めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

繰り返される悲劇

2017-04-08 15:40:43 | 戦争

売り言葉に買い言葉ならぬ、世界は危険な方向に進み始めました。
まるで、火に油を注ぐがごとく、世界は平和から益々遠ざかり、
まさに、一発触発と言った状態です。
挑発でいらだつ所に、有ってはならない、人道的に決して許されない
攻撃であったものの、目には目にと言った報復をすると言う事は、
どんな正義を貫いたとしても、許されるものでは有りません。

ヒステリックなリーダー達の行動は、多くの人達を傷付け不幸にします。
強大な軍事力を意のままに動かせる立場にあるとはいえ、自らの感情で
新たなる争いを生む事は、必ず、同じような悲劇に見舞れるのです。
その繰り返しが戦争の一番の悲劇であり、人々を長く苦しめる事と成るのです。

いつの世も、争いを始める人たちは、まるで将棋の駒を動かすように、
自分の勝手な思いで国民を動かします。
例え、軍隊と言え、国民であることに変わりは有りません。
自国民に、敵国の国民を殺させる命令を下す事と成るのです。

自分は、戦地からと遠い安全な所で命令を下すだけですが、多くの兵隊は
地獄の殺戮の場で心身ともに極限状態に置かれるのです。
更に、戦地となった地域の住民たちは、それこそ、虫けらの様に殺され、
その悲しみと怒りに更なる憎しみを生み、新たなる争いの種と成るのです。

戦争は、勝利の美酒に酔いしれるより、戦いで、如何に多くの人々が傷つき
深い悲しみに落とされる事を考えなければなりません。
これは、勝っても負けても、多くの犠牲を生む事は明らかであり、
如何なる理由が有ろうと、お互いに殺し傷つける事は有ってはならないのです。


しかし、この事を一番解っていないのが、多くの世界のリーダー達です。
感情の赴くままに、まるでゲームをする様に、人々の運命を弄びます。
いつの世も、人間は権力を持つと、その力を誇示し、欲望のままに
私欲を肥やし、人々の真の言葉に耳を傾けなくなります。
己の行いを褒めたたえる者を側近とし、自らが法律の様に振る舞い
反対する人々を弾圧し、多くの人々を不幸に陥れます。

そんな独裁的な政治を行い、世界の人々を恐怖に陥れるリーダーが
お互いに自分を主張し始めた時、次なる争いの歴史が始まるのです。
正に、その時が今なのかもしれません。
誰も止められない相反するリーダーが聞く耳を持たず暴走を始めた時
平和を求める世界中の人々に長く暗い地獄の日々が訪れるのです。

願わくば、どちらも矛先を納めて欲しいものなのですが、
聞く耳を持たない両者は、より一層声を荒げ、まるでブレーキの壊れた
トラックの様に、全てをなぎ倒し暴走します。
しかしながら、彼らとて、民衆から選ばれたリーダーであり、選んだのは
多くの大衆であったはずです。
民意を反映する為に、しかるべき地位を得たわけなのですから、当然、
責任の一端は、選んだ我々にもあると言えるのです。

何故、リーダー達は暴走を始める様になったのか、戦争と言わないまでも
国内政治においても、私欲我欲に走る政治家が後を絶ちません。
選ばれた地位を利用して、見えない所で欲望の炎を燃やす方達に、
私達のリーダーを任せておくことは出来ないのです。

しかしながら、彼らの意向が、単に、個人的な事ではなく、その陰に
多くの資本家企業家などの思いが見え隠れしているのが気に入りません。
表ざたにならない事を良い事に、庶民の為に働いている様に見せて、
一部の豊かな方々の為に政治を行っている節が多分に有ります。

世の中は、一般庶民の身銭が、富裕層に流れる様に作られていますし、
一見自由で平和に見える世の中も、多くの人々が、その日の暮らしさえ
苦しい状態であるのです。
メディアを通じて、常に、幸せ日本の演出を行っていますが、
生きて行くだけで精一杯の人達がどれ程居るのか、首脳陣は全く感知せず
己の欲望を満たす事を優先しています。

国内外から、如何に多くの利益を得るかが一番の目的であり、それが
叶う様に政治さえ動かしていきます。
しかし、それでも、思い通りにならないと、略奪の権限を持つ
国のトップに大きく働きかけます。何処かの国から奪い取ってしまえ!と
その陰からの圧力が常に戦争にある事が一番の問題です。

