信州自由人

のぐケーンのぶろぐ

クラゲの癒し

2015年11月28日 | 動物

山形県の鶴岡市立加茂水族館は、クラゲの飼育や展示の種類が世界一とのことです。
この水族館、かって《老朽・弱小・貧乏》の三重苦に陥り、存亡の危機に瀕していたとか。
それを救ったのがクラゲ展示への挑戦、職員の不屈の闘志が今に繋げたのだそうです。
始めて訪れ、職員の皆さんの現場力とクラゲの動きに魅せられてファンになりました。


ノーベル化学賞を受賞した下村脩さんの研究対象で脚光をあびた「オワンクラゲ」です。
このクラゲが持つGFPというたんぱく質が、鮮やかな緑色の蛍光色を発するとのことです。


りきむことなく、気持ちよさそうに水に身を任せて浮遊するのは「オキクラゲ」です。
漆黒の宇宙を漂うがごとくクラゲの神秘的な世界、ボーとして見入るのみです。
スローテンポで傘を舞わせる非日常性な世界が忙しい現代人を癒してくれます。


癒やしで人気となったクラゲ、その効果は科学的にも検証されているそうです。
「あのヒラヒラを鑑賞すると癒やしの脳波が出てくる」との報告があるとのこと。
ほんわかと水に浮かぶ「アトランティックシーネットル」と「ギヤマンクラゲ」です。


『クラゲ栽培センター』では、ミズクラゲがどのように増えていくのかを観察できます。
赤ちゃんクラゲは非常に小さいので顕微鏡画像で大きく写して紹介されています。
画像右が拡大図で、丸い個体は傘を閉じた状態、星形の個体が傘を開いた状態です。


“肩の力を抜いている”かのような「カブトクラゲ」と「パシフィックシーネットル」です。
   「ただ水に流されて生きる“脱力系”の様子が魅力。
       多くの人が、魚に比べ3~5倍くらいゆっくり時間をとって見ていく」
これは、現館長の奥泉さんが副館長のころお話になったクラゲの魅力だそうです。


宇宙にまたたく天の川を演出するのは「シンカイウリクラゲ」と「サビキウリクラゲ」です。
サビキウリクラゲを近くで見ると、七色の光を発し、非常に美しく輝いています。


ミズクラゲ属のクラゲを中心に、いくつかのクラゲ画像を貼り付けました。
8本の足に見える付属器がタコを思わせるタコクラゲの仲間、愛嬌いっぱいです。
画像左下は、巨大な群が漁網に充満するなどで話題になる「エチゼンクラゲ」です。
右下は、おもちゃのようで可愛く、カラーバリエーションも豊富な「カトスティラス」です。


人影が映る大きな水槽は『クラゲドリームシアター』、クリスマスツリーも瞬きます。
闇の宇宙にミズクラゲがゆらゆらと漂う直径5mの水槽が光る、癒しと感動の空間です。


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北陸へ“かがやき”

2015年11月23日 | 旅行

遅ればせながら北陸新幹線の開通を祝い、2泊3日の北陸ツアーを満喫してきました。


長野駅に入ってきた車両は、かがやき503号、快適な車中、あっという間に金沢です。
そこから観光バスで北陸自動車道を走り、11時20分には『東尋坊』に到着しました。
日本海の荒波を砕く絶壁は安山岩の柱状節理、大規模な名勝地は国の天然記念物です。


曹洞宗の大本山『永平寺』、たくさんの修行僧がきびしい修行に励んでいました。
画像左は「ゆく年くる年」で放送される除夜の鐘でお馴染み、永平寺の鐘楼堂です。
画像右は山門の四天王、平成の修復を終えて存在感を増した仏教の守護神です。


ここは富山県南砺市にある世界遺産、五箇山地方の菅沼合掌造り集落です。
合掌造りとは両手を合わせる合掌の型の屋根、豪雪対策のための急勾配の茅葺きです。
菅沼の特長は、画像のように家の入り口が妻側にある“妻入り(つまいり)”です。
塩硝の館では、当時の発酵バイテクを利用した黒色火薬原料の煙硝製法が見られます。
画像左下の赤紫色のかぶは五箇山地方の在来種、漬け物のサクサク感が抜群でした。


南砺市井波には、井波彫刻・建築・塗師の粋が結集した『井波別院瑞泉寺』があります。
上左側は、太子堂の向拝(こうはい)の手挟み(たばさみ)に施された桐と鳳凰の彫刻です。
下左は、瑞泉寺前通りで見つけた粋な木彫りの看板や家長の干支が彫られた表札です。
また、彫刻が施されたバス停や電話ボックス、昔懐かしいポストなどが楽しめます。


美術品と日本一のサービスの館、和倉温泉加賀屋は“竜宮城”の世界でした。


奥能登輪島の朝市は大賑わい、道の両端には300mほどにわたって出店が並んでいます。
輪島といえば輪島塗、塗りが30回以上、塗っては乾燥・磨きを繰り返すのだそうです。
仕上げまでには100工程以上の手間をかけ、1年前後を経てようやく完成とか。
画像の左上は名匠の作品 『飾皿双蝶』、値札には50万円、芸術品です。


