく、モナ・リザ…で、ごぜえますだ」
「あっ…? あっはっはっ。そう、モナ・リザね、モナ・リザ。あははは~」
姉ののどかな笑い声を聞いて、僕もつられて笑ってしまった。
そのとき、ちょうど道の横に立っていた彫像が目についた。
全裸の男の彫像であった。僕はそれを見上げた。
「むむっ。なんじゃ、これは?」
その裸の男の彫像は、きっと今の僕たちの話を聞いていたに違いない。
こんなポーズをとっていたのである。
↓
「 とほほ。 モナ・リザを … ミロのヴィーナスと 呼ばんといてね~」
* 追伸
「とほほ」の像について、ご関心を寄せていただいているようです。
「とほほ」の像は、こういう場所にあります。
チュイルリー公園の噴水からみた写真ですが、一番左がその像です。
この像について詳細をご存知の方は、ご一報くださいませ。
一番左端に「とほほ」の像が建っています。
しかし、名画・名画・名画~~
こんな名画を目の前にすると、ほんと震えがとまらんでしょうね~。模写もできるんですね。
ヴィーナスといい、のんさんが乳房にこだわるのも分かるなぁ、ほんと美しき女体
ニケはかなり迫力がありますね、翼の部分など発掘された物を複製したらしいですが、顔はいずこへ。。。
想像するに、凛とした翼を広げているけれど、穏やかで優しいお顔のような気がするなぁ。。
最後の裸体の男性像!なんじゃ~~始めて見ました!
ほんま何に対して「とほほ」やったんやろ?気になるなぁ、後ろから肩をたたいて「どないしたんや?」といいたくなる程の落ち込みよう。。。おもろいです。
さて、耳の方は仕事の忙しさと犬を飼い始めた事もあってか?気にならない時間が増えました
このままうまくいけばいいんですけど
私なんざたぶん一生見る機会がないと思うのばかりでなんとも羨ましい
モナ、モナ・・山本モナさんはしょっちゅうTVで見るけど
私が実家にいるときモナリザが東京へ来て大騒ぎしてます、といったニュースを見た記憶があります。
また来てくれれば絶対行きたいけど
でも撮影OKなんですね。
模写もOKなんて・・。
日本だったらさぁさぁあっち行って怒られそうです。
また敷地も広くて驚きです。
「とほほ」の銅像の作者に私も聞いてみたいです。
「なんかあったの、悩み事でもあったの?」って。
ヴィーナスには腕がなく、ニケには顔がない。
それがまた想像を膨らませ、いっそう神秘性が漂うことになります。
モナ・リザも、いまだに謎の多い絵として有名ですね。
映画化されて評判になったダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」も、
「モナ・リザ」などの絵の中に隠された秘密が物語のキーワードになっています。
宣伝文句も「ダ・ヴィンチは、その微笑に、何を仕組んだのか」となっていましたし。
さっき記事の最後に「とほほ」の像の遠景を付け加えました。
やはり、皆さん、この像にはどんなわけがあるのか、関心がおありのようで…。
僕もこの像の説明を受けたはずですが、忘れてしまいました。
さて、耳の方は、慣れてこられたようで何よりです。
先日、毎日新聞に耳鳴りの特集記事があって、TRTのことも書かれていました。
結論は、やはりそれに慣れることが大切で、そのためには、生活術の向上が挙げられていました。yukariさんの場合、お仕事と
ヒマな時ほど耳鳴りが気になりますもの。
その調子できっとうまく行くと思います。
それにしても、美術品は謎がロマンを呼びますが、
同じ謎でも、耳鳴りの謎は、早く解いて欲しいものです
写真撮影は、原則としてフラッシュを光らせなければOKなのです。
ですから、カメラのストロボのオートを、オフにする必要があります。
でも、あちらこちらでピカっと光っていましたが、係員も何も言いませんな~。
前回行ったときに見た風景ですが、地元の小学生たちが団体でルーブル美術館へやって来て、絵の前にぺたんと座り込んで、先生たちの説明を聞いていました。
これを見て、この子たちは本当に幸せだと思いました。
僕たちが美術の教科書などでしか見られない絵を、この子たちは、間近に実物を目にして学ぶのですからね。こんなうらやましい話はありません。
そうそう、モナ・リザの来日のときも、大騒ぎでしたね。
あれはいつごろだったんだろうかと、いま、ネットで調べましたら、昭和49年とありました。ミロのヴィーナスが来日してちょうど10年後だったんですね。あのときも、テレビなんかで見ていたら、すごいフィーバーぶりでした。