日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦、その全ては
欲望からの略奪行為に過ぎません。
これらの戦争により、日本は、国力を高めて来たと言っても過言ではなく
現在においても、戦争をしないまでも、多くの国々から、様々な資源を
獲得する事が国策と成っているのです。

人を傷つけはしないものの、様々な協定を結び、多くの利益を得ることが
国の繁栄に結びつき、スムーズに行われていると、日本の様に、資源が
非常に乏しい国であっても、他国から大量に輸入する事で、国内の
需要を満たしているのです。
しかし、様々な理由で、国内の需要を満たせなくなると、その事に
関わっていた多くの企業は、国に策を求めるわけです。

所が、第二次世界大戦前の日本の様に、諸外国からの輸入が
制限され、国際市場から締め出されるように成って来ると、
国民と言うより、海外市場から多くの利益を得ていた大企業が
政府に働きかけ、武力を持っての略奪をそそのかすのです。
これがすなわち、戦争の実態であり、日本に於ける前回の戦争の
切っ掛けでもあったのです。

日本軍が突然、真珠湾攻撃をしたのではなく、その後ろに、利益を
得られなくなった日本の大企業の後押しがあったのです。
いまや、北朝鮮の国内は、長きに渡る世界からの兵糧攻めに苦しみ
民衆の生活を向上させる為にも、世界が恐れる核の力で、諸外国から
多くの物資や資源を獲得しようとしているのです。

日本も、第二次世界大戦を起こして直ぐ、南アジアに進出し、
広大な面積を略奪しました。
この目的は、明らかに、兵糧攻めに対する、資源確保に在りました。
しかし、その結末は、余りにも悲惨であり、日本国民全体に
地獄の苦しみを与え、諸外国に長きに渡って苦しみと憎しみを
残す事と成っているのです。

現在の北朝鮮の状況は、第二次世界大戦を起こす前の日本と同じであり
アメリカとしては、暴発した瞬間、公然とアメリカの威信を示し、
世界のポリスとしての威厳を取り戻したいのでしょうけれど、
かつての戦争の様に、武力を持って簡単に抑えることは不可能です。

中東の戦争も、かつてのベトナム戦争も、アメリカが完全に制圧出来た
と思われるものは有りません。
つまり、アメリカの力をもってしても、一度戦争が起こってしまうと、
いつまでも解決できない憎しみの連鎖が残ってしまうだけなのです。

更に困った事には、核爆弾を使用した場合、その後の復興計画が
非常に難しく、放射能で汚染された地域の戦後処理は、想像以上の
困難が付きまとうものです。
長崎広島の惨劇が、東アジアの主要都市で繰り返されるとしたら、
それこそ、人類全体にとって、最大の悲劇と言えます。

そんな終末的なシナリオが綴られる可能性が有るのです。
戦後半世紀以上、自由で平和を満喫して来た日本人の多くが
一瞬の暴挙で、地獄に落とされるかも知れないのです。
世界の平和の為と言い、危険な国を制裁したとしても、
その結果、東アジアの国々の人々が地獄の思いをしたとしたら
地球の裏側で、自分達には火の粉は飛んでこなかったと、
喜んでいられるでしょうか。

東アジアの国々を破壊してしまった国として、アメリカは威信どころか
世界中から長く末代まで、非難される事は明らかです。
広島長崎に原爆を落とさなければ戦争は終わらなかったと、
訳の分からない言い訳をするのとは次元が違うのです。

また、核実験が行われ、より性能の良いミサイルが開発されます。
アメリカ本土に到達する核ミサイルが出来るのも時間の問題です。
ならば、その前に叩いてしまえと言う、戦争ごっこの論理では、
相手をねじ伏せる事は出来ても、復讐の炎をより大きくするだけで
報復の繰り返しと成るだけなのです。
世界中で、連日繰り返されるテロは、正に、憎しみが生んだ
報復の連鎖と言えるのです。

お互いの心に憎しみを育てない様にするには、一体どうしたら良いのか
国であろうが個人であろうが、基本は同じなのです。
私欲のみを前面に押し出している様では、お互いに理解する事は出来ず、
人間として最も醜い行動にしか移せないのです。