めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

幸せな人生を送る為に

2017-04-15 14:37:22 | 日本人

災害は、忘れた頃にやって来る、と言いますが、
不幸は、忘れた頃にやって来る、とも言えます。
つまり、楽しい思いでいる時にやって来る悲しみは、
人々にとって、一番のストレスと成るのです。

その為、禍福は糾える縄の如し、と言って、昔から
人々に油断しない様に、常に万事に備えることが
大切で有ると諭しているのです。

私達は、生まれた時から、死に向かって進んでいきます。
死を不幸と捉えるか、どの様に解釈するかは、人其々ですが
人生に於いて、全く思いとは逆の立場を体験するのが人の常
とも言えます。

しかしながら、誰しも、いつも幸せで楽しい人生を送りたいと
思っています。
その為、勉学に勤しんだり、仕事を頑張ったりして、何とか
いつも楽しい思いを感じていたいと思うのですが、実際は、
本人の意向とは関係なく、思いがけないアクシデントや不幸が
襲ってくるものです。

つまり、人は生きている限り、幸せを感ずると共に不幸を味わう
運命に在ると言えます。
どんなに努力をしても、人其々の不幸が待ち受けているのであり、
避けようと努力すればするほど、遭遇した時の苦しみ悲しみは
大きいものです。

とは言うものの、この幸せ不幸せは、本当にあいまいな定義であり、
10人いれば、誰しもその基準が違っているものです。
もし、同じとすれば、それは、メディアやネットを通じ、共通の
価値観を植え付けられているからと言えます。
一般に、人と違う事にもストレスを感じやすい日本人に在っては、
他の人と同じ考えであることに安心感を覚えやすいのも
不幸を感じやすい民族と言えます。


また、自分が不幸と思っている事でも、時には、他人にとっては
幸せと成っている事が多く、争いに於いて、同じように戦っても
勝者敗者を決めることで、簡単にその思いは変わってしまうのです。
更には、どの程度ストレスを受け入れられるかで、苦しみの程度が
変わって行くもので、スポーツを得意とする人にとっては、
とても楽しいゲームであっても、苦手とする方にとっては、
非常に苦痛と成る場合も有るのです。

つまり、楽しいか苦しいかは、あくまで本人の個人的な見解であり
例え、社会的に絶対多数を持って、楽しいと思われる事でも
個人的には、全く楽しくはない事が有るのです。
しかし、生きて行く為に大切な事は、苦痛を感じながら生きるのではなく
一生楽しく生きる事であったはずです。

日頃の努力も、仕事に精を出し収入を得る事も、全てが、自己を満足させ

楽しい人生を送っていると納得したいが為なのです。
ならば、常に、幸せな事を続ければ、幸せで在り続けるかと言えば、
人間は面倒な動物であり、その幸せが、次第に不幸に変わる事も有るのです。

本当は、誰よりも幸せな生活を送っている様に見えて、本人にしてみれば

非常に不幸である場合が有るのです。
先人の教えである、幸せと不幸せは、交互にやって来るから、例え幸せでも
次の不幸に備えなさい、と言うのは、幸せになり続ける条件とは言えないのです。
人生に於いて、生まれて死ぬまで、何事もなく、幸せな一生であった、
と言うのは、あくまで、不幸を味わった人が感じるものであり、実際は
どちらとも言えないのが事実と言えるのです。

多くの人々が、幸せな人生を送りたいと思う為には、幸せを浮き彫りにする

不幸せが無いといけないのです。
しかも、その不幸が自分にとってマイナスのイメージではなく、次の幸せを
生む大切な条件であると思えなければならないのです。

苦しみが幸せを生み、苦しみの思い出が幸せをより豊かに感じるのです。

スポーツに親しむ人々が、何故、苦しい練習に明け暮れなければならないか、
それは、苦しい練習に絶えることで楽しい結果を得られると言うのではなく、
苦しければ苦しい程、得られた結果がより幸せに感じるのです。
つまり、一生楽しい人生を送ると言う事は、楽しくない人生を送る事であり、
自分にとって本当に楽しい人生と言うのは、本当に苦しい時期が無いと
実感できないのです。

時に、高僧が、常人には考えられない過酷な修行を行います。

普通の人の人生では、到底想像できない様な、苦しみの毎日を過ごします。
何故、それ程にも、自分を苦しめ傷つけるのでしょう。
人間の限界まで自分を追い詰めることで初めて、日常の普通の生活が
如何に素晴らしい事であり、周囲に生かされている幸せを実感するのです。
苦しい修行で、心身ともにスーパー人間になる為ではないのです。

私達は、幸せになる為に、自分に無い物、豊かな生活を手に入れれば

きっと幸せな人生を送れると思ってしまいます。
しかし、いくら欲しいものを手に入れても、本当に満足する事無く
果てしない欲望の罠に掛かってしまうのが落ちです。

満足するのは、自分であり、手に入れたもので満足するのではありません。
自分自身が、この世に存在する事の喜びを感じられないと、いくら他人の
持っている物を欲しがっても、地位や名誉を手に入れたとしても、それは
他人から見た価値であり、自分自身を変えるものでは無いのです。

