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 僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

「砂の器」映画と原作とTVドラマ

2014年12月22日 | 映画の話やTVの話など

*ネタバレにご注意ください!


松本清張といえば、先週、BSでかつてのTVドラマ「砂の器」が3日連続・全6話が再放映された。その最初の日に、青豆さんという方が「本日から再放映されています」というコメントをくださった。僕が映画「砂の器」の大ファンだったことをご存知だったのかなぁ、と思ったりしていますが、そのとおりで、僕はこの映画を、今でも自分が見た邦画の中でベスト1だと思っています。


TVドラマのほうは1977年に放映されたものだそうだ。しかし僕はこのドラマを見なかったと思う。というのも、その3年前に映画の「砂の器」にあまりに感動し、何度も何度も映画館に足を運んだことがあるからだ。その後原作を読んだけれど、正直言って期待はずれだった。映画とはかなりイメージが違っていた。映画のストーリーは、原作から大きく逸脱しながら卓越した映像と心に沁みる音楽で、素晴しいもう一つの「砂の器」の世界を作り出していた。


77年のTVドラマも、もし原作に忠実であれば、僕の中にある映画のイメージを壊されてしまう、という懸念があって、あえて見なかったのかもしれない。だから刑事・今西栄太郎役の仲代達也や、和賀英良役の田村正和は、僕の中では何の記憶もない。それで今回は37年ぶりのこのドラマ全6話を録画して、4日前から1話ずつ見て昨日第4話を見終えたところだ。話はいよいよ佳境に入ってきた。思ったよりも見ごたえがある。いつか、スマップの中居君が主演をしたTVドラマ「砂の器」はつまらなかったが、こちらはなかなか迫力がある。あと2話を今日と明日で見るのが楽しみだ。


映画の「砂の器」は、過去にテレビで放映されたが、この映画の重要な鍵となるのがハンセン氏病(つまり昔で言うライ病)であり、世間にはその病気に対する偏見が強かった。ライ病は気持ちの悪い病気で人に感染すると信じられていた。だからみんなライ病患者を毛嫌った。


映画はそういう時代を背景にしたもので、ライ病を患った本浦千代吉という石川県の田舎に住んでいた男性が、村から追われるような形で小学生の息子・秀夫を連れ、お遍路姿で物乞いの放浪の旅に出る。まだ子供の秀夫にとって辛い辛い放浪の旅だったが、島根県の亀嵩(かめだけ)という地にたどり着いた時、三木という情け深い巡査に会って保護され、父親は療養所へ入り、秀夫は三木巡査夫婦があずかる。…が、秀夫は家を飛び出し行方不明になる。


映画は、その何十年か後、退職した三木巡査が東京の蒲田操車場内で惨殺死体となって発見されるシーンから始まる。ベテランの今西刑事(丹波哲郎)と若手の吉村刑事(森田健作)の地道な努力で過去をさかのぼり、やがて1人の男性が捜査線上に浮かぶ。それはかつて三木巡査に助けられたが家出した息子・秀夫で、今や新進ピアニストとして脚光を浴び、大臣の娘と婚約してマスコミの寵児となった和賀英良であった。三木元巡査は伊勢参りに行った時、たまたま映画館に貼ってあった和賀英良の写真を見つけ、あの秀夫に間違いない…と、今や有名人となった彼を訪ねて東京へ行き「おまえの父が療養所でまだ生きている。ぜひ会いに行ってやってくれ。行かなければ首に縄つけででも連れて行く!」と迫るのである。忌まわしい自分の過去がバレるのを恐れた和賀英良は、かつての恩人を殺害する…という筋立てだ(ネタバレごめん)。


この映画の最大の見どころは、和賀英良が音楽界注目のコンサートで「宿命」という曲を弾くクライマックス場面。曲を背景に、お遍路姿で放浪する父と子の姿が、和賀英良の回想とシーンとして描写される。吹雪の中や桜の花が散る中、蝉が鳴く中、2人は延々と歩く。そのシーンには今でも思い出すと胸がつまる。ちなみに、原作にはそういう描写はない。


今見ているドラマは全6話という長時間ドラマなので、原作に忠実な部分があり、映画には出てこないが、原作では重要な役割を演じる人物が登場したりしている。しかし刑事が和賀英良にたどり着くまでのプロセスには、結末はわかっているのにハラハラする。さて、どんなラストシーンになるのか…? 久しぶりに見る「砂の器」に胸がざわざわ…である。


映画のほうはBSあたりでまた再放映をして欲しいのだが、以前放映されたのを見ていたら、刑事の丹波哲郎が「本浦千代吉は、ライ病だったのです」と捜査会議の場で説明するシーンの「ライ病」という言葉がカットされていた。差別用語なのか? これがキーワードなのに、カットされると、初めて見る人はワケがわからないと思う。それでもカットするくらいだから、今後テレビでは再放映されないのだろうと思う。ところで、今見ているドラマでは、父は「ライ病」ではなく、精神障害ということになっている。そこに限っては、放浪の旅に出る根拠がやや物足りないが、「ライ病」を使えないなら仕方ないのでしょうね。あの中居君の「砂の器」では、父はもはや病気でもなく、殺人犯の設定だった。それで各地を放浪とするというわけである(苦しまぎれだな~)。


ところで、朝日新聞に「be」という土曜日版があって、そのトップ面で「映画の旅人」という連載物があるけれど、偶然にも一昨日は「砂の器」が取り上げられていた。清張のこの複雑な原作を映画化することの難しさを、脚本の橋本忍と山田洋次がふり返る話などに思わず引き込まれた。朝日新聞を購読しておられる方で一昨日の「be」のその記事をまだご覧になっておられない方は、ぜひ読んでいただきたいと思います。


松本清張は当時この映画について「ぼくの小説の映画になったもので、いちばん出来がよかった」と語っていた…と「be」に載っていました。

 

 

  
   12月20日の朝日土曜版「be」の第一面。

 

 

 

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松本清張2夜連続ドラマSP

2014年12月13日 | 映画の話やTVの話など

先週末の土・日にテレビで「松本清張2夜連続ドラマスペシャル」というのがあり、録画した。多くの人もそうだと思うけど、僕も松本清張のドラマのファンで、BSでの再放送もよく見る。今回は2夜連続で録画した「坂道の家」と「霧の旗」を、数日遅れで2夜連続で見た。清張ドラマでも時々「見てガッカリ」というのもあるが、今回は2本ともなかなかよかった。特に「坂道の家」は、主人公のりえ子を演じた尾野真千子と、りえ子にのめり込み5千万円以上も貢ぐ寝具店のオヤジを演じた柄本明が、迫真の演技を見せてくれた。

 

  
   尾野真千子と柄本明の演技力に引き込まれ…

 

尾野真千子の何とも言い尽くしがたい妖艶さと、柄本明の嫌らしいスケベジジイぶりが、2人とも「いかにも」と思わせる熱演で、これほど見ていて引き込まれるドラマも久しぶりだった。柄本が、若い女を知るとすっかり人が変わる。これまでの人生でコツコツ貯めてきた金を、せっせと彼女につぎ込み、妻から文句を言われると「今までずっと真面目に働いてきた。何に使おうと俺の勝手だ!」と怒鳴る。すでに理性を失い、頭の中は常にその女のことで一杯…という柄本の、白目をむいた恐ろしい形相には、思わず引いてしまう。男は老人になっても、若い女との愛欲に溺れるとここまで暴走してしまうのか…と、思わずため息が出る(どういうため息なのだ…?)


