日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

右でも左でもない「社会」

2008-07-15 07:56:05 | 日本語の授業
 今日は木々の姿も少しもやいで見えます。もう夏の深い緑に変わっている葉の、一枚一枚に光沢が感じられないのです。その上、枝の重なりが、その下に、ぼんやりとした闇さえ作っているようなのです。

 今日一日、こんな天気が続くのでしょうか。風景が動きを止めてしまうと、聴覚がやけに鋭くなってしまいます。鳥の声がひときわ高く聞こえてきます。人の気配はあまりしません。

 人というのは、本当に面白いものです。そして、人の「情」というのも、面白い。当事者でなく、第三者として眺めていても、面白い。興味深いものです。

 だから、人は人とつながりを求め、社会を構築していくのでしょう。その社会の中で生まれる「欲」というのも、面白い。「欲」はあるときは、人を力づけ、発展させ、栄光の地位に就けたりもするけれども、その反対に、人を堕落させ、奈落の底へ突き落としたりもする。

 大晦日に「除夜の鐘」を聞きながら、日本人は何を考えているのでしょうか。毎年のように、年の終わりに「煩悩」を捨て去り、そして、新たな年の初めには「家族が、皆、幸せになりますように」とか、「大学に合格させてください」とか、それぞれの「欲」を神仏に祈る。

 この「矛盾」の繰り返しが、いわゆる、「正統な」日本人なのかもしれません。実際のところ、はっきりと「神仏」を信じていると言い切れる人は、あまりいないのではないかと思います。けれど、全く信じていない人は、もっと少ないと思います。この赤でも黒でも、白でもない「緩やかな」世界。右でも左でもなく、正でも邪でもない「主義」に浸りきっている世界。

 これを「偽善」とか「虚偽」とかいう言葉で、一つに括っていいものでしょうか。私はこういう世界で、生きることが出来るのを幸せに思っているのですが。判断を下さない「世界」で、生きていくのは、ある意味で、「子供」にはできないことなのです。

 勿論、社会のルールがありますから、それに背けば、この社会から放逐されるでしょう。

 私は、この緩やかな「まやかしの世界」がとても好きなのです。けれども、未熟な人間ですから、時折、辛くなることもあります。右か左に決めてほしくなるし、「嫌だ」と叫びたくなりもする。けれども、叫ぶとしたら、そのときは、「本気で」です。上の人に嫌われるとか、ひどい目に遭うとか、そういうことは、考えません。考えなくても、生活に支障はないのです、この「世界」では。

 例えば、市役所の職員が、私のことを嫌いだとする。それで、私に必要な書類を届けてくれなかったりする、ようなことがあるでしょうか、この日本で。日常の活動は、何の問題もなく進んでいきます。なぜなら、「私」と「公」を分けて考えなければいけないと、「侍」の時代から、明確に、定められているからです。それを守らなければ、お巡りさんのお世話になってしまいますし、他の人から軽蔑されます。

 日本の社会のことを、「『虚偽』の人間関係に満ちている」という人がいますが、その人の国の方が、よっぽど「生きにくく、偽善に満ちている」と思います。

 だれが、自分が作ったまずい料理を、「いいや、まずくない。おいしいよ」と言って、一生懸命食べてくれる人を責めることができるでしょう。それで、得をする人間なんて一人もいないのです。「まずいと言ったら、その人が気に病むかもしれない。悲しいと思うかもしれない」。ただそれだけの思いで、そうする人を、だれが「偽善者」と言うことが出来るでしょう。

 日本社会の、こんな緩やかな、いたわりの「絆」が、「異文化を持つ」人が増えることによって、誤ったこととされ、薄らいでいくとしたら、私は、とても悲しいことだと思います。

 日々是好日
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日本の「暑さ」

2008-07-14 08:08:01 | 日本語の授業
 暑いですね。まだ梅雨が明けていないのが不思議なくらいです。もっとも、梅雨特有のムシムシ、ジトジトは続いていますから、夏ではないといわれれば、確かにまだ夏ではない…のでしょう。

 土曜日は、授業の後も学校に残っていました。すると、急にあたりが暗くなったのです。雷の音も遠くから響いてきます。それで、大慌てで、戸締まりをし、外に飛び出しました。自転車の技術がそれほど高くありませんので、雷雨の時は、それこそ「桑原桑原」です。

 実際に、何回か倒れてしまったこともあります。しかも、この日本語学校が、小学校の側と来ていますから、道行く小学生達が「わあっ」と集まって来て、自転車を引き起こしてくれたり、荷物を拾ってくれたりと大騒ぎ。一回だけならまだしも、(転ぶところはだいたい決まっています)二回、三回と続くと、さすがに恥ずかしかったですね。今では、雨の日には絶対にその道を通らないようにしていますけれど。

 そのときは、本当に、だれが「最近の子供は」なんて言っているんだと思いました。子供達は昔も今も同じ。悪いこともすれば、いいこともする。意地悪もすれば、思いやりにも満ちてもいる。世の中捨てたもんじゃあない。まあ、これは余談ですが、そのときは、そう思って、小さい人達に感謝したものです。

 と言うわけで、一昨日、外に出たのですが、空の具合が変なのです。空の半分はカンカン照り状態の青空で、後の半分はどす黒い雲に覆われ、「集中豪雨の雲」状態なのです。おまけに、稲妻を伴わない雷が、ドカンドカンと鳴っています。

 結局、このあたりは突風が吹きこそすれ、雨は降らなかったようですが、テレビで江東区や渋谷区の様子を見て、びっくりしました。突風と言っても限度があると思うのですが、これもヒートアイランドが関係しているのでしょうか。この日は、熱中症で倒れた高校生も多かったと言いますし。

 30度を超える東京の「蒸し暑さ」に、南の国から来た学生達も、バテ気味です。ずっと暑い状態は知っていても、「暑かったり、涼しかったり」には身体がついて行けないのです。夏になって、ずっと暑い状態が続けば、きっとそれなりに慣れて来るのでしょうが。四月や五月の時は大変でした。少し暖かい日が、二・三日続いたかと思うと、今度は肌寒いを通り越して、寒い日が続く。熱を出して、風邪をひいているのが自覚できないのです。ばたばたと倒れていました。彼らにとって、「風邪をひく」「(日本での)病気」状態というものがよく解らないようなのです。

 学校に来なければ、叱られますから、その状態でも来てします。そして、ぐったりしているのです。肌も浅黒いので、熱があるのかどうか我々にもつかめません。そのうちにこちらも慣れてきましたから、すぐに近所の病院に行くように言うのですが、「大丈夫。国から薬を持ってきたから」と言って行きたがらないのです。

 「いつも暑い」か、あるいは「いつも涼しい」。この「いつも同じ」世界にいる人達が、「四季に追われる」私たちの中に入ってくるのは大変なことだと思うのです。日本語学校の学生達は、一年から二年にかけて、日本語を学びながら、順応の仕方も身につけていくわけですが、そういう「猶予期間」がないまま、日本の社会に放り込まれてしまった人は、どうなのでしょうか。周囲と摩擦を起こしながら、「日本嫌い」になっていくのが落ちなのではないでしょうか。

 いくら外国の言葉が話せても、その国の文化や習慣を学ぶ機会のなかった人は、大変ですね。下手に言葉が出来るだけに、「負の部分」にだれも気づきませんから。

 これは、外国人同士でも同じことです。

 まだ春も浅いある日、「会話」の練習をしている時に、タイから来た人が「シャワーを浴びましたか」と、中国から来た学生に聞いたのです。「いいえ」という言葉が返ってくると、その場にいた二人のタイ人が「え!汚い。先生、汚いです」と言ったのです。

 どうも「シャワーを浴びて外にでる」というのが、彼らの常識のようでした。タイは暑い国ですし、シャワーを浴びて、着替えて外に出るというのは、理にかなっています。けれど、春先の日本でそれをするのは…どうも。私はそれを聞いて、すぐ彼らが病気になる理由が解ったような気がしたのですが、攻められた中国人の学生は「どうして、叱られるんだろう」と怪訝顔。

