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信州上田の六文銭、今、上田市は『真田丸』で盛り上がっています。
のぼり旗の真田3代は、真田一族で、真田幸隆・昌幸・幸村(信繁)です。
幸隆の出生は不明のようですが、出身は信濃小県郡の名族海野氏とのことです。
後に、武田晴信(信玄)に仕え、砥石城の攻略で名を馳せ、信濃先方衆として活躍します。
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11月3日文化の日は、恒例の『砥石・米山城まつり』、紅葉の山城跡は大賑わいです。
砥石城(といしじょう)と米山城(こめやまじょう)の麓に、勇壮な和太鼓が響きます。
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砥石城近くに住む子供たちは、勇ましい甲冑姿で家の玄関を出て戦場に向かいます。
米山城を仰ぎ、これから戦いに臨むつわものでしょうか、集まり始めております。
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砥石城も米山城もかなりの急勾配の山城、、ハァハァ、ゼェゼェで登ります。
砥石城(戸石城)は、本城の北に枡形城、南西に米山城、南に砥石城の複合城郭です。
当初、海野氏が治めていたのですが、海野氏は村上武田連合軍に敗れ滅びていきます。
その後、勝った村上義清が治め、小県郡・佐久郡方面の拠点として大改築されました。
一方、海野氏の末裔真田氏は、密かに砥石の城の取戻しを夢見ていたそうです。
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画像は祭りのメインイベント、米を水に見せかけて馬を洗う「白米伝説」の再現です。
義清が武田信玄に攻められた際、1ヶ月にも及ぶ包囲網により城の水がなくなりました。
落城寸前のその時、米蔵にあった白米を桶に入れて馬の背中を洗ってみせたそうです。
武田勢「馬を洗うほど水が有るなんて、とんでもねえ城だ」と退却を始めたそうです。
義清は、この時と一気に攻め降ろしたとのこと、これが「武田の砥石崩れ」です
なお翌年、真田幸隆によって砥石城はあっけなく落され、村上義清は越後に落ちます。
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