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 僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

一身上のことですが…

2013年12月10日 | 日常のいろいろなこと

これはちょっとした身の上話です。ま、大した話じゃありませんけど(笑)。


僕は京都市の上京区で生まれた。そこは母の実家だった。母の祖父母たちと一緒に暮らしていた。だから父はいわば「サザエさん」に出てくるマスオさんみたいなものであった。ところが僕が幼稚園ぐらいの時、父と母が離婚した。僕は母に連れられ京都の家を出て大阪で暮らすようになった。以来、実の父には一度も会っていない。顔も覚えていないし、今もどこかで生きているのか、あるいはもう逝ってしまったのか、知る由もなし…というところだ。


大阪に出てきてから急に記憶がはっきりするのだが、これはまぁ、イヤなことの連続だったからよく覚えているのだと思う。母は働くのに精一杯だったようで、僕を知人の家に預け、時々顔を見せに来るという生活が、一定期間続いた。たとえ母の知人であっても、僕からみれば見知らぬ人の家である。そんな中で過ごすことになったのだから、幼い身にはかなりの苦痛を伴う毎日だった。母と一緒に暮らせない理不尽な悲しみのようなものが、常に心のどこかに宿っていたような記憶が、今も心の隅に残っている。そして、やがてその家から近くの小学校に入学し、通うことになった。


小学1年生の夏休みだったと思うが、母が僕を引き取りに来た。母一人ではなく、横に知らない男性が一緒にいた(後の義父です)。そして3人で東住吉区に移り、僕は小学校も転校した。その後、僕が結婚して家を出るまで、ずっと3人暮らしの生活が続いた。


まあ、ざっとそういう生い立ちでした。
さて、ここから次の話に移るわけですが…


その中でひとつ、幼い頃の不思議な記憶があった。どこか田舎の大きな家に住んでいたのだ。それがたぶん、僕の人生にとって最初の記憶ではないかと思う。


京都から、母に連れられて大阪へ移っているのだから、そういう田舎の家に住んだことはなかったはずである。しかし、僕は微かに覚えている。田舎特有の大きな大きな家で、庭も広々としていた。その庭の木々の間に、外から流れ込んでいる小さな川もあった。庭一面が雪に覆われるという珍しい光景も目にした。


ある時、僕は庭でひとり遊んでいて、足を滑らせ、小さな川の中にドボンとはまった。小さな割には深く、流れも速かった。僕は必死でもがいて川から這い上がった。怖かった。とても怖かった。


それが一体どこなのか、誰と住んでいたのか、なぜそんなところにいたのか…。何もわからないままだった。母は離婚の話や京都を出て大阪へ来たことの経緯などは、僕が大人になってから時々語ったが、あまり詳しくは語らなかった。ただ、離婚の原因は父に生活力がなかったから、お金に困ったから…ということは言っていた。僕のほうは、何かそういう話題には触れてはいけないように思い、自分から母に詳細を聞くことはしなかった。だから、あのどこかわからない田舎のことも、尋ねずじまいだった。今年85歳になった母は、7年前に脳溢血で左半身が動かなくなり、車椅子生活で、現在は特別養護老人ホームでお世話になっている身である。あの田舎の家のことは、永遠に謎のまま埋もれてしまうのだろう…と思っていた。それが、最近「まさかの展開」を見せたのである。これには僕もビックリした。


1、2ヵ月前。妻との会話の中で僕の幼い頃の話が出た。僕は妻に、どこかわからない田舎の家の、庭の川に落ちた話をした。久しぶりに思い出したのだ。もう遠く夢になりかけていた記憶だった。あれは一体どこの話だったのだろうか、あるいは現実のものではなく夢でも見ていたのだろうか…ということを言った。すると妻は「その話はいつかお母さんに聞いたことがあるわよ」と言った。


「えっ…?」と僕は聞きなおした。「聞いたことがある?」
「ええ。お母さんは、京都ではお父さんがどんな仕事もうまく行かないので、3人で京都の家を出て、お父さんの実家へ行ったそうよ」
「へぇぇ」僕はそんな話は知らない。
「実家へ行った? 実家ってどこ?」

「実家は舞鶴やって言うてはったよ」
「えっ、舞鶴?」知らなかったなぁ。
そんなこと、嫁さんから聞いてどないすんねん(笑)


京都から母に連れられて直接大阪へ来たとばかり思っていた。それが京都を出た時はまだ離婚しておらず、3人で父の実家へ行った時期があったとは…
「そこで仕事を探そうということだったそうだけど」と妻は言った。
しかし、舞鶴の実家へ帰っても、父はこれといった仕事が見つからず、僕ら家族3人は居候同然で、母も長兄夫婦らに嫌がらせをされたりしたという。そして母は父と別れ、僕を連れて舞鶴を出て大阪へ行った…とのことだった。


夢になりかけていた記憶…。田舎の家。庭。そして川で溺れかけたこと。庭一面の雪。…あれは一体どこだったのだろう、という長年の疑問が思いも寄らぬ形で解けた。あれは舞鶴だったのだ。父は舞鶴の人だった…。


母は、僕には言っていない話を、妻にしていたのだ。やはり女性同士というのは、そういう話をしやすいのだろうか。母もその話を誰かに聞いてもらいたかったのだろうか。妻はその話を僕が「知らなかった~」と言ったら、「ほんと? 聞いていなかったの?」と驚いていた。


そんなことがあって1ヵ月も経たない頃、「ウダウダ会」から案内状が届いた。封筒を開けて、またビックリした。「12月のウダウダ会の行く先は舞鶴です…」と書かれていたのだった。


そのウダウダ会で初めて行った舞鶴の様子は、前々回のブログに書きました。いや、初めて行ったというのは誤りで、一度、幼い頃に短期間住んでいたということなので、「再訪」ということになりますか? 舞鶴の町を歩きながら、いろんな感慨が胸をよぎりましたが、何だかまだまだ夢のような気分で、ピンとこないまま、こんな身の上話を書いてしまいました。ど~も、失礼しました~。

 

 

 

 

 

コメント (4)
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