ルーブルでも、モナ・リザ人気は圧倒的です。
なぜそこまで人気があるのか、ちょっと不思議ですけど…。
カインが実の弟を殺したのが人類が犯した初めての殺人、弟殺しを否定したのが人類がついた初めての嘘。
エデンの東へ追放されたとさ。
ユングのカインコンプレックス(=兄弟間の嫉妬心や競争心)はこいつが由来です。
ついでに、カインコンプレックスをテーマにした映画が「エデンの東」ね。
http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:Cain_Henri_Vidal_Tuileries_n2.jpg
ルーブル美術館、彫刻部門収蔵の1895作品を検索できるようにしておきやした([suivant]クリックで次頁)。
貸し出し中の作品も確認できやす。
http://cartelfr.louvre.fr/cartelfr/visite?srv=rs_display_res&langue=fr&critere=Sculptures&operator=AND&nbToDisplay=20&x=8&y=10
☆今日のおまけ☆
「未来世界的怪人 超級投接球」
http://uk.youtube.com/watch?v=r1GwO30A_3E&feature=related」
♪Sigla Italiana♪
http://uk.youtube.com/watch?v=zW6OywKZFWE
♪Nino, Il Mio Amico Ninja♪
http://uk.youtube.com/watch?v=9xy61IvdknU&feature=related
早速「とほほ」の像についての謎を解明していただき、感謝です。
これはカインでしたか。旧約聖書の序盤に登場する弟殺しのカイン。
「天地創造」という古い映画で、そのシーンのイメージが残っています。
この「とほほ」は、追放されたときのカインの嘆きの表情でしょうか…?。
追放されたことを悔しがっているのか、自分の行為を恥じているのか…?
どちらの表情なのか。想像は膨らむばかりです(ん? どこかで聞いた台詞だ)。
それにしても、さすがに元調査隊の「隊長」と言われた方だけありますね。
昨日「詳細をご存知の方は、ご一報ください」と付け加えた時点で、
実はあなたから、何らかのヒントをもらえるのではないかと期待してました。
その通りの結果となり、「わが意を得たり!」の心境です。
ルーブル美術館の検索も嬉しいのですが、彫刻部門でしたね。
例の「乳房の女」を捜したいので、もし絵画部門収蔵の検索も、
教えていただけたら、僕は飛び上がって喜びます。
もう一押し、なんとかなりませんでしょうか…?
まことに厚かましいお願いながら、よろしくお頼み申します。
ドラえもんの中国語&イタリア語版、及び忍者ハットリくんイタリア語版は、
グリコのおまけもびっくり、という豪華なおまけでございますな。
興味深く拝見いたしました。
突如、風のように現れて、貴重な情報を提供していただきました。
また現れてください。待っています。
その作品を、のんさんはご自分の目でみてこられたのですね。
そうしてそれを私達がみせていただいている・・・。ありがたや~~~ありがたや~~~!!
パリには、どうしてそんなに芸術作品が残されているのでしょうね。
というより、どうしてそんなに芸術家がそだったのでしょうかしら?
日本の美術館では、撮影禁止・模写などもちろん厳禁ですよね。
そのへんもちがいますよね~~。
アー私もフランスに産まれていたなら・・・芸術的センスが持てたかも・・。とほほ・・・。
のこたんさんの疑問はもっともですよね。
パリは、中世の頃からずっと、西ヨーロッパの文化、政治、経済の中心地であり、現在でも、世界的な芸術、流行の中心地ですよね。
また、有名な建築物や名所旧跡があまりにも多いところです。
まさに「花の都パリ」といわれる所以ですね。
パリのこの環境の中で生まれ育った人からすぐれた芸術家が出るのはある意味当然のことのように思われますし、また、芸術を志す人がパリへ集まってくるので、ますます文化的レベルが向上する…という好循環が長い歴史の中で繰り返されてきたのだと思います。
外国の都市にはいろいろな魅力があり、甲乙付けがたいですけれど、どこが一番いいか、と言われたら、やはりパリを挙げざるを得ません。
のこたんさんも、来世はフランス人に生まれることを願っておきましょう