めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

学習しない人類

2017-04-22 13:41:40 | 日本人

ようやく政府が、ミサイルが日本に発射された時、どの様に
身を守るかの方法をメディアに流し始めました。
しかし、その内容は、極めて幼稚であり、まるで鬼ごっこで
鬼から隠れるかのような、国の対策としては、余りにも
国民をバカにしているとしか言いようが有りません。

と言うより、何の手立ても無く、敵に白旗を上げ投降するような
殆ど死を免れない稚拙な手段です。
正に、日本政府が、如何に国民に対して、日頃から目を向けず、
私欲に走って来たかが解ります。
物陰に隠れて、家の中に退避して、核爆弾から命を守れたら漫画です。

そんな事、小学生でも解る事です。
しかし、それ程にも何もできないのが、今のリーダー達なのです。
連日メディアを賑わせる政治家の不祥事、更には、企業との癒着、
どれ程、国民の気持ちを欺いて政治を行って来たかが解ります。

雨が降ってきたら傘を差しましょうと言うレベルの問題ではないのです。
当然彼らは、しっかりと守られる様に、施設が作られていて、例え
東京に核爆弾が落ちたとしても、生きながらえる様に何年も前から
永田町の地下には、要塞ともいえる施設が作られているのですから。

政府としては、親方アメリカと周辺国の力を借りて、何とか事なきを
考えているのでしょうが、あらゆる国際問題に対する弱腰の政策は
今回に限らず、日本国民を不幸に陥れる原因とも言えるのです。
今や、水面下で行われている熾烈な交渉は、日本の未来を変え兼ねない
非常に危険な要素をはらんでいるのですが、積極的に我が国の主張を
行えず、トランプの言い成りにならざるを得ない事が、心外です。

とは言え、日本は開国以来ずっと日本の未来を欧米人に託して来た
過去があり、日本の進歩は、アメリカの影響を多く受けてきました。
途中、戦争を行った時もあったにせよ、戦後から現代まで、それこそ
アメリカファーストの歴史が続いているのです。
経済的に助けられている内は良いのですが、その見返りとして、
有事の時は、日本が盾になる役目を強いられるのが問題であり、
今や日本が一番心配していた事が起こりつつあるのです。

アメリカは、日本や韓国に駐留している軍隊が被害を受ければ
北朝鮮を討つ口実と成りますし、北朝鮮は、日本を攻撃する口実として
米軍が駐留していると言う事を言い訳とするでしょう。
どちらの立場であっても、本当は守られるべき日本は、真っ先に
標的とされるのは明らかです。


しかしながら、いざ、戦争と成れば、私達が想像した以上に悲惨な結果が
日本国民に投げかけられて来る事は明らかです。
もちろん、アメリカが日本を守ると言う強い提言はしていますが、日本人や
日本の街が全く無傷と言うのは考えられません。
米軍の関連施設にミサイルが撃たれれば、当然、その周辺の街は、大きな
被害を被ると思われます。
しかし、軍施設だけを狙って戦争をすると言うのは、過去の戦いを見ても
考え辛く、全面戦争とも成って来ると、日本中の都市が火の海となってしまい、
前回の戦争を遥かに超える犠牲者を生むかも知れません。

また、殺りく兵器も進化していて、最近の戦争に於いては、核爆弾と共に
様々な毒ガスも使われていて、物陰に隠れて事なきを得るなんて、
そんな子供だまししか言えない時のリーダー達の無能さを感じざるを
得ません。

とは言って、何としても、戦争は避けなければなりません。

アメリカの様に戦う力が有ったとしても、決して踏み切る事ではなく、
戦いの犠牲者だけでなく、その先長きに渡って、子孫たちにも苦しみと
憎しみを与え、人間として幸せな人生を送れなくなってしまうのです。

ならば、戦争放棄をし、もし攻められても、敵の成すがままにすればいい

と言うのではありません。
私達日本人の命と財産を守り、日本の国土を守る事は大切です。
それには、新たに軍隊を作り、兵器を開発し、いずれ核兵器を所有すれば
国民も国土も守れると考えるのも早計です。

今の日本に一番大切な物は何か。何を守らなければならないかを

一人一人がしっかりと理解しなければなりません。
戦争の脅威が間近と成って、多くの日本人が、何を守るべきなのかが
解っていません。
何故なら、自分の欲望のままに、経済的便利な生活を追い続けて来たため
常に消えてなくなる物を追い求めて来た事で、一体何を守ったら良いのか
例えミサイルで自分や家族が傷つき殺されようと、大きな実感としては
感じられないのです。と言うより、その様な夢物語が起こるとは、全く
信じてはいないのです。

それ故、子供に馬鹿にされるような避難法を、何の抵抗なく受け入れて

仕舞っている事態と成っているのです。
今や、日本は、戦争が来ようが来なかろうが、国民自体の、国に対する
愛情も、他人に対する思いやりも、非常に薄くなっているのが問題です。

家族に於いても、学校においても、会社に於いても、全てが、経済優先で

一人一人の欲望がひしめいているだけなのです。
家族同士や友達同士の信頼関係も、経済的な事で簡単に崩れてしまい
日本人が、太古の昔から培ってきた、深い家族友達の絆が無くなりつつ
有るのです。

この事は、世の中が、常に、経済優先の社会と成って、子供達も

経済的に豊かになる事を最優先に育てられている事によります。
有名校に進学するのも、将来の豊かな生活が目的であり、経済的豊かさが
優先される社会が一般的と成っているからです。

つまり、人がどうなろうが、自分さえ安全で豊かな生活が出来れば

良しとする、極めて自己中心的な考えの国民が増えているのです。
この傾向は、社会的地位の有る人達も同じであり、連日メディアを
賑わせている政治家や有名人達も同じ穴のムジナと言えます。
その為、例え戦争と言う、国家規模の不幸が訪れようと、自分さえよければ
他人がどんなに傷つこうと一向に構わないのです。