その為、身に付けたものが無くなった途端、周囲に居る人は、まるで

蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまうのです。
私達は、高僧の様に、自分の身体を極限の状態に持って行く事は出来ません。
ならば、幸せになれないとする、他人より不幸と思う気持ちを、次なる
幸せの糧と考えることが重要です。

生活が苦しいから、お金が無いから不幸だと言うのではないのです。

この苦しみは、次なる幸せの為の大切な条件なのです。
幸せな人が幸せになっても、つまりお金持ちが更にお金持ちになったとしても
それ程感動は無く、ただ、他人と比較して喜ぶ、自己満足に過ぎません。

人は、自分の心の苦しみから脱した時、大きな満足を得るのです。

人生に於いて、不幸と言うのは、他人との比較で生まれるものであって
自分に生じる全ての現象には、不幸は無いのです。
不幸と感じる気持ちが苦しく悲しい気持ちを作っているに過ぎないのです。

結婚式の時、病める時も健やかなる時も、と言う言葉の意味は、

病める時が不幸せで、健やかなる時が幸せな時と言うのではなく
どちらも二人にとって大切な時であることを言っているのです。
これを、幸不幸と考えると、不幸だと思った時、結婚生活は
破たんを来たしてしまう事が有るのです。

病める時は、我慢をして頑張ると言うのではなく、そういう時期が有って

当たり前であり、この時期が次なる幸せをより幸せにしていくと言う事です。
何かのアクシデントに見舞われたり、上手く行っていたことが突然、
ダメになったとしても、それを不幸と感じて、自分自身を否定したとて
何の成果も生まれないのです。

悪い時も良い時も、生きている限り人生は進んで行くものです。

どの様な心で受け入れることが出来るかで、その後の人生が変わって行きます。
多くの苦しみを体験してきた人は、幸せの価値をより知っていて、より充実した
人生を送る事が出来るのです。

人生に於いて、一番大切な事、それは、諦めない、自分を否定しない心を

常に持っている事です。
禍福は糾える縄の如し、とか、沈んだ太陽は必ず上って来るとか、その手の
諺は履いて捨てるほどあります。
いずれも、幸不幸は繰り返すのが当たり前と言っているのです。
そんな人生で、一喜一憂して、自分の生き方を変えていては、せっかくの
楽しい思いが減ってしまうのです。

誰もが、幸せを感じられる様に成っているのです。

しかし、この幸せは、自分自身の心の中で、苦しみの比較として感じられないと
外見的な物では手に入りません。
不幸と思われる出来事や苦しみの時間は、より豊かな幸せの為の大切な時間です。
そこから逃げようとせず、しっかりとその時間を感じて、そんな中に生きている
自分自身の存在を感じると、次に訪れる幸せの時がより輝き価値が出るのです。

世の中には、自分では耐えられない様な境遇で幸せに生きている人は、

幾らでもいるものです。
人生にどん底だと思っていても、それを天国と考えるもっと深い底に居る人は
至る所にいるのです。
生きている時自分が遭遇する出来事は、全て自分を幸せにするスパイスです。
病める時も、健やかなる時も、どちらも幸せで在り、どちらも受け入れられれば
不幸な人生は有り得ないのです。

 

 


日本に核ミサイルが落とされる日

2017-04-14 17:20:23 | 戦争

今や、日本人の多くの脳裏にちらつき始めた黒い影は
日本国土に、核ミサイルが到達した時の事です。
誰もが、心の底で不安に思い始めているのは、日本周辺で
戦争が勃発する事以上に、また、新たに、核爆弾によって
多くの日本人が犠牲になる事です。
広島長崎の悪夢が蘇ります。

人類史上、二度にわたる核攻撃を受け、多くの尊い命が奪われ
いまだに、人々の心に深い傷跡を残しています。
何度も、核兵器撤廃の宣言をしようも、今だ、世界中から
核の恐怖が無くなる事は無く、今だ、核兵器は、より殺傷能力を増し
増え続けています。
もちろん、日本政府も、その最悪のシナリオも考えて、米軍と共に
対策を練っているかとは思いますが、戦争は、思い通りにならないのが
過去の例を見ても解ります。

もし、東アジアで新たに戦争が起こったら、更には、核が使用されたら
それこそ、人類史上最悪の犠牲者が生まれるかも知れません。
日本人が、またもや犠牲にならないと誰も言えないのです。
しかし、その可能性は、非常に大きくなっているのが現状です。
一発でも日本本土に直撃すれば、その時の被害の大きさは、
想像を絶するものと言えるでしょう。