翌日は堀北真希の「霧の旗」を見た。「坂道の家」に比べると、清張の作品としてはこちらのほうが有名だろう。今回真希ちゃんが演じた柳田桐子というのは、「松本清張作品を代表する悪女」と言われている。その堀北真希だが、同じ「悪女」を演じた尾野真千子に比べると、まだ幼さが残る表情が無邪気で可愛い。とても復讐のために男を翻弄する女には見えない。重要な舞台となるキャバクラでキャバ嬢として出てきたときは、それなりの雰囲気を醸し出していたけれど、見る側の先入観かも知れないが、やはりどこかにあどけなさが漂う。


こちらは敏腕弁護士の椎名桔平に、無実の罪で逮捕された弟の弁護を頼んだが断られたことに恨みを持ち、女の武器を駆使して復讐する話であるが、このドラマの筋立てでは、なぜ弁護を断った椎名桔平にそこまでの復讐をしなければならないのか…という説得力が弱いように思う。そんなにえらそうに断ったわけではない。強いて言えば、椎名の秘書・橋爪功が横から「先生は忙しいし、弁護費用には500万円ぐらいかかるんだから」と言い放つのだから、むしろ恨むのなら橋爪を恨むべきである。どうも「逆恨み」された椎名桔平弁護士に同情を禁じえなかった。…といっても「ガッカリ作品」ではなく、まずまず楽しめたということは付け加えておきたい。


…ということで、この2本の作品では「坂道の家」の男女のドロドロした圧倒的迫力のほうに軍配を上げたい。ただ、堀北真希ちゃんは、たしかに可愛い過ぎたが、クールな表情で「悪女」の片鱗をうかがわせる雰囲気は出せていたように思う。もしこれが綾瀬はるかあたりなら、もっとよかったかなぁ…な~んて思ったりもしましたが。


で、一昨日(木曜)の新聞で「TVランキング」が載っていたのを見ると、先週1週間のTV視聴率ベスト20の中に「霧の旗」は入っていたが、「坂道の家」は入っていなかった。まぁ、視聴率ってそういうものなのでしょうけど。

 

 

 

 

 

 

 

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高倉健と菅原文太

2014年12月02日 | 映画の話やTVの話など

高倉健さんに続いて、今度は菅原文太さんの訃報だ。驚いた。
11月28日に亡くなられたそうである。健さんは11月10日だった。
このお2人が同じ月に亡くなられるとは、偶然なのか、必然なのか。


健さんの仁侠映画というのは、最初からずっと、悪い奴らにしたい放題にされ、健さんはぐっとこらえ、耐え忍ぶ…そういうパターンだった。とにかく健さんは耐えに耐え、我慢に我慢を重ね、最後の最後についに堪忍袋の緒が切れて、相手に殴りこみをかけてやっつけるのだ。「死んでもらいます」などと言いながら。「いよっ、待ってました、健さん!」と声のかかる場面である。健さんのうしろから悪者がこっそり斬りかかろうとするシーンでは、観客席から「健さん、危ない!」と悲鳴が上がったというのも、有名な話である。


しかし、僕は一連の健さんの任侠映画を見ていて、あまりに耐え忍ぶ時間が長く、見ていて辛くなることがよくあった。「やられたらやり返す。10倍返しだぁ」という「半沢直樹」ではないが、もう少し早い目に健さんに「10倍返し」をしてもらって、早い段階でスカッとしたい…という正直な気持ちもあった。「最後までひたすら耐えるところがいいねん」という友達ももちろんいたが、僕は「ちょっと耐えすぎやろ」と、いささかの不満があった。


その点から言えば「仁義なき戦い」の菅原文太はすぐに「倍返し」をした。ほとんど我慢はしない。やられたらすぐやり返す。あの精悍な風貌と、吠えるような物言いが相手を縮こまらせる。これがカッコいい。スカッとする。広島弁がまたいい。味方が相手にやられると、「わしが、あいつをとっちゃるけんな」(とっちゃる → 命を奪う)などと凄むシーンにはワクワクした。そうだ。いけいけぇ~。やっちゃれ~。…おっと、映画を思い出してついコーフンしてしまった。


「仁義なき戦い」は全部で5作あった。5作目は北大路欣也が主演で(文太アニキは刑務所暮らしで、少ししか出てこない)、これは映画の趣が違っていたが、1部から4部まではもちろん文太アニキが主演で、快作だった。健さんは背中に唐獅子牡丹の入れ墨だったが、文太アニキは背中に鯉の入れ墨だった。プロ野球・広島カープの「鯉」と関係あるのか…いまだに謎である。


共演していた梅宮辰夫や小林旭もよかった。松方弘樹は第1部で殺されるのだが、第2部以降からまた別の役で出てくるので、これはややこしかった(笑)


東映ヤクザ路線の映画の熱烈なファンだったトモちゃんという友人がおり、僕はいつも彼と一緒に、土曜日の午後(当時仕事は土曜は半日だった)になれば映画館へ出向いた。あるときは「仁義なき戦い」の5本立てが特別上映されたことがあり、もちろん僕はトモちゃんと共に、弁当やお酒のワンカップを持ち込んで映画館へ行った。そしてそこでこんなこともあった…


第4部だったと思うが、映画の終わりのほうで、菅原文太を逮捕するため、ものものしい数の警察官や機動隊員が建物の周りを取り囲むシーンがあった。建物から1人でゆったりと出てきて、抵抗せず両手を差し出す文太アニキ。手錠をかけられながら、彼は沢山の数の警察側の人間たちを眺め回してひとこと「税金の無駄づかいじゃのう」と言う。そのとき映画館内で大きな拍手が起きた。僕もトモちゃんもつられて拍手しかけたけれど、ちょっとためらった。
僕ら2人とも、地方公務員だったもんで…


…そんな細かいことまでも、よ~く覚えている。


この間、モミィと一緒に、テレビで「千と千尋の神隠し」を見た。モミィはこの映画が好きで、DVDも家にあるが、テレビでやっていたこともあって、改めて見た。映画の中で文太さんが「釜爺」の声の役をしていた。声だけだったけれど、あれが僕にとって文太さんの生前の見納め(聞き納め?)だった。


菅原文太さんは、仙台の人で、11年の大震災の時、俳優をやめた。
この話も、いかにも文太さんの人柄をあらわしているようである。
思い出に残る俳優さんたちが、次々と亡くなっていくのは寂しい。

 

 

 

 

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幸せの黄色いリボン ?

2014年11月22日 | 映画の話やTVの話など

高倉健さんが亡くなってから、どこのTV局でも、連日、健さんを偲ぶニュースや追悼番組が流されている。


1人の俳優の死がこれほど騒がれたのは、あの石原裕次郎以来でしょうか。裕次郎は52歳の若さで亡くなったけど、健さんの場合は83年の生涯だから、いわば天寿を全うした…という感じもします。


ファンも「老いぼれた健さん」を見るのは辛い。いつかは可愛い娘さんも婆ちゃんになり、カッコいい男も爺ちゃんになるけれど、健さんが爺ちゃんになる…というのは嘘みたいな話に思えてしまうから不思議だ。


健さん最後の映画「あなたに」がテレビで放映された時、少し見たけれど、健さんの一挙一動に「あぁ、年いったなぁ」とつくづく思い、何だかそういうのを見たくない気持ちが湧いてきて、そのままテレビから離れたことを思い出す。


それにしても、今の時代でこれほど誰からも愛された人も珍しい。作家の故・司馬遼太郎さんが国民的作家と呼ばれたように、健さんも国民的俳優と呼べる人なのだろう。もう二度と、こういう人は出てこないのかも知れない。


ところで昨日、コスパのロッカーで着替えをしている時、そばで70代ぐらいの男の人が二人で、健さんの話をしていた。


「映画俳優で文化勲章を受けたのは高倉健だけらしいなぁ」

「ええ俳優やったもんな。あのぁ…何やったかな…?『黄色い…』え~っと何とか…という映画も、よかったなぁ」

「あれは『幸せの黄色いリボン』や。わしも見たで」

「そうそう『幸せの黄色いリボン』なぁ」

「それと、最後の映画になったというあの…? え~っと、何やったかなぁ…」

「あれは『おまえに』や。わしも見たで」


そんな会話が交わされていた。


「幸せの黄色いリボン」…?
ジョン・ウェインの「黄色いリボン」じゃありまへんで。
それは「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」ですがな。


「おまえに」…
フランク永井のヒット曲の題名じゃありまへんで。
健さん最後の映画は「あなたに」ですがな。


しかしまぁ、見方を変えてみれば、それだけ健さんの映画が幅広い層の人々の記憶の中に、たとえうろ覚えでも、刻み込まれているということなのでしょうね。


健さんの最後の映画「あなたに」は明日・日曜日の夜、放映されるとのこと。
健さんの映画で一番好きだった「 駅・STATION 」は今夜、BSで放映される。


「駅・STATION 」はDVDを持っているし、5、6回見ているけれど、「あなたに」は前述のように少ししか見ていないので、今度はきちんと最後まで見ようと、明日の放送を楽しみにしています。
 

