「東京の亜熱帯」の見出しに誘われ、3月末に八丈島へ行ってきました。
東山と西山の合間に空港があり、図中の青線は滑走路で長さは2000mです。
今回はパッケージツアー、至れり尽くせりで八丈島を見せていただきました。
観光バスは町営バス、ガイドは自称“伊藤みどり”さん、楽しいバスの旅でした。
空港からバスで20分ほど、八丈富士とも呼ばれる西山の中腹にある牧場です。
正面は標高701mの西山で、通称三原山と呼ばれているそうです。
八丈島は今、フリージア祭りの期間中、黄、白、紫、赤色の花がいっぱいです。
ここは八丈富士の麓にある祭り会場、一人20株までの摘み取り体験ができます。
画像中央の竹べらを使い、球根ごと掘り採った二人分の花束が画像右です。
かっての八丈島は「鳥もかよわぬ」といわれたほどの絶海の孤島だったとか。
慶長11(1606)年、豊臣5大老の一人宇喜多秀家は33歳の若さで八丈島への流罪に。
以後、離れて暮らした愛妻の豪姫と、今は南原千畳敷の海岸で並んでいます。
この海岸は八丈富士からの溶岩で、玄武岩の台地は長さ500m、幅100mとか。
大里地区の玉石垣、この日は雨降りだったこともあり風情が一層高まります。
玉石の積み方は六方積み、ガイドさんの右手の石を中心に6個の石で組まれます。
六方で玉石を固定し、石の隙間は土のみ、この神業職人さんは現在2名だけとか。
右側の玉石垣は上部が反る貴重な組み方で、陣屋跡のここだけで見られます。
東山方面に上る坂の途中には、北西方向に視野が広がる展望スポットがあります。
左には八丈小島、右には八丈富士(標高854m)山麓には集落が点在します。
眼下は畑、アシタバや観葉植物のフェニックス・ロベレニーが栽培されています。
樫立地区には、江戸時代に「お舟預かり」役だった服部家の屋敷跡があります。
お舟預かりとは、年貢の黄八丈を納める御用船役所、代官に次ぐ要職だそうです。
今はそこで、樫立の手踊りや八丈太鼓、観客と一体でのショメ節が披露されます。
ショメ節は八丈島民の愛唱歌とか? ショメの語源は梅干塩梅や潮目だそうです。
黄八丈は、八丈島に伝わる絹織物で、国の伝統工芸品に指定されています。
黄色の染色原料は全国どこにでも普通にあるイネ科の「コブナグサ」だそうです。
コブナグサで染めて淡赤紫色に、これをサカキとツバキの灰汁で媒染して黄色に。
黄色を主体に樺色と黒色の糸を配し、多彩な縞や格子柄が織りだされるのだとか。
日本最北限の自生ヘゴが生い茂る坂道を登ると「裏見ケ滝:うらみがたき」です。
ヘゴの他にも様々なシダが、八丈島には100種以上のシダ植物が生育するようです。