日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「夏。山の天気は、『人心』、『花心』」。

2010-08-02 07:47:41 | 日本語の授業
 8月に入りました。名実共に、「夏」です。梅雨明けのあの「暑さ」が異常であって、「八月」に入ってからなら、(暑さを)我慢できるというのもおかしな話ですが、気持ちの上では、これ、本当です。

 外から「ミーン、ミーン」という鳴き声が聞こえてみます。「蛙の声が、聞こえてくるよ、ゲロゲロゲロ…」ならぬ、「セ~ミの声が、聞こえてくるよ、ミーンミーンミンミン…」とでもいうところでしょうか、。

 そういえば、学校の外階段にも、一匹、ひっくり返っていました。私の足音で、急に正気にかえったのでしょうか、びっくりしたように飛んでいきましたけれども。

 さて、夏です。夏、夏、夏の夏です。しかしながら、言えばいうほど暑苦しくなるのはどうしてでしょうね。今、キョウチクトウ(夾竹桃)」や「ヒマワリ(向日葵)」、そして「アサガオ(朝顔)が、夏の日差しの中で、わが世の春を謳歌しています。最近は植木でも、庭木でも、「洋物の花」や、「南国の花」が増えました(学校の中も同じです。カタカナ名の花が所狭しと飾られています)。私などから見ると、これは少々辛い。(見ても)確かに、きれいだとは思うけれども、それに纏わる思い入れがないのです。そういう中で、昔懐かしい、和名を持つ花などを見かけると、途端に旧友にでも会ったような、ホッとした気分になってしまいます。

 ところが、野山は違います。手入れをせずとも、雄々しく生え広がるような手合いばかり。日本の風土に合った輩が、しのぎを削って伸び太ろうと待ち構えていますから、洋物で成功したものは確かに少ない。成功すれば、それは外来植物として新聞に載ってしまいます。もし、蛇を怖じぬ人であれば、野山へと出かけもするのでしょうが、この時期、一人で日本の野山へ出向こうとするのは、蛇嫌いからすれば、自殺行為。そこここで蠢いています。

 ただ、野山に行けば、その山の高度、陽の入り込み具合(日向か日陰か)などによって、可愛らしくも色とりどりの、様々な山野草と出会うことが出来ますから、それはそれで、お勧めです。もっとも、都心でも、野趣に溢れた公園を選んで参りますと、これもまた、懐かしい花々と出会うことができます。中には野良猫の巣窟とかしているような公園もありますから、彼らを一日中見つめていても、また面白いのです。

 ところで、隣の工事現場では、土日を挟んで、少し様相が変わったようです。見慣れない機械がデンと据えられていますし、金曜日にはなかったおかしな恰好をした機器が転がっていたりしています。これからの一ヶ月は、一番暑い時期で、工事関係者の方にはお気の毒ながら、夏休みの4日から21日までの間に、出来るだけ工事が進んでいると良いですね。

 ただ、更地にする時には、地震のような音や響き、また大揺れが耐えられないほど続きましたのに、建てる段になりますと、これがなかなかしおらしい(音にしても、揺れにしても)。それでも、杭を40㍍でしたか、何本も新たに打ち込むという話でしたから、また学生が「先生、地震です」と叫ぶかもしれません。

 さて、明日は「富士山」へ行ってきます。お天気が気になるところですが、なぜかあの日だけ、東京は曇り…。で、富士山は雨…。

 山の天気は変わりやすく、以前にも、晴れていたかと思うと、急に土砂降りの大雨に見舞われたりしたことがありますので、それほど(公式予報を)信じているわけではないのですが。何と言っても、予報は予報。しかも、富士山は雲の山です。何が起こるかわからない。雲は風によって生じ、また雨も呼ぶものと相場は決まっていますから。とはいえ、バスの予約も終わっています。ルビコン川を渡るしかありません。ええい、一か八かだ。出たとこ勝負だ。しかしながら、心の中では、晴れ女、晴れ男はどこだと、眼をきょろきょろさせるという、「無駄な努力」をしています。

 ところで、先週の金曜日に最後の事前指導ということで、持ち物やら、服やらの注意をしました。まず、運動靴です。決して、決して、「お祭りだ。さあ、晴れ着を着よう」とばかりに、高いヒールの靴を履いて来ないように。転んでけがをするのは自分でしょうが、周りの人間はそのためにオタオタと走りまわらねばならぬということで、かなり迷惑です。だいたい、普通の恰好をしていても、(景色に)見とれていたり、氷穴の中を中腰で歩いたりすれば、滑ったり転んだりすることもあるのです。我から進んで、おかしな恰好をする必要などないことです。

 それから、歌の練習はかなり進んでいるようでした。何人か、口を開こうともしない学生もいるのですが、歌が苦手という人も(私も含めて)いるのは当然で、言語を学ぶ上ではかなり不利ではあるものの、生まれつきはしようがないのです。みんなの歌声を聞いて、楽しめばいいのですから、無理強いはせずともそのままにしておけばいいのです。だいたい、「フンフンフン」と唸っていれば、参加したことになるのですから。

 後は、当日の「席取り」です。これは早い者勝ちです。ただ、六時半出発で、私は六時にバスが到着するはずのところで待っていることになっていますから、それより早く来ないようにと念押しをしておきます。

 去年でしたか、私が自転車をとめに学校へ向かう時に、そこを通りかかると、すでに二三人の学生が来ていました。全く、落ち着いて自転車も置きに行けないじゃありませんか。はやる心はわかるのですが、(来るのは)何時から何時までの、「何時から」の方を強調しておかねばならぬ人には、それを二重三重にも強調しておきます。とはいえ、5分か10分の差で、富士山へ至までの快適度が決まるわけですから、普段は頑張れない人も頑張るでしょうし、普段は遅刻の常習犯の人も、今日だけはとばかりに、頑張って起きようとするのでしょうね。

日々是好日
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