日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『馬鹿』って『バカ』?」

2008-07-19 10:43:50 | 日本語の授業
 昨日のことです。上のクラスで、台湾から来た一人の学生が
「先生、あの、どういう意味ですか。解らない漢字があります」
「どういう漢字ですか」
「二つです。馬と、えーと、えーと…うーん。日本語でなんと読むかわからない」
「どんな漢字?」「どんな漢字?」で、みんなも、ざわざわざわと騒ぎ出します。
カシだの、ミチだのが挙がった挙げ句、「鹿(シカ)」であることが解りました。
「それは『バカ』と読みます」
「えー!?」「えー!すごい。あの『バカ』ですか」

 去年の学生達は、学校で教えないようなことを、よく知っていましたけど。

 そんな学生達に、わたしは、毎日のように「知らなくていいことばかり、どこで習ってくるんだ」と、火を噴いていました。そんなことばかり「まっすぐに」覚えてきて、試験に出てくるような単語、言いまわしには、みごとな「カーブを切って」逃げていたからです。

 「日本人でも、この言いまわしは難しい」と思えるような、変な言いまわしは、すぐに記憶できるのですが、『留学生試験』や『一級試験対策』に関係するような、単語や文法を学んでいる時には、頭が「お留守」になってしまうのです。覚えるどころではありませんでした。たぶん、全く興味がもてなかったのでしょうね、あのような言葉には。しかし、そのおかげで、まじめな(つまり、学校で学んだことをしっかりと覚えるだけの)学生も、『生活用語』に親しめましたので、本当は(私も)文句を言ってはいけなかったのでしょう。けれど、彼らの目的は「大学入学」でしたからね、一応「本業」を忘れるなと叱っていました。

 今年の上のクラスには、そういう「一人前のつきあいを日本人と出来る男子」学生がいません。まじめな女の子が主ですし、男の子もまじめで堅物、融通が利かないので、言語を習得するには、時間がかかるといったタイプですし。その上、火曜日から来始めた男性は、完全に「いい人」タイプですし…。

 日本で日本語を学ぶ場合、「日本語に触れるのは、学校だけ」というわけにはいきません。アルバイト先や路上で触れた日本語について、よく学生から質問を受けます。まだ『初級Ⅰ』とか、『初級Ⅱ』くらいでしたら、もう少し待つようにと言えるのですが、『中級』から『上級』にかけてとなりますと、真正面から答えなければならなくなります。また、それが、ヒヤリングだけでなく、彼らの語彙を飛躍的にのばすことにも繋がるので、なおざりには出来ません。

 アルバイト先や路上で聞いた、しかもその言葉を記憶にとどめておいて、質問できるというのは、すでに「かなりのレベルに達している」ということです。その言葉に「似た音」や、「意味の似た言葉」が、それに付随して「解明されていく」わけですから。

 これは、クラスの雰囲気やレベルによって、毎年異なるのですが、この日本語学校で学ぶ一年半から、二年の間には、必ず、幾度か、急にクラスのヒアリングのレベルが上がる時期が来ます。早いクラスでは、「あいうえお」から始めて半年後くらいに、急に「こちらの言葉に、反応し始め、活発になる」時が来ます。遅いクラスでも、一年くらいのうちには、必ず一度はそう言う時が来るものなのです。

 一言付け加えますと、これは中国人が大半を占めるクラスの場合です。中国人の場合、『読解』や『文法』の方面を、先に習得することになり、次が『聴解』、最後が『会話』となります。(非漢字圏の学生は、違います、一ヶ月くらいで、どんどん発言が増え、抑えるのに苦労するほどなのです)

 ところが、去年のクラスのように、時々『読解』や『文法』にそれほどの伸びを見せる前に、『聴解』や『会話』に習熟してしまうこともあるのです。

 私も、最初の頃は、頭の中にあった「流れ」と全く違うので、多少戸惑いました。「おかしい。なぜこうなるのだ。読解力なんて全くついていないのに」。まるで「非漢字圏の学生と同じ」なのです。

 「中国人でも、『書いたり、読んだり』するよりも、『聞いたり、話したり』する方が早く上達する人がいる」というのは、考えてみると、当たり前のことなのですが、教えている時は、その学生しか見ていませんから、どうしても「中国人」という流れで見てしまいます。「『読解』で全然点が取れないのに、『聴解』で点がこんなに取れるなんておかしい」といった具合に考えてしまうのです。

 本当に「中国人にも色々いる」し、「非漢字圏の学生にも色々いる」でいいのでしょう。しかし、これも、比較の対象を知っていたから余裕を持って言えることで、何もなかったら、ただそれだけのこと。経験にも、指導にも結びつかない、お寒い限りに、なるだけでしょう。

 ところで、来週から、日本に来たばかりの少年が一人(中学校が夏休みになりますので)、ここで勉強することになりました。母子で来校したのですが、親は将来のことを考えて焦っています。今は日本語のことだけを考えさせた方がいいと言ったのですが、解っていても、親としては焦らざるを得ないのでしょう。

 7月から始まった、このクラスは、15歳やら18歳の中に、新たに16歳が加わり、平均年齢がグンと若くなりました。まだ少年や少女と行った感じなので、やはり、二十代の中に入ると、「動作」や「物言い」が、かなり幼くみえるのです。それに加えて、彼らの性格の違いが、みんなの笑いを誘います。本当に、「笑い」や「泣き」、「怒り」や「驚き」には、国境がありませんし、言葉も必要ありません。

 このようにして楽しんでいくうちに、きっと、いつの間にか、言語を用いる上での、土台となるべき信頼関係ができあがっていくことでしょう。(学校に来たばかりの頃はいいのですが、しばらく経つうちに、お互い、どうしてもわがままが出てきます。日本人との間の矛盾というより、文化を異にするもの同士の矛盾が目立ってくるのです)たとえ、互いに問題があっても、言い合いになっても、信頼関係さえあれば、何とかなるものです。

 昨日も下の階に聞こえるほど、大きな声で復唱していました。学生達は気づいていないと思うのですが、この単純作業を繰り返しながら、自然とお互いを知り、互いの不足を補い合えるようになっているのです。

 きっとこのクラスも、直にいいクラスになることでしょう。

日々是好日
コメント
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