都市部に落ちれば、数十万数百万の犠牲者が出る事も考えられ
放射能による影響は、更に多くの人々の未来を変えてしまいます。
過去の戦争の時以上に、人々の生活はあらゆる機能がコンピューターで
繋がり、高度な社会システムによって成り立っている事から、
一都市が壊滅する程の被害を受けた場合、人的物的な損害以上に
日本社会自体が長きに渡って麻痺してしまう可能性もあります。

近年、震災で多くの方が苦しい生活を強いられ、何年にも渡って
避難生活を強いられています。
今や、全国的に頻発する地震や自然災害は、災害列島と言われるほど
深刻な問題と成っています。
ちょうど一年前に起こった熊本地震は、日本中からの沢山の援助で
次第に復興しているとはいえ、今だ、数万人の方々が、元の生活に
戻れず、借家住まいを余儀なくさえています。

もちろん、東日本大震災の傷跡も癒えず、6年経っても、元の生活に
戻ることも出来ず、更には、放射能汚染で、汚染された故郷は
住宅街以外は、あの日から変わらず汚染されたままの自然が
人々の生活を取り囲んでいるのが現状です。

正に今の日本政府は、被災者たちと生活を再建したり、破壊された
自然を取り戻す事は出来ないのです。
メディアを使って、復興を演出していますが、その報道は、極めて
当局に有利な演出が見て取れ、日本中が注目すると思われる所しか
発表しません。

東日本大震災の場合も、何度も取り上げられる場面は決まっていて、
広い東北の山間部や一部の小さな集落の被害は全く報道すらされず、
今だ苦しい生活を強いられています。
この事は、熊本地震に於いても同じ事が言え、城の修復や、大きな
被害を受けた都市部の報道はされても、山間部や、小さな村落には
殆ど取材の目も向けられず、何もない状態で一年を過ごした方々も
多く居るのです。

この様に、災害復興と言え、その支援の手は、平等とは言い難く、
常に、政府の都合の良い様に、業者に有利な報道と成っているのです。
この事は、今の緊迫した状態であっても、同じ事が言えるのです。
もし、戦争が起こって、日本国民が戦火に晒されても、報道的に
有益と思える惨事は伝えられても、政府やリーダー達にとって
プラスとならない報道は国民に知らされないのは事実です。

戦争が起こるかもと言う緊迫した状況に在る極東アジアに於いて、
日本ほど、のんきに太平の世を過ごしている国はありません。
報道規制によって、国民をむやみに不安がらせない様にしている
のかも知れませんが、ミサイルを放たんとしている国は、連日
全国で、戦いに備え、準備を整えつつあると言われます。

正に、日本が、第二次世界大戦に突入する時と同じであり、
鬼畜米英、富国強兵と、国民に戦争をする為の準備をさせていたのと
全く同じ戦時体制を敷いています。
子供達には、如何にアメリカやその同盟国が、悪魔の象徴であり
自分たちは、正義の象徴であるかを強調し、一方的な洗脳により、
国民全体を戦争に巻き込んでいく最悪のシナリオがつくられています。

アメリカの腰ぎんちゃくである日本は、当然、敵国であり、殲滅すべき
存在として標的と成るのは間違いなく、国内にアメリカ軍の基地が
存在している事は、ミサイルの標的が存在していると言う事です。
今や、日本のどこかが火の海となる可能性は高く、その事実に対して
何のリアクションも無い日本政府は、国民が犠牲になる事は
やむを得ずとしているのでしょうか。

戦争の悲惨さは、報道で伝えられずらい事です。
様々な危険性や報道規制の下、世界に流される事は、単なる経過報告に
過ぎず、多くの人達が、どれ程残酷な状態で殺されたかの報道は、
殆ど成されていないのです。
その為、日本人の様に、戦争から長く遠ざかっていると、しかも
体験した事のない国民が多くなって来ると、その残酷な事実が
いつの間にか消されて、戦争になっても、大したことが無い様に
思ってしまうのです。

ゲームや映画と違うのは、目の前で、今生きていた人が肉片に成ったり、
親しい人が、虫けらのように殺されてしまう事です。
自らも危険な目に遭う可能性が強く、殺されなくても、一生を棒に振る
大けがを負う事も有るのです。
戦争は、人間が一番嫌う事が常に起こってしまうのです。

今突然、核ミサイルが東京のど真ん中に着弾したとしたら、一体どうやって
生き残る事が出来るでしょう。
例え運よく助かったとしても、その後の放射能による後遺症や、怪我に依る
様々な不全症と成ったら、一体誰が助けてくれるでしょう。
それこそ、地震の時の復興とは、比べ物にならない惨事が予想されます。

連日報道される、有識者や専門家の推測がいかに無意味であるかが解ります。
ミサイルを放つ側は、報復を恐れて、国中を要塞化しています。
国民一人一人に、侵略者を殲滅する命が伝えられ、その訓練に
明け暮れています。
方や、日本は、のんびりと平和を謳歌して、何の準備も有りません。
日本政府は、本当に、ミサイルは飛んで来ないと思っているのでしょうか。
それとも、飛んできても、自分達は生き残れるから大丈夫と
思っているのでしょうか。