戦争は、庶民は起こしません。

安全と自由が守られている指導者が起こすものです。
そして、犠牲者は、一般の庶民から出るのです。
例え、国民を守る地位に居る方々でさえ、基本的には同じ感情であり
自分達の安全が確保されていれば、何の心配もないのです。
明日、東京にミサイルが落ちて来るとしても、リーダー達の
逃げ道はしっかりと確保されていて、彼らが、深い地下で難を逃れている
その時に、ビルの陰や物陰に身を潜めていた多くの東京都民は、
ことごとく殺害されるのですから。

しかしながら、この有事の事態は、以前からずっと問題にされて来ました。

もしもの時は、国民はどの様に我が身を守ったら良いかと言う事は、
何度も提言されて来たのですが、その都度、地震の前の様に、全く
相手にされず、いざ大地震が起こると、想定外と言いながら逃げまくるのです。

そんな人達に国民の命を守る事を期待すること自体、無駄と言えるのです。

案の定、子供をバカにしたような案しか出すことが出来ません。
これ程にも、日本社会は、崩壊していると言っても良いのです。
日本人としての誇りも、絆も全く無く、ただ、日々の欲望を満たすだけの
安っぽい民族にしてしまった功罪は大きいのです。

欲望を操るだけの消費経済社会は、一部の人達を裕福にすることは有っても

多くの日本人を幸せにすることは無いのです。
戦争をすれば、国民は、傷つき苦しみます。しかし、それ以前に、国民は
自分達の生活に不安を持ち、将来に夢を持てなくなっているのです。
戦後、経済力を増せば、日本人は幸せになると言う妄想の元、日本人自体も
大切な豊かな日本の自然も破壊してきました。

一体、何のために生きているのか、わからなくなっている日本人が多いのです。

刹那的な喜びを与えるテレビ番組は、人々に欲を満たす事のみを伝えます。
ひと時の楽しさで心を紛らわせることをしか出来ず、国民の多くが、
ただ、日頃の不自由と生活苦を忘れようとするだけです。

他人に対して、自然に対して、深い愛情を持って生きて来た日本人は、

いつの間にかに少なくなっているのです。
如何に豊かな生活をするかと言う経済性を目的としたメディアの情報は、
人々の消費意欲は増しても、人々の心を満足させることは有りません。
経済大国となった日本が失ったものはあまりにも大きいのです。

問題は、次の時代を生きて行く子供たちが、人としての幸せを学ぶことなく、

欲望の餓鬼と成って、つまらない大人に成長して行く事です。
幾ら学歴が有って、地位が有って、財産が有っても、人としては未熟で
いつも欲望に目をぎらつかせている日本人は、もう沢山です。

人工物の塊の都市を創り、不自然な自然を街中に作り、自分達を基準とした

身勝手な環境基準で生き物たちを追い詰めていく人間に未来は有りません。
一層、AIが高度に発達して、この身勝手な人類を抹殺してくれた方が
地球の生き物達にとってはベストなのかもしれません。

何度、苦しい思いをしても、学習をしない人類のあくなき欲望が戦争を生み

更なる苦しみを生んで行きます。
人類が、地上を支配していると言うより、地球を破壊しているとする方が
正しいと言えます。
核爆弾で、お互いに殺し合うか、AIにより抹殺されるか、太古の昔から
多くの生き物が死に絶えた、大絶滅の時代が来ない限り、地球には
本当の平和と幸せは訪れないのではと思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


メディアに振り回される日本人

2017-04-20 17:15:25 | 日本人

マスコミやネットの情報は、人々の生活を一変させたり、
多くの人々の言動行動をコントロールしてしまう事が多いです。
今や、国民の共通の考え方の多くが、マスコミやネットを通じて
植え付けられた固定観念に根差している事が少なくなく、
物事の判断基準が、自らが熟考して生み出したことではなく、
メディアなどの情報を、そのまま鵜呑みしている場合が
目立ちます。

また、多くの人々と同じ考えを持つと言う事は、生きていく上で
安心感があり、逆に、人と違う事を行ったり考えたりすることに
大きな抵抗を感じる事も有るようです。
その為、社会の主流と成る事が大切で有り、如何にその時代を
支配している人々と近い生活をするかが、豊かな生活に繋がる
方法とも言えます。

いつの世も、支配者たちに都合の良い様に社会は作られ、
人々の暮らしは、その社会にどれだけ迎合できるかで決まります。
日本社会の発展は、時の支配者に依る社会構想によって支配され、
多くの庶民は、生きるために、支配者の言いなりになるのです。

メディアやネットに依る情報は、自由な社会の象徴の様に思えて
人々を啓蒙し洗脳し、この、縦列社会を維持するものと言えます。
産業を発達させ、国民の生活を豊かにすると言えば、聞こえは
良いのですが、基本的な生活が守られないで、支出ばかりを強いる
現在の社会機構は、多くの人にとっては、苦痛であり重荷です。

ならば、楽になるべく、経済的に豊かに成るように頑張れば良いと
言うのは、経済的に満たされている人たちの余裕の言葉であり、
励ますと言うより、自分達の地位から蔑む言葉と変わりません。
自由主義社会に於ける国民の平等とは、同じような経済力を
持つと言うものでは有りません。増して、経済力が優れていると
言うのは、人間の価値を決めるものでもなく、幸せの基準では
無いのです。


問題は、社会の情報の多くが、経済的に豊かな生活をする事が
幸せで在りステイタスと考える人々を作っている事です。
その為、経済的に豊かであっても、人間としては最低の人も多く、
外見だけの、人の上に立つ器が無い人が、社会のリーダーとして
マスコミやメディアに登場している事実です。