 私は、別に助け船を出したわけではないのですが、「日本は四季がはっきりしているので、お風呂に入ったり、シャワーを浴びたりするのも、少し考えた方がいい。寒い時には、シャワーを浴びて外に出ない方がいい。また、普通はそうしない。それに、寒い時には、寝る前に、ゆっくりお風呂に入って身体を温めてから寝た方がいい」と言うと「へえ?」。この二人は在日の方で、一人は一年近く日本にいるのです。日本の秋から冬を経験しても、それでも、タイでの習慣を変えていなかったのです。そして、それが「常識」、皆もそうしているものと思いこんでいたのです。

 私たちは、彼らを通して、色々なことに気づき、考えさせられます。これらは、一見、微々たることのようですが、大きな問題を孕んでいることもあります。もしかしたら、そういう「かけら」を拾いながら、今も「毎日の授業」を構築しているのかもしれません。

日々是好日 
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「暑さ」にも負けず…。

2008-07-12 12:11:58 | 日本語の授業
 暑いですね。もうこうなると「暑い」ではなく、「熱い」です。こんな時間に散歩をさせられている、足の短いイヌほど、哀れなものはありません。アスファルトに覆われた大地は熱を帯び、火のようになっていて、あっという間に彼らの柔らかい肉球や腹を焼いてしまうことでしょう。

 眼を以て訴えても、鳴き声で悲しみを告げても、散歩に追い立てようとする人間の心を変えることはできません。人間にしてみれば、散歩に連れて行ってやるのは、「いい飼い主」なのであり、「褒められこそすれ、非難される筋合い」などないのですから。けれど、イヌの身になって考えてみれば、拷問にかけられているようなものです。第一、靴を履いていませんしね。人間だって、裸足でなんか歩けないでしょう、あんな道。自転車に乗っていてさえ、下からの熱風を感じるんですから。他者の身になって、考えるということは本当に難しい。

 今朝、花に水をやっている時、久しぶりに近所のボスネコと目が合いました。「おはよう」と声をかけ、「どこへ行くの」と尋ねると、眼があった時の姿勢のまま、目をまん丸くして、私を「凝視」しているのです。一分くらいそのままで。まるで固まってしまったように。ちょっと気の毒になりましたから、目をそらし、部屋を出て行きました。そして、隙間から覗いてみると、私が視界から消えた途端、はっと我にかえったように、頭を振り、上目遣いにあたりを窺ったかと思うと、前屈みに急ぎ足でその場から立ち去ってしまいました。ネコは自由ですから、自動車の下とか、ちょうど日陰になるような、涼しいところを歩いていきます。

 けれど、このネコ、以前は、毎日のように顔を合わせ、挨拶もしていたのに。ネコは「三日で恩を忘れる」と言うけれど、顔くらい覚えていてもよさそうなものです。私は覚えているというのに。

 今年になって開講したのは、「初級Ⅱ(4月から)」と、「初級Ⅱ(7月から)です。実際の所、この二つのクラスは、形の上では、分かれているものの、半分以上は、同じクラスと言ってもいいほどです。午前にも来て、また午後にも来るという学生さんが何人もいるのです。大半は中国から来た学生さんなのですが、6月中旬から下旬にかけて、勉強を始めた人が多いからなのでしょう。

 ヒアリングや、中国では習えなかった部分(例えば、「拍」)を補足するために、両方出るように勧めると、みんな、初めは二倍の学費を払うのかと聞きます。そうではなく、早く上手になってくれた方が、学生さん達だけでなく、教える方、つまり、私たちも楽なのです。

 「初級Ⅰ」のクラスで、「いろは」の「い」から始める学生さんは、現在のところ、6名。このクラスで勉強する場合、中国人の学生さんであれば、このクラスで勉強しているだけで十分なのですが、非漢字圏から来た学生さんは、そうはいきません。「ひらがな」で手間取る人もいれば、「ひらがな」と「その音」に苦しむ「二重苦」の学生さんもいます。

 特に日本語の発音の習得に時間がかかる、タイから来た学生は、大変です。朝も授業の前に学校へ来て、テープと「睨めっこ」です。ひ」と「き」、「し」と「ち」など、教えた時には出るのですが、翌日はまたその音が消えているのです。

 朝もクラスに入らず、別室でテープを用いて、練習するように伝えました。その一回目の日、彼が教室に入ったのは見え、しかもテープも持って行ったというのに、テープの音が全く聞こえてこなかったのです。不思議に思って覗いてみると、隣のクラスの邪魔にならないように、音を小さくして聞いていました。大きな身体を折り重ねるようにして、テープへ身を寄せ、聞いていたのです。これでは音も拾えません。ここでは、気を使う必要のない旨を伝え、すぐに窓を閉め、冷房を入れました。音を大きくしておけば、彼も安心でしょう。小さい音では、分かるものも分からなくなります。

 授業の合間に、隣から聞こえてくるテープの声を聞くともなしに、聞いていると、「しゃ…」の部分なのですね。何度も何度も聞いています。音がとれていないことが解るのが上達の第一歩。それが解るのなら、後は時間の問題でしょう。

 インドから来た学生も、彼と一緒に勉強すると言って来ました。翌日からは、彼もこの「別室」の仲間入りです。ところが、翌日、タイの学生が来ないのです。午後の授業に来た時に、他のタイ人の学生に聞いてもらうと、「来ていいのは、その日だけだと思った」らしいのです。「毎日来なさい。来て勉強してくれた方がいい。そうすれば、先生達も授業のない時にのぞけるから」。家で勉強するのもいいのですが、学校で勉強してくれると、チェックを入れやすいのです。

 この学校で最初から勉強してくれていれば、大丈夫なのですが、途中から入ってきた人は、ポロポロとこぼれ落ちているところも少なくないので、二つのクラスを「掛け持ち」で受けてもらっています。勿論、色々な事情でそれができない人もいます。そうして、隙間を埋めてもらっておいたほうが、私たちも助かるのです。その方が早く上手になれますし。

 骨組みの中心(幹)は、クラス。ただし、足りない部分は、色々な形で補う。早く日本語が上手になってもらって、漢字圏は「一級」、非漢字圏は「二級」乃至「三級」を取ってもらいたい。その方が、「道」が開けるのです。せっかく日本に来たのですから。本国で出来ないことをしてもらいたいと思っています。

日々是好日
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「中国から来た少年」

2008-07-11 08:05:16 | 日本語の授業
 今日も、朝の風は爽やかです。まるで一足飛びに秋になったかのようです。自転車を走らせていると、風がひんやりと感じられます。街路に飢えられているハナミズキの葉が陽に焼かれたように巻き上がっているのが、不思議なくらい、涼しいのです。

 ところが、学校に着いた途端、汗が噴き出してきます。それほど一生懸命漕いでいたわけでもないのに。いつものように、カーテンを開け、窓を開けとしているうちに、あたりが、まだ微睡んでいるのに気づきます。学生達が来るまでは、このあたりは本当に静かなのですね。

 ここしばらく、カラスが姿を消しているのですが、それとほぼ時期を同じくして、あたりからネコの姿も消えていました。ボスネコの姿も、子猫の姿も、みんな見あたらないのです。もっと餌をくれるところへ、みんなで引っ越しをしたのか、だれかに連れて行かれたのか。だれかに拾われていったのだとしたら、いいのですけれど。

 先週、プライベートレッスンをしている時に、「ネコの件で隣の人に怒鳴り込まれた」という話が出ました。どうも彼女のお宅のネコちゃんは、特異な才能の持ち主で、引き戸をお手てで開けてしまうのだそうです。自分の家で、開け閉めしている分には、かわいがってくれているご主人が「きゃー、かわいい」で終わっていたのですが、お隣の、しかも、あまり毛物(?)類がお好きでないお宅に、その得意技能で以て、入ってしまったようなのです。

