先日、11年ぶりに大学院時代を同じ共同宿舎で一緒に過ごしてきたある同級生に会いました。
当時英米文学を専攻していた所謂美男子流エリートだった彼は卒業後、銀行、外資系企業を点々と経て、今金融コンサルティング会社を経営しています。
ギャンブル、カラオケが好きなのは、今も変わっていないようですが、当時クラスメート及び同級生のみんなをうならせる侃々諤々とした話し振りは、今はうかがえません。わざと韜晦しているのでしょうか、それとも…
まあ、好きなタイプではありませんので、詮索する必要はないと思いますが、その中で、周りの女性クラスメートのお世辞の下で、一度だけ、彼はふんと鼻を鳴らすと、半ば吹聴らしく自慢話をしたことがあります。
「日本語って、実をいうと、俺は高校の時にもう少し知っていたよ。当時の俺の担任は、元は日本から帰国した華僑だった。文革の中、俺の高校に物理の先生として下放されたのさ。尤も、高校時代、俺の先生の中にはすごい人は結構居たよ。国語の先生は、朱自清(亡き中国の有名な学者)の弟子だったし…」
そうか、国語の先生は、有名な学者の弟子だったのか、うふふ、クラスメート及び同級生の皆をうならせるほどの識見を持っていたわけがよく理解できたような気がしました。
まあ、事実はともあれ、同級生の言ったことには、少なくとも一つだけ本当だと思われるものがあります。つまり、立派な先生との出会いが人の一生の恵みとなること。古い言葉で言い換えますと、「朱に交われば赤くなる」。そういうわけです。
振り返ってみれば、自分のこれまでの人生は、実に平凡極まりないものです。けど、それに対して自分は大変満足もしています。時間・空間的に考える場合、人の存在は短く、世界も小さい。苦楽半々というのは、世の中の常です。それより、今の平凡を自由に送らせることができるようになったのは、正にかつて数々の立派な先生に出会ったお陰だと思います。
天山来客
当時英米文学を専攻していた所謂美男子流エリートだった彼は卒業後、銀行、外資系企業を点々と経て、今金融コンサルティング会社を経営しています。
ギャンブル、カラオケが好きなのは、今も変わっていないようですが、当時クラスメート及び同級生のみんなをうならせる侃々諤々とした話し振りは、今はうかがえません。わざと韜晦しているのでしょうか、それとも…
まあ、好きなタイプではありませんので、詮索する必要はないと思いますが、その中で、周りの女性クラスメートのお世辞の下で、一度だけ、彼はふんと鼻を鳴らすと、半ば吹聴らしく自慢話をしたことがあります。
「日本語って、実をいうと、俺は高校の時にもう少し知っていたよ。当時の俺の担任は、元は日本から帰国した華僑だった。文革の中、俺の高校に物理の先生として下放されたのさ。尤も、高校時代、俺の先生の中にはすごい人は結構居たよ。国語の先生は、朱自清(亡き中国の有名な学者)の弟子だったし…」
そうか、国語の先生は、有名な学者の弟子だったのか、うふふ、クラスメート及び同級生の皆をうならせるほどの識見を持っていたわけがよく理解できたような気がしました。
まあ、事実はともあれ、同級生の言ったことには、少なくとも一つだけ本当だと思われるものがあります。つまり、立派な先生との出会いが人の一生の恵みとなること。古い言葉で言い換えますと、「朱に交われば赤くなる」。そういうわけです。
振り返ってみれば、自分のこれまでの人生は、実に平凡極まりないものです。けど、それに対して自分は大変満足もしています。時間・空間的に考える場合、人の存在は短く、世界も小さい。苦楽半々というのは、世の中の常です。それより、今の平凡を自由に送らせることができるようになったのは、正にかつて数々の立派な先生に出会ったお陰だと思います。
天山来客