連日報道される、政治家の不祥事、教師の裏切り行為、医療過誤
取り上げたらきりが有りません。
たまたま発覚した事が、マスコミに取り上げられているだけで
しょうが、水面下には、星の数ほどの庶民を仰天させることが、
進行していると思われます。


日本は、経済的に豊かになったとは言え、日本国民の、人としての
成長は、至る所で滞っていて、子供たちにとって、一体何を見習い
誰を目指せば良いのかが解らない時代と成っているのです。
何でも手に入る時代になったが故に、誰もが、私欲にまい進
する様に成り、遂には、人の物にまで手を出すのもい問わない
時代となったようです。


今の日本社会で一番の退歩は、人としてのマナーが欠如して
いることです。

人から人への、正しい伝承が無く、マナーを単に、世渡りの
ハウツウとして、利用している人は多く、その陰には、

常に私欲がちらついているのが見えて、例え、礼儀正しい人
と言えど、その行動言動に、相手を心から思う気持ちが
感じられません。
まるで、俳優のセリフの様に、いい人を演じる人も多く、
数々の詐欺事件も、男女のトラブルも、自分の事しか考えない事が
原因と言えます。

海外の方からすると、日本人は礼儀正しく優しいと言いますが、
それは、
旅行者に対する思いやりがそう感じさせるのであって、
利害関係が無ければ、伝統的な外交辞令として、幾らでも優しく
出来るのです。

しかし、一度利害関係が生じると、途端に、態度が冷たくなり、
特に、
日本に出稼ぎに来ている外人に対して、非常に厳しい態度を
示す日本人も少なく有りません。

中でも、経済的に厳しい地域や国からの人々に対し
上から目線の態度で、乱暴な扱いをする日本人もいて、
この差別的な態度は、日本社会に於いても経済的に豊かな人達の
生活苦の人達に対する態度と変わりません。

日本に於いても、海外に於いても、マナーと言うものは、
相手に関わらず、他人に対する敬意と思いやりから

生まれるのものです。
この態度は、経済力の有る無し、社会的な地位の有る無しに
関係無く、人間としての生き方の根源とも言えるものです。



しかし、この人と人との関わり合いが薄れつつある日本に於いて、
人々の価値観は、経済的な部分に関心が移り、あこがれの対象が
メディアで紹介される、経済的豊かな人々と成りました。
この事は、地位や名誉、財産が手に入れば、何でも許されるような
我儘な社会を創り、対人的トラブルの温床とも成っているのです。


この事は、今の社会を創っている人にとっては非常に都合よく、
人々が目指す商品を与えさえすれば、国民は満足し、永遠に増収が
見込まれると言う勝算が成り立つのです。
なまじ、人としての在り方を問題とする社会と成ったりすれば、
数々の不祥事をするにもリスクが高く、甘い汁が少なくなるのです

社会保障制度が次第に充実するようになって、日本社会も、
高齢者や
子供達に対する様々なサポートが誰でも受けられる様に
なったのですが、今の日本社会の弱者に対する態度は、

良く見られたいが為の態度は有っても、本当に高齢者達の
気持ちを理解しないで、親切の押し売りを優しさとしている場合も
目立ちます。


年寄りがバスや電車に乗って来たから、席を譲るという、
決められたルーティンを行っているだけの人も多いのです。
それでも良いのではと思われる方も多いかとは思いますが、本当の
思いやりとは、その人が具体的に発する身体的状況を見て
行うべきなのです。

しかし、席を立つ事が、年寄りに対する正しい行いと思っている
人にとって、
席に座った人の立っている時、座った時の思いは
感じられません。

年寄りだから、身体が不自由だからと言って、席を代わる
だけでは、
席を代わられた人も、代わった人も、
人としての関わり合いから得られる、人としての心の成長が
無いのです。

人の行動には、必ず理由があり、何故、その様な態度を
行ったかは、それ相応の理由があるのです。
増して、対人的な行為は、相手の心と自分の心の触れ合い
によって生じます。

どれだけ相手の気持ちを察する事が出来るかで、正しい、
対応やマナーが生れるのです。
ハンバーガーショップの応対の様に、単に、機械的な応対を
するのではなく、
本当に相手が望んでいる事を感じながら、
自分の態度を示す事が重要です。


もちろん、親切な行為を受けた人も、相手の気持ちを
しっかりと察する事で、
その場に相応しい態度と言葉に
成るのです。

所が、様々な場所で、老人と若者たちの間に交わされる
一連の動作に、いささか寂しさを感じる事が有ります。

特に、席を譲る側が、老人に対するエスコートが全く無く、
言葉も動作も無いがままに、
逃げる様にその場を立ち去ろうと
します。

すると、譲られた側からすると、何か悪い事をしたように
思えてしまうのです。

この事は、普段の生活においても、同じような意思の疎通が
感じられない、
義務的な態度で、その場の空気が悪くなって
しまう事が有ります。


心の籠らない、表向きの態度に、慇懃無礼と言う言葉が
有りますが、
最近の日本社会には、この手の外面だけの人々が
結構多いです。

若者たちの言葉の問題もありますが、立派な大人の言葉遣いに
相手の事を本当に理解し思いやっていない、実は、自分の事しか
考えていない言動が少なく有りません。

日本人が太古の昔から培ってきた最も素敵な態度とは、
人を含め、万物に対する感謝と思いやりです。
いかなる時も、自然に生かされ人に育てられていると
考えることで、日本人特有の繊細な奥ゆかしさと優しさが
生れたのです。

今の日本社会に一番足りないもの、それは、資本主義経済が
成せるものか、人々が、自分の周囲の他人に対しての
思いやりに欠け、更には、私達を育てている日本の大自然に対し
無頓着であることです。