 「人類との共生は難しいのか」を考えさせられてしまう一幕でありました。ネコに言っても無駄ですから、人間がそれぞれ考えるしかありません。ネコやイヌが、人間社会からいなくなってしまったら、どんなに寂しいでしょう。それこそ「都会砂漠」になってしまいます。しかしながら、それはそれとして、普通はそんなことぐらいで、怒鳴り込んだりはしないと思うのですけど…。

 ところで、昨日、また一人「初級クラス」に入ることになりました。中国から来た16歳の少年です。ご両親がしっかりガードを固めるようにして、駅に立っていました。

 学校に着くと、すぐに授業に参加させました。手続きは後です。本人が気に入ってからの方がいいのです。勿論、三人で受けてもらいました。ところが、10分ほどで上がってきたのです。「息子が、全然解らないと言っている。ついて行けないと言っている」と、駅から学校までの道筋、しゃべり続けていたお母さんが、不安そうに小声で言うのです。

 彼女は中華料理のコックさんです。それで、日本語は不自由であっても、この国で「日本語ができない」ことが、どれほど子供に不利に働くかが解っているのでしょう。親御さんの方が不安そうです。がんばってもらいたいのでしょう。

 それで、本人に聞くことにしました。初級クラスといえども、始まって既に一週間が過ぎています。『あいうえお』も書けない人が入れば、解らないのは当然です。解るのなら、このクラスに入る必要はありません。

 「日本語を勉強したいのか。勉強を続けられるのか」と。まず、それを確認しておきます。そして、自分の言葉に責任を持ってもらいます。責任が持てそうもない子には聞きません。私たちも(いったん入れてしまったら)、努力をして解らせようとしますから、いい加減にやってもらいたくはないのです。お互いに時間の無駄です。

 「勉強したい」。「君が自分で言ったのだからな」ともう一度切り返すと、頷きます。と言うわけで成立。お互いにがんばることになりました。勉強したい人の面倒はみます。すぐに追いつくでしょう。もうこのクラスで「終わった部分」の練習は、朝来てやらせます。「明日の朝から来るように」と言い、納得したご両親は、子供を残して帰っていきました。

 お母さんは仕事があるから。お父さんは、お母さんに置いて行かれると「一人で帰れない」から。けれども、5時頃駅に迎えに行くからと、自分の守備範囲はしっかりと解っているようです。きっとお二人にとっては自慢の息子なのでしょう。無口なお父さんは一言「他,不笨」と言っていましたから

 30分の「カタカナの時間」(「ひらがな」はもう終わっていたのです)を利用して、「ひらがな」を少し教えました。本当に何も知らないで日本に来てしまったのですね。まあ、そうでしょうけれど。

 明日の朝は、私のクラスに入れて、脇で「ひらがな」を教えてしまうつもりです。「やる気」があるときに全部入れてしまった方がいいのです。それに、数も時間も曜日もみんな勉強してしまっていますから、彼は少々焦らなければなりません。なんといっても中国人ですから、非漢字圏の学生のように、手加減はしません。

 授業が終わってから、(ご両親に説明したように)道を教えて、そこまで一緒に行こうとすると、一人の学生が「先生、大丈夫。私が連れて帰ってあげる」と言うのです。連れて帰るとは」と聞くと、「後ろに乗せる」。だめです。日本では二人乗りはだめですよ。中国の人は自転車が上手ですからね。大きな荷物を載せてでも、スーイスーイと走らせてしまいます。

 というわけで、「彼女が少年の荷物を載せて、自転車に乗り、その後ろを彼がジョギングしながらついていく」ということになりました。もっとも、私がいなくなれば、彼を後ろに乗せてしまうだろうという気はしましたが。そこへ、彼のご両親から電話です。いよいよ授業が終わる頃になると、居ても立ってもいられなくなったのでしょう。さっき言われた所まで、もう迎えに来ているというのです。

 では、四人でそこまでということで、私は自転車の鍵を取って、大急ぎで外に出ます。三人は、もう角を曲がろうとしています。すぐに自転車でダッシュして、「跑步(走れ)」と叫ぶと、さすが中学生。言われると同時に、弾けるように駆け始めます。すると、二つ目の角の向こうに、ご両親の心配そうな姿が…。もうこうなってはだめですね、表情がゆるんでしまって。そのままご両親の所に駆けていきます。

 結局、さっき「連れて帰る」と言ってくれた中国人の女性が、ご両親に「心配しなくても大丈夫。これからもいつも一緒に帰るから」と言ってくれ、ご両親も安心したようでした。万事めでたしめでたし。しかし、本当に不安だったのですね。まあ、日本に来て三日目と言っていましたから、それも解るのですが。

 もっとも、大変なのはこれからです。「勉強したい」と、自分の口から言ったわけですから、手加減はしませんぞ。
                                                 日々是好日
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『残された者』に福(?)あり

2008-07-09 13:37:27 | 日本語の授業
 日差しが戻ってきました。昨日までは、粘りけのある空気の中を、右往左往しているだけだったのですが、今日は違います。久しぶりに気持ちよく過ごしています。

 随分前のことになりますが、若い頃、合宿で海の家に泊まったことがあります。生まれた家も、まあ海の近くと言えなくはない所だったので、当時住んでいた山間の小さな町から出てくると、一種解放されたような、広々とした気分になったものです。

 昼のうちは、ただ楽しく過ごしていたのですが、夜になると、何かしら追い詰められたような気分になってきました。みんなが寝静まると、聞こえてくるのは「潮騒」ではなく、「海鳴り」の響きだけです。「存在しているけれども見えない自分、自分の中の大地と繋がっている部分」と「現実の自分」が、どこかでせめぎ合いを始めます。

 それからは、海に行くことは止めにしました。海は怖い。特に夜の海は怖い。人を追い詰めます。「自分」に戻ることを強要するのです。否応なく、大地の力を見せつけてきます。「自分に戻る」のは疲れます。「自分を感じる」のも、だめなのでしょう。「自分を感じる時間」、「自分の心の奥底へ沈み込む時間」が必要になりますから。その上で、「回復する時間」が無ければ、「今」を生きることは出来ません。

 昨日は「川村学園女子大学」の、学生さん達による模擬授業の日でした。我が校の女性達が「生徒さん」の役をするのです。みんなが出ていった後、残されたのは、男性陣と午後に用事のある女性達だけです。

 前日の授業の時に、「名詞(な)+んです」が、スムーズに出てこなかったので、今日は、その復習をするつもりでした。まず、26課からの動詞を扱います。間違えるたびに、肩をすくめたり、照れたりするので、だれが間違えたのかすぐ解ってしまいます。みんな正直ですね。発音や拍数の部分で引っかかる人があっちからもこっちからも。教室が広く見えるようになった分、目も届きます。

 可能形の復習が終わって、「短文作り」で少々遊ぼうとしたところ、早速「どれくらい泳げますか」で、学生達につかまってしまいました。

 一人の学生が、「ここから駅まで泳げます」で、みんな一斉に「オー」。隠れ「金槌」さんがたくさんいたのです。「私は『川で泳ぎました』、『川に飛び込みました』、『それは深い川でした』で、この学生が育ったふるさとの自然が、目に浮かんで来ました。型どりの単語ではなく、自分のことを表そうと身振り手振りで、説明してくれます。私はそれにふさわしいであろう言葉や文を押し込んでいけばいいだけですから、楽な役割です。

 それにしても、羨ましいですね。川で泳ぎを覚えたなんて。普段、女性陣が強いですから、男性はなかなか主張することができません。授業中、茶々を入れようとすると、「勉強」と眼がキラッと光るのです。いつもは、押さえつけられていたのだということがよく分かりました。みんな勢い込んで色々なことを言おうとします。彼らの様子を見ていると、「今日一日(本当は1時間くらい)、手綱を放してみるか」といった大らかな気分になってきます。

 「何(料理名)を作ることができますか」で、様々な動物が出てきました。料理の名前で、フィリピンの「焼きそばのようなもの」の名前が出てきたあと、「(動物名)を食べますか」と言い出した学生がいて、話がドンドン発展していきます。(「本当は『可能形』をやりたかったんだけれども」という私の気持ちを置き去りにして)

