僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

粋な別れ

2015年05月27日 | 日常のいろいろなこと

ゴールデンウィークの真っ最中だった5月4日。
母が亡くなった。

3月下旬に特養で高熱を出して病院に搬送され、入院中だった。

4日の朝7時前…。ウオーキングに出る支度をしていたら、
電話の音が聞こえた。服を着替えていたところだったので、
電話口へ行くのが少し遅れてしまい、電話は直前に切れた。

こんな朝早くに誰だろう?…と気になり、念のため
食卓に置いていた携帯を見たら、数分前に電話が入っていた。

登録している相手ではなく、電話番号が表示されているだけ。
はて…? と思いながらそこへ電話をしたら、
「はい。○○病院です」との声。
母が入院している病院だった。

電話の相手は、母の容態が急変したのですぐに来てほしい、
と言った。急いでタクシーを呼び、病院へ向かった。
妻とモミィはまだ寝ていたので、ひと言告げてから、
ともかく急がなければ…と、一人で行った。

しかし、間に合わなかった。


3月下旬に入院したときからは、熱も下がって、

状態も安定し、連休明けに退院予定だったのに

医師の説明では

「昨夜も食事をとられて、異状はなかったのですが…」
「タンが詰まって急に呼吸ができなくなったようです」
「私が駆けつけたときには、ほぼ呼吸が止まっていました」

死亡診断書には「直接死因」として「急性呼吸停止」とあった。
そしてその「原因」として「慢性閉塞性肺疾患」と書かれていた。


母の生前から決めていたことだが、家族以外には誰にも知らせなかった。
病院からそのまま葬儀ホールに電話をして遺体を運んでもらい、

そこで、家族だけで通夜・葬式を執り行った。


その後、妻と2人で特養へ行き、貯金通帳や各種保険証、

そして主に衣類などの母の荷物を受け取りに行った。

母の荷物は、大きなダンボールに3つもあった。


今年3月21日と24日のブログに母のことを書いた。
あの時が、母との最後のやりとりだった。

あのあと、すぐに入院した。

入院中は、いつも眠ってばかりいた。

最後まで苦しまず、す~っと逝ったようだ。
たぶん、眠ったままで旅立ったのだと思う。
スヤスヤと気持ちよさそうな顔つきだった。


母は8月8日に生まれたので、
8が重なる → 八重子と名づけられた。

享年も88歳。
最後も8を重ねた母だった。


「お母ちゃん、また8を重ねたなぁ。粋なことするやんか」

耳元でそう囁くと、心なしか、母はニヤッと笑ったように見えた。

 

 


* 粋な別れ

     作詞:浜口庫之助
     歌:石原裕次郎

♪ ♪ ♪

命に終わりがある

恋にも終わりがくる

秋には枯葉が小枝と別れ

夕べには太陽が空と別れる

誰も涙なんか流しはしない

泣かないで泣かないで

粋な別れをしようぜ

♪ ♪ ♪

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (4)
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