先日、妻と阿倍野へ行ってランチをしたあと、梅田まで足を延ばしました。
妻はモミィにせがまれて梅田へはよく行ってますが、僕は長いこと行ってないので、久しぶりでした。やはり阿倍野や難波よりも、大阪では梅田が断然トップの繁華街だというのが、行ってみると改めて痛感します。
この日は賑やかな地下街は歩かず、東の方向へ行き、昔はよく歩いた阪急東通りの商店街を、久しぶりにぶらついてみることにしました。
梅田は、100年余り前までは「曽根崎村」と呼ばれていたそうです。
で、この商店街は今は「お初天神通り」と呼ばれていますが、曽根崎の地名が今もそのまま残っているエリアです。
商店街には「お初天神参道」という垂れ幕が。
この商店街を歩いて行って突き当たったら「お初天神」の入口があるのですが、正式には「露天(つゆのてん)神社」という名称です。
「お初天神」という名称は、近松門左衛門が人形浄瑠璃「曽根崎心中」を書いた以後、そのヒロインの名前「お初」にちなんで「お初天神」と呼ばれるようになったとのことです。
「曽根崎心中」って、有名ですよね。
醤油問屋の手代の徳兵衛と、天満屋の芸子のお初の2人の悲恋の物語。
徳兵衛が江戸へ転勤、お初は身請けされて田舎へと…、別れ別れになることを悲しんで心中するという話ですが、実際にあった出来事だそうです。近松門左衛門はこの事件からわずか1ヶ月後にこの作品を書き上げ、人形浄瑠璃の舞台は大ヒットした、ということです。
さて、神社の中に入ってみると、
上のほうにお初・徳兵衛の絵が。
アップすると、
お初・徳兵衛
恋の手本と
なりにけり
と書かれています。
今でも、多くの人々が、二人の成仏を祈るとともに、恋の成就を願うため、この神社を訪れているそうです。
ここへ来たのは本当に何十年ぶりか、というほど久しぶりだったのですが、何か、ほのかな哀愁のようなものを感じながら、帰途についた次第です。
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