電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

川又一英『ヒゲのウヰスキー誕生す』を読む

2015年02月03日 06時02分54秒 | -ノンフィクション
新潮文庫で、川又一英著『ヒゲのウヰスキー誕生す』を読みました。NHK-TVの連続テレビドラマ「マッサン」で話題になっている、竹鶴政孝とリタ夫人を描くものです。全体は五章に分かれています。

第1章:造り酒屋の息子として生まれた竹鶴政孝が、大阪高工の醸造科に進み、清酒ではなく洋酒をやりたいと摂津酒精醸造所に入ります。そこで模造ウイスキーの製造に取り組みますが、先見の明のある社長の命令で、スコットランドにウイスキーの研修留学に出ることになります。

第2章:政孝のスコットランド生活を描きます。日本から来た政孝に、グラスゴーの王立工科大学の主任教授ウィリアムは一冊の専門書を紹介します。著者に会いに行きますが、高額な謝礼を要求され断られてしまいます。たまたまある蒸溜所の見学を許され、職工と一緒に実習をさせてもらえることになります。現場の装置の状況や実際の作業のノウハウをノートにメモしながら、どんな役でも自ら買って出ます。
そして、カウン家の末弟の柔術コーチを依頼されたことから、長女リタと親しくなり、さらに別の蒸溜所で実習を許可されます。この実習の後に、政孝はカウン家で日本の鼓を披露し、リタはピアノでシューマンのソナタを演奏します。シューマンのソナタ?もしかしたら、シューマンが若いクララにささげた、あの第1番(*1)?
だとしたら、その後の「オールド・ラング・ザイン」の日英合唱の場面の重要な伏線になりますね。そして、政孝とリタは、周囲の反対を押し切って、グラスゴーの結婚登記所で結婚します。

第3章:リタとともに帰国した竹鶴政孝は、本格的なウイスキー製造に乗り出しますが、経営的な観点から考える者と技術的な観点から考える者の議論は、どうもかみ合いません。これは、いつの時代にも変わらないようですね~(^o^)/
後にサントリーになる寿屋山崎工場からは独立し、政孝とリタは北海道に旅立ちます。

第4章:竹鶴政孝は、北海道余市で「大日本果汁」略して「日果」を立ち上げ、原酒の樽を寝かせながら太平洋戦争をくぐり抜けるところです。この時代、英国人のリタさんは、さぞや居心地が悪かったことでしょう。海軍監督工場の社長夫人という立場が、もしかしたら身を守ったのかもしれません。

第5章:戦後の復興の時代です。まがいものでない、本物のウイスキーが全国商品として認められるまでの、経営的な苦労が描かれます。なるほど、そんなふうにしてニッカは成立・成長し、仙台のニッカの工場も作られ定着したのですね。



NHK-TVの放送のほうは、大日本果汁でジュースの販売に苦労するあたりの場面に差し掛かっていたようです。どんどんストーリーが進んでいきますので、ついていくのに苦労します。それよりも、竹鶴政孝氏がグラスゴー留学時代に書き留めていた留学時代のノートがネット上で眺めることができる(*2)のですね。すごいものです。

(*1):シューマン「ピアノ・ソナタ第1番」を聴く~「電網郊外散歩道」2007年12月
(*2):竹鶴ノート:ニッカウヰスキー80周年ストーリーより

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