東日本大震災が起こる前と同じく、高を食っていて、いざ起こると
想定外と言って逃げまくるのでしょうか。
国民に、安心安全を保障するのが政府当局の義務で在るはずです。
それ程にも、防衛システムは完璧なのでしょうか。
例え、戦争が勃発して、ミサイルが発射されても、決して
我が国には危害が加わらないと親方アメリカを信じているのでしょうか。

例え日本を標的にしないとしても、アメリカ軍基地は、確実に

標的と成っています。
つまり、正確に軍事基地にミサイルが撃ちこまれたとしても、
日本人に被害は出ないと、誰が言いきれるのでしょう。
もしもの事が有ったら、国会を解散して、次の党に任せれば良いと
トカゲの尻尾切の様な責任転嫁を考えているのでしょうか。

しかし、次期政権が決まったとして、その後の復興は、思う様に

行かない事は、東日本大震災で解っているはずです。
ならば、もし、有事となった時は、国民は、どの様にその危機を
回避すればいいのでしょうか。

韓国においては、毎年、国民総出で、北からの侵略に備えて

訓練を行っています。
日本は、それ程にも、守られた国なのでしょうか。
親方の力は、それ程にも巨大なのでしょうか。
しかし、アメリカが関わった世界の大戦は、いずれも
多くの犠牲者を出し、長きに渡って国内を混乱させています。
日本だけが、無傷で安全であると誰が保証できるのでしょう。

願わくば、有事と成って、日本国内に戦火が及び、

多くの犠牲者が出た時、この怒りが、次への戦争への力と成り
日本が新たなる軍事国家として、また誤った道を進まない事です。
当然、この軍事化の目的は、日本国民を傷つけた国に対する
復讐になります。
つまり、憎しみの繰り返しがまた始まるのです。

日本が、戦後半世紀以上も戦争を免れたからこそ、世界に名だたる

先進国と成ることが出来たのです。
近隣国の、前回の戦争に依る様々な嫌がらせも有りますが、それでも
他国と争わない事に依って、これ程にも長く平和が続いたのです。
憎しみを買わず、平和を維持するための努力は、何にも増して
重要と言えます。

今、戦争を回避し、何世代もお互いに理解しあえる関係を作る

努力が未来の平和を作って行きます。
挑発的な二国間に在って、日本が今何をすべきであるかは、
日本国民が犠牲にならない為にも重要な事なのです。
親方の陰に隠れて、ただ、戦いに影に隠れているだけでは、
無差別攻撃をして来る相手の刃をかわす事は出来ないのです。
  

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 


たら、れば、の解説ばかりのコメンテイター

2017-04-13 16:35:14 | 日本人

日本周辺の緊張感が高まっているにもかかわらず、日本国民は
太平の世を謳歌している様に、全く危機感も無く過ごしています。
この事態の緊急性は、幹部やリーダー達には良く解っているのに、
一番犠牲になってはならない国民に対しては、何の説明も対策も無く、
上層部でのやり取りで、国民は蚊帳の外と成っています。

連日、テレビ番組で取り上げられるものの、出て来る知識人や
コメンテイターは、ただ、推測を述べているだけで、見ていても
何の進展もありません。
もちろん、有事と成れば、様々な事が予想さえるでしょうが、
なった場合、国民は、如何に自分達の命と財産を守って行けば良いか
なんの提案も指示も無く、ただ、状況を見守っているだけの
リーダー達の無神経ぶりが伺えます。

もし、突然、ミサイルが日本の都市に着弾した時、膨大なる犠牲者が
出た時、一体誰が責任を取るのでしょうか。
またもや、想定外と言って逃げるのでしょうか。
当然に、その時には、日本の首脳陣は皆、身の安全と財産の確保を行い
決して危害を受けない状態になっているのでしょうけれど、国民を守れず
自分達の保身に駆けずり回っている様では、本当に情けないです。

またもや頭の固い人ばかりで、現行の縦割りの執行しか出来ず、
緊急の事態に対処できないのかもしれませんが、それにしても、他国の力で
日本人の命を守ろうと考えているのなら、上に立つ資格は有りません。
軍事力は無くとも、しっかりとした日本の指針を世界に示す事と、
国民に具体的な安全策を提案しなければ、もしもの時、被害を最小限に
留める事は出来ないのです。

何も、具体的な軍事力を増すだけが国力を増す事では有りません。
一番大切な事は、国民がしっかりと日本国土を守ると言う意識を
持つことです。

これは、日本に住んでいるならば、どの様な立場に居ようと同じです。
日本を愛し、日本人を慈しむ気持ちを高める政策はとれるはずです。
経済的に豊かであっても、個人個人の欲望ばかりが目立つ国家では
有事の時も災害の時も、本当に助け合う事は出来ないのです。

