行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2011年12月24日(土)の日記

2011年12月24日 | 日記

いつもの土曜日と同じように、洗濯と掃除はやる。

朝飯はコンビにではなく、相之川四丁目にわりと最近、新しく開店した屋山パン工房というホームベーカリーへ行く。

南行徳公園に近いが、南行徳駅から遠い側の近く。前の道は欠真間二丁目との境界で、ほぼ向かいが養老乃瀧南行徳店。斜め向かいが7月に閉店した居酒屋オンドリとなる。

3種類買ってきた。カタカナの名前は覚えるのが難しい。が、一つだけ覚えられたのが左上の味噌パン。単純な名前だからだ。また、人気No1だということ。

ジャムパンやアンパンからの連想で中に味噌が入っているのかと思ったが、そうではない。どちらかというと、メロンパンと似た感じで、全体に薄く味噌味が付いているパンだった。

昼飯は、バイパス相之川の元めん組の場所に12月初めに開店したすてぃーぼへ行く。11日に行って今回が2度目。

前回は醤油らあめんを食べたが、今回はもう一種類のほうの塩らあめんにする。トッピングはにらにした。

前回、載っている海苔は4枚だと思ったが、今回、よく見ると3枚だった。

今日は土曜の昼で営業していたが、貼り紙があって、年明けからは昼間の営業は日曜だけで、それ以外の曜日は夜のみに変わるということ。麺と酒の店だし、おそらく酒のほうに比重を移すのだろう。あっさりめのスープは自分は好みだが、広く受けるわけではなさそうだから、店が続くためにそうするのではないかと思える。

午後は録画しておいた映画を1本片付ける。

夜は昨夜、飲んだ酒の残りなどを飲んで、昼飯のあと相之川のスーパーヤマイチで買った弁当を食べつつ、ドラマ「帰郷」を録画したのをもう一度見る。どうも、マニアックに細かいところを見てしまう。

まずは市川市の行徳地区であることを示す小道具。
神尾家のダイニング&リビングで、大竹しのぶからかかってきた電話に冨司純子が出る場面。
壁の地図(四角い枠)は市川市の地図。右下の丸で囲んだのは「行徳カタログ」。

電話がかかる前に冨司純子が読んでいたのは行徳新聞っぽい。でも、テレビ画面で見ても小さくて確認できず。しかも、電話に立ったときに、テーブルに置いたら、そのまま床に落ちてしまっていた。

同じく神尾家のダイニング。冷蔵庫に貼られているの(赤い四角の中)は、市川市のゴミの分けだし方のルールのようだ。

こちらも同じく神尾家のリビング&ダイニング。赤い枠の中に見えるのは、市川市のコミュニティバスのルートマップと時刻表。

大竹しのぶの小料理屋の壁に貼られているもの。左のほうの赤い枠の中は、市川のコミュニティバスのルートマップ(あるいは名所マップ)と時刻表の白黒バージョンのように見えるが、はっきりと映った場面がなくて確かめられず。でも、右のほうの四角い枠はというと...

これは縮小したからはっきりとは見えないが、元の画像(それからテレビ画面)では分かる。これは市川市元日マラソン大会のポスター。

と、いろいろとある。まだ他にもあるかも知れない。

次にロケ地は、すべてが行徳地区あるいは市川市というわけではない。また、行徳地区にあっても、必ずしも実際のものと同じでもない。
神尾家先祖代々の墓があるお寺(セリフからは「ほんぎょうじ」(本行寺?)というお寺のようだ)。渡瀬恒彦が妻と娘が眠るお墓に参りに来る場面で、後ろの木に貼られた「犬のふんは飼い主が始末しましょう」。

拡大してよく見ると、「大田区」とあった。

つまり、ロケ地のお寺があるのは大田区。

大竹しのぶの実家の船宿池野屋がある場所は、旧江戸川沿い、浦安の東西線鉄橋近く。

右下に見える「小椋屋」という看板だが、実際にない船宿の名前。「小椋」というのは番組プロデューサーの名字から取られたものではないかと思う。つまりは楽屋おち。
正面近い角度からの池野屋だが、後ろに見えるのが浦安橋。

大竹しのぶの小料理屋「深谷」だが、実際の場所は浦安の東西線高架のすぐそばのようだ。

でも、建物に貼られた住居表示板は、「市川市富浜四丁目18」。

市川市富浜は妙典方面に実際にある町名だが、丁目は三丁目までしかなく、四丁目は架空のもの。つまりそういう劇中の設定。

歳末の持ちつき大会が行なわれている河川敷の場面。テントには市川市と印字されているが、

後ろのマンションと、それに総武線が走る鉄橋が映ることから、市川だが行徳地区から離れて江戸川の総武線鉄橋近く。でも、ここも行徳のどこかの場所という設定なのだろう。

急病になった内田有紀が入院したのは、東都大学(ドラマや映画でよく出てくる架空の大学名だ)の付属病院で浦安にある設定だが、手術の後の屋上での場面をよく見ると、これは行徳にある市川の第七中学の屋上。右の赤い枠の中が七中の体育館だ。

そして神輿の初詣場面が撮影された本塩の豊受神社だが、大竹しのぶの店での柄本明のセリフをよく聞いていると、この神社名は劇中では八幡神社。




でも、神輿の銘坂で「行徳」の名前は登場。

こういうのはみんな、↓これということになるのだろう(赤い枠の中)。

でも、ドラマが基本、フィクションだといっても、こんないい加減なのはやめてほしい。
患者が待つ国東半島の診療所に帰った渡瀬恒彦がおみやげを手渡すときのセリフは、
「行徳の落花生です。」

落花生というなら八街だろう。行徳みやげなら、やはり海苔にしてほしいものだ。このドラマの作者は15年ぐらい行徳在住というが、それでも知識不足か?

 

それから、もう一つ、マニアックな話。実はエンディングで出演者のところを見るまで気が付かなかったのだが、渡瀬恒彦の娘と妻の23回忌の場面に登場するお寺の住職。

宮内洋だった。

宮内洋はヒーロードラマにはいろいろと出演している俳優。渡・渡瀬兄弟とは同年代。渡・渡瀬兄弟がNHKのドラマ「あまくちからくち」に出ていたのと同時期にはTBSの土曜夜9時のドラマ「キイハンター」に出ていた。自分が「キイハンター」を初めて見たのは、もう終わり近い頃だから、あまり印象は強くない。自分にとっては1973年~1974年の「仮面ライダーV3」の主人公:風見志郎だ。その人がお坊様をやっているとは、見ただけでは分からなかった。

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