電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

購読をやめてわかったパソコン雑誌の役割

2008年11月29日 07時26分24秒 | コンピュータ
一時は雨後の筍のように乱立していたパソコン雑誌ですが、今は休刊廃刊が相次ぎ、すっかり様変わりです。当方も、ずいぶんいろいろなパソコン雑誌を定期購読しました。ざっと思い出すだけでも、
(1)アサヒパソコン
(2)月間ASCII
(3)季刊Networker~月刊Networks
(4)月刊Oh!FM~Oh!FM-TOWNS
(5)季刊~月刊Linux Journal
(6)季刊~月刊Linux Magazine
(7)月刊・日経Linux
などです。この中で、もっとも購読期間が長かったのは、月刊アスキー誌でしょうか。
現在、ほとんどが休刊あるいは編集内容が大幅に変わり、時々眺めたり購入したりするのは、(6)の日経Linuxくらいになってしまいました。ある程度つっこんだ内容になると、むしろWEB上で検索するほうがはやいですし、特にパソコン雑誌を定期購読していなくても、不便はないように思います。

一つだけ、パソコン雑誌を定期購読していた時期と現在との、かなり明らかな違いを感じることがありました。1980年代の終わりから90年代の初頭にかけて、sedやawkを覚えたのは、間違いなくASCII誌やNetworker誌の特集記事がきっかけでした。また、日本語TeX/LaTeXやgnuplot、Linuxなどを知ったのも、Oh!FM-TOWNS誌やASCII誌がきっかけです。つまり、雑誌は、しばしば新しい知識や技術を身につけるきっかけとなったのです。


(パソコン通信の雑誌「Networker/NetWorks」FDの付録がついていた)


(隔月刊から月刊になったころのLinuxMagazine誌)

ところが、WEBの時代になってからは、検索すればいつでも調べられるとはいうものの、新たに身につけた技術や言語はごく少ない。年齢とともに仕事の内容が変わったこともありますが、雑誌に紹介された記事を試してみたり、参考書籍を購入してつっこんで勉強したり、といったことがなくなり、日々、情報は通り過ぎていくだけになってしまったように感じます。パソコン雑誌には、実はこういう「手ほどき」の役割、教育的な役割があったのではないか。
パソコン初心者が卒業した時点で雑誌の役割が急減したこともそれが理由なのだとすると、紙メディアは新しさを追うのではなく、もう一度季刊の時代に戻って、手ほどきや教育的な役割に徹した編集をしてみるのも面白いのでは、などと考えたりします。もちろん、一時のような栄華はありえないでしょうが。
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