国を守ると言うのは、自国のみを良くすれば良いと言うのではありません。
自分達の国の存在が、世界の国々に認められて初めて意味が有るのです。
世界にとって、日本の存在が無くてはならない様でなければならないのです。
独占的な利益を求めている様では、いずれ、多くの国々から反感を買い
国民にその付けが回ってくるのです。

本当に日本を愛しているのなら、国土を傷つけることも汚す事もなく、
大切な日本の宝を未来に繋げようとするものです。
個人的な利益のみならず、国民全体の財産である日本の文化自然を
慈しみ守ろうとするはずです。

もし、その様な大切な宝を傷つけたり破壊したりする危険性が出て来たら
当然、守るべく運動を起こさなければならず、国は、率先して国民の命や
財産のみならず、日本国土の全てを守る義務があるのです。

メディアに、想像と推測ばかりをさせ、無駄な不安を駆り立てさせない様
しっかりとした国としての見解を示す事が重要です。
今やネット社会と成り、国民の多くは、国にただ管理されるだけであり、
個人的な欲望は追及しても、日本国民としての日本を愛する気持ちが
薄れがちです。
学校教育も、社会活動においても、個人的な欲を求める事が目的になっても
私達の生きている日本への思いは、ほとんど無くなっているのが現状です。


自衛隊は、仕事として日本を守ると言う気持ちは強くとも、一般の人は
自分の欲望しか考えていないのが実情です。
そんな時、突然、日本の各都市で火の手が上がって、多くの人々が
傷つけられ殺害された時、残されて人達は、一体どうしたら良いのでしょう。
次は我が身と、恐ろしさでパニクッてしまうのでしょうか。

本当に、親方アメリカは、日本を守れると思っているのでしょうか。
戦争は、そんなにも甘いものでは有りません。
アメリカが、日本に軍事基地を置いているのは、日本を守る為ではなく、
日本を防衛線としてアメリカ本土への被害を防ぐ為なのですから。
アメリカにとって利益が有るから基地を撤廃しないのは明白です。

もし、戦況が悪くなり、派遣したアメリカの兵隊に被害が及ぶように成れば
何も躊躇わず、日本を棄て、日本を犠牲にする事は明らかです。
つまり、日本国土は、戦地と成って荒廃し、大きな犠牲を払う事は
否定できないのです。
日本が置かれている立場は、日本人に生きるか死ぬかを選択させるような
危険な状況に在るのです。

もし、安全であると言う値が、90%を超えていたとしても、残りの10%は
多くの人々が不幸になる可能性があると言う事です。
安全で平和と言うのは、100%であることが、日本国民が、枕を高くして
眠ることが出来る条件なのです。

しかし、今の状況を100%安全と言える指導者たちは何人いるでしょう。
もしかして、もしも、と言う可能性を殆どの政治家たちは思っている
と考えられます。
にもかかわらず、国民に対してなんのケアも無く、ただ、マスコミで流れる
たら、ればのコメンテーターの実り無い解説を放置しているだけなのです。

災害も戦争も、客観的に見ているのと実感するのとでは、雲泥の差です。
戦争の体験も無く、単なる知識でもっともらしい解説を聞いたところで
どれだけ国民が納得するでしょう。
ただ、不安感をかき立てられるだけで、国民の心は益々晴れません。

前回の戦争にしても、多く体験者が他界し、その恐怖と絶望感を伝える
生き証人が非常に少なくなっています。
その言葉は、余りにも重いものですが、そんな事実も、彼らの体験の
ほんの一部であり、言葉にすらできない事が毎日有ったのです。

戦争からたとえ生き残っても、心の傷は一生残ります。
遠い昔の災害であっても、あの時の悲惨さは、幼い頃とは言え、
いまだにトラウマと成って心に残っています。
人は、強い苦しみや悲しみを体験すると、その後の人生に於いて
様々なトラウマを背負うものです。
どんなに大きな戦争であっても、国民すべてが傷つき殺されると言う訳
では無いにせよ、残された多くの国民も、苦しい思いを抱き続けるのです。

第二次世界大戦に於いて、周辺の多くの国々に、苦しみと悲しみを
与えたことが、現代の日本が置かれる苦しい立場を作ったとも言えるのです。
そんな国の1つが、今や、その報復ともいえる手段を取ろうとしているのです。
決して行ってはならない行為ですが、その種をまいたのが我が国であると
素直に受け取れる日本人がどれだけいるでしょう。

今や、世界中の人々を震撼させるテロ行為も、その原因は、過去に於ける
深い悲しみと苦しみ、そして憤りが原因と成っているのです。
現在、頻発するテロ行為そのものは、決して肯定されるものでは無いものの
その原因を探ると、如何に、欲望に任せた争いが、人々を不幸にするかが
良く解ります。