 


 

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高倉 健

2014年11月18日 | 映画の話やTVの話など

高倉健が死んだ。


この人の映画では、僕は「駅」が一番好きだった。


今でもそのDVDを大切に持っている。


「駅」の最後のほうで、大晦日、飲み屋のカウンタで、健さんと、女将の賠償千恵子が、2人っきりで、テレビで紅白歌合戦を見るシーンがある。僕にとっては、一生忘れられないシーンだ。


2人のあいだに言葉はない。堅物(かたぶつ)で不器用な健さんが、賠償千恵子の肩をそっと抱きながら、じっとテレビの紅白歌合戦を見ている。あの、まったく台詞のない、長い長いシーンは、僕は、たぶん日本映画の中でも、最高の名シーンの一つではないかと思っている。


その映画の中の紅白歌合戦には、八代亜紀の「舟歌」やジュディオングの「魅せられて」、小林幸子の「おもいで酒」などが出ていた。その頃の映画だった。


本当によかったなぁ あの映画。

 

 

     

 

 

 

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うれしい「独眼竜政宗」再放送

2014年11月06日 | 映画の話やTVの話など

どうもTVドラマづいてきましたが、今日もまたその話です。


普段からドラマは、たまに気に入ったのを見るぐらいだけど、唯一の例外として、今年4月からずっと一度も欠かさず熱心に見ているドラマがある。それはNHKのBSプレミアムで毎週土曜日午後6時から放映されている「独眼竜政宗」である。1987(昭和62)年の大河ドラマの再放送だ。主演は渡辺謙。大河ドラマ史上最高平均視聴率39.7%を記録したという。僕は当時も、1年間、このドラマを全部見た。歴代の大河ドラマでも、最も好きだった作品の一つである。

 

  


仙台62万石の礎を築いた伊達政宗の波乱の生涯を描いた戦国ドラマ。原作・山岡荘八、脚本・ジェームス三木。ドラマの中での梵天丸(政宗の幼名)のセリフ「梵天丸もかくありたい」は流行語にもなった。放送から27年たった今でも人気は根強く…。←再放送が決定した折、そんな宣伝文句が流れた。


キャストもいい。主演の渡辺謙は、キレて怒鳴りまくることもあれば心の優しい一面も出し、激怒して理性を失うかと思えば家来の進言に「もっともだ」と従う賢君ぶりも見せて、素晴しい政宗を演じている。渡辺謙以外の政宗など考えられない…と言ってもいいかも知れない。そして政宗を支える2人の側近、三浦友和と西郷輝彦が絶妙だ(西郷輝彦をあおい輝彦と間違っていた人もいましたが)。さらに政宗の幼少時の守役で、後に政宗の妻・愛姫(めごひめ)の侍女として尽くす竹下景子は、とても凛々しく、美しい。それに政宗の母を演じる岩下志摩の優しさと惨酷さを混ぜ合わせた迫真の演技も、凄まじい。登場人物の台詞も重厚かつ的確で無駄な言葉がない。僕たちはこういうところで、今日失われつつある美しい日本語表現を学ぶべきだ、と痛感させられたりもする。


ドラマは全50回だが、先週の土曜日が第31回だった。秀吉が天下人となり、わが世の春を謳歌する時代。秀吉の言いなりにならざるを得ない政宗の忍耐の日々が続くが、正妻の愛姫に初の子(女児)が誕生し、政宗に笑顔が浮かぶ。そんな折、淀君が生んだ男の子が死んでがっくりする秀吉が、甥の秀次に関白を譲るが、再び新たな男の子・お拾い(後の秀頼)が生まれて気が変わる。関白になって舞い上がっていた秀次の身に暗雲が漂ってくる…というところだ。


…とこう書くと、今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」も時々見るのだけれど、同じ時代で同じ筋書きの展開である。やはりお拾いが生まれて、その子を跡継ぎにするため、秀次が切腹に追い込まれる。そして秀吉自身にも死期が迫ってくる。次回11月9日のタイトルは「秀吉の最期」である。


「独眼竜政宗」のほうも、次回8日は「秀次失脚」であり、11月22日は「太閤の死」だ。どちらもよく似ている。もっとも秀吉の役は「政宗」では勝新太郎、「官兵衛」では竹中直人で、これはちょっと違いが大きすぎますけど。


ともあれ、秀吉は2つの大河ドラマで、今月中に死んでしまうわけですね。


「軍師官兵衛」はたまにしか見ていないが、「独眼竜政宗」は来年3月まで続くので、これは一度たりとも見逃せない。秀吉亡き後、関が原の戦いを経て徳川家康の時代に移っていく過程で、伊達家を率いる政宗がどう生き抜いていくのか、それを豪華キャストたちがどう演じていくのか、楽しみである。えっ? 27年前に見たんだろうって? そうですね、見ました。でも、ほとんど忘れましたよね。特に、前半の部分はよく覚えているのですが、後半は記憶がありません。だから、今回初めて見るのと同じワクワク感があるのです。記憶を無くすと、楽しみが増えるという一つの実例です(笑)。


ところでその「記憶」で思い出しましたが、最後に余談をひとつ。


先日、渡辺謙が主演する「明日の記憶」という映画を見ました。ご存知の方も多いと思いますが、仕事バリバリ人間だった49歳の男性が、若年性アルツハイマー病にかかる話で、衝撃的な内容でしたが、妻の樋口可南子の献身的な優しさが強く印象に残りました。「いい女優さんだなぁ、樋口可南子さんは…」と思いつつ、翌日「独眼竜政宗」を見たのですが、そのドラマの淀君役で樋口可南子が登場してきました。渡辺謙の政宗と淀君が対面する場面がありましたが、思わず「明日の記憶」の夫婦が顔を合わせたシーンに興奮しました。映画では渡辺謙は髪の毛も薄くなり、樋口可南子さんも落ち着いた中年女性になっていましたが、このころは2人とも若くで華やかでしたね。ま、当たり前の話ですけど…


…というわけで、今日も、何のことかわからないようなオチで終わります。


皆々様、こんな話を最後までお読みいただき、

まことに、有り難き幸せに存じ上げ奉ります!

 

 

 

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ダメよ~ダメダメ

2014年09月02日 | 映画の話やTVの話など

いまの時代、テレビがないと暮らしていけない…という人が、このニッポン国でどのくらいおられるのか知らないけれど、かなり多いことは間違いないだろう。ひょっとして大半の人々がそうかも知れない。でも気をつけなければならない。高齢者の場合、テレビばっかり見ていると、ボケが猛スピードで進むそうである。その根拠は…? 知りません。テレビでそう言ってました(ええかいな)


“年寄り”が増えてきたので、テレビも「こんな病気が怖い!」とか「迫り来る老化をどう防止するか?」とか「あなたもボケにご用心」なんていうような番組が多く放映されるようになった。そんなテレビにハマっているうちに、病気になったりボケになったりアホになったりするのだから、シャレにもならん。


…が、そう言っている僕も、テレビは好きだ(ボケないよう「見過ぎ」に注意しなければ)。ニュースやワイドショーを見たり、旅の番組や古い映画を見たりしているが、今はNHKのBSで土曜日に再放送されている昔の大河ドラマ「独眼流政宗」が一番楽しみである。政宗を演じる若き日の渡辺謙の勇猛果敢さや凛々しさには惚れ惚れする。リアルタイムで見ていた当時の、忘れられないシーンがいくつもあるが、そういう場面が出てくると、胸が熱くなる。


でも、そんなテレビでも、バラエティ番組はほとんど見ない。あのごちゃごちゃと大勢の芸人が出てきて、つまらないギャグを飛ばしながら雑談を交わし、自分たちだけで面白がっているような番組は、社会に害悪をもたらすだけである。中には、まれに面白いのもあるが、大半はバカみたいな番組ばかりだ。