 勿論、まだ初級ですから、絵を描いたりして説明します。ノートに描いた絵を高く掲げて、「これです」。「サメ」「サソリ」「ワニ」などの名前が挙がりました。「私は食べられませんが、私の国の田舎の人は、(動物名)を食べます」と言う言葉が出るたび、「オー」。

 「ヘビ」が出てきた時には、その大きさと太さで、圧倒されてしまいました。「フィリピンの『ヘビ』の大きさは、これくらいです」と、両手で輪っかを作って説明するのです。「まさか、そんなに大きいことはないだろう」と言うと、インドの学生が、「もっと大きい」と言います。フィリピンの学生は、「細いのは肉がついていないので、おいしくない」とまた言います。日本の「ヘビ」の大きさを聞かれたので、これくらいと片手で(当然です)輪っかを作ると、笑われてしまいました。「それでも『ヘビ』なのか」と。

 そのうちに、「イヌ」や「ネコ」が出てきます。中国の鮮族が「イヌ」を食べるというのは有名ですので、そう言うと、中国の学生は、「中国では、みんな食べます」と言います。そのうちにフィリピンの学生が「ネコも食べます」。みんな「えー!」。

 「お酒をたくさん飲む人は、『イヌ』も食べます。『ネコ』も食べます。でも、私は食べません。かわいそうです」と言うので、みんなは「うん、うん」。「ネコ」が出たからでしょうか、「『ネズミ』も食べます」「え~!」「白い『ネズミ』、白い『ネズミ』です」と言うのはインドの学生。「『イヌ』程もある大きい『ネズミ』もいます」。すると、あっちからもこっちからも、「これくらい」「これくらい」と、両手で抱え上げるような仕草をします。水辺にいるのだそうですが、大きいネズミが多いんですね、南の国には。勿論「危ないです。怖いです」で、すぐ次の動物に移ります。

 そうしているうちに、一人の学生が「バッタ」の絵を描いて、「これ、食べますか」。タイの学生が「おいしい」。インドの学生は「日本人は『ゴキブリ』を食べますね」と言うのには、ひっくり返るほど驚いてしまいました。

 インド人はみんな、「日本人は、『イヌ』も『ネコ』も『サカナ』も『ゴキブリ』も、何でも食べると思っています」と言うのです。「サカナ」と「ゴキブリ」を、食べ物として、並べて言うのはやめてくれと言いたいところですが、どうも「韓国と中国と日本」が、ごちゃ混ぜになって、またその上から、妙なふりかけをかけたような具合になっているようです。

 近いようで、遠い国同士。「仲良くしているけれども、お互いのことを、ほとんど何も知っていない」クラスメート達なのだということがよく解りました。
     日々是好日
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夕方の公園めぐり

2008-07-08 13:52:18 | 学生から
 東京にいた時、休みの日は、運動兼観光のためにしょっちゅう自転車に乗ってあちこちの公園を回っていました。景色が綺麗な上、殆ど無料なので、本当に楽しくてなりませんでした。

 北京に帰った後、暇のときに偶には公園等へも出かけますが、大体汚れているし、自転車で行けそうな所でもないので、本当に偶にしか行かないのです。

 昨日、旧友を訪ねる帰りに久しぶりに北京市内の玉淵潭公園を一回りしてまいりました。夏の夕方という時間帯のためでもあるのでしょうか、園内の人は意外に多かったのです。

 曇った茜色の西日にかざすようにCCTVのテレビタワーが緩やかに湖面の漣に灰色のシルエットを差し伸べ、湖の真ん中を曲がりくねる柳通りには、人々は三々五々座って話したり、団扇やカメラ等を手にして散歩したりしています。

 家内と雑談しながら、人の流れについてゆっくり行きますと、湖心の望月橋という古めかしそうな石造りのアーチ橋に来ました。岸辺に手足を和らげる水着姿の男達が目に映ったかと思うと、何とブルーの水着の小太りの婆さんらしい方も中に混じっていたことに気づきました。危ないな等の話を交わしながら、階段を伝って橋の上を上り、欄干越しに下のほうをのぞいたら、橋脚を抱えて浮いている人や、浮き輪の下を潜りながらおっかけごっこをする人等でたいそう賑わっていることが分かりました。

 市内最大の湖なので、夏には水泳好きの人々は必ずここに来るのです。そのため、溺死者も毎年のように出ています。公園管理側は疾うに水泳禁止令を出しているということですが、人々はやはり構わずに泳いでいます。やはり他人事ですからね。

 橋の上でカメラのシャッターを押していると、「それ、みてみて」と家内は興奮しそうな声を発しました。それについて目をそらすと、さっきの小太りの婆さんは、仰向けに静かに水面に浮いています。

 「ああ、浮き泳ぎだよ」と説明すると、家内は羨ましそうに訊いて来ました。
 「すごいわ。あなた、できないでしょ」。
 「いや、子供のごろはよくやっていたものだよ」と返すと、彼女は不服そうに言い始めました。
 「ふふん、嘘でしょう。だって、すごい技じゃない…ほら、上手に泳ぎ始めたよ。」

 こういうときは、譲る他ないのです。今朝工商局の帰りにブライダルフォトスタジオを通ったときに、家内から「中に入って一目見てこよう」と勧められました。いつものように拒んだら、彼女は、黙り込んでしまいました。又来たかと思って、昼食後家を出かける際にあれこれをして無理矢理に彼女を連れ出しました。友人の所にお邪魔する間、彼女を一人で近くの商店街に行かせ、夕方になって二人で公園で合流したのです。機嫌は大分よくなってきたようです。

 アーチ橋を過ぎると、築山の麓の広そうな所に差し掛かりました。こちらの湖の方にも人が泳いでいます。一番近い所は、どうも親子のようで、浮き輪を体にする子供の方を母親がゆっくり手を放しています。面白いことにその近くには、鴨かガチョウかのような二匹も湖心に向かって泳いでいます。このような風景を見るのは、本当に久しぶりです。

 道端の大きい石畳の上に婆ちゃん二人が風呂敷を敷いて座っています。湖面の微風に向かって胡坐をかくように静かに座っている所から見れば、どうも座禅(?)しているようです。

 築山を越えて、もう公園の南正門が見えてきます。散歩する人がどんどん出たり入ったりしています。こちらの方に、若者5、6人がチームをなしてダンスをしているかと思ったら、そちらの方に3、40代と見られる人々が、輪をなして「毽子」(羽子みたいのもの。ただし、足、太腿などで蹴って遊ぶ)を蹴っています。更にその間を子供さんがローラースケートを走らせながら潜り抜け、行ったりきたりしています。どれを見ても上手そのものです。

 一日中、誰も彼も勉強や、仕事、家庭などの雑事で疲れているものの、このひと時に限って皆楽しそうに過ごしているらしいです。

 天山来客 

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「いろは」からの学生

2008-07-08 08:26:32 | 日本語の授業
 昨日は雨で、自転車を使うことができませんでした。しかし、おかげで新しい発見がありました。クチナシの花を見つけたのです。

 初めてクチナシの名前と姿が一つになったのは、以前勤めていた中学校の時でした。玄関近く、古い学校だったので、柔剣道室の外と言った方がいいのでしょうか、そこの樹木を縁取るように、クチナシの花が咲いていたのです。山間の学校だったので、日の出も遅く、夏になっても四時近くになると、夕暮れになる(?)ようなところだったのですが、そのおかげで、クチナシの芳香を勤務中に味わうことができました。

 昨日見つけたクチナシの花もそうです。少し盛り上げられた土の上で、フェンスの外へ身を乗り出すように愛想よく、純白の花が輝いていました。

 だれの作だったのでしょうか。

 「山吹の花色衣 主やたれ  問へど答へず 口なしにして」

 クチナシが山吹色の染料となる、という知識もこの歌で得ました。ちょうど生意気盛りの頃でしたから、「クチナシの君」というあだ名をだれかにつけてやろうと、考えをめぐらしたのですが、既に「伝説の失われた」現代、清少納言のように「この君か」なんて言うのは気恥ずかしい。結局そのままになってしまいました。