この様に、人類の歴史は、戦争の歴史と言ってもいいと言えます。
傷つけ合う事に依り、より憎しみを生み、更なる争いを生んでいます。
この途切れることない不幸の連鎖は、人類が生み出した、最悪の恥部
と言え、いかなる文明の進歩も人間の進化も否定される程と言えます。

もし戦争と成ったら、日本が巻き込まれたら、と言った、仮定に基づく
身の無い話し合いは、あくまで想像の域であり、人々の不安を取り除いたり
未来への夢を繋げる物では有りません。
何故、戦争を行ったらいけないか、それは、この危険をはらんだ状況を
新たに作り上げ、次なる世代を不幸にしてしまうからなのです。

戦争を知らない人々に、想像もできない恐怖を感じさせる原因が、
前回の戦争に在る事が一番の問題なのです。
平和な社会に生まれ、戦争を知らないで育ってきた人々が、突然、戦争の
恐怖を味わなければならないか、これこそ、本当の不幸なのです。

幸せの絶頂から、突然、地獄に落とされるのが戦争です。
その原因が、これまた、戦争に在るのです。
人を憎しみながら人生を生きなければならない不幸は、我が国を敵視する
周辺国に多く有ります。
戦争で受けた悲しみや憎しみを、戦争を知らない人々が受け継ぎ、
更なる戦争への切っ掛けを作っているのです。

お互いに憎しみ合う事が無くなれば、戦争は起こらないのです。
その為には、魅力的な国を作り人を育てなければなりません。
他国から見て、憎しみの対象と成るか憧れの対象になるかは、国民にとって
天国か地獄の差と言えるのです。
いま、日本を憎しみの対象としている国が、周辺に有ります。
何故、我が国が憎しみの対象に成っているかを、深く考え、
その原因をしっかり受け取る事が重要と言えます。

我が国にミサイルが飛んで来るなんて、在ってはならない事です。
では、何故、そんな危険な物が飛んでくるのか。
その原因は、何なのかをしっかりと認識できることが大切です。
将来の日本と日本人が、世界の国々にとって、魅力的な存在と成れば
戦争は起こらないのです。
幾ら軍事力を高め、周辺国を威嚇したとて、本当の平和は訪れず、
下手すれば、機を見て攻撃を加えられるのが落ちなのです。

戦争とは、自国の存在を、力を持って示す事です。
その事で、多くの人々を傷つければ、憎しみを生む事で、いずれ
同じ痛みや苦しみを受ける事と成るのです。
周辺国に、これほどまでに憎まれ嫌われる原因は何なのか、
その事を認めない事が、更なる憎しみを生んでいる事は否めません。

しかし、戦争は、勝っても負けても多くの人々を傷つけ苦しめます。
原因を追究し、一方的に非を認めさせても解決するものでは有りません。
何故なら、双方に悲しみ苦しみを背負ってしまった国民が多く居るからです。
何処かで、この悲惨さに気づき、お互いの国が、未来に於ける信頼と尊敬を
抱ける存在と成る道を見つけることが一番大切と言えるのです。

もし、今回、日本本土にミサイルが着弾し、多くの日本人が死傷したとしても
この事で、一体誰を、憎しみの対象にするかによって、日本人の未来が決まり
幸せになるか不幸に成るかが決まります。
残された多くの国民が、憎しみを募らせ、何十年もミサイルを発射した国を
呪い続ければ、いずれ、我が国から、同じように、ミサイルが放たれ、
多くの人々が傷つき殺される事でしょう。

この悪夢の様な連鎖を、日本人の歴史として積み重ねて行って
良いのでしょうか。

ミサイルが発射されないだけでなく、何とか、事が収拾される事を
心から望みたいものですが、戦争に成ろうが無事事が収まろうが、
未来に向かって、日本が他国から憎しみの対象にならない国となる為に
どの様な努力を行って行けば良いか、たら、ればを考える以上に
日本人にとっては大切な事と言えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


無能のリーダー達に命を託す不安

2017-04-12 16:42:51 | 日本人

今や、日本国民の間に、不安が広がりつつあります。
国民の殆どが体験したことない、遠い国の出来事の様な
恐怖の瞬間が訪れるのではないかと言う不安です。
いつか大地震が起こって、津波で多くの人や街が流されるという
夢物語が現実となった今、決して、その時が来ないとは言えないのです。

問題は、その非常事態が、自分達日本人の力ではどうしようも無い事です。
太平の世の中に、突然、煮え湯が掛けられるかもしれない恐怖は、世の中が
余りにも平和で、何事もなく進んでいる事から、余計に人々の心の奥に
沸々と湧いて来るのです。

逃げることも止めることも出来ず、全て、二人の独裁者の胸一つで決まる
この虚無感は、怒りを感ずる以前に、もしかすると犠牲者と成るかもと言う
可能性を感じさせ、如何に、日本政府の無力さに、今更ながら、諦めと
苛立ちを感ぜざるを得ません。
国民は、もしかしてを考え、戦々恐々とするも、リーダー達は、例え
最悪のケースと成っても、しっかりとエスケープ出来る場所を確保され
身の安全を感じているから、国民の気持ちが解らないのかもしれません。