先日、「24時間テレビ」を見ていたら(あまり好きな番組じゃないので断片的にしか見ていませんが…)、びっくり仰天するような恐ろしい顔の女が2人出てきた。画面に「日本エレキテル連合」という文字が出た。それがこの妖怪みたいな2人のコンビ名だと気がつくまでには、しばらく時間がかかった。なんですか、あれは…? お化け屋敷でもこれほど怖いもんは出てきませんで~。テレビに出てくる芸人たちのグロテスク度も、ついにここまで来たか…とあきれた。


そして2人は下手なセリフと大げさな仕草によるやりとりをしたあと、「ダメよ~ダメダメ」という言葉を連発した。すると、まわりを取り囲むタレントたちが「待ってました~」とばかり大爆笑したのである。


あぁ、世も末じゃ~


「ダメよ~ダメダメ」のどこがどう面白いのか。笑っている人に聞いてみたい。どうやらこれが流行語にもなっているらしい。この間、ある場所で、小学2年の男児が「ダメよ~ダメダメ」と叫んでいたのを耳にした。子どもたちにこういうギャグはすぐに伝染する。テレビの悪い影響である。


だいたい「ダメよ~ダメダメ」というのは、僕らの世代からみれば、昔、森進一が歌ってヒットした「年上の女(ひと)」という歌の有名なフレーズである。


♪だから分って ほしいのと
 そっとからんだ 白い指
 放したくない つらいのよ
 だめよだめだめ つらいのと
 泣いてすがった 年上の女

2番も…

だめよ だめだめ いけないと
 いのち燃やした 年上の女

3番も…

♪だめよ だめだめ つらいのと
 涙で別れた 年上の女


…と、まぁ、こういう歌である。
調べてみると1968年(昭和43年)に出た歌である。
(わぁ~。あれから、もう46年も経つんだ)


そんな昔に流行した歌の文句がギャグとしてウケているということである。まったく~今の世の中、いったい何が流行するのか、さっぱりわけがわかりませぬ。


こんなことでは、日本の将来も…ダメよ~ダメダメ。
(うぅ…。僕にも伝染してしまった~)

 

 

 

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寅さんのこと

2014年01月11日 | 映画の話やTVの話など

去年からBSで、毎週土曜の夜に映画「男はつらいよ」が第1作から順々に放映されている。今日の土曜日は第13作「寅次郎恋やつれ」。マドンナはわれら団塊世代の永遠のアイドル・吉永小百合で、これが二度目の出演となる。前作で結婚した彼女の夫が亡くなり、寅さんと再会するところから、例の「失恋ストーリー」が展開される。島根県の津和野を舞台とした、僕の好きな1本です。


松竹映画の寅さんシリーズは、僕が20歳で、自転車で北海道を走っていた1969年(昭和44年)の8月に第1作が誕生した。(むろん、当時はそんなこと、知らなかった。漫画の「巨人の星」が映画になったことはよく覚えているけど)


「男はつらいよ」の最後は1995年12月の第48作「寅次郎紅の花」なので、このシリーズは実に26年間も続いたことになる。国民的映画と言われる所以だ。


一般的には、第2作目「続・男はつらいよ」(寅さんが、産みの親・ミヤコ蝶々に会いに行く話)が最高傑作と言われているけれど、僕がもしこの48本の中で一番好きな映画はどれ…? と尋ねられたとしたら…そうですね、浅岡ルリ子が出ていた第15作の「寅次郎相合傘」を挙げましょうか。彼女が演じる旅回りのキャバレー歌手・リリーは、寅さんの相方として最高の女性である。先月放映された第11作「寅次郎忘れな草」で初登場し、「相合傘」の後も第25作「寅次郎ハイビスカスの花」、そして最後となった48作目の「寅次郎紅の花」もリリーが寅さんの相手であった。このシリーズに4本も出演したのはリリーだけである。


「寅次郎相合傘」は、哀切に満ちた結末だった。それまでいろんな女性にフラれ続けていた寅さんだけど、リリーは心から寅さんのことを好きになる。妹のさくらが、リリーを自分の家に招いたとき、「リリーさんがお兄ちゃんの奥さんになってくれたら、どんなに素敵だろうなぁって。ま…冗談だけど」と言うシーンがある。リリーは真剣な顔で、「いいわよ、私みたいな女でよかったら」と答えるのだった。さくらは目を丸くして驚いたあと、表情を輝かせる。


寅さんの「恋愛成就」が手に届く瞬間だった。
そしてそれに続く名場面…


さくらは「とらや」で、寅さんに「リリーさんがね、お兄ちゃんと結婚してもいいって言ってくれたのよ。よかったわねぇ」と伝える。リリーは奥の部屋でいつになく神妙に座っている。「オレとぉ?」と、ここからの寅さんのリアクションは、まあ寅さんらしいと言えば言えるが、素直に喜ばない。「あんな気性の強いしっかりした女が、俺みてえなバカとくっついて幸せになれるわけがねえだろ」と言い放つのである。そしてリリーのほうを見て「こっちへ来いよ」と呼び、「お前、冗談なんだろ? え?」と問い詰める。リリーは戸惑う寅さんの顔をじっと見つめながら、フッと笑い「そう…、冗談に決まってるじゃない」と言うのだ。あぁ~。映画館でこのシーンを見た時、寅さんって本当にバカだ、これじゃ誰とも一緒になれないのは当たり前だ…と、悔しい思いをしたことを覚えている。後にも先にもこれほどのチャンスは巡ってこなかった。それをテレてしまい、まぜっかえしてしまい、せっかくの話を壊してしまうのだ。


だいたい寅さんは、いつも自分から女性を慕うのに、相手から好意を寄せられると、今度は引いてしまう。寅さんのことを、女性にフラれ続けた…と先ほど書いたけれど、女性のほうが寅さんにフラれる話も、シリーズの中には少なくない。


最近、酒井順子さんのエッセイを読んでいたら、寅さんを取り上げた一文があった。そこに、寅さんの陰には、多くの傷ついた女性がいる、として、寅さんはすぐ次の旅行に出かけてテキ屋商売に精を出しているけれど、女性に残った傷はなかなか癒えないのではないか…と書かれていた。


ひとつの例として「寅次郎あじさいの恋」(第29作)で、陶芸家の家政婦だったいしだあゆみが、寅さんを好きになって2人でデートすることになる。しかしテレ屋の寅さんはそのデートに、さくらの一人息子である満男を一緒に連れて行く。これほどの無神経はあるまい…という酒井順子さんの文章を読みながら、なるほど、女性に対するシャイな気持が逆に女性を傷つけるわけだ…と、その鋭い突っ込みに感心した次第である。さらに「寅さんは憎めないいい人ではありますが、テレ屋を言い訳にして、自分から何もしない男性に対する女性の恨みは意外と深い。観客は寅さんの男のつらさ、悲しさには思いを馳せても、ヒロインのそれには気づかないのではないか」…とも書かれていた。


…なるほど。物事にはいろいろな見方がある。女性の側からは、寅さんに対するそういう見方もあるんだ…と、目からうろこであった。ならばタイトルも変えて「女もつらいよ」にすればどうか…と、これは酒井順子さんが書いていたのではなく、僕が今思いついたことですけど(つまらんギャグだこと!)。


ま、寅さんが結婚してしまえばシリーズは続かなくなるので仕方ないのですが、こういう違った面から寅さんの映画を見ると、また味が出てくるのではないかと、これからまたせっせと土曜日のBSの録画をしようと思っています。ちなみに、次の次の土曜日に、前述の「寅次郎相合傘」が放映される予定です。

 

 

 

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半沢ネタも最終回です

2013年09月26日 | 映画の話やTVの話など

24日(火)の新聞夕刊1面は、京都府八幡市で小学生の列に車が突っ込んで児童が怪我をしたというニュースがトップに出ていた。何がどうなって車が突っ込んだのか、にわかには理解できないような事故だったが…


その記事のすぐ下に「半沢」視聴率45.5% という見出しの記事が載っていた。新聞1面にTVドラマの視聴率が載るのはきわめて異例である。ビデオリサーチによると、関西地区でオンライン調査が始まった1980年以降の民放ドラマの中で最高記録なのだそうだ。そして瞬間最高視聴率は午後10時17分の50.4%だったという。この時間はラストシーンで、半沢が頭取に出向を言い渡される場面だった。最後のシーンでさらに視聴率がアップするというのは、それまで見ていなかったのに最後だけ見る人もかなりいるということなのだろうか。…たぶん、そうなんでしょうね。


ちなみに関西地区では、これまで最も視聴率が高かったのは「家政婦のミタ」ではなく、「男女7人秋物語・最終回」(87年)の41.6%で、続いて「渡る世間は鬼ばかりスペシャル」(94年)の41.0%だと書かれていた。「家政婦のミタ・最終回」は36.4%で、このあたりは、関西と関東との好みの相違なのだろうか? 


