電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

「アメリカ交響楽」を見てガーシュインを聴く

2007年03月15日 06時47分32秒 | -オーケストラ
「アメリカ交響楽」は、ジョージ・ガーシュインの生涯をほぼ時系列に沿って描いた1945年の白黒映画です。原題は"Rhapsody in Blue"

ジョージ・ガーシュイン、本名はジェイコブ・ガーショヴィッツ Jacob Gershowitz といい、ロシア系ユダヤ人の移民の息子として、1898年9月26日に生まれました。
(1897年生まれのジョージ・セルとは一つ年下になるわけです。すると、もしガーシュインが長生きしていたら、1970年の万博で来日公演、なんてことも実は可能だったんですね。)

兄アイラのために購入したピアノに弟ジョージが夢中になり、才能を開花、1919年に「スワニー」が歌手アル・ジョンソンの歌でヒットします。以後、兄と組んで多くのポピュラーソングを発表します。
しかし、子供の頃に聞いたドヴォルザークの「ユーモレスク」で親しんだクラシックの世界。映画では、ブラームスと親しかった恩師フランク教授の熱心な勧めで、クラシック音楽の道に進むこととなります。そして完成させた「ラプソディ・イン・ブルー」。父親が、演奏時間を計り、いい曲だ、と一人合点する場面は、息子への信頼と愛情を感じさせる場面です。

1924年、ラプソディー・イン・ブルー
1928年、パリのアメリカ人

ガーシュインが独身を通した理由を、映画ではジュリーやギルバート夫人など女性の側が、「完全な独身男」として束縛せず自由にさせておくことを選んだ、としていますが、さて、これはどんなもんでしょうか。兄アイラの妻が、夫に「あなたは天才にならないでね」とささやく場面は、後の弟の悲劇を予告するようです。

1935年、オール黒人キャストの歌劇「ポーギーとベス」を発表

それ以前のミュージカル・ショーでも、シリアスな内容のものを発表しており、流行作曲家からの転身は準備されていました。絵画への取り組みは、映画ではギルバート夫人の影響とされています。

娯楽・エンターテインメントの重要性を説くポール・ホワイトマン(かな?)とアメリカの声となる芸術としてクラシック音楽に重心を置くべきだとする老フランク教授の対立。教授の死に際してブラームスのサイン入りの楽譜を贈られる場面は、全曲ガーシュインの音楽が流れる映画中、ただ一箇所、ブラームスの音楽が流れるのですね。ちょっとうるっとなってしまいます。

「ぼくはまだ協奏曲が書けない。」「したいことがたくさんある。」

過労がたたったのでしょうか、完成したへ調のピアノ協奏曲の演奏のため出かけたロサンジェルス・フィルハーモニーの演奏会で発症し、脳腫瘍のため、1937年7月11日に、ハリウッドで急死しました。手が不自由になったところを見ると、一説には「くも膜下出血」という見方もあるとか、なんとなくこちらの方が自然な感じです。

ガーシュイン役は、ロバート・アルダ。実際にガーシュインの親友だった、ピアニストのオスカー・レヴァントは、この映画をきっかけに映画界入りしたそうです。そのオスカー・レヴァントが出演した1951年のアメリカ映画「巴里のアメリカ人」(*)も楽しいミュージカル映画でした。シドニー・ポワチェとサミー・デイヴィスJrが共演した1959年の映画「ポーギーとベス」も、ぜひ見たい。500円DVDですが、いい映画でした。

(*):映画「巴里のアメリカ人」を見る~「電網郊外散歩道」
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