 というわけで、現実世界で現実世界の言葉を遣っています。

 例のインドから来た学生ですが、やっと昨日、教科書に書いていた「ローマ字」を消しました。我々からみると「ローマ字」なのですが、彼のつもりでは「アルファベットの音」なのでしょう。
 
 「ひらがな」と「カナかな」を、見れば写せる程度に習得した頃から、この「徒労」とでもいうべき「作業」は始まりました。

 初めは、「文字を覚えるまで時間がかかるだろうから、文型を覚えさせておこう」と考えたのですが、よくよく考えてみれば、これはインドでの教育法と全く同じ。

 新しいやり方を入れるには、信長方式が一番いいのです。美濃を攻略した後の、信長の施政方針、あれです。

 それで、嫌がっても何でも、文字を覚えさせることにしたのです。まず、読む。書けるようになるのは後でもいいから、読む。そうすると、「読んでくれ」と来るのです。「勉強する気になったな。よし、よし」と読んでやると、必死になって音を写すではありませんか。消しゴムを持って追い回しました。

 向こうは逃げ回ります。こちらは追いかけ回します。けれども、結局は体力の差で、ゼイゼイになるのはだれか、もうわかりきったことです。「しょうがない。待ってやる」と睨み付けると、「もうやめたの」とばかりに見つめます。遊んでもらっているつもりなのです。
 
 しかし、一ヶ月かかりました。一から始めての非漢字圏の学生です。「母国で大学教育を受けている。『あいうえお』から、我々が手がけた。非漢字圏の学生である。頭の回転が速い。知識欲も旺盛である。就学生である」学生という意味では、初めてです。

 大半の就学生が「初級の『て形』くらい」は、母国で学んで来日しています。

 しかし、このインドからの学生には「日本では日本語ができなければ、そこら辺に『転がっている』知識ですら、身につけることができない」ということを、頭の中にたたき込むのに、10日くらいはかかりました。しかも、クラスにいた他のインド人の学生に頼んで通訳してもらって、です。

 なんでも、そうです。まず意識改革が大切。時間がかかろうが、相手がどんなに意固地になろうが、これはやるべきだと思います。ただし、相手が聡明であり、知識欲があることが条件です。「馬の耳に念仏」の相手には、すべきだと思いません。時間の無駄です。子供ではないのですから。

 子供だったら、すぐに反応してくれます。しかし、そうでない大人達は、「学ぶということにすでに倦んでいる」としか考えられません。適当にやって生きてきたから、日本でも適当にやるつもりなのです。目的が違うのですから、変えようと思うことすら、(彼らにしてみれば)お節介なのでしょう、自分の「夢」に対する。そんな人達に無駄な時間を使うくらいだったら、学びたいけれども不器用である他の学生の面倒をみた方がずっとましです。

 こんなことは教えてみれば、すぐに解ることなのです。焼け石に水。打っても何の反応も示さない魚のような眼をした人に、授業で応対するのは本当に辛いことです。勿論、人はどこかに、なにがしかの才能を持っているものですし、良さも持っているはずです。けれど、日本語を学ぶという面では、全くそれを発揮できない人、あるいは、それを無駄なことと考えている人も日本語学校に来てしまわないわけではないのです。

 そういう人と対するのは、本当に辛いことです。どうにかなるはずだ、どうすればいいのだろうと教授法を考えますから、こちらは。しかし、そういう人は、「とにかく日本にいて(違法なことはいやなのです)、適当に日本語学校に出席して、その間に自分が求めていたものを持ち帰る」のが、目的なのですから、こちらが、文法を説明したり、いろいろと対策を練ってくるのが、煩わしいのです。

 変われる人もいますが、若い人ですね、変われるのは。もうある程度の年齢になっていれば、「生活」しか考えられないでしょう。それもしょうがないことなのでしょうが。

 初めは学生を選考する時に、随分ヘマなことをしてしまいました。今から考えてみれば、考慮しなくてもいいことを、あれこれと悩んでいたのです。

 今は違います。もう「勉強する気のない人は来ないで!」を全面に出せます。勉強する気があって、努力できる人だったら、何とかなるのです、今の日本は。そういう環境が整いつつあります。それは、「教えたい」を全面に出している日本語学校にとって、本当に喜ばしいことです。

 あのインドから来た学生は、本心は「参った、参った。『ひらがな』を覚えたら、『カタカナ』という。『カタカナ』を覚えたら、すぐに『漢字、漢字』と喚いている。とんでもないところへ来てしまった」と嘆いているのではないでしょうか。

 しかし、いい根っこを持っている人は(いったんここへ来てしまったら)、逃がしはしませんよ。(立派に育て上げるまで)抵抗したって無駄ですよ。ねじ伏せてでも、勉強させますからね。              日々是好日
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「入学式(7月生)」

2008-07-07 08:03:14 | 日本語の授業
 今日は「七夕」というのに、雷様の大声で夜が明けました。もう梅雨も終わりですね。

 実は、先週の金曜日、大忙しだったのです。午前は「七夕様」、午後は「七月生の入学式」だったのですから。六月に何人か「在日」の方が入ってこられたので、午後時間のある、そういう方にも出ていただいて、入学式を行いました。

 参加者の中には、南米から来た就学生の、後見人と言いましょうか(ご本人は「お友だち」とおっしゃっているのですが)、そういう方もいらっしゃって、朝の「七夕様」から、お昼を挟んで、午後の「入学式」までつきあっていただきました。

 式の終了後、就学生だけ残して、学校のルールの説明と、その他の手続きなどをしたのですが、「それが終わるまで待つ」ということで、残っていらした二人の日本人の方と、「帰っても暇です」というフィリピンから来た少年と四人で、雑談(?)をしました。

 お二人から見れば、お子さん方よりずっと下の男の子なので、「かわいい、かわいい」としか見えなかったのでしょう。彼が何を言っても、「すごい、すごい」と褒めてくださいます。

 初めは雑談だったのですが、最後に、彼は、私が「あれ?」と思うようなことを話し始めたのです。

 彼のふるさとのことです。「貧しいです。お金がありません。食べ物が高くなりました。みんな食べられません。」「火山があります。私のふるさとではありませんが、大変です。たくさん人が死にました。とても困っています」「仕事もありません。」「アフリカもそうです」
 
 まだ、初級Ⅱの初めなので、それほど「彼が言いたいこと」を伝えることはできなかったようなのですが、私には「そういう国に対する、あるいは社会に対する彼の気持ち」が、よく伝わってきました。残念ながら、紙上ではうまく表現できないのですが。

 こういう言い方をするのは問題があるのかもしれませんが、ここのような普通の日本語学校に来る「就学生」というのは、社会問題に対する意識が非常に欠如している場合が多いのです。それで、日本語がある程度話せるようになった後、大学に行くまでの半年か、三ヶ月。その間に、どれだけ社会に対する関心、あるいは世界各国の現状(彼ら自身の国を含めて)を知り、理解させることができるかが大きな課題になってくるのです。その中でも、「身の程を知る、知らしめる」作業が、一番大変なのです。

 この少年の場合は、お父さんが日本人なので、こういう話題が食卓に上ることがあるのかもしれません。それに、間近に惨状を見た時に、他者に思いを馳せるだけの感受性を持っているからなのかもしれません。けれども、第三世界から来た人で、こういう言い方をする人は少ないのです。それに、まだ少年ではありますが、物事を客観的に見ることができる、その萌芽はしっかりとしているような気がするのです。

 ほとんどは、「お金がない人には、やればいい。(それは「施し」で、そのときにはもう「対等」ではなくなるということを、伝える術もないのです。彼らの頭にはその概念がないのです)」「あなたは百円やって、自己満足を味わえるから、それでいい。けれども、その人は?」と言うと、大半は「お金をもらうのだから、その人はうれしいし、感謝するはずだ」と不機嫌そうに私を見るのです。彼らは常に施す側なのです、国では。「その人は今日はいいとして、明日はどうするの」と聞くと、「問題ない。だれかがお金を上げるだろうから」この思考回路ですべては流れていくのです。