人々の心は、潤いを失い、餓鬼の様に、ただ私欲に任せて
何でも欲しがる、世界にはとても誇れない人種となりつつある
のです。

連日報道される著名人の不祥事や蛮行は、正に、日本人の
礼節が乱れ、ただ、上だけを見てつま先立ち、己の欲望しか
見えなく成っている人が多くなっている事を示しています。

ざっと、自分の周囲を見回してみましょう。
沢山の生活用品が所狭しと部屋を占拠しているでしょう。
どんなに高価なものでも、自分の心からの思い入れの
有る物は、本当に少ないと思います。
古くなれば、悪くなれば、捨てれば良いと言う、
消耗品ばかりです。

何年も何十年も、はたまた子孫に伝えたいものは、
少ないと言えます。

日本人の生活は、殆どが、消費の為の生活と言って良いのです。

テレビでは連日新商品が並び、今ある物を捨て去る事を
薦めます。

生活用品でも食品でも、使い捨てを推進する社会といえます。
品物だけでなく、人間関係も、興味ある時は意気投合しても、
興味が無くなったり、自分にとって利益が無くなれば、
簡単に、縁を切れる関係が多くなっています。

対人関係と同じく、相手にとって自分にとって、本当に相応しい物
価値の有る物を感じる力が無いと、あらゆる生活の場で、
社会の流れに簡単に押し流されて、本当の幸せを見失って
しまうのです。


高齢者だから、身体が不自由だから大切にしなければな
ならないのでは無いのです。
人間として、お互いに幸せを分かち合えるから大切に

しなければならないのです。
物の様に、使えなくなったら棄てれば良いと言う物ではなく、
更には、新たに求めれば良いと言う物でもないのです。

お互いに深く相手の事を感じることが出来れば、人間として、

より豊かで幸せな人生を歩めることが出来るのです。
連日、溢れる程の情報が目に飛び込んできますが、例え便利で
経済的であったとしても、それで幸せになるとは
言えないのです。

現代の日本人の不幸は、便利で経済的を幸せと勘違いしている事

であり、勘違いさせる社会に生きている事です。
もちろん、経済的に社会が発展する事は重要です。しかし、
人としての本質を見失ってしまっては、単に、食べすぎの
裸の王様になるだけなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ミサイルの恐怖を生んだ原因は

2017-04-19 16:08:34 | 日本人

戦後半世紀以上を過ぎて、今や、日本人が最も心に不安を抱える
日々と成っています。
戦争の恐怖を身近に感じたことはまず無く、長年に渡って、天下泰平
平和の中で生きて来た日本人が、次第に膨らんでくる恐怖に怯えます。
目の前に付きつけられた死刑執行の様に、誰もが、突然地獄に落とされ
平和な日々が失われるかも知れないのです。

もちろん、一億人がすべてその惨禍に見舞われるのではないのですが、

その不幸は、自然災害とは桁外れに大きく悲惨です。
一万人規模の犠牲者を出した東日本大震災であっても、国民の全てが
その脅威に身震いし、次に訪れるとする大震災に怯えました。

しかし、戦争と成れば、犠牲者は桁外れに増え、けが人だけでも

数百万人規模と成ります。
さらに、放射能汚染、毒ガス散布と成れば、国の機能が損なわれる程の
危急存亡の状態となります。
所が、かと言って、何が出来るか、生き残るために何をしたらいいのかが
全く解っていないのが、多くの国民の心境と言って良いのです。

つまり、どの様にその惨禍から回避するのかと言う、具体的な対策が

国から全く指示されることなく、ただ、連日マスコミが有識者を集めて
騒いでいるに過ぎないのです。
もともと、戦争を想定した街が作られている訳ではなく、国民自体が
何処かの国と戦う為の教育を受けて来た訳ではないのです。

ネットで流される緊急警報も、来たから何をすればを示すものでは無く、

ただ、神判が下され、死ぬかもしれないと言う通達に過ぎないのです。
この事は、私達がミサイルの標的に晒される恐怖と言うより、如何に、
その様な非常事態を前提に生活していないかが解ります。

お隣の韓国では、連日、開戦の日を想定して、北からの砲撃爆撃に対し

様々な具体的な回避手段を訓練しています。
そう、すでに韓国は、戦争状態と言ってもいい社会体制なのです。
我が国はと言えば、ディズニーランドのパレードの中に、核ミサイルが
落下してくるような状態なのです。

無駄に世の中を荒立てないと言うのが政府の方針なのかも知れませんが、

国民がいかに守られるのかと言う実感を感じられないのが現状です。
日本の平和な日々は、如何に、脆弱で、私たち日本人は、死の淵に
立たされていると言っても過言ではないのです。

一番の問題は、日本の未来が、北朝鮮とアメリカの成すがままで決まり、

日本国民の安全が、他国の一存で決まってしまっている事です。
私達は、虫けらのように殺されるかもしれないのです。
抵抗する事も、自分達の存在意味を主張する事すらできずに、
多くの犠牲が払われる可能性がある事です。

国民の安全を守る事は、国家事業の基本です。

如何なる外敵にも、国を守る事が出来てこそ、国としての存在意義があり
国民の平和が保証されるのです。
しかし、今の日本人の平和は、自国の力に依る平和では有りません。
第二次世界大戦の後から現代まで、他国の力を借りた平和に過ぎません。

日本国の平和を守ってもらうための便宜があり、常に、上層部に於ける

莫大な金銭の授受があって成り立っているのです。
多くの大企業は、日本を東アジアの盾とする事で、様々な利益を得て、
より多くの収益を得ているのです。

戦後半世紀以上も経って、何故、日本は、アメリカに支配され続け、

沖縄は、アメリカの軍事基地と成っているのか、それこそ、日米に於ける
利益の共有が生んだ悲劇と言えるのです。
東西の力のバランスがとられていた時はまだしも、現代に於いては、
国だけでなく、様々な地域における戦争勃発は、世界のバランスを崩し
日本に於いても、単に、基地の常駐化だけでなく、その場所が最前線と成り
戦地と成る可能性が高くなっているのです。