さてテレビのワイドショーでも、TBS以外の局も「半沢」の話題で賑わっていた。放送が終わったとたん、待ってましたとばかり他局でいっせいに取り上げていた。その中で、「へぇ~、ちっとも知らなかったわん」という興味深い話がひとつあったので、それをご紹介したく、今日もまたしつこく、半沢秀樹…じゃない、半沢直樹のことに触れます。ま、ほんのちょっとだけですけど。


TVに出てくる俳優やタレントについては僕はほとんど無知なので、いつも妻に「これ、何という人?」などと聞いていますが、その妻も「知らなかったわ」という「半沢直樹」に登場した俳優さん3人の話です。すでに知っておられる方も多いと思いますが、僕にとってはびっくりだったのでここに記しておきます。


まず、福山啓次郎の役を演じた山田純大という俳優さん。福山というのは、東京中央銀行融資部に属する「切れ者」と言われる次長で、大和田常務と繋がっている。伊勢志摩ホテルに関する金融庁の検査が近づいてきたとき、半沢を担当からひきずり下ろして福山に交代させようという上層部の思惑を受けて、銀行内での「模擬検査」を行う場面がある。そこでこの福山が常にタブレット型パソコンをのぞきながら、データばかり振り回し、半沢を攻め立てる(それが実に真に迫っていやらしく、演技とは思えないほど)。しかし最後に半沢に猛反撃されてガックリする…という役柄。このネチネチ男の福山を演じたのが、杉良太郎の息子…と聞いてびっくりしたのである。


次に、最後に半沢を裏切ろうとした同期の近藤の妻の役で出ていた人、山崎直子(あの女性宇宙飛行士と同姓同名)という女優さんは、山崎務の娘さんだという。へぇぇぇ~、あの「怪優」と呼ばれた山崎務のねぇ。


それと、もう一人びっくりしたのが、伊勢志摩ホテルの湯浅社長役を演じた駿河太郎という若い人。これが笑福亭鶴瓶の息子なんだそうだ。じぇじぇじぇ~。ご承知のように鶴瓶はこのドラマでは半沢の父親役で出ており、大和田が担当する銀行からの融資を受けさせてもらえず、降りしきる雨の中を何度も土下座し、あげくに首吊り自殺をするシーンが、半沢の回想の形で何度も出てきた。その鶴瓶の息子が伊勢志摩ホテルの若き社長を演じていたとは、知らなんだ~。

 

 

    
   福山啓次郎→山田純大
   (杉良太郎の息子)
 
 

     
    近藤の妻→山崎直子
    (山崎務の娘)


    
    湯浅社長→駿河太郎
    (笑福亭鶴瓶の息子)  

 


「半沢」には熱中したものの、僕はテレビドラマについてはウトいほうだ。妻はモミィを寝かせてからいろいろと見ているようで、たとえば井川遥が義理の息子と深い関係になる「ガラスの家」の話なども妻から聞く。ストーリーを聞いていると面白い。これからはドラマも、もう少し見てみようかなと思う。


ところで「半沢」のあとの日曜劇場はキムタクだということを、コメントをくださった方から教えてもらっていたが、昨日、「安堂ロイド」という新ドラマの宣伝を見て、あ、これなのか~と思った。でも安堂ロイドって、人の名前なの?「アンドロイド」にかけたの? 何だかタイトルを聞いただけでつまらなそうだ。妻は「ロンバケ」のころからのキムタクファンだが、最近のキムタクのドラマは懲りすぎて面白くない…と言っていた。今回はどうなんだろ。「安堂ロイド」より「安藤なつ」(「アンドーナッツ」にひっかけた)のほうが美味しそうだし、いっそ「安藤美姫」にしたら、さらに視聴率も上がるのでは…


な~んて、しょうむないことを書きながら迎える9月26日の朝です。


9月26日。耳鳴りが発症した日です。今日でちょうど6年が経ちました。

 
ここのところまた耳鳴りがうるさくなって心身の不安定が続いています。それに連動してか不整脈も出やすくなり、ある時には「半沢」を見ていて全身に力が入り、興奮のあまり心拍が乱れて気分が悪くなる…ということもありました。最終回が終わったのは寂しいですが、反面、ホッとしていることも事実です(笑)。

 

 

 

 

 

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「半沢直樹」終わりましたね

2013年09月24日 | 映画の話やTVの話など

「半沢直樹」がとうとう終わってしまいました。淋しくなりますね。


あのラストシーンは衝撃的でしたが、僕は先週発売された「週刊文春」の記事を読んで、ある程度の予測はついていました。その記事は「半沢直樹最終回直前スペシャル」と題して、原作者である池井戸潤さんの小説の世界が取り上げられていたものです。むろん、半沢シリーズ「オレたちバブル入行組」と第2弾「オレたち花のバブル組」の解説もありましたが、第3弾「ロスジェネの逆襲」(2012年刊)という小説の解説も載っていました。そこにはこう書かれていたのです。


関連の証券会社に出向させられた半沢。IT企業買収の仕事に乗り出すが、そこに横槍を入れてきた奴がいた…


これを読んで、たぶんドラマのほうも、半沢が最後は証券会社に出向を命じられるんだろうな…と思ったわけです。ただ、それは、父のカタキである大和田常務に「100倍返し」したあと、自ら望んで出向し、銀行の世界から離れて愛する妻と平穏な生活を送ろうとする半沢…という形で終わるのかと思っていました。しかし、すっかり昇進するものと張り切っていたところへ、頭取から、予想もしなかった証券会社への出向を言い渡され、半沢の顔色が変わるシーンで終わったのは、やはり意外といえば意外でした。…というより、これは続編を期待させるための終わり方なのかも知れない、とも思ってみましたが、TBSは今のところ続編の予定はなしと言っているとか。でも、みんな続編を期待するでしょうね~。まあ、今回に比べるとパワーダウンすることは十分予想されるので、何でもやればいいってもんじゃありませんけど…


ところでこの日はお昼に甲子園球場で阪神・ヤクルト戦があり、阪神が敗れて巨人の優勝が決まりました。おかげで夜の巨人・広島戦の中継も地上波では放送がなかったので、「半沢直樹」の視聴率もこれでさらに上がったものと思われます。最後までこのドラマに追い風が吹きましたね。


ともあれ、僕は普段あまりドラマは見ないほうなのですが、この「半沢…」だけは、完全にテレビにのめり込んでしまいました。


で、最後に蛇足ですが…。僕は時々この題名を間違って「半沢ヒデキ」と口走ることがしばしばありました。モミィに「ヒデキと違うで、ナオキやで」と訂正されることも何度か…。というのも、うちの2人の息子の名前が、長男がヒデキで次男がナオキなので、ついごっちゃになってしまったわけです。…またまた関係のない話で、これまた失礼しました!