 堂々巡りです。しかし、大学生になってから、二年ぐらいすると、変わる人も出てきます。日本語学校では、本当に時間がないのです。「ひらがな・カタカナ」から入れば、(非漢字圏では「漢字」が大変なのです。文章が読めないのです)日本語を学ぶだけで、それ以上、上に進めません。

 ある程度、母国で日本語を学んでから、この学校へ来ることができたら、大学、乃至大学院へ行く前に、かなり多くのことを教えて、その準備をしておくことができるのですが、こういう状況では、それも難しいのです。

 今、我々が考えているのは、「いかにして『一級』後を、充実させていくか」です。

 日本語能力試験の「一級」は、中学校のレベル。「二級」は、小学生のレベルなんだということが、はっきり認識されていれば、合格しても「それだけに過ぎない、それだけでしかない」ことが解るのにと、思われてなりません。残念です。

 いったん止んだ雨が、また降り始めました。今度は土砂降りです。雷様も太鼓を叩き始めました。稲妻が光らないところを見ると、まだ遠いのかもしれませんね。
日々是好日
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明日はどうなるでしょう

2008-07-06 11:52:15 | 学生から
 今年は、天候不順というか自然災害の多い一年となりそうです。夏に入った後、暑いと思ったら急に寒いというほど涼しくなったりしています。

 一昨日は、今夏初めての真夏日でした。天気予報では最高34度ということですが、家(北京の郊外にある)の温度計は、昼ごろに既に36度を回りました。そして夕方の大雨で、気温がいきなり下がり、お陰様で、その夜及び昨日1日中もう秋かと彷彿させるほど涼しかったのです。

 さて、自然災害というなら、致し方のないことと思いますが、最近、周りから聞いた所謂人のことは、それこそおかしいというか恐ろしいというか、この国の政治体制がもう終わりに近づいているのではないかと思われて仕方ありません。

 五月の四川省大地震、予報があったものの、当局の故意により罹災地の一般庶民に伝達されない上、地震発生後72時間内に罹災地への出入りは固く封じられたという。その背景には、綿陽市を中心とする罹災地一円は、軍の核兵器等の研究開発基地及び倉庫があるため、社会一般及び国際社会の目が憚られたからである。

 6月の貴州省役所集団攻撃事件、発生した背景には、当局が少女暴行殺人事件を少女自殺事件として処理したからである。

 7月の上海公安警察殺害事件、背景には、容疑者が以前当該公安局に暴力を振るわれた際不治の性機能障害をもたらされた上、賠償を断れたからである。

 まだいろいろありますが、どれも人をぞっとさせるものばかりなので、一々列挙するのを止しましょう。自然災害が怖い。しかし、人の仕業はもっと恐ろしいものです。今日の北京はまだ涼しいです。が、明日はどうなるのでしょう。

  天山来客 
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「七夕」祭り

2008-07-05 09:59:50 | 日本語の授業
 昨日はみんなで「七夕」をしました。

 簡単な説明の後、まず、短冊に「お願い」を書きました。もうその時から大騒ぎ。「先生、先生」と手を挙げる学生もいます。周りは、ワイワイガヤガヤ。

「英語でもいいですか」「タイ語でもいいですか」。
「日本の神様だから、日本語で書かなければ『プイ』と横を向いてしまいます。それでもよかったら、どうぞ」
「日本の神様も漢字は解ります。だから、中国語でもいいですか」
「若いきれいな神様です。日本の漢字か、カタカナにして下さい」
だいたいこう言うと、カタカナが苦手な中国人の学生は沈没します。

 こういうことを聞きたがるのは、初級の二冊目に入った学生と決まっています。日本語を使いたくてたまらないのです。難しい表現はまだですが、随分言いたいことが言えるようになっています。

 というわけで、とにかく簡単な文型を駆使して、攻めてきます。この時に突き放してしまうと、もう冒険しなくなってしまいますので、結構気を使って応対します…そうしているつもりなのですが、みんな「わあい。だめと言われた。わあい、わあい」と大喜びで、こっちの気遣いなど、なんのその。

 「日本語が上手になれますように」「給料が上がりますように」「大学(大学院)に入れますように」「いい会社に就職できますように」「お金持ちになれますように」「子供が授かりますように」このほかは…個別に対応しました。

 日本の大学や大学院に入りたいという就学生ばかりではありませんから、願い事も様々です。これでは、日本の神様も大変ですね。

 それから、「織り姫」や「彦星」の物語を軽くして、さて、いよいよ実技です。勿論その前に、歌のうまい先生から、「七夕」の歌の指導です。

 みんなで歌った後は、そのテープを流しながら、みんなの願いが叶えられるよう、神様に目を留めていただけるよう、きれいな「七夕飾り」を作ります。

 器用な人は、ドンドン自分でチャレンジしていきます。不器用な人もそれなりに「枯れ木も山の賑わい(ごめん)」となるよう、華やいだ雰囲気を作り出すため、一生懸命手も動かしています。

 教室の中の活動ではありますが、みんな、普段とは違った「自分」を発揮して見せてくれます。この人が!と驚くような「折の技術」を示してくれる人もいます。

 コンピュータ技師として、日本で働きたいと日本語の勉強をしているSさんは、意外にもインテリアの才能があるようです。スマートで立体的な飾りを作ってくれました。美術系の飾りとはひと味違っています。思わず呻ってしまいました。その上、色のセンスもいいのです。

  

 
 普段は「今日の宿題」と私が声を張り上げるたびに、「先生、嫌です。嫌いです」の三連発。「どうして、宿題がありますか。書くのは嫌いです」と子供のようにだだを捏ねているというのに、自然と口数が少なくなって、神経を集中させているのがわかります。いつもの「逃げの姿勢」とは大違いです。

 思わず、「いい子、いい子」と頭を撫でたくなってしまいます。

 Lさんもそんな一人です。まだ来たばかりなのですが、初めて学校に来た時は、能面のように無表情だったのに、昨日は生き生きと、色合いも美しく、百合の花を折っていました。

 みんなで、たくさんたくさん、飾りを作りました。

 折り上がった後は、みんなで竹に飾りをつけていきました。「高いところのほうが、神様が見つけやすいよ」と言ったからでしょうか、みんな高いところ高いところへとつけるので、さすがの竹もしなってしまいました。すると、一人が門の上の、張り出している所へ、しっかりとガムテープで、竹の一番高いところを貼り付けたのです。すると、俄然、竹が、雄々しく見えるようになりました。
  
 今朝見たところ、昨日の大風にも負けず、みんなの「願い」の短冊も「飾り」も無事でした。「異国の神」も、同じように大切にしてくれる学生達の気持ちが通じたのでしょう。

 この不安定な天気を乗り切って、六日の夜から七日の明け方にかけても、無事であることを祈っています。
                    日々是好日
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「タンザニアから来た学生」と「ナズナ」

2008-07-04 07:51:33 | 日本語の授業
 今日は風混じりの雨。傘が圧されてひしゃげて見えます。水たまりを避けながら、ひょいひょいと歩いているうちに、ナズナの花を見つけました。

 タンザニアのあの人達は、今頃どうしているでしょうか。

 「日本に留学したい」タンザニアでは日本語を学べないので、短期ビザで日本へ来、来てからすぐにこの学校で勉強を始めました。あの時、辛いと感じたのは、こちら側、教師の側だけではありません。彼らの方でも、順応していくために必死だったと思います。「こちらの気持ちが分かってくれたかな。こんなに厳しくするのは、日本でやっていくためのことであると、理解してくれたかな」と思えるようになったのは、もう二ヶ月も過ぎてからでした。

 「時間を守らねばならない」ということから始まって、見るだけではなく書かねば覚えられないのだから、たとえひらがな・カタカナであろうとも「字は書かねばならぬものである」という理屈。大変だったと思います。今、インドの学生を「一から」教えてみて、それがよく分かります。