千里浜なぎさドライブウェイは、波打ち際を自動車で走れる、国内唯一の海岸です。
沈まないわけは、砂の粒子が非常に細かく海水を含むと固く締まるのだそうです。
その砂の性質を利用し、精巧な細工を施した大きな砂像(さぞう)が見られます。


加賀百万石の誇りと風情を今も残す伝統文化の街、『ひがし茶屋街』です。
木虫籠(キムスコ)と呼ばれる美しい出格子のある通り、着物姿の似合う街です。


加賀歴代藩主により、様々な時代の庭園手法を駆使してつくられた名園 『兼六園』 です。
兼六園とは、六つの相反する景観を調和させ、対照の美を演出したことによるそうです。
“宏大”な広くて明るい庭でありながら、“幽邃”の境地の静寂と奥深さを備えている。
“人力”が庭園の隅々まで入りながら、林内には苔がむすなど“蒼古”の趣も備えている。
低地に集まるのが常の“水泉”は豊、一方で、能登まで見通せる“眺望”を備えている。
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働きもんの手

2015年11月14日 | 動物

今日14日(土)は朝から雨降りですが、昨日は好天で家庭菜園をスコップで耕しました。
周りのキクやハナビシソウの花には、セイヨウミツバチが蜜を集めて働いています。
穏やかな秋景色の中、スコップの先に突然モグラが見え、ビクッとしました。
そのモグラは獣などに襲われたのか、背中に傷を負い、息絶えておりました。


めったにないチャンス、モグラには失礼と思いながらも、写真を撮らせてもらいました。
画像は右手(右前肢)ですが、厚くて大きく “働きもん” らしいりっぱな手です。
手のひらには指紋はなく、うろこ状の小さな切り込みがたくさん見えます。
鳥の仲間の足にもうろこ状が見えますが、爬虫類からの進化のなごりだそうです。


目も耳も毛に隠れて見えませんが、長い鼻先だけは毛がなく、露出しています。
鼻には地中の振動を感じ取る感覚器官があり、獲物の動きを感じて狩りをするのだとか。
手は横向き、平泳ぎのようなポーズで土をかき崩し、掘った土を後方に送るのです。
この手のかっこうでは、さぞかし地表は歩きにくいでしょう。


後ろ足は推進力として使うので普通に下を向き、しっぽは短い棍棒状です。
モグラは毛の生え方にも特徴があるようで、垂直に立っています。
これは、狭い穴の前進やバックの際、毛がひっかからないためと考えられているようです。
さて、モグラの縄張り範囲は100坪ほどとか、菜園には新たな主がやってくることでしょう。


菜園に残ったトマトの実とヤマモミジの葉が朱色の美を競っています。
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砥石・米山城まつり

2015年11月07日 | 風物詩

信州上田の六文銭、今、上田市は『真田丸』で盛り上がっています。
のぼり旗の真田3代は、真田一族で、真田幸隆・昌幸・幸村(信繁)です。
幸隆の出生は不明のようですが、出身は信濃小県郡の名族海野氏とのことです。
後に、武田晴信(信玄)に仕え、砥石城の攻略で名を馳せ、信濃先方衆として活躍します。


11月3日文化の日は、恒例の『砥石・米山城まつり』、紅葉の山城跡は大賑わいです。
砥石城(といしじょう)と米山城(こめやまじょう)の麓に、勇壮な和太鼓が響きます。


砥石城近くに住む子供たちは、勇ましい甲冑姿で家の玄関を出て戦場に向かいます。
米山城を仰ぎ、これから戦いに臨むつわものでしょうか、集まり始めております。


砥石城も米山城もかなりの急勾配の山城、、ハァハァ、ゼェゼェで登ります。
砥石城(戸石城)は、本城の北に枡形城、南西に米山城、南に砥石城の複合城郭です。
当初、海野氏が治めていたのですが、海野氏は村上武田連合軍に敗れ滅びていきます。
その後、勝った村上義清が治め、小県郡・佐久郡方面の拠点として大改築されました。
一方、海野氏の末裔真田氏は、密かに砥石の城の取戻しを夢見ていたそうです。


画像は祭りのメインイベント、米を水に見せかけて馬を洗う「白米伝説」の再現です。
義清が武田信玄に攻められた際、1ヶ月にも及ぶ包囲網により城の水がなくなりました。
落城寸前のその時、米蔵にあった白米を桶に入れて馬の背中を洗ってみせたそうです。
武田勢「馬を洗うほど水が有るなんて、とんでもねえ城だ」と退却を始めたそうです。
義清は、この時と一気に攻め降ろしたとのこと、これが「武田の砥石崩れ」です
なお翌年、真田幸隆によって砥石城はあっけなく落され、村上義清は越後に落ちます。
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