今年ほど、先が見えない年は有りません。
遠い昔から、多くの災害に見舞われて来た日本人は、自然からの驚異に対しては
何処かに受け止める力を持っているのですが、人間に依る殺戮に対しては
無防備であり、恐怖しか感じられないのです。

和を持って尊し、と教育されて来た国民も多く、相手の気持ちを

深く察する事で、お互いのトラブルを防ぎ、世界でも、他人に対して
とても優しい民族となったのです。
自然に神の存在を感じ、万物に生かされる事を常とした日本国民は、
他人に対しても、如何に、相手の気持ちを傷つけないかと言う教育を
幼い頃から学んできました。

そんな、他人を信じ思いやる国民の上に殺戮のミサイルを落とすと言う人間の

心を理解する事が出来ないのです。
また、武力を持って、相手をせん滅しようとする行為に対しても違和感を覚え
単なる恐怖だけでなく、人間としての寂しさ空しさを感じるのです。

人の上に立つ人は、少なくとも、人々を不幸にする行為は、在ってはならない

はずです。
より多くの人々を幸せにすべくリーダーとなった訳であり、不幸にするために
リーダーと成っているのではないはずです。

中でも、戦争は、多くの人々を傷つけ不幸にする、人類最悪の行いです。

それを、自ら率先して行うと言う事は、もはや、人としての価値も
リーダーとしての地位も有りません。最も、卑劣な人間の行いなのです。

しかし、いまや、日本人は、そんな、人の行為とは言えない最悪の被害を

受けるかもしれないのです。
誰も止められない暴走車がエンジンをふかし始め、お互いににらみ合って
今やアクセルを全開しようとしているのです。
短絡的な自分の欲望は達成できるかもん知れません。しかし、ひとたび
戦火を交えたら、どれ程多くの人々が犠牲となるかもしれないのです。

悲しみと憎しみは、末代まで続くかもしれないのです。

世界中で日々繰り広げられるテロ行為は、この悲しみと憎しみが生んでいます。
卑劣な無差別テロは、誰もがその行為に怒りを覚えますが、その行為は、
過去に与えられた悲しみと憎しみの結果なのです。

戦争は、その残虐性、非道性、暴力性などが目に付きますが、終わっても

残された人々の心には、更なる苦しみと怒りが育って行くのです。
こんな苦しみの輪廻をいつまで繰り返すのか、また、更なる憎しみを
育てるのか、当事者たちは、自分の我欲だけにまい進する事がいかに危険で
無謀な行為と成っているかが解っていません。

そんなに戦いたいのなら、宮本武蔵と佐々木小次郎の様に、何処か

人の迷惑にならない所で、勝手に戦って欲しいものです。
とはいえ、現実は、国家規模の人々を巻き込み、多くの人々が犠牲になる
可能性が非常に高いです。

私たち日本人は、この様な身の危険を感じる時、一体どうやって身を守り

家族を守って行けばいいのでしょう。
日本政府として、国民を、どの様に守ろうとしているのでしょうか。
肝心な時に、親方に泣きついている様では、本当に情けないと言えます。

国民の安全を守る事は、国としての義務であり、何が出来るか示す事が

責務と言えます。
嵐が去るのを待つのか、親方に何とかしてもらうのか、遠吠えの狼が
大人しくなってくれるのを待つのか、いずれにせよ、本当に無力のリーダーに
日本国民は、自分達の安全に不安を感じる以上に、腹立たしい思いが
次第に募っているのです。


果たして、国民を守れるのか

2017-04-11 15:10:19 | 日本人

桜の花が雨に濡れて、降りしきる雨の中を恨めし気に空を見上げる
数名の観光客が歩いているものの、残念ながら、見頃のピークは
過ぎてしまった様です。
蕾が咲き始めた頃の高揚感、川面に美しく咲き誇るピンクの振袖、
多くの人々が満面の笑みで楽し気に歩いていたのが夢の様です。
ともあれ、今年も、春の大イベントが無事終わった様で、
静かになった遊歩道に、幾つもの蕾を膨らませているツツジの株が
次の季節を予想させます。

しかしながら、現在日本が置かれている状態は、こんな平和な
のんびりとしたものでは有りません。
言わば、開戦前夜と言ってもいいのです。
少し大げさと思われるかもしれませんが、戦争は、こういった
幸せな日々に突然始まるのです。
敵対する両者が、今や、ボタンに手を掛けていると言っても過言でなく
周辺国との微妙なバランスで事に至っていない状態に過ぎません。