 

 

 

 

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「容疑者Xの献身」 が…

2013年07月05日 | 映画の話やTVの話など


2年前の6月。初めて東野圭吾の本を読み、すっかり魅了された。きっかけは、当時、テレビで「東野圭吾3週連続スペシャルドラマ」というのが放映されたことだった。どれもストーリーが面白かった。それまでミステリーといえば、いまだに松本清張やアガサ・クリスティーなどを読み、東野圭吾は名前を知っている程度だったのだけれど、面白そうなので本のほうもぜひ読まなければ…と思った。そして最初に読んだのが「容疑者Xの献身」だった。これがまた期待していた以上に読み応えがあり、ハラハラしながら一気に読んだ。著者はこの作品で直木賞を受賞したとのことだった。


その頃僕は2ヵ月間完全禁酒をしている時だったので、その分多くの本が読めた。酒をやめると確実に読書量が増える。酒を飲まない作家の浅田次郎さんは、「酒飲んで時間を無駄に過ごす人間の気が知れない。私はそんな時間があれば本を読む」とエッセイの中で書かれていたが、まあ、そのとおりかも知れません。


で、東野作品はその後「トキオ」「レイクサイド」「白夜行」「秘密」と続けて読んだ。この中では特に「白夜行」が素晴らしかった。後にテレビで放映された映画を見たが、こちらのほうは堀北真希が主演だったけれどイマイチの出来に感じた。一つひとつのシーンが無意味に長すぎるのである。以前に同じ役を綾瀬はるかが演じたテレビドラマのほうが「はるか」にインパクトは強かった。


そのようなことを当時のブログに書いたところ、見知らぬ方からコメントがあり、「『手紙』も映画化されていますが、これもとても考えさせられる良い作品です。他の東野ミステリとは毛色の違うヒューマンな人間ドラマですが、印象に残る言葉がたくさんあり一読の価値ありです」と教えていただき、さっそくそれも読んで感銘を受け、東野圭吾のジャンルの広さに改めて感心したものでした。


また、最近は「麒麟の翼」というのを図書館で借りて読みましたが、これも夢中で読み進めましたね。


さて、冒頭に戻りますが、「容疑者Xの献身」を読んだあと、妻に「面白かった~」と伝えたら、「この間、その映画を見たよ、テレビで…」と言ったので、「え~っ、映画、やってたん?」と僕は地団太を踏んで悔しがった。妻は好きなドラマや映画をモミィが寝てから見るのを楽しみにしている。いつぞやその映画が放映されたので見たというのだ。本のストーリーがまだ生々しく僕の頭の中を駆け巡っている時に、それがどういうふうに映画化されたのかをぜひ見たかった。居ても立ってもいられなくなり、僕は駅前の「ツタヤ」へ走ってそのDVDを探し出し、借りてきて見た。その映画のほうも、期待にたがわずとてもよかった。


ところで、なぜ今日この話題を出したかというと、実は明日、7月6日の土曜日の夜、フジ系列のテレビでその映画「容疑者Xの献身」が放映されるのです。まだ見ておられない方にはぜひ見ていただきたいと思い、どうしても今日、この一文をアップしたかったのです。


差し支えない範囲でストーリーを紹介しますと…


主人公の天才数学者にはひそか心を寄せる女性がいたが、その女性は、元夫から執拗につきまとわれていた。ある時、その女性は娘と2人であまりにしつこくやって来る元夫を殺害してしまう。偶然それを知った数学者は、自首しようとする女性と娘を思いとどまらせ、自分の言うとおり行動するように指示する。何とか彼女たちの罪を逃れさせたいと思ったのだ。そうすることによって、彼は女性への恋心を満たしたい…と考えたのだろう。そして女性と娘のアリバイ工作をし、得意の緻密な数学的思考力で、完全犯罪が成し遂げられようとする…。原作は数学者の側から描かれているので、つい彼の作戦が成功しますようにと応援したくなるのだが、そこへ福山雅治演じる探偵ガリレオが現れるのだ…


…あとは見てのお楽しみでございます。


前述のように、数年前にもテレビで放映された映画ですが、何度見ても楽しめると思いますし、ドキドキハラハラすること間違いなしです。ちなみに、僕はフジテレビの回し者ではありません(笑)。


では皆さん、明日6日の夜9時からですよ、9時。 お忘れなく~

 

 

 

 

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「自分とはなにか?」 …な~んてね

2013年06月21日 | 映画の話やTVの話など


この間、BSで「私がクマにキレた理由(わけ)」(2008年公開)という米映画を見た。このタイトルだけでは、いったいどんな映画やらさっぱりわからない…と思うのだけれど、原題は 「THE NANNY DIARIES」という。「NANNY(ナニー)」とは子守りのことだから、直訳すると「子守りの日記」という感じだろうか。


そのnannyを辞書で引くと、nanny cam という複合語も出てくる。意味は「幼児に対する子守りの行動を監視する隠しカメラ」だそうだ。アメリカにはそういうものがあるみたいですね。そういえばいつか海外ニュースで、ベビーシッターが幼児を虐待している映像を見たことがある。で、これが「私がクマにキレた理由(わけ)」という面白おかしく付けられた邦題と、最後に結びつくのである。 


参考までに、この映画のストーリーは…


ニューヨーク、マンハッタン。大学を卒業し将来を模索していたアニー・ブラドック(スカーレット・ヨハンソン)は、就職試験に失敗、セントラルパークで途方に暮れる。するとその時、事故に遭いそうになった少年グレイヤーを救ったアニーは、彼の母親でセレブのミセスXに名前を“ナニー”と勘違いされたことから、グレイヤーのナニー(←つまり子守り)として雇われることになる。しかし、自分磨きに忙しいミセスXが息子の面倒を全く見ず、父親のミスターXも家庭を顧みないため、アニーは24時間グレイヤーの世話を託されてしまう。プライベートもないうえ、言うことを聞いてくれないグレイヤーに困り果てるアニー。それでもやがて、両親に構ってもらえないグレイヤーの寂しさを知り、心を通わせていく。また一方、アパートの上階に住むハーバード大のイケメン学生と出会い、恋が芽生えるアニーだが…。

(以上、「allcinema」というサイトから引用させていただきました)



 

     

 


ドタバタ調のコメディではあるけれど、ヒロインである子守りのアニーと、その雇い主でお高くとまるミセスXの一挙一動の対比が面白いし、「ん、もお~っ」と何度もキレかけるアニーを見ているだけでもククッと笑える映画だ。


子どもの話に耳を傾けてやらず、気持ちも理解せず、子守りに任せっぱなしのミセスXに対して、最後にアニーは本当にキレる。なぜキレたかというと、子ども部屋にあったクマのぬいぐるみの目の部分に、隠しカメラが仕掛けられていたのを発見したからだ。激昂したアニーは、そのカメラに向かって、子どもをほったらかしにして、自分のファッションだの美容だのに没頭するミセスXを思い切り罵倒するのである。そして、その映像を見たミセスXは、最初は怒り狂うが、やがてアニーの真摯な訴えに心を開き、これまでの生き方を反省する…というような結末である。原題に出てくる「nanny」と、監視カメラがついたクマのぬいぐるみを絡ませて「私がクマにキレた理由(わけ)」という邦題を考えた人は、なかなかイキな人ではないか。


まあ、よくあるストーリーだけれど、見てよかった~という感じは残る。


ところで、この映画の中で強く印象に残ったシーンがあった。それは、映画のほぼ冒頭、大学を超優秀な成績で卒業したアニーが、一流会社で面接試験を受ける場面である。どんな質問をされても答えられる自信があった。さっそうと会社に乗り込んで行ったアニーだが、女性の面接官の口をついて出た質問は、「あなたは、自分をどういう人間だと思っていますか?」という意味のものだった。


「何よ、それ…。うふっ、簡単な質問ね~」と安堵するアニー。しかし…


「ウゥ~、アァ~、アイ…アム…、ウゥ…ムニャムニャ~」いざ答えようと思っても、言葉が出てこない。「自分はどんな人間…?」なんて真剣に考えたことなど一度もなかったことに気がついた。だから咄嗟に答えられない。考えれば考えるほど、頭がパニックになってくる。あげくは「失礼!」と、その場から退散するアニーだったのである。それでセントラル・パークで悔しさをかみ締めている時に、目の前に子どもが事故に遭いそうになり、間一髪で救ったのがきっかけで、その母親から子守りとして働いてほしいと頼まれて、物語が始まる。


でもね~。ここに出てくる「自分ってどういう人間なのか?」という問いかけに答えるのはとてもむずかしい。むろん僕も「あなたは自分のことをどう思っていますか?」と急に言われても、映画のヒロインと同様、たぶん何も答えられないだろうと思う。だから、よく何かのキャッチフレーズに「自分らしく生きよう」という言葉があっても、何が自分らしいのか、それが僕にはわからないのだからお話にならない。自分のことは自分が一番よく知っているはずなのに…ね。