日本を守ると言う軍事基地は、同じく、敵の標的と成り、我が国土も

戦火に晒される可能性が高くなっているのです。
実際の戦争は、物語の様に様々な前触れが有ったり、いきさつが作られた
見る側を楽しませる様なものでは無く、突然に、日常生活が変わってしまい
突然、死が隣り合わせと成るのです。

自分が肉片と成って散るか、偶然逃げ延びるかは、運としか言いようが

有りません。
ハワイの真珠湾が突然戦火に晒されるその瞬間まで、日常的な日々が
続いていたのです。
どこに居ようと、何をしていようと、その時は、地震の様に、突然やって
やって来るのです。

そんな恐怖を国民に味合わせている日本政府は、自分達が逃れる事しか

考えていません。
どんな戦争も、まずは、幹部が生き残る様に成っていて、国民は、
何の手立ても無く、虫けらのように殺されて行くのです。

高度成長期の日本の発展も、日本の進歩の様に伝えられていますが、

この時、本当に莫大なる利益を得られたのは、ほんの一部の企業や
富裕層に過ぎないのです。
多少の見返りは有ったものの、国民の殆どは、消費経済に踊らされ、
やがてバブルの憂き目に会うのです。

そして、日本の自然も、日本国民も、大きく傷ついたのが高度成長期です。

この事は、例え戦争と成っても、同じであり、犠牲を強いられるのは
多くの国民と言えるのです。
消費する事が幸せの道の様に仕立て上げられた日常は、誰の周囲を
見渡しても、必要でない膨大なる道具に溢れ、日本国民の日常は、
消費によってもたらされた、無駄な日常品や生活道具に溢れています。

例え、思いのままに買い求められる経済力があったとしても、殆どの人が

手に入れたものに対する未練はすぐになくなっています。
多くの経済的な豊かさは、周囲の他人に対するパフォーマンスに過ぎず、
本当に心が満たされている人はほとんどいないのです。

はっきりいって、生活に溢れる様々な物品は、手に入れた時点で、

興味が無いと言って良いのです。
日本人の多くは、単に経済的に豊かになったとしても、何の幸せにも
繋がらない事が解っているのです。
それ故、更に、豊かな求める物に触手を伸ばす事を辞めなないのです。

しかし、戦争は、そんな豊かな生活を破壊するだけでなく、人の心も身体も

一瞬にして消し去ってしまうのです。
物はともかく、自らの命を失ってしまっては、元も子も有りません。
何にも代えられない大切なものへの危機感を募らせているのです。
こんな事は、今まで日本人には無かったことです。
身の回りの物品は失っても、失ってはならないものを感じ始めているのです。

高度成長期の時、バブルの頃には、一番感じなかったものを自覚し始めて

言い知れない恐怖を感じ始めているのです。
しかし、その恐怖を、今の政府は全く癒す事は出来ません。
何故なら、長年に渡って、日本人の心を守って来たのではなく、日本経済を
守って来たからです。

戦争により、日本経済が損失する事は恐れても、日本国民が傷つく事は

全く理解できないのです。
戦後、半世紀以上に渡って、日本政府は、国民の為に働いていないのです。
日本経済を発展させ、その関連企業を育てる為に働いて来たのです。

そう、第二次世界大戦もそうでした。切っ掛けも、追い詰められた日本経済を

復活させるために、南アジア進出を狙ったのです。
つまり、日本のリーダー達は、国民を守るために立っているのではないのです。
この事が、今や、日本が戦争に巻き込まれる恐怖を創り出した原因と言えます。

アメリカと敵対していると宣言する北朝鮮が、我が国にミサイルを打ち込む

意味はないはずなのです。
私たち国民がミサイルの危機にさらされるのは、日本がアメリカの基地の
最前線と成っているからなのです。

アメリカが駐屯する見返りを得る事に依って、日本経済を作って来た

私欲を肥やす消費経済主義を貫いて来た輩たちが、本当の原因と言えるのです。
本来、東アジアの国々がお互いにいがみ合う利益は何もなく、アジア地域での
発展を目指せば良いのであって、そこに、アメリカが利益を求めて
割り込んできた事が、東アジアの多くの問題を引き起こす事と成っているのです。

世界中に進出し、その地の資源を手に入れる為に戦争を起こす手段は、

歴史を紐解くまでもなく、アメリカ発展の手段であり、世界の混乱の原因とも
言えるのです。
昔から、大国の侵略、各国の植民地化に依る支配は、常とう手段でもあり
未だに、多くの争いの場を作っているのです。

その策略にまんまと乗せられてしまったのが、戦後の日本社会であり、

今この時、戦争に、ミサイルに怯える日本国民を生んでいる事となって
いるのです。
いつも上ばかりを見ることを強いらせ、国民に足元を固めることを
させていない日本経済は、何時まで経っても欲求不満で不幸せな国民を
多く作る事と成りました。
その結果が、国民を守れない政府と、不安と成っても何もできない国民を
生む事と成っているのです。

例え戦争になったとしても、このまま事なきを得たとしても、日本社会は

末期状態を迎えていると言えます。
永久に続くアメリカ支配と、自立できない国民、そして、国民を守れない
坊ちゃんお嬢ちゃんの集まる政府では、日本は崩壊の一途を辿ると言っても
過言では無いのです。
地に足の着いた国民としっかりと日本丸を進められる船長と船員が居る
社会が生れることが、本当に日本人が幸せになる条件と言えます。

 

 

 

 

 

 

 


