ゴールデンウィークの真っ最中だった5月4日。
母が亡くなった。
3月下旬に特養で高熱を出して病院に搬送され、入院中だった。
4日の朝7時前…。ウオーキングに出る支度をしていたら、
電話の音が聞こえた。服を着替えていたところだったので、
電話口へ行くのが少し遅れてしまい、電話は直前に切れた。
こんな朝早くに誰だろう?…と気になり、念のため
食卓に置いていた携帯を見たら、数分前に電話が入っていた。
登録している相手ではなく、電話番号が表示されているだけ。
はて…? と思いながらそこへ電話をしたら、
「はい。○○病院です」との声。
母が入院している病院だった。
電話の相手は、母の容態が急変したのですぐに来てほしい、
と言った。急いでタクシーを呼び、病院へ向かった。
妻とモミィはまだ寝ていたので、ひと言告げてから、
ともかく急がなければ…と、一人で行った。
しかし、間に合わなかった。
3月下旬に入院したときからは、熱も下がって、
状態も安定し、連休明けに退院予定だったのに…。
医師の説明では…
「昨夜も食事をとられて、異状はなかったのですが…」
「タンが詰まって急に呼吸ができなくなったようです」
「私が駆けつけたときには、ほぼ呼吸が止まっていました」
死亡診断書には「直接死因」として「急性呼吸停止」とあった。
そしてその「原因」として「慢性閉塞性肺疾患」と書かれていた。
母の生前から決めていたことだが、家族以外には誰にも知らせなかった。
病院からそのまま葬儀ホールに電話をして遺体を運んでもらい、
そこで、家族だけで通夜・葬式を執り行った。
その後、妻と2人で特養へ行き、貯金通帳や各種保険証、
そして主に衣類などの母の荷物を受け取りに行った。
母の荷物は、大きなダンボールに3つもあった。
今年3月21日と24日のブログに母のことを書いた。
あの時が、母との最後のやりとりだった。
あのあと、すぐに入院した。
入院中は、いつも眠ってばかりいた。
最後まで苦しまず、す~っと逝ったようだ。
たぶん、眠ったままで旅立ったのだと思う。
スヤスヤと気持ちよさそうな顔つきだった。
母は8月8日に生まれたので、
8が重なる → 八重子と名づけられた。
享年も88歳。
最後も8を重ねた母だった。
「お母ちゃん、また8を重ねたなぁ。粋なことするやんか」
耳元でそう囁くと、心なしか、母はニヤッと笑ったように見えた。
* 粋な別れ
作詞:浜口庫之助
歌:石原裕次郎
♪ ♪ ♪
命に終わりがある
恋にも終わりがくる
秋には枯葉が小枝と別れ
夕べには太陽が空と別れる
誰も涙なんか流しはしない
泣かないで泣かないで
粋な別れをしようぜ
♪ ♪ ♪
最後苦しまず眠るように...良かったですね。
天国からのんさんを見守られてるでしょう。
でも、米寿まで 歌を歌って機嫌よう元気に過ごされて、大往生されましたね
お母様の中ではきっと、大人ののんさんではなくはきっと子どもの頃ののんさんのままだったんだろうなーって思いました
歌のように 悲しいけれど
粋な別れ だったんですね
粋な感じがお母様のおきみやげですね
連休前にも退院の話が出ていたのですが、
特養側と病院側との話し合いで連休後になったとのこと。
だからどうとは言えませんが、たしかに急でしたね。
でも苦しまずに逝ったのでよかったと思います。
今までの調子では僕より長生きするのではないかと思っていましたが、
やはり順序は守らなければ…と、母ちゃんは思ったのかも知れませんね。
米寿であり、ジンさんがおっしゃっていただいたように末広がりですからね~
最後のほうは僕の顔もよくわかないぐらいになりましたが、
歌も歌っていたと言いますし、食事もしていたそうですから。
親から見て、息子はいくつになっても子供なんでしょうね。
かんたさんに言っていただいたように、
粋な感じが置き土産だったと、僕も思っています。