めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

三つ子の魂?に救われる

2016-05-13 16:46:05 | 人生

三つ子の魂100までと言いますが、若い頃は、誰もが年を重ねると
環境によって、更には経験によって変わっていくと思っていましたが、
何の事はありません。その通り、基本的に、幾つになっても本質は
変わっていないのを実感するものです。

多くの知識を身に付け、社会に出て、様々な方と交流を持ち、

更には、家族を持つことにより、親としての経験も積んで来ました。
しかし、やっぱり本質的には変わっていないのが感じられます。
では、いつまでも子供の様な自己中心的な考えであるかと言えば、
全く逆で、多くの人と共に生きて行く為に、様々な術を覚え、
自分自身の社会的地位を維持する為に、少なくとも、大人であるよう
努力をしてきたつもりです。

子供の頃に比べれば、比較にならない程の知識と教養を身に付けて

一人の大人として社会で生きてきたつもりでした。
でも、冷静に考えると、心のコアの部分は、幼い頃一日中釣りに出かけたり
昆虫を追っかけていた頃と何だ変わっていないのです。
ならば、今の普段の自分は一体誰なのでしょう。
生きる為に作られたキャラクターなのか、本心を偽った得体の知れない
動物に過ぎないのでしょうか。

普段の私は、一体誰なのでしょうか。

本当の自分は、過去から変わらない自分であり、普段の自分は、
生きる為に作られた偶像に過ぎないのかも知れません。
家族も仕事も、日常のあらゆる行動が、生きる為に演じられている
偽の人生なのかもしれません。

そう考えると、世の中の全てがフェイクの世界に思えてきます。

誰もが、本心を隠し、新たに作られたキャラクターの為に自らを演じ、
御互いに作られたものに価値を見出し、生活を成り立たせていると
考えられます。
当然何事も最終目的でなく、常に作り変えられ変化して行きます。
つまり新たなるものに形を変え進化して行きます。
こうして私達は文明を発達させてきたのでしょうか。
自分の本質は変わらずとも、社会における事実を基準とする事で
周囲と上手くやって行く事が出来たのでしょうか。

人類はサルの時代から遥かに進歩をして、今では、地球の主として

存在できるようになりました。
しかし、サルが人間になれたのは、この三つ子の魂を、心の奥に隠し
全く違った自分を演出する術を覚えるようになったのかも知れません。

確かに、社会的ルールや大義の元で自分を生かしていけば、

トラブルに見舞われることなく、更には、与えられた環境を上手く利用し
生活のレベルを上げて行けば、それこそ、この世で楽しく生きていける
かも知れないんです。
家族も周囲も、観ている自分は本当の自分でないとしたら、自分自身を
どんどん変化させ、この世で生きていける一番有効な姿に変えて行けば
これこそ理想的な生活が出来るのかも知れません。

自分とは違う人間であり、本心でないなら、何のためらう事も無く、

自分自身の欲するものを手に入れれば、心が痛む事もありません。
とは言うものの、そう考え行動しようとすると、今度は、三つ子の魂が
何故か、足を引っ張り始めます。
道徳的に、人間的に、良くないと諌めているのでは有りません。
それ以前に、不自然さを感じるのです。

そう、三つ子の魂と言うのは、人になる前から持っていた、何か

故郷の様な懐かしさです。
遠い過去に、大自然の中で生かされてきた、大きな地球の懐で
動物の一つとして生かされてきた、地球で生きるための命の在り方とも
言えるような感覚です。

後で経験的に身に付いたり、知識として得られたものではないのです。

これまで、様々な出来事の廻り合い、沢山の壁にぶち当たり、
多くの難局を乗り越えてきました。
その時、一体どうやって切り抜けて来たかと言うと、知識や経験と言うより
何か本能的に自分の生きる道を示すような思いが浮かんだものです。
それは、人として生き物として、地球で生きて行く為の教えの様でした。

沢山の経験知識が有っても、それを次へ進めるには、この三つ子の魂が

大きな力を発揮してきたのが解って来ました。
普段では全く役に立たない、面倒な自分の心のしこりが、いざと言う時
後押しをしてくれたように思えます。
この遠い昔の青春の尻尾の様な思いが無くならない限り、また新たなる
道を求めて歩んで行けるような気がします。



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