僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

死ぬことより もっと困ること

2020年08月28日 | 日常のいろいろなこと

最近になって、時々、自分が死んだ時のことを考えます。自分が死ぬと、残った家族はどうなるのか? あれこれと考えを巡らせるけど、あまり大した影響はないような気がします(笑)。

僕自身は、自分が死ぬということについては、この世から消えてしまい何もわからなくなるので楽なものだと思っています。だから死ぬことは怖くない。頭の中で響き続けるうるさい耳鳴りからも解放されますしね。

それと、妻にも苦労をかけたくないので、常々、自分が死んでもどこへも連絡せず、葬式もせず、火葬だけしてくれたらいい、と言っています。だから妻もそれほどバタバタしなくても済むだろうと思っています。

しかし逆に、
もし妻が先に亡くなったらメチャ困ります。わが家の事務的なことについては妻に任せっきりなので、とてもとても困るんですよね。

まず僕は家計のことがわからない。妻は、今はカードでの支払いがほとんどなので、レシートを溜めて、明細書が来ればいつも照合して、パソコンに何やら打ち込んでいる。妻は昔から家計のやりくりには長けていた。いや、家計だけではなく、わが家のこと全般について、今もしっかりと管理してくれている。

僕は病院へ行くとき、その都度、妻に健康保険証を出してもらう。つまり自分では保管していない。同様に、年金手帳や貯金通帳や印鑑の場所も、保険証券類の場所も知らないし、どんな保険に入っているのかも知らない。何かあるごとに妻に教えてもらっているはずだが、すぐに忘れてしまう。

妻と出かけたら、時々、銀行とか郵便局へ寄ると言うのでついて行くけれど、窓口でもATMでも、僕は入口付近で妻が戻ってくるのを待つだけ。妻が今日は入金よとか、引き出しよとか、通帳記入だけよとか、その都度説明をしてくれるけれど、「あ、そう」とボンヤリ聞いているだけの僕です。

そんな僕に対して、
「私がいなくなった時はどうするの? そういうことは全部知っておいてくれなくっちゃ」と妻に心配されるので、そうやなぁ、と思ってはいるんですけど、なかなかねぇ。あきませんわ。

まあ妻も、僕がそんな頼りない人間だから、エンディングノートのようなものに必要なことは書き込んでいるみたいですけどね。

なので、前述のように、僕は自分が死んでも思い残すことはないけれど、妻に先立たれると、途端に路頭に迷うことになります。

ということで、ぜひ僕の方が先に逝きたい。
死んだ人より、残された人のほうがしんどいし。
先に逝って楽をしたい、と願っているわけですね(わがまま!)。

ところで、僕らがよく知っている著名人が亡くなったニュースを見たり、知人からメールで「〇〇さんが亡くなりました」などと送って来られたりしたら、改めて「死」ということに向き合うことになります。そしてその次は、自分はあとどれくらいで死ぬんだろう、と考えたりするんですよね。

そんな時に、ふと、結核の予防注射であるBCGの注射の跡が腕に残っているという話を思い出した。僕らの世代では、BCGの注射の跡は一生残る、と言われていました。実際、僕の腕にもず~っとその跡が残っていたのですが

ところが、
先日、何気なく腕を見てみると、なんとその予防注射の跡が消えてしまっていたのです。
「えっ? なに? 消えてるやん。いつの間に?」
びっくりしました。

「一生残る」はずのBCGの跡が消えているんですから。

つまり
僕の一生は、
終わった? 
ということになりますよね。
なんちゃって。

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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