世界のポリスとしての理由が欲しいアメリカ

2017-04-18 18:23:07 | 戦争

アメリカは、過去においても現在においても、世界の№1たる事を
願っています。
単に、経済力のみならず、人類の平和を守り悪を断つ、世界最強の国
であることを望んでいます。
しかしながら、近年のアメリカ経済の不振、更には、世界に於ける
アメリカの威信の低下が、合衆国のプライドと威厳を傷つけ、
国民に、かつての自信を失わせています。

こんな中、今や、世界的に大きな問題と成る北朝鮮暴走は、アメリカにとって
厄介であると共に、世界にもう一度アメリカの力を見せつける絶好の機会とも
言えるのです。
核開発に伴う、軍事力の強大化は、アメリカのみならず、世界中の脅威と成り
我が国も、今や、その惨禍に見舞われるのでは、との不安が次第に高まっています。
とは言うものの、もし戦争が勃発し、我が国向けてミサイルが発射された時、
一体どうやって免れるか、殆どの国民が、何の術もない状態です。

お隣の韓国内では、北からの攻撃に備え、連日迎撃態勢を整え、人々は、
如何に被害を受けないようにするか、大人から子供まで訓練を欠かせません。
もし、戦争と成れば、どれほどの被害が生じるか、様々な機関が算出するも
その規模は、甚大であり、韓国のみならず、日本にまでミサイルが飛ばされれば
前回の大戦を遥かに上回る被害が予想されます。

確かに、目の上のたんこぶの様に、アメリカにとっては、忌々しい国とは言え
これまでの多くの経済制裁のみならず、軍事的圧力もあって、次第に、
計算通りの展開になって来たとも考えているでしょう。
この状況は、我が国が、第二次世界大戦の火ぶたを切った時の様に、
アメリカの威信をかけた制裁行動として、世界に示す絶好の機会と言えます。

当然、何だかの暴発を望んでいると言えますが、業を煮やして、暴発した時
アメリカの軍事力の力を見せつけ、勧善懲悪の舞台となるのです。
しかしながら、日本が真珠湾に行ったような、限定的な被害に留まらず、
大規模な戦いとなった時、本当にアメリカは、我が国を含め、同盟国の
安全を守れるのかが心配です。

一度戦いが始まれば、予想通りの展開とならないのが戦争です。
圧倒時軍事力を持って望んんだベトナム戦争は、多くの犠牲を払い
アメリカが撤退せざるを得ない状態と成りました。
しかし、その傷は非常に大きく、戦争で受けたアメリカ兵の損害は
後に長くアメリカ経済を揺さぶる事と成りました。

とは言え、アメリカにとって、大きな戦争は、国内経済を活発化
する為に格好の手段と成ります。
軍事産業は一気に高まり、莫大なる増収が見込まれます。
アメリカ合衆国内の戦争ではなく、地球の裏側での戦いと成れば
アメリカ国民の犠牲は、最小限度で済む事が予想され、戦争景気が
停滞したアメリカ経済を大きく向上させると思われます。

こうなれば、トランプにとっても願ってもない状態であり、
トランプ政権の長期継続とも繋がり、彼の頭の中が想像できます。
しかし、この戦いが、極東東アジア諸国に与える影響は深刻です。
何十年もの平和を維持して来た日本は、今まで想像もしなかった
大損害で、多大な物的人的被害は、国家存亡にかかわるかもしれません。
国土を焦土と化した、朝鮮半島と共に、我が国は、第二次世界大戦を
上まわる損害に、復興の予想もつかない程と思われます。

これ程にも大きなリスクを負う事になるかもしれない今回の戦争は、
単に、アジア極東の問題と言えず、世界的な、人類が経験した事のない
大恐慌を生むかもしれません。
例え、アメリカには大きな戦争被害が無くとも、世界の流れが変われば
アメリカ経済も戦争景気で浮ついている場合ではないのです。

出来る事なら、何とか、戦争とまで発展しないで、どちらの独裁者も
刀を納めて欲しいものですが、今回の非常事態は、日本にとっても、
今後、いかなる立場で、国際外交を行っていくかを問われます。
戦争に成らなくとも、日本国土と日本国民を守る為には、いったい
どうしたら良いかを真剣に考えて行く事が必要と言えます。

今までのアメリカとの腰ぎんちゃく外交では、いずれまた、国際問題に
巻き込まれる可能性は高く、日本独自の生き方を模索して行く事が
重要と言えます。
ただ、戦争放棄を謳ったとて、それはあくまで理想論に過ぎず、
具体的に国を如何に守るかが曖昧では、また、いつ、諸外国からの
攻撃を受けるかもしれないのです。

基本的に自国の安全と防衛は、国内の力で行う事が大切です。
便宜を図ってもらうために、国土を諸外国の要塞化にする事は
有ってははならず、沖縄の不幸は、戦後の利益を目論んだ輩たちの
画策であり、アメリカ資本をあてにした戦後の日本をダメにした
私欲の塊の連中の仕業と言えます。

日本は、戦争の時も戦後も、一部の欲望にかられた連中の我欲が
日本国民を不幸にしたと言えます。
経済的に豊かであれば幸せとする幻想を国民の頭に定着させることで
いつの世も自分達の私腹肥やしているのです。

いつ飛んでくるかわからないミサイルに、戦々恐々としているのは
一般の国民であり、この欲にかられた連中は、こんな非常事態にも
如何に自分達だけは生き残り私欲を増やすかと言う事を画策して
います。

日本社会は、資本主義国家となった明治から、この様な、私欲しか
考えられない連中に支配されているのです。

高度成長期の日本中の汚染、国民の多くが悩む戦前にはなかった
病の多くは、新たに作られた環境や食事から、日本人自体の体質が変わり
富裕層をより豊かにする代わりに、国民をモルモットの使った実験の様に
利用して来た結果と言えます。

