冬物スーツをまとめてクリーニング屋へ持って行く。昨日は雨になりそうなので今日にした。
それにしても昨日の涼しさから一変して暑い。日差しがあるので日焼け止めをしっかり塗っていく。
昼飯は毎回コンビニだと飽きるので、今日はスーパーの惣菜コーナーの弁当を買ってきて、インスタント味噌汁を作っていっしょに食べる。
昼飯にスーパーの惣菜コーナーのものを買ってきたのは、新型コロナで家ごもりするようになってから今回で2回目。
今日はダンベルをやろうというわけではないが、晩飯も外で食べたくなった。それで吉野家行徳新浜店へ行く。
もし混んでいたら別のところを探すか、コンビニで弁当を買って帰ることにしようかと思っていたが、午後6時40分頃でガラガラだった。
食べたのは牛丼並とBセット(お新香、みそ汁)。
今日は行徳雑学館の更新。今回はトップページのレポートではなくコンテンツの追加。
「食の部屋(過去分)」を追加した。
この日記の最初のから1日ずつ追いかけ、それぞれの店へ行った日の日記へのリンクをまとめたもの。
メインの「食の部屋」は、かつては自分のお気に入りの店を紹介するページとして作っていた。行く店(特に飲む店)もお気に入りの店が中心だった。だけど、2016年に南行徳から行徳へ引っ越し、いろいろな店へ行くようになった。それで2018年の秋にリニューアルし、この日記へのリンクで構成することにした。ただし、過去分すべてを入れると膨大になるので2016年以降に限定した。
去年の夏で行徳雑学館を最初に作ってから20年が経過。周年の記念で何かするというのは自分の趣味ではないから特に何もしなかったが、今後、どういう形で続けて行くかはいろいろ考えた。もうWEBサイト(ホームページ)で情報発信するというのは、とっくに古い形になっている。一応、ブログは日記という形で始めたが、それ以外のSNSに手を広げるかは迷う。手を広げても個人がやるのだから使えるパワーは大してなく、どれも中途半端になりそうだ。それにこれまで20年の蓄積があるのをどうするかとも考えないといけない。
それで考えた結果、これまでのやり方を続けることにした。WEBとブログの二本立ての形のまま。ただし、これまで地域の祭礼やその他の行事、風景とその変化を記録してきてその蓄積があるのだから、今後も継続し、地域の歴史の資料とすることに力点を置くことにした。それを「当サイトについて」に追記した。
WEBサイトは自分で好きな形に作ることができるから、情報を整理して保存するには都合のいい手段だ。
一方、食の部屋についても現存する店の2015年以前分や、もう閉店した店についても、日記という自分の生活の記録の形だが、それも地域の過去のようすを記録した資料とするために過去分を作ることにした。
そう考えたのが去年の夏で、すぐ作業に取りかかったが10数年分ある日記を1日分ずつ追いかけ、そこへのリンクを作っていくのはけっこう手間。それに母親がケガで入院したりとか、情報処理の試験があったりとかでそういうときは作業がストップする。今年の夏ぐらいまでかかるだろうと思っていたが、この春からコロナ禍で家にいることが多くなったので逆に作業がはかどりはじめた。決して録画がたまっている映画ばかり見ていたのではない。そして、ようやく作り終わったので公開することとなった。
地域を記録した資料として残すのは50年か100年か、あるいはもっと先の郷土史研究者の一助になればと考えてのこと。思えば21年前に「行徳雑学館」と名付けたのも、地域のいろいろなことをまとめた資料館を意図したからだった。そして後の時代への資料とするためには作るだけではなく、残すための努力が必要だろう。その努力はしていくつもりだが、それにも拘わらず残らなかったら...そのときはそれで仕方がない。
それと、個人的なことを書くページの屋根裏部屋。こちらはもう6年半ぐらい更新していなかった。ここにも新しいコンテンツを追加。
食の部屋(過去分)を作る作業でこの日記の過去分を追いかけているので、並行して休みのときの旅行や行徳地域以外へ出かけたことなどを、こちらも日記へのリンクをまとめたものを作っている。