僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

 「耳鳴り」 から半年

2008年03月28日 | 心と体と健康と

一昨日の26日で、耳鳴りが発症してから半年が経った。
半年ですよ、半年。
休みなく鳴り響く耳鳴りに、以前なら1日でノイローゼになっていただろう。
それが、こんなものと否応なしにつきあわされて、もう半年です。半年。

半年、といえば…?

  ♪  あ~ぁ 半年あまりの 恋なのに~
     あ~ぁ エプロン姿が よく似合う~
   
   (そら、中条きよしや)

あ~、耳鳴りも「うそ」であってほしいけどなぁ。
半年あまりの恋やったらええけどね。
半年あまりの耳鳴りみたいなもん、シャレにもならんわ。


最初の1ヶ月や2ヶ月はずいぶん長く感じた。が、今は、あ、もう半年か…? という感じである。耳鳴りに慣れてきたことの証拠かもしれない。しかし「慣れてきた」とは言っても、現実にはそう単純なものでもないのですね、これが。
全面的に苦痛が消えたとか、イライラがなくなったとかの状態にはほど遠く、よく「蝉千匹」とか「ジェット機千機」とか言われるように、ジージー、キーンキーンと耳の周辺ですざまじい音が響くのだから、やはり辛い。毎日がうっとうしい。安定剤の服用を欠かすと不安感が募るし、夜は、就寝前に安定剤を飲んでも、相変わらず眠りは浅く、ぐっすり眠れる夜はほとんどない。集中力も途切れがちで、本を読んでいても長続きしにくい。

時間が半年前に遡ってくれて、耳鳴りになる前の静かな生活にもう一度戻ることができたらなぁ…と思ったりするのだけれども、光源氏ではないが「さかさまに行かぬ年月」なのだから、それもかなわない。

就寝時。…まわりが静寂に包まれているとき。
寝室の掛時計が、コッチコッチとゆるやかで小さな音をたてている。
体を右側に横向けにして、ベッド横たわると、右耳は枕で塞がった状態になる。
耳鳴りのきつい左耳のほうが上に向くので、その体勢で耳を澄ます。
キーンと響いている耳鳴り音と重なって、コッチコッチという小さな掛時計の音が左耳だけで聞こえるかどうかを確認するのだ。耳鳴りに邪魔をされて、ほとんど聞こえない状態に近いけれど、よ~くよ~く耳を澄ましてみると、かすかにコッチコッチという音が伝わってくる。

自分の耳鳴りの音が大きくなっているのか小さくなっているのか…?
慣れてきたことが逆にそれをわかりにくくしていることも事実なので、いつも夜の寝るときになると、こうして時計の音で左耳のテストをする。わずかでもその音が聞こえることによって、耳鳴りは大きくなっていないのだと安心できるから…。

それにしても、この先いったいどうなっていくのだろうか?
今後耳鳴りが消えるという保障もないし、ひょっとして一生消えないかも知れない。そう考えたら、慣れるということに期待するよりほかに方法がないわけで、これは、もはや時の流れに頼るしかないのか。

 ♪ ときのながれに身をまかせぇ~

   (そら、テレサ・テンや)

…とまあ、半分あきらめの境地が昂じてくると、やがてそれが「慣れ」の感覚と混じり合って、一体のものとなっていきそうな気もする。すると、耳鳴りの苦痛というものが鈍化していき、気にならなくなる…
という、そんなふうになっていくのだろうか?

その「慣れる」という感覚に「慣れる」ため、TRT療法を続けている。
発症から4ヶ月目にTRT療法を始めたので、今で2ヶ月が経過した。
TCIには、確かに慣れてきた。
ノイズの音量も、コツがつかめてきた。
朝起きて、今日も相変わらず頭に響く耳鳴りにうんざりしながら、ケースからTCIを取り出して耳につける。すると、ちょっと安心する。
ここ数日で、TCIをつけると僅かだけれど苦痛が軽減する感覚が生まれてきた気がするのだ。それでも、特に午後から夕方にかけて、耳鳴りが大きく感じられることが多く、そんなときは、全身に何ともいえぬ不快感が走る。

耳鳴りに慣れるためには、その感覚に慣れなければならず、その感覚に慣れるためにはTCIをつけるTRT療法に慣れなければならない。トレーニング2ヶ月を経て、ようやく、その第一段階であるTCIに、僕は何とか少しずつ慣れはじめてきたように思うのだけれども、確かな手ごたえ、というものは、まだない。

 

 

 

 

コメント (6)
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