電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ブラームス「交響曲第3番」を聴く

2009年06月03日 05時13分47秒 | -オーケストラ
1883年夏、いつも滞在するペルチャッハではなく、ウィースバーデンで一気に書き上げられた交響曲第3番は、ブラームスの友人シュトックハウゼンについて勉強中だったコントラルトの女性ヘルミーネ・シュピースという女性と親密になり、この幸福感が反映された曲だ、と言われています。ところが、曲の印象は、決して若い恋人との一時の幸福感といったものではありません。50歳になった作曲家が味わうことになった、もっと深い感情があるように感じられます。

楽器編成は、Fl(2),Ob(2),Cl(2),Fg(2),CoFg(1),Hrn(4),Tp(2),Tb(3),Timp,弦五部。同年の12月に、ウィーンで初演されたそうで、オーケストラはウィーン・フィルだったのでしょうか。指揮は、ハンス・リヒター。

第1楽章、アレグロ・コン・ブリオ、6/4拍子、ヘ長調。パー(F)ポー(A)という印象的なモチーフが管楽器によって提示され、続いてヴァイオリンに第1主題が登場。ドヴォルザークみたいにのどかな、木管が活躍する経過を経て、やや暗めの、情熱的な展開部に入ります。ホルンが静かに基本モチーフを提示し、第1主題が再現されます。クライマックスは最後にはなく、静かに回想するように曲が結ばれます。
第2楽章、アンダンテ、4/4拍子、ハ長調。木管楽器がたいへん心地よく響く、平安な気分の中に、のどかさのある音楽です。でも、その中にも暗く沈むような部分が出てきます。たいへんにすてきな、大好きな音楽です。
第3楽章、ポコ・アレグレット、3/8拍子、ハ短調。冒頭のチェロのすてきな旋律が、合奏になっています。もし、これが独奏だったらと考えると、表現しようとしたものの違いに気づかされます。たぶん、うねる大波のような感情の深さ、大きさだったのでしょう。ブラームスは、独奏では感傷的に過ぎ、一人だけの個人的な感情になってしまうとでも考えたのでしょうか。リン・ハレルがクリーヴランド管で悩んでいたとき、セルが話した内容が、待遇や損得ではなく、音楽の本質や表現の話だった、というエピソード(*)を思い出します。
第4楽章、アレグロ、2/2拍子、ヘ短調。弦楽器とファゴットが、細かい動きの第1主題を奏し、この楽章が始まります。トロンボーンに続いて、腹の底から出てくるように激しさを増し、盛り上がりを見せます。晴れやかな気分と激しい感情が交代するように歩む音楽は、やがて穏やかなものに変わり、第1楽章の主題を回想するように、静かに終わります。

50歳のブラームスと26歳のヘルミーネ。ほとんどダブルスコアの関係は、「愛があれば年の差なんて」とは言えないものでしょう。ましてや、恋に盲目にはなれない、自己批判力の強いブラームスのこと、痛切に自分の年齢を意識したんじゃないでしょうか。美しい自然、良き友人たち、若く魅力的な声を持つ親しい女性の存在、自分の中にある激しい葛藤、年齢の意識と過ぎ去ったものへの哀惜の念。どの楽章も、そうしたものを思わせるように、静かに消え入るように終わります。5月から10月にかけて作曲が進んだ、過ぎ行く夏と人生をいとおしむような音楽です。

【追記】
演奏は、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団。1964年10月16日~17日、米国オハイオ州クリーヴランド、セヴェランス・ホールでのアナログ録音、1984年のリミックス全集盤(00DC203-206)です。リン・ハレルのエピソードによれば、セルは奏者に対して、「たくさんの人間で弾くことを想定されて作曲されて」いる旋律が「曲全体の中の統合されてかつ重要な一部であると感じ」られるように要求していたのだそうな。あたりまえといえば至極あたりまえですが、その表現の驚くべき水準に、今なお感銘を受けます。

参考までに、演奏データを示します。
■ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団
I=10'19" II=8'56" III=6'26" IV=8'52" total=34'33"

(*):シューベルト「アルペジオーネ・ソナタ」を聴く~電網郊外散歩道
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