電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

モーツァルト「ピアノ協奏曲第27番」を聴く

2008年11月28日 06時52分34秒 | -協奏曲
モーツァルトが作曲した最後のピアノ協奏曲らしい、第27番変ロ長調K.595は、年齢と経験を積み重ねるほど、巨大で複雑でスゴイ作品を作れる(作る)ようになる、というようなイメージとは随分遠いところにある作品のように思います。変なたとえですが、「巨人の星」に代表されるスポ根もの~刻苦精励・魔球の進化みたいな~はそんなイメージですが、モーツァルトはそんなイメージを軽やかに蹴っ飛ばす。事態はむしろ逆の方へ----

楽器編成は、Fl(1),Ob(2),Fg(2),Hrn(2),弦5部に独奏ピアノというもので、クラリネットもトランペットもティンパニもないというシンプルなものです。これは、予約演奏会を開こうとしても開けないほど離れてしまった聴衆を呼び戻すために、複雑になりすぎた音楽をシンプルに戻そうとした結果だ、と考えるべきなのでしょうか。どうも、そういう考えには、「巨人の星」的イメージが前提にあるような気がします。本来は巨大で複雑でスゴイ作品を作りたかったのだが、聴衆に合わせて程度の低い作品を作ったのさ、みたいな前提が。ですが、はたしてどうなのか。オーケストラを雇う金銭的な余裕がなかったため、という見方はありうると思いますが、むしろ、「フィガロ」や「ドン・ジョヴァンニ」や「魔笛」などを創造した作曲家の、シンプルな編成でも求める音楽的効果は得られる、という自信の現れと見ることもできます。

第1楽章、アレグロ。なんとも軽やかな始まりです。独奏ピアノが入ると、時折翳りを見せながらも、優美な音楽が展開されますが、単に優美なだけでなく内容も豊富です。
第2楽章、ラルゲット。ピアノのつぶやくようなソロから始まり、ホルンがこだまし、弦楽が入ります。続く音楽も、ゆったりしていますが、弛緩したものではありません。むしろ、奏者にとってはたいへんに緊張感を求められるところなのでは?劇的な内面を秘めた静謐な音楽、という印象です。
第3楽章、アレグロ。やっぱり伸びやかで軽やかなロンド形式の音楽です。フィナーレは盛り上がって決然と終わります。

音楽は、巨大で複雑な音響だけに価値があるのではない。軽やかなリズムとさらりと転調するひとふしの中にも、音楽があるように思います。

ロベール・カサドシュ(Pf)、ジョージ・セル指揮コロムビア交響楽団ことクリーヴランド管弦楽団、1962年11月に収録されたアナログ録音で、SONY Classicalの5033902 という型番の3枚組CDと、アンネローゼ・シュミット(Pf)、クルト・マズア指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団による DENON の紙箱CD全集 COCQ-84097-105、あるいは例の MyClassicGallery という全集分売ものの GES-9233 から。ふだんはセル盤を聴くことが多いのは確かですが、これらの演奏を云々するのは野暮というものでしょう。いずれの演奏を聴いても、私は幸せです(^o^)/

でも、参考のために演奏データを示します。
■カサドシュ、セル指揮クリーヴランド管
I=13'17" II=8'47" III=8'01" total=30'05"
■シュミット、マズア指揮ドレスデン・フィル
I=13'25" II=6'40" III=8'45" total=28'50"
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