毎日テレビに流れる様々な食品や生活用品は、環境に対して配慮に乏しく

経済的に利益を生む状態で、様々な化学薬品に汚染されています。
マーケットに売られる食品の裏に書かれる添加物が、如何に私達だけでなく
自然環境に大きな影響を与えているかは決して発表されていません。

これまで、何度も、危険な食品として、様々な添加物が禁止されましたが、

この事が、いつまで経っても根絶されず、今私達が摂り入れている食品の
多くに入れられている化学薬品が、将来非常に危険であるとして、使用禁止
と成る可能性は非常に多く有ります。

それでも、業者は、少しでも利益を得るために、危険と解っていても、

企業に都合良く作られた環境基準に適しているとして、大量に使用
しています。

要は、大衆は、都合の良いモルモットであり、実験動物に過ぎません。
今の世の中は、全て、この様に、一部の人達が幸せに成るように出来ていて、
例え戦争と成っても、そのシステムは決して変わりません。

私の知っている老婆は、政府機関で働いていて、日本が戦争で負けている時

日本中が爆撃に合っている時、毎日ステーキを食べられる環境であったと
言います。
あの戦時下に有っても、上層部や大手企業の幹部たちは、陰で非常に裕福な
生活を行っていて、戦争の恐ろしさや悲惨さの陰で、いつも、ほくそ笑んでいる
人達がいる事を物語っています。

今回の緊張した臨戦態勢に有っても、戦争を起こそうとしている幹部たちや

それを利用して一儲けを企んでいる人たちは、庶民には考えられない裕福な
生活を行っています。
戦争と成っても成らなくても、金儲けを企んでいる人たちが、常に争いの
条件を作っている事が非常に腹立たしく思えます。

如何にミサイルから逃れるかの心配は、庶民の心配と言えます。

戦いを決定する人たちは、まるで、ゲームをするかのように、
ただ、戦争のボタンを押すだけで、多くの人々の苦しみは全く考えず
次なる私欲の事で頭が一杯と言えるのです。

 

 

 

 

 


日本にミサイルが飛んで来る!

2017-04-17 16:44:54 | 日本人

二人の自己中心的な指導者が、世界の人々を困らせています。
お互いに武力を持って、自己主張をしようとしますが、その事で
どれだけ多くの人が傷つき、長きに渡って憎しみ合う事に成るか
一時の感情で、自分をリーダーとして慕う多くの人々を裏切り、
何世代にもわたって遺恨を残す事と成るのです。

如何なる理由にせよ、戦争は、人々を幸せにするものでは有りません。
例え、自分は守られても、勝者として崇め奉られても、その下には
幾重も屍が重なっているのです。
戦争によっては、決して幸せは生まれず、人々に悲しみと怒りを生み
次なる憎しみへと繋がります。

問題は、一部の幹部とリーダーは、戦いを望んでいても、国民の大多数は
決して争いを好まないのですが、いつの世も、戦争は、一部の人達の
独断と偏見で生まれ、それに多くの民衆が巻き込まれ、命を落とし
心も身体も傷つくことです。

しかし、本来、大衆の思いを実現し、人々を幸せに導くはずのリーダーは、
その権力を持って、民衆を自分色に啓蒙し洗脳し、戦争へと駆り立てます。
リーダーとしての最も危険で醜い行為が、民衆を心を、憎しみの感情で
満たしてしまう事です。
個人的な感情を、国民感情に変える事で、究極の我儘独裁が成立するのです。

今やこんな国が多くなっています。
国民感情を利用して、自分の考えを有利に持って行くリーダー達の政策は
知らない内に国民を戦地へと向かわせ、多くの犠牲を生む事と成るのです。
第二次世界大戦の我が国は、リーダー達の我儘が日本中の人々を傷つけ
多くの犠牲者を出す事と成ったのです。

軍事力を持って、自分の力を誇示する人たちは、相手を武力を持って
叩きのめす事しか考えていません。
その時、多くの罪もない民間人が犠牲になる事等頭に有りません。
もし、核ミサイルを発射すれば、多くの犠牲者は、敵側に出るかも
知れませんが、必ずや報復が有り、発射した側も、甚大なる被害を
被る事になるのが戦争です。

今や、核ミサイルを使った時点で、世界を敵に回すと言ってもよく、
長きに渡って、世界中から憎まれ抹殺される存在と成るのです。
悪く言えば、国として存在する事を許されない事と成るのです。
勝った負けたで、騒いでいる状態ではなく、人類滅亡の危機を生む
危険な存在として、幾世代も国民は苦しまなければならなくなるのです。

政権を去った後も、国民から慕われる存在であることがリーダーの
資質であり価値と言えるのです。
残虐な行為を行った独裁者として名を残すのか、そして、多くの人々を
苦しめ傷つける悪政を行った人間として歴史に名を残すのか、
本当に、世界の有能な指導者で在りたいならば、世界中の人々から
称賛される行いをすべきと思われます。

しかしながら、こんな非常事態に在って、日本の元首の存在は
非常に薄いものがあります。
一億人以上の人々のリーダーと言いながら、日本丸の船首を
黒船の後ろから変えられません。
自らが決められない航路で、巨大な黒船が、好き勝手に舵を
取る為に、船尾から押し寄せる大波におたおたです。

後ろに付いていれば被弾しないと思っていると、ひょっとしたら
日本丸だけが被害を受けるかもしれないのです。
いい加減、自力航行を考える時期ではないでしょうか。
自分達の進む道をしっかりと示さないから、余計な圧力や嫌がらせを
受けるのです。

第二次世界大戦が終わっても、未だに日本は独立出来ていないのです。
戦勝国に支配されて、要塞化されているだけであって、アメリカに
守られていると言うのは、日本人の大きな錯覚に過ぎません。
沖縄の様に、巨大な軍事基地がある限り、日本は、戦争に巻き込まれ
とばっちりを受ける事から避けられないのです。