この映画のヒロインが、その質問にひと言も答えられず、うろたえながら面接室を出て行くシーンは、僕にとっては何となくホッとするシーンであった。「そうだよね、自分がどんな人間なのかって、簡単には言えないよね」という共感を覚えずにはいられないから。

 

村上春樹の「スプートニクの恋人」という小説があるが、ここでも同じような話が出てくる。主人公の「ぼく」が、自分について語るとき、「自分とはなにか?」についていろいろ考えるところがある。僕の好きな一節なので、ぜひここで引用させてもらいたい。


世間の多くの人は(中略)驚くほど率直な表現で自分について語ろうとする。たとえば「わたしは馬鹿がつくくらい正直で開けっぴろげな人間なんですよ」とか、「私は傷つきやすく、世間とうまくやっていくことができない人間です」とか、「私は相手の心を見抜くのがうまい人間です」とか、そういうことを口にする。でもぼくは「傷つきやすい」人間が、他の人々の心を無用に傷つけるところを何度も目にしてきた。「正直で開けっぴろげ」な人間が、自分では気がつかないまま都合の良い理屈を振りまわすところを目にしてきた。「人の心を見抜くのがうまい」人間が、見え透いた口先だけの追従に手もなくだまされているところを目にしてきた。とすれば、我々は実のところ、自分についていったいなにを知っているというのだろう? (第5章の始まりあたり)


折に触れて「自分とはなにか?」を考えてみるとき、僕がいつも思い浮かべるのがこの小説のこの部分である。おかげで、僕はずいぶん気が楽になった。そんなことを、あえて考え、答えようと努力する必要もないし、「ありのまま」でいいんじゃないか。で、その「ありまま」というのが何か…ということも、掘り下げる必要は特にないんじゃないか…と。


コメディタッチの映画「私がクマにキレた理由(わけ)」を見て村上春樹の小説を連想した…という奇妙な話になってしまったけれど、映画や本の中でそうした「自分と似たような人」との出会いを見つけるのも、また楽しいことである。

 

 

 

 

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若き日の石原裕次郎

2013年05月01日 | 映画の話やTVの話など


ゴールデンウィーク前、BSで石原裕次郎の若い頃の映画「俺は待ってるぜ」が放映されたので、懐かしく見ました。1957年(昭和32年)ですから僕が小学生になったばかりの頃の映画です。モノクロで、映像も筋書きも少し暗い作品ですが、裕次郎の相手役は後に夫人となる北原三枝です。2人とも、とても若い(当たり前ですがな)。


映画のアタマで「製作・水の江瀧子、脚本・石原慎太郎」と大きな字幕が出ます。今の映画ではタイトルやスタッフ、出演者名などがいきなり冒頭に出てくることはほとんどありませんが、当時は必ず最初に出ていました。


慎太郎はご存知のように裕次郎の兄ですが、水の江瀧子という人は往年の大女優で、当時は映画のプロデューサーでもあり、若い裕次郎を自宅に下宿させるほど可愛いがった人でもあります。そしてあの「ロス疑惑」で一躍有名になった三浦和義容疑者の叔母でもありました(実は「隠し子」だったとの説も)。今は亡き三浦容疑者も、子どもの頃、自分の家にいた裕次郎に遊んでもらったことがあったと、何かで誇らしげに語っていたのを読んだことがあります。ま、それは映画とは関係ない話ですが…。


この映画で、裕次郎は、島木譲次という名前の役で登場します。


シマキ・ジョージ…?

      ↓

http://www.youtube.com/watch?v=0Sjf46nxWME



この名前って、特に大阪の人は聞いたことのある人が多いですよね。吉本新喜劇のお笑い芸人で元プロボクサーというあのオッサンですよね。そういえば、この映画の裕次郎も元プロボクサーの役で、ラストシーンでは、二谷英明演ずる悪漢を必殺のパンチで仕留めます。


石原裕次郎はこの時、まだ22歳ぐらい。いやぁ実に若い。可愛らしい。ただし、セリフが少し口ごもって、おまけに早口なところがあって、何を言っているのか聞きとれないところもいっぱいありましたけどね。


映画は、過去に喧嘩で誤って相手を殴り殺してしまった元プロボクサーで、今は小さなレストランのマスターをしている裕次郎が、ブラジルへ渡った最愛の兄への手紙をポストに投函するシーンから始まる。時刻は深夜のようである。そこで、波止場にたたずむ女(北原三枝)と出会う。そこから、まあこの時代の映画ですから、ゆっくりしたテンポで筋書きが展開されますが、いちおうミステリー仕立てになっています。2人の男女の関係は実にストイックで、この辺は今の映画ではなかなか見られない展開ですね。ちょいと物足りなかったですけど。


…で、ブラジルに渡っていたはずの兄が、実は渡航前に波止場の顔役(二谷英明)に殺されたうえ渡航費を奪われていたことをつきとめた裕次郎は、ラストで、封印していた右の必殺パンチを炸裂させて相手を倒す。北原三枝は、顔役の経営するバーの専属歌手だったが、最後は裕次郎と肩を寄せて暗闇に消えて行くのであった…という映画でした。北原三枝は、過去に暗い影を背負うミステリアスな女を演じていましたが、そのスタイルの良さが際立っていました。他に、チンピラ役で杉浦直樹が出ていましたが、背が高く、髪の毛も当時はフサフサ(笑)で、ハッとするほどのイケメンでした。この俳優さんも最近亡くなりましたね。


なにしろ55年ほど前の映画なので、こういう映画を見ていると、何かタイムマシンに乗って過去に戻ったような錯覚さえ起こります。その錯覚に酔うことが、昔の映画を見ることの心地よさにつながる…と言えるかも知れません。


石原裕次郎はこの映画から30年後、52歳の若さでこの世を去りました。1987年(昭和62年)のことですから、あれからも、もう25年以上の歳月が流れているのですね。死因は明らかにお酒の飲みすぎです。この人の飲酒ぶりがどんなものだったかについては、最近、石原慎太郎の「老いてこそ人生」という本を読み、そこに書かれていた弟・裕次郎の酒に関する壮絶なエピソードの数々を知り、仰天しました。それはもう、ものすごい飲みっぷりなのです。これでは早死するのも無理はない…と思うより他になかったです。


それについては、次に書こうと思います。

 

 

 

 

 

 

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大島渚監督「少年」の思い出 

2013年01月19日 | 映画の話やTVの話など

映画監督の大島渚さんの訃報に接して、真っ先に浮かんだ映画は「戦場のメリークリスマス」でも「愛のコリーダ」でもなく、「少年」という映画だった。

この映画は僕の人生に深く関わっている…といえば、何を大げさな、と笑われるかもしれないが、もう40年以上も昔に見た映画なのに、今も鮮明に思い出すのである。それほど強く心に刻み込まれた一作だった。

僕はこの映画を、20歳の時、大阪~北海道往復の自転車旅行をしている途中、東京の、たぶん新宿だったと思うけれど、「アート・シアタ・ーギルド」という小さなホールで見た。

自転車旅行をしたのは1969年(昭和44年)である。
6月中旬に大阪を出て、石川、富山、新潟、山形、秋田など日本海側の道路を北へ北へと走り、青森からフェリーで北海道に渡り、さらに北に向かってペダルを踏み続け、日本最北端の宗谷岬へ行き着いた。

そこからオホーツク海と太平洋側を走って本州に戻り、東北の東側を走った後、東京に入ったのが8月の中旬だった。大阪を出てから2ヵ月が経っていた。

その東京で何日か滞在していた折に、この映画とめぐり会った。

大島渚監督の作品は、少し前に「新宿泥棒日記」という映画を見ていた。前衛的というか、僕にはちょっと変わった映画だったので、この監督の作品は自分の感性には合わない…と思っていたけれど、「少年」はそれまでの大島作品とは異なる色合いを持った、日本列島縦断ロケを敢行したロードムービーである…ということで、僕もこの時、ロードライフ(←そんな言葉、あるんか?)を送っている身だったので、そこに惹かれるまま、映画館に入ったのだった。