出来るだけ国民をパニックに陥れない様に、情報操作を行い
何とか事を納めようとしていうるのでしょうが、我が国の力で
どうにかなるものではなく、良くも悪くも、他力本願であることが
一番の問題です。
確かに、実際、日本が割り込んで行った所で、現状では、何の効果も無く
更には、周辺国も、それ程日本を重要視はしていません。
事が起こっても起こらなくても、日本は、アメリカの言い成りになる事は
解っている事から、日本の存在価値は低いと言えるのです。

しかしながら、火の粉が降りかからないとは限らないのです。
可能性が全く無いのなら、単に、対岸の火事の様に眺めていても良いのですが、
もし、事態が急変し、日本国民や日本国土に惨禍が降りかかるとなったら、
その時、現政府は、どの様に対処するつもりなのでしょうか。
またもや、想定外と言って逃げ回るのでしょうか。

近年、日本国土を襲う幾つもの大地震に対し、極めて楽観的な態度であった
日本政府は、東日本大震災が起こると、その規模と被害の大きさに、
なす術もなく、ただ、復興事業に専念するだけでした。
しかも、もともと、それ程危機感を抱いていなかった事も有って、
被災者達に対する配慮が足らず、自己満足的な対応を行い続け
いまだ、多くの方々を傷つけたままと成っています。

お隣の韓国では、北朝鮮と隣接している事から、常に戦争を意識し
南北が分裂した時から現代にいたるまで、国民を守るために
様々な訓練を、国家規模で行っています。
突然、侵略を受けたり、ミサイルが飛んで来たりした時、様々な
シチュエーションを想定して、如何に国民を守って行くかの議論が
年中行われ、子供達も、非常事態でどの様に身を守るかを知っています。

日本は、これまで、北の脅威を直接感ずる事が無かった事も有って、
戦争が起こるとは考えてもみなかったのですが、事態は急変しています。
今や、すぐにでも、ミサイルが日本本土に着弾する可能性が高いのです。
しかも、核弾頭を装着した、国家の存亡にかかわるほどの威力です。
遠い国からと思いきや、地図を見れば、日本海の対岸であり、
ボタンを押せば、日本の都市は10分弱で火の海と成ってしまうのです。

日本には、軍隊は有りません。
しかし、優秀な自衛隊が守ってくれる、更には、バックから条約に則って
アメリカ軍が守ってくれるから大丈夫、とそんなのんきな事を思っていたら
とんでもない犠牲を払ってしまうかもしれないのです。

かつて、日本が太平洋戦争を始めた時、大人と子供の様な軍事力の差であり

国内事情も非常に悪かったにも関わらず、暴走した軍は、ハワイの真珠湾に
奇襲を掛けました。
この時、軍事力の差から、アメリカは、簡単に抑えられると思っていた
日本軍は、あっと言う間に南太平洋から東南アジアに広く進出しました。

圧倒的な軍事力の差は、数年後、日本を侵略地から追い出す事になるのですが

この時、日本軍だけでなくアメリカ軍も、想定外の多くの戦死者を出したのです。
しかも、終戦まじかには、日本中の街が空爆でさらされ、民間人を含め
多くの国民が犠牲になったのです。

追い詰められた北の軍隊が、かつての日本の様に、突然、ミサイルを放たない

と誰が言えるでしょう。
それを迎撃するから大丈夫と、想定していても、想定外は起こるのです。
戦いとなった時、当然、かつての日本の様に、大国の力にねじ伏せられ
時の政権は崩壊すると思われますが、この時、日本国土の街が、何処も
無傷で、日本国民に犠牲者が出ないと誰が言えるでしょう。

地震の時の備えに及び腰であった日本政府が、東日本大震災で、ようやく

重い腰を上げたものの、被災者たちを満足させる復興事業とはならず、
今後さらに多くの問題を残している事に、どれだけ反省をしているのでしょう。
想定外を並べれば、言い訳になると思っている政治家が多すぎます。

もし、戦争になって、ミサイルが日本に到達した時、例えそれが如何悲惨で

公表すべきことではないかも知れませんが、国民は知る権利が有り、国家は
国民の命を守る義務が有るのです。
地震の想定は出来ても、戦争の想定はしないと言うのは、本当に国民の
生活や命を守ろうとしているのか疑わしくなります。

日本人に危機感をあおらない方が、パニックにならないで良いと思って

内輪で想定しているのかもしれませんが、有事に如何に国民を守り
犠牲者を一人でも少なくする対策を国民に示していなければ、本当に
国民の幸せを願っている政府とは言い難いのです。

戦争は無いにこした事は有りません。

しかし、今の韓国人民と日本人の戦争に対する心構えは天地の差と言えます。
もし、国民が想定していない時、日本の空にミサイルが飛んできた時、
一体だれが守り、助けてくれるのでしょう。
平和だと思っている日本国内に、ミサイルが着弾した時、
これこそ、日本人にとって一番の不幸であり地獄であるのです。
その時、またもや、想定外と言える勇気があるのか、リーダー達の
気持ちを確かめたいものです。