今や、国民の間に、少しづつ不安の影が忍び寄って言います。
表面上は、平和な日本ですが、人々の心には、戦争の恐怖が忍び寄り
社会的に不安な空気が漂いつつあります。
ミサイルが飛んで来たら、一体どこに逃げたら良いのか、どの様に
身を守ったら良いのか、政府からの安全宣言も、非常宣言も無く、
人々の不安だけが大きくなっています。

すでに、韓国においては、臨戦状態として、国を挙げての対応処置を
連日行い、何時、北が攻めてきても大丈夫な様に、訓練を怠りません。
先ごろ行われた、米韓合同訓練も、北の侵略を想定したものでした。
しかし、日本は、今だ、平和そのものであり、三々五々、街は賑わい
公園や遊園地は、多くの人々の楽し気な声が聞こえて来ます。

しかし、北朝鮮が敵国として想定しているのは、韓国だけでなく
日本全土も入っている事を忘れてはならないのです。
多くの人で賑わう銀座歩行者天国に、核ミサイルは落ちないと
否定する人はいないのです。
日本中、どこにでも火の手が上がる可能性は非常に高いのです。

何を根拠に、それ程安全と言い切れるのでしょう。
アメリカが助けてくれる!?自衛隊がミサイルを打ち落としてくれる!?
そう、最新式の迎撃システムが、確実にミサイルを迎撃出来るとしても
現実では、例え全てのシステムが働いたとしても、防ぎきれないミサイルが
かなりあるとする専門家も多いのです。

では、その幾つかのミサイルが、日本本土に着弾した時、私達は、
生き残れる可能性は有るのでしょうか。
例え一発でも、かつて広島や長崎に落ちた物より、はるかに高性能で
威力があると専門家は言います。
一発ぐらいなら落ちても、、、なんてことは決して考えられません。
しかし、もし、戦いが始まったら、可能性は高いのです。

今や、究極のチキンレースが始まっています。
しかも、個人的な感情で、国家レベルの人々の命が掛かっています。
まるで闘鶏の様に、お互いに爪を立て、お互いに雄たけびを上げながら
土俵に舞い降りる寸前に居ます。
一体誰がこの争いを止めることが出来るのでしょう。
本来ならば、こんな時こそ、日本が活躍しなければならないのです。

それが、相変わらずの腰ぎんちゃく、つまり、アメリカを通じて
利益を得る生活を続けて来た結果と言えます。
しかし、これは、アメリカとの関係で利益を得て来た人達の方針で、
多くの日本国民の思いではなかったはずです。
例え戦争に負けたとはいえ、地球の裏の大国に支配され続ける
植民地と変わらない日本社会を誰も望んではいなかったのです。

この事が、東アジア諸国と長きに渡る溝を作り、戦争の蟠りが
一層その関係を複雑なものとしているのです。
誰もが、戦争は起こらないものと心の中では思ってはいるのですが、
もし、起こった場合の事を考えた方が、気持ちの上で未来への
ハッキリとした指針となると思われます。

シミュレーションとしては、最悪の、北朝鮮の暴発的行為から
スタートします。
前回の戦争と、国際状況が似ていますから、当然、ミサイルが、
報復を恐れ、日本と韓国の軍事基地に落とされます。
少なからず、迎撃されるとしても、幾つかの地域は壊滅的被害を
生じるでしょう。

この事は、真珠湾攻撃とは比較にならない程の被害を及ぼし、

戦争が終わった後も、長きに渡って人々を苦しめます。
しかし、この突発的なミサイル攻撃は、アメリカ軍の戦いの
言い訳と成ります。そう、戦う理由を与えるのです。

日本海に進出した空母からは、大量の戦闘機が北の軍事基地へ向かい

日本海のみならず、太平洋の公海上からも、巡航ミサイルが
潜水艦から放たれます。
北の反撃を遥かに超える軍事力は、アメリカ軍の最新兵器の導入を
一気に加速し、北朝鮮の国土は、絶え間ない空爆さらされます。

その終わりは、物量で誇るアメリカと成るでしょうが、例え、

キム政権が崩壊したとしても、双方の被害は甚大であり、
北朝鮮だけでなく、韓国、日本に於ける被害は、筆舌に尽くし難い
国家の存在を危うくするほどの後遺症を残すかも知れません。

この戦いで、もっとも被害を受けるのは、3か国の国民です。

アメリカ本土は、殆ど被害を受けずとも、極東アジアの、
日本、韓国、北朝鮮は、国として自立できない被害を受けるかも
知れないのです。

これから何十年何百年と復興が出来ないかもしれないのです。

核爆弾は、福島の原発事故とは、比較にならない程の被害を及ぼし、
更には、ミサイルが、日本全国の原発を狙えば、日本全土が、
福島の惨状と成るのです。

何故、戦争を止めなければならないのか。

今回の戦争は、東アジアのどの国にも得にならず、幾世代も続く
憎しみを抱き続ける事と成るのです。
これ程にも恐ろしい事を、たった二人の我儘で決められてはたまりません。
例え、日本の立場が悪くなろうと、後ろ盾を失ったとしても、
絶対に起こしてはいけないと言う強い気持ちを、世界に発信する事が
今の日本に出来る唯一の事と言えます。

太古から続く日本の大自然、日本人の魂を失ってはならないのです。

日本のリーダー達に言いたい。自分達の欲望を全て捨てても、
自分達の未来を棄てても、この戦いを治める事に身体を張れる
勇気のある者はいないのか。
国民を守る為に社会を動かす地位を得たはず、この事を証明できる
日本人の代表はいったい誰なのだ。
私欲に走って、親方の腰ぎんちゃくになる為に、リーダーになったと
言われない為にも、日本国民が心から称賛する行動を望みたい。