映画のストーリーは、子供連れの中年夫婦が、子供にわざと車に当たらせて運転手から賠償金をむしり取るという、いわゆる「当たり屋」の話で、実話に基づいたものとされている。

最初の頃は、当然ながら車に当たることを拒否していた少年だが、事情を理解し始め、当たったらおこづかいをもらえることにも動かされ、やがて母(小山明子)に、自分から「やろうか? 仕事…」と言うようになる。

そして車に飛び込む少年。実にうまく、車に触れただけで大げさに転倒する。母が半狂乱になって駆けつけ、少年を抱き上げる。父は物陰に隠れている。運転手が出てきて「お金だったらいくらでも払います。どうか示談で!」と顔を真っ青にして懇願する。

一ヵ所で仕事を続けると足がつくという理由で、一家は住む家も持たず、当たり屋で生計を立てながら、転々と場所を変え、旅をする。

スクリーンから滲み出てくる少年の孤独感が、2ヵ月間一人で旅を続けてきた僕自身の寂しさと重なり合い、見ていて切ない気持になった。

さらに、何よりも驚き、息を呑んだのは、一家が転々とする場所というのが、富山、新潟、秋田など、僕が自転車でたどって来たのとそっくりそのままの行路だったことである。映画の中の各地のシーンには、この旅で僕が目にしたばかりの風景が、いくつもあった。

そして一家は北海道に渡り、当たり屋稼業を繰り返しながら、とうとう最北端の宗谷岬まで来てしまうのだ。親子3人が、宗谷岬の「日本最北端の碑」の前で茫然と立ち尽くすシーンでは、思わず身を乗り出し、胸が熱くなった。

つい1ヶ月前に、僕もこの最北端の碑の前に立っていた。自転車旅行のきっかけは、日本最北端まで行きたい、という衝動だった。そして北へ北へとペダルを踏んで、夢にまで見た最北端にたどり着き、北の大地も、そして日本の国も、ここで果てるのか…と感無量の思いで彼方の水平線を眺めたのだった。

映画では、少年が、最北端の碑の前で、これ以上遠くへ旅を続けられないことを悟り、ポツンとこんなことを言う。

「もっと、日本が広ければいいのにね」…と。

この言葉が、今でも僕の脳裏に焼きついている。

1969年の「少年」は、大島渚監督がまだ30代後半という若い頃に作られた映画だった。その後、さまざまな「問題作」を世に送り、何かと論議を引き起こすという、きわめて異彩を放ってきた人であるが、僕にとっては、「少年」という、哀切に満ちた、思い出深い一作を贈ってくれた監督として、これからも記憶の中に残り続けるだろうと思うのである。

 

  


    

 

 

  ↑ 1969年7月。日本最北端の碑。


  ↓ そこで他の観光客の人に撮ってもらった1枚。
    真夏だというのに、寒さが身に沁みました。

  

 

 

 

 

 

 

 

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キムタクと山口智子 ついでに日本シリーズ

2012年10月31日 | 映画の話やTVの話など

「月9ドラマ」にキムタクが久々に登場している。
「PRICELESS」 という、むずかしいタイトルのドラマである。
かと思えば、火曜日には山口智子が復帰したドラマが始まっている。
こちらは阿部寛との共演で「ゴーイング マイ ホーム」というドラマだ。

キムタクと山口智子といえば…
これはもう、言うまでもなく、
「ロングバケーション」ですよね~

「ロングバケーション」の第1回目を見ましたか?
僕は今でも、あれだけ強烈なドラマの冒頭を見たことがありません。

山口智子が花嫁衣裳のままで、裾をまくりながら街の中を走って行く。
そして、とあるマンションの階段をハァハァ息を切らせて駆け上がる。
その一室の前に来て、彼女はドンドンドン!と思い切りドアを叩く。
ドアが開いて「はぁ…?」と出て来たのが若き日のキムタクだった。

山口智子は、その日は結婚式を挙げる日であった。
しかし、式の当日になっても相手の花婿が来ない。
彼女は花婿が住むマンションへ疾走するのである。
その花婿のルームメイトが、キムタクだったのだ…

花嫁姿の山口智子を見て「はぁ…?」と驚くキムタクの表情がいい。
とてもいい。 見ているほうまで、はぁ…???という気持ちになる。
僕はそれ以来キムタクのファンになり、妻も大ファンになった。

1996年のドラマだというから、もう16年前のことになってしまった。

かなり前のことだけれど、どこかの新聞で過去の人気ドラマの特集があった。
「あなたの思い出のドラマ」というアンケートの特集記事だったけれど、
人気が高かったベスト5に、この「ロングバケーション」が入っていた。
他は「北の国から」「東京ラブストーリー」「大地の子」「太陽にほえろ」だった。

それだけ、この “ロンバケ” の人気はすごいものがあったのだ。

その「ロングバケーション」の再放送が、先週から始まった。

なんで今、再放送なん…?
…と思うと、答えは簡単だった。

キムタクの「PRICELESS」も、山口智子の「ゴーイング マイ ホーム」も、
いずれもフジテレビだから、その宣伝の一環として、
“ロンバケ” の再放送を流しているのだろう。

でもね。
この企画は、今の2つのドラマよりも、ず~っと“ロンバケ”のほうが面白いよ…
…と、フジテレビが、むしろそちらのほうを宣伝しているようなものである。

今回はキムタクの役どころも複雑で、話の筋にもついていきにくい。
山口智子は共演の阿部寛の陰に隠れがちで、
しかもぽっちゃりと太り、昔の面影が薄れた。

“ロンバケ” は、以前再放送されたときビデオテープで録画したが、
今ではテープも処分してしまった。

ちょうど良い機会なので、今回、改めて録画しているところだ。

これでもう、いつでも好きなときに見られるのでありがたい。
特に、食事の支度をしながら見るのには、おあつらえ向きだ。

今どきのドラマはどこかひねり過ぎたり、現実から浮いていたりする。
(韓流ドラマが人気があるのは、展開が正統だからだろう)

“ロンバケ” も非現実的な話かもしれないが、男女の心が滲み出ているし、
ストーリーも素晴らしい。 今でもこのドラマを見ると、胸がときめく。

キムタクと山口智子の2つの新しいドラマのおかげで、
「ロングバケーション」 の再放送が実現したのだから、
この2つのドラマには心から感謝しているところである 

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ところで話はコロッと変わりますが…

プロ野球日本シリーズ第3戦は札幌ドームに舞台を移したが、
巨人がいいところなく完敗を喫して、日ハムが今シリーズ初勝利。
対戦成績は巨人の2勝1敗となったが、
なにやら暗雲が立ち込めてきた感じがする。

それにしても第2戦は珍しい試合だった。
1回裏、巨人の先頭打者長野が放った右中間のフライは、
打った瞬間が普通の外野フライかな、と思ったけれど、
あらら~という感じで、スタンドに入る先制本塁打になった。

試合はそのまま1対0で巨人が勝った。
僕はテレビのニュースなどを見てから野球中継をかけたりするんだけど、
この日は最初から見ていた。 おかげで長野のホームランを見ることができた。
いつものように2回表くらいから見ていたら、肝心のシーンを見逃すところだった。

以前、巨人が大阪ドームにやって来たので、仕事を終えて見に行ったことがある。
相手はヤクルトだったが、終業間近に来客があったりして、職場を出るのが遅れた。

球場に着いたとき、1回の両軍の攻撃は終わっていた。
スコアボードを見ると、巨人が、1回に3点か4点かを先制していた。
試合はそれ以降、巨人にまったく得点が入らず、そのまま試合は終了。
巨人は勝つには勝ったけれど、結局その1回の得点がすべて…
一番いいシーンを見損なって、僕はがっかりした。

そのことを思い出させるような先日の第2戦だったが、
先頭打者の先制ソロホームランで1対0のまま終わる…
というような試合も、めったにお目にかかれない試合ですよね。

巨人は札幌でもそのまま勝ち星を重ねるかと思いましたけど。
甘くはありませんね。
むしろ、長野の本塁打の後、得点できなかったのが、最後に響いてくるかも…

どうも、巨人ファンとして、悪い予感がするんだなぁ。

 

 

 


 

 

 

 

 

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