僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

奇妙な初仕事と中之島図書館

2019年01月31日 | 思い出すこと

大阪は今日は久しぶりに雨が降っています。昼頃から降り始め、いま(夜)も降っています。全国的に、特に関東地方は雨が降らず、乾燥し、川も干上がり、お肌もカサカサ、というニュースが流れていますが、わが家の近くの大和川も水位が極端に下がっています。

なので、これは恵みの雨かなぁと思ったりしています。

さて、今日は1月31日ですね。明日からもう2月です。そして2月はさらに早いです。次に気がつけば、もう3月でっせ~。「早いですね~」。このセリフ、何度書いて来たでしょうか。書いても書いてもまた書いてしまいますわ。「早いですね~」。

今年の3月31日で、僕が仕事を定年退職してから丸10年になります。つまりフリーの身になってもう10年です。これもあっという間でした。

22歳の時から10年前に退職するまでの38年間、大阪府の松原市役所に勤めたわけですが、そこへ就職した当時のことは今も鮮やかに覚えています。

郵送で合格通知をもらい、松原市役所へ行き、同期となる新人職員の中に交じって人事課の人の話を聞き、何日間かの研修がありました。そしていよいよ配属が決まるわけですが、僕が最初に配属されたのは

辞令をもらって、それを見たら「秘書課勤務を命ず」とありました。

はぁ…? 秘書課といえば、市長の秘書? いきなりそんな華やいだ部署に配属とは、まぁよかったんじゃないかな、と思ったりしました。

ところが

案内された部屋は、秘書課秘書係の隣の部屋。誰もいない部屋。隅っこに机が一つあるだけで、あとは会議室のように机が置かれ、壁には本棚があって、なんだかわけのわからないアルバムや冊子のようなものがズラッと並んでいる。その隅っこの一つの机が僕のデスクだったのです。

「ここは何ですか?」と人事課の人に聞けば、「市史編さん室です」という答えが返って来ました。まだ職員は誰もおらず、どうやら新人の僕が「初代」の担当職員のようでした

「なに、これ?」と思いながら聞いていると、この度「松原市史」というものを刊行することになったという。

市内に住む元庄屋さんとか旧家とかに残っていた昔の古文書をお借りして、そういう文字を読み解いて普通の字に書き移す専門的知識のある嘱託職員が1人か2人、おられた。そして時々、市史を執筆する何人かの大学教授がこの部屋を訪れた。僕はその先生たちのお手伝いをする、という役割だった。そんなふうにして「松原市史」を作って行くみたいだった。でも、こんなのが市役所の仕事かいな? と正直、思いましたね~

僕の上司である秘書課長は、市史編さん室の部屋の隣にある秘書課で忙しく仕事をしており、僕にはほとんど目もくれなかった。つまり「市史編さん室」というのは、ほかの秘書課職員からはほぼ無視されている部署であることが、日を追うにつれ、だんだんわかってきた。つまり、秘書課としては「仲間外れ」みたいな部署だったってわけですね。

そんな時、僕が命じられたのは、大阪府立中之島図書館に通うことであった。いったい、何をするために中之島図書館へ? と思いますよね。それは、こういうことでした。

中之島図書館の閲覧室で、明治時代に創刊された新聞を順に目を通し、その中の松原と周辺の河内地方に関する記事をピックアップし、コピーをするのです。それが「松原市史」の材料になるという。新聞には「松原」なんてほとんど出てこないから、とにかく「河内」という言葉が新聞に出ていたら、そこをコピーして集めなさい、という大学教授の指示だった。たとえば「河内木綿、今年は豊作」といったような記事を見つけたら、それをチェックし、後でコピーするのです。

そんなことで、市役所に就職してから最初の半年間以上は、特別な日を除き、ほとんど市役所へは出勤せず、直接、朝から中之島の図書館へ行き、夕方まで新聞を閲覧する日が続いたのです。なんだかねぇ。

いったい僕は、どこへ就職したんや? と、情けない思いもしたし、同期の職員からは「おまえは何の仕事しとんねん。ヘンやなぁ」などとからかわれたりした。まだ結婚して間もなかった頃で、妻にも、どれだけ仕事の愚痴をこぼしたことだろうか?

でも、そんなことだから、逆に図書館の館長さんとは懇意になったりもした。顏が合うと「昨日は来なかったね~」などと笑顔で言ってくれたりした(今もその笑顔が思い浮かびます)。

市役所に入って、市民課とか、福祉課とか、税務課とか、そんな仕事に就くものとばかり思っていたので、まさかこんな仕事に回されるとは、思いも寄らないことでした。

まぁ、過ぎ去ってみれば懐かしい話ですけどね~。
もう
今から数えたら48年も前のことになります。

ところで、
そういう過去があった、ということを踏まえての話ですが

去年の12月18日に、「あさが来た」に登場する五代友厚の像などを見学するために、久しぶりに中之島を歩いたことをブログに書きました。中之島を通り過ぎたところに五代友厚像があったのですが、その中之島を歩いた時、「懐かしの図書館」の前を通りました。

48年前、毎日のように仕事で通った中之島図書館です。この前を通ると、当時を思い出さずにはいられません。


 
12月に、中之島のこのコースを歩きました。 


 
中之島図書館の正面からの写真(2枚とも去年12月18日に撮影)

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当時、図書館で明治時代からの新聞を読んでチェックしていたのですが、その新聞はおそらく朝日新聞だったのでしょうね。でもその新聞は明治のいつごろから発行されていたんやろ? 僕は中之島の図書館で、いつごろからの朝日新聞を読んでいたのやろ? そういうことは、今思い出そうと思っても、すっかり忘れてしまってます。 

そんな折、この25日の朝日新聞を見てビックリしました。

その日の朝日新聞の1面に

「朝日新聞 きょう創刊140周年」

という記事がありました。1879年、明治12年に創刊、それも大阪です(東京での創刊はその数年後でした)。

げぇぇぇ~~~

今年の1月25日が朝日新聞創刊140周年だったとはね~


   
   1月25日の朝日新聞朝刊から

ということは、僕が48年前に中之島図書館で読んでいた明治時代からの新聞は、1879年(明治12年)からの新聞だったことになりますね~

へぇ~~。そうやったんや。

今は昔の物語ですが、48年を経て、こういう記事を見ると、やはり何だか懐かしさで涙が出そうになりますね~

 

 

 

 

コメント (2)
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