 残された一ヶ月は、「タンザニア流」の「のんびり、ゆっくり」を、ある程度認めました。みんながみんな、日本流の努力だの根性などでやっていけるものではありません。けれど、一度この「洗礼」を受けておけば、後できっといつか、それらが生きる日があると思います。

 教師の側も、面倒だからとか、責任を彼らに押しつけて「相手がだめだから」とか言ってはなりません。最初から「テキトー」はだめです。「テキトー」にしているうちに、あっという間に三ヶ月は過ぎ、結局ひらがな・カタカナさえ覚えられぬまま、帰国するということになってしまいます。勿論、十数年かけて身についたものは、おいそれと変えられるものではありません。そんなことはわかりきったことです。ただ「日本流ではこうだ」という「知識」が必要なのです。

 私が彼らとナズナを結びつけてしまうのには理由があります。それは、こんなことがあったのです。

 まだ日本語を学び始めて、一ヶ月くらいだったでしょうか。その頃、課外活動で、近くの「中台神輿店」へ行くことがありました。歩きなれていない二人は、いつも列の最後。「殿」といえば聞こえはいいのですが、要するについて行けずに「どん尻」になってしまうのです。

 「急いで、急いで」というのも、二人に関しては気の毒になってしまうくらい、「タンザニア突っかけ」で、テレテレ歩くのです。

 「約束の時間に遅れるから、急がなくてはいけない」と言っても、そういう思考回路はありませんから、「~から~」の前と後が一つに連結しないのです。

 学校の場合は、「学校の時間に遅れれば、先生が機嫌が悪くなる。それに叱られる。この人にブチブチ叱られたくないから、言うとおりにしている」に過ぎないのです。それが、日本社会のルールであるということが、なかなか彼らの臓の腑に、ストンと落ちていかないのです。

 急がせている私と、そういうつもりの全くない二人がまた険悪な空気になりかけました。

 そんなとき、道ばたに、太く大きい、立派なナズナを見つけたのです。

 私は、それを根本から折り取り、三味線のばちのような部分をいくつも、下に引き下ろして振ってみました。すると、小さな「シャカシャカ」という音が聞こえたのです。すぐに、彼らの顔に笑みが戻りました。自然のものは人々の心を本道に帰してくれます。本当に小さくてかすかな音なのですが、それでもはっきりと耳に届いたようです。

 二人の顔は急に明るくなり、手を伸ばして受け取ると、それを持ったまま、急ぎ足でみんなの中に入って行きました。そのうちに一人が私の所へ来て「見てください」と頭を見せるのです。そこにはかんざしのように挿されたナズナの姿がありました。

 それからは、楽しく見学をしました。なんと言ってもこの「中台神輿店」の方が親切で、外国人に解るようにと、汗を流しながら説明をしてくださるのです。もっとも、ミニ神輿の値段を聞いて、みんな改めて見直していましたから、こういうものの値段というものが、余りよく解っていなかったのかもしれません。日本人の「職人さん」に対する尊敬というものも。
 
 二人は、みんなと一緒に三級試験に参加したい、そのためには就学生となりたいと言っていましたが、結局入管のビザが下りずに帰って行きました。

 本国で日本語の勉強を続けることができればよいのですが。
           日々是好日
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また一人「新しいクラス」に

2008-07-03 07:05:48 | 日本語の授業
 天気予報では、「雨が降らず一日中曇り」であったと受け取って、バタバタしながら、外に出ると、小糠雨がぱらついているではありませんか。すぐに止みそうなものでしたが。それで、大急ぎで自転車を飛ばしてきました。外は、秋のような風が吹いています。

 いつの間にかウグイスの声は途絶えて、野鳥の森から流れてきた鳥でしょうか、4、5種類の囀りが聞こえてきます。

 随分学校らしくなりました。勉強したい人が来て、それなりの成果を上げていく。この道がはっきりしてきたような気がします。学校の周りに住んでいらっしゃる方、これまでに我々や学生達と接点を持ってくださった方々のご支援の賜物だと、一同感謝しております。

 さて、ところで、始まって二日目のクラスに、もう一人、タイの方が入ってきました。まだ17歳とのことで、緊張気味。この年齢では、三つくらい上でも、ずっと年上に感じてしまうものなのでしょう。お母様とお友達と三人で来られたのですが、書類書きはお二人に任せて、直ちに教室に連れて行きます。「今日はまだ授業を受けるつもりはなかったから、何も準備していない…」なんて、とんでもない。なにをか言わんやです。始めたい時にすぐ始めたほうがいいのです。

 初めは口が動きません。唇をモゾモゾ動かしているだけです。音も漏れてきません。こうなったら順番に当てていくしかありません。すぐに右隣左隣が「こう言えばいい」と救助(?)の手を差しのばします。

 このクラスは、本当の意味での初級の人は4人ほどしかいません。その他の6人ほどは、国で勉強してきたけれど、ヒアリングが弱いとか、漏れがあるとか、系統性がなかったからとか、様々な理由で、午前も午後も参加している人達なのです。ですから、一緒に学んではいるものの、余裕はあります。しかも、昨日運悪く来た上級の学生まで、「発音が悪いし、声も小さいから」という理由で、「さあ、初心に戻ろう」と、これもまた下に引きずっていきましたから。彼の場合はかなり激しく抵抗しましたけれど。

 日本語の勉強の時(プライベートレッスンはいざ知らず)、学生達のレベルが上がるかどうかは、クラスの雰囲気(と言いましょうか、決心と言いましょうか、クラス全体の気概と言いましょうか)にかかっています。一人だけ上手になる、あるいは一人だけ上手のままでいるということはとても難しいことです。一日に決まった時間一緒にいる人達が上達しない限りは、上手になったり、そのレベルを保ったりはできません。

 それ故、助け合うことを知っているクラスは強いのです。さあ、みんな、一緒にがんばろう。
日々是好日
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「新しい初級クラス」が始まりました

2008-07-02 07:39:29 | 日本語の授業
「天山来客」さんの文章では、もうすでに「蝉」が常客となっているようですね。そうだったっけ?もう蝉がいるんだと、北京のこの頃を全く忘れてしまった私は懐かしく思っています。

 東京はまだまだ。まだまだ夏ではないのでしょう。蝉の声が聞こえぬ限り、日本人にとって夏ではないのです。「夏の風物詩は」というと、さていくつぐらい上げられるでしょうか、みなさんには。

 先日、午後自習をしていたインド人の学生が、「先生、先生」と血相を変えて飛び込んで来ました。「いったい何事が起こったのか」とびっくりしていると、中国人の学生が、「大丈夫、大丈夫」と言いながら、後ろからのんびりと上がってきました。「先生、これ」と見せてくれた足を確かめると、蚊が食いついて、その跡が大きく腫れていたのです。

 インド人の学生は、まだ日本語が上手ではありませんので、とにかく大げさな身振りや、大きな声で訴えようとします。それに、我々も驚かされてしまいますが、言語が不自由なうちは、その方が大事に至らなくていいのかもしれません。

 それで、アースマットやら、塗り薬やらを捜しますが、まだかまれた跡に塗って、痒みを止めるものしか入っていません。それを塗って、「大丈夫」と聞くと、にこにこして「大丈夫、大丈夫」と帰って行きました。東京でも、もう一歩一歩夏のただ中へと進んでいるのですね。なんと言っても、蚊ですもの。

 インド人の学生の、このときの気持ちは、言語に翻訳すると「大変だ、なんてこった、これは毒か、何なのだ、こんなに腫れている」。この「大変だ」は、いわゆる江戸弁の「てえへんだ」と読んだ方がいいのかもしれません。「大変」な焦りようでしたから。
 
 なんといっても、私たちが忙しい時に、ひらがなやカタカナ、最近は漢字までチェックしてくれる「小さな先生」なのですから。

 けれど、「会話」はすぐに、この中国人の学生よりも上手になるでしょう。そうしたら、今度は彼が、会話の先生になります。

 インドの学生はこんなことを言っていました。「私たちは見ます。聞きます。覚えます。テストの時だけ、書きます」。これはインドでの勉強法です。

 これまで受けてきた教育の方法が違うのです。しかし、彼が日本に来てからのこの一ヶ月、初めはお愛想程度にしか書く練習をしていなかったのに、昨日は上のクラスのディクテーションに参加して、曲がりなりにもついていこうという気持ちを見せてくれました。ひらがなカタカナを練習したノートももう一冊が終わろうとしています。

 昨日から、新しいクラスが始まりました。ひらがなカタカナから始めます。

 ひらがなをまだ覚えていない学生が二人(在日の方で就学生ではありません)。中国人の学生は「書く」と言うことに関しては、それほど注意する必要はないのですが、けれども、変な書き方を母国で習ってきていて、もうどうしても変えられない人も少なくないのです。これだけは辛い。仮名もカタカナも漢字からのものですから、突拍子もない書き方というわけではない。それで、日本人が読めない、ということもないのです。それで、直そうという気分にならないのでしょうね。

 一方、非漢字圏の学生は、一日でも書かなかったら、たとえ半年学んできた学生であろうとも、見事に忘れてしまいます。要注意です。けれど、初級のうちは、「聞いて、話して(『言って』に近い)の練習が主ですから、(教室においては)漢字圏の学生は、非漢字圏の学生に呑まれてしまいます。
 
 さて、昨日始まった「初級クラス」は、和気藹々として楽しそうでした。大学を卒業して何年かたった人も、高校を卒業したばかりの人も、教室の中では「一から学ぶ」学生です。見ているうちに、私も、向こうの席に座り、一緒に大きな声で、発音してみたいような気持ちになりました。
                           日々是好日
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珍しい涼しさ

2008-07-02 00:05:29 | 学生から
 蝉の鳴き声が聴けてもうこれから一気に真夏に突入するかと思ったら、ここ連日北京は夏には珍しい涼しさが続いています。台風がないため激しい暴雨こそ降らないですが、殆ど毎日のように雷雨が通過しています。

 日本にいた時期、この季節はちょうど東京のど真ん中に住んでいました。雨が降れば涼しくなりますが、そうでない時は、やはりむんむんと暑いのです。通勤に利用していた地下鉄は日比谷線ですが、トンネルの中は余り風が通っていないため、プラットフォームに降りたとたん、熱風が顔に煽ってきたような感じでした。

 その時、非常に感心したのは、こんな暑い中でもサラリーマンの方々がやはりスーツをまとっているということです。

 油濃いものや味のきついものは、日本人は大体好きではありませんので、多分体質的に冷たさに弱い方が多いのではないかと思われます。かといっても、こんな暑い箱の中にスーツを片手に抱えながら絶えず手拭いで顔を拭く人もいますので、暑くないと思われる方は先ず少ないでしょう。それでも、やはり毎日ちゃんとスーツ姿で通勤しています…

 それは、単に一種社会的企業文化と言えば、それまでですが、中国人の私としては、やはり何か不思議なものを感じています。それは、つまり日本人の無類の同調性というものです。

 今年2月頃、中国製餃子中毒事件が発覚したときにもそれを強く感じました。毒餃子事件発覚後、マスコミというマスコミは毎日これを大々的に取り上げ、made in chinaに対する嫌悪が嵐のように日本全土に広がっていきました。

 当時、東京のど真ん中から浦安に移ってきてちょうど1ヶ月ほど経ち、日本にも食住の価格に関してこんなに大きな違いがあることを知っていて一人で喜んでいた所です。

 浦安の一番大きいと見られるデパート「西友」の一階のスーパーでは、普段400円近くで売っていた横浜製中国餃子は、中毒事件報道開始後間もなく104円の値段で販売されるようになりました。日本製の餃子だけはいつもの四百数十円のままでした。

 そこで不思議に思ったのです。横浜製中国餃子は、果たしてmade in chinaなのか。もしそうでなければ、なぜ飛び火を受けて値下げされなければならないのだろう。勿論、値下げは、消費者の私にとっては非常に嬉しいことですが。けど、どこか間違ってはいないでしょうか。決して、made in chinaがいいと思わないのですが、マスコミの矛先は、的に外れているのでは、と思ったのです。

 事件では、だれかが故意に毒物を混入したのは火を見るよりも明らかです。だったら、なぜその「誰か」の摘発に目を向けないのでしょう。

 結局、中国当局側が予想通りの反応を見せてしまいました。中国国内での毒物混入の形跡が「見つからない」ため、事件の解決は、JTフーズだけが背負わされてしまったのです。真相も判明せぬまま。

 それは、本当に期待したくない結果ですが...

     天山来客 
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「クラス便り」

2008-07-01 07:27:52 | 日本語の授業
 昨日帰りにふと気づいたのですが、雨が降り続いている間に、周りの景色が目に見える形で変わっていたのです。すでにあじさいが元気を失い、代わりにタチアオイやカンナが元気な姿を見せています。桜の樹も緑がかなり濃くなっていました。たぶん7月に来た学生には、「これがあの桜の樹?」という感じでしょうね。どっさりと濃い緑で覆われ、真夏のような強い日差しの下に、黒い影を作っていました。
 
 行徳は平坦な道が続いていますので、自転車で学校へ通うのも、買い物に行くのも楽なのです。学生達もほとんど、自転車で来ます。ディズニーランドのある浦安からは電車で来ているようですが、自転車でも来られないことはないようです。アルバイトでディズニーランドへ行っていた学生が、時々自転車で行くと言っていましたから。

 もっとも学生達には、学校が近くのアパートを借りて、寮という形で住んでもらっています。その方が学校に通うのにも便利だし(歩いて5分)、もし病気になったり、何か困ったことが起きたりした時には対応もしやすいのです。今借りているアパートは駅と学校とのちょうど中間点にありますから、駅へも2分か3分ほどで着くでしょう。

 けれど、不思議なことに学校への往復の際、ほとんど出くわすことはありません。きっとアルバイトへ行ったり、部屋で寛いだりしているのでしょうね。

 今は、就学生よりも、在日の方の方が多いし、元気です。非漢字圏の方で、4月からがんばっている方には、12月の日本語能力試験で「三級合格」をめざしてもらっていますし、7月から始めた方は「四級合格」をめざしてもらうつもりでいます。

 ただ在日の方は夏休みを利用して、お子さんと一緒に帰国したりなさいますので、就学生のように試験まで毎日がんばるということがしにくく、そこが難しいところです。勿論、「話せるようになりたい」だけでも、かまいません。けれど、上手になって多少話せるようになると、意欲も増し、将来のことを考えて、受験した方がいいと思うようになるのでしょう。言葉を学ぶ場合、「中断する」ことが、一番怖い。短期間に、バアッとやってしまうのが一番いいのです。特に非漢字圏の方にとって、悪夢のような漢字がありますから。

 漢字圏の方は、できれば「二級」をめざしてもらいたいのですが、7月から開かれたクラスで「あいうえお」からの方は、ちょっと無理なので、「三級」に挑戦し、来年に備えてもらいたいと考えています。

 先日なかなかクラスに溶け込めないでいた中国人の男性と、クラスに溶け込みすぎて、しょっちゅう教師に「睨まれている」インド人の男性が、互いに助け合っているのを見ました。

 インド人の男性曰く「先生、どうして中国の人は漢字が書けますか」
漢字は中国から日本へ渡って来たもの。中国ではひらがなもカタカナもなく、全部漢字。みんな漢字だけで書いていると伝えると、中国人の男性を、「尊敬した眼でなく、驚愕の眼でもなく、つまり呆れ果てたという眼」で見て、「それで、大丈夫ですか」と訊いていました。

 こう訊かれても、答えようがないでしょうね、中国人の男性も。けれど、二人ともIT関係の技術者ですし、うまくいきそうです。いい友だちになれるといいですね。
   日々是好日
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