ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

バンクーバーオリンピック(2)

2010年03月03日 05時59分28秒 | ニュースの中から
年とともにオリンピックに対する興味というか感激というか、少なくなってきた。
随分長く感じられた4年という感覚も、えっ、またあるの?、という感じに変わって来た。
もちろんそれは、昔は4年ごとに夏期と冬季が同時にあったけど、今は2年おきにどちらかがあるということもあるだろう。
そこで今度のオリンピック、そんなに熱心に見てたわけじゃないけど、開会式は居眠りしつつも全部見た。
(いつものことだけど、入場行進、長すぎるよね。あれ止めたら?
えっ、それじゃ開会式にならない?まっ、それはそうだけど・・・)
なかなか洗練されてて、雪のような地面、凝った仕掛けもわざとらしさを感じさせなかった。
開会式や閉会式は開催国が全力を挙げてやるものらしく、その国のセンスがよくわかる。
まるで紅白歌合戦のようなシドニーの開会式、それを観客が大喜びしているのを見て、オーストラリアは世界の田舎なんだなぁ、と思った。
北京は悪くはなかったけど、あとでやらせがわかってやっぱりなぁ~
バルセロナはあの躍動感がとても良かった。今までで一番良かったかもしれない。
長野オリンピックはつまらなかった。あれが日本の国力?
まあ、冬季と夏期では力の入れ方が違うのだろうけどね。
それに東京以外での開催には、勝手にやれば・・・、ってところだろうけどね。

ともあれ毎回ますます派手に大げさになる開閉会式、もういい加減にしたら?
と思うけど、でもまあいいんじゃない、とも思う。
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バンクーバーオリンピック

2010年03月02日 05時09分49秒 | ニュースの中から
バンクーバーオリンピックが終わった。
今回日本はとても良かった。
えっ、なにが?
ユニフォームが。
あの金ぴかのウルトラマンのようなユニフォーム、
いかにも強そう、いかにも早そう。
成績とのギャップも面白かった。
そして今回ほど日本の伝統的な美意識を感じたこともない。
中国や韓国のようにがつがつと金をあさりに行くのでなく、
謙譲の美徳、というか、どうぞお先に、といって勝ちを譲る。
実に奥ゆかしいではないか。
それにもともと日本人は負けることが好きな民族で、
源義経、楠正成、織田信長、豊臣秀吉、西郷隆盛、坂本竜馬・・・負けたり非業の死を遂げた人は人気があるが、源頼朝、足利尊氏、徳川家康などの勝者は人気がない。
戦争中は「1億総玉砕」「生きて帰らず」などといい、国を挙げて死を煽った。
普通に考えると、死んだらだめやん。死ぬことは敵に殺されること、敵に負けること、だと思うのだけど・・・
国を挙げて負けろという。
実に奇妙だ。
さらに戦後はこれに自虐史観が加わった。
とにかく日本を、日本人を貶すことが進歩的なのだという。
そして進歩的文化人はそれを飯の種にしてきた。
この自虐史観の輝かしい伝統は今でも朝日新聞や社民党に生き続けている。

あっ、わき道にそれてしまった。
金ぴかのユニフォームのこと。
この金ぴかは一見、日本人の美意識とそぐわないように見えるけどこれもまた日本の伝統そのもの。
日本の襖絵や屏風絵はやたらと金粉を使い、さらに霞をやたらと使って絵をあいまいにする。どちらもいい趣味だとは思えないけど、これも日本の伝統らしい。
というわけでウルトラマンのユニフォームも日本の伝統に根ざしたもので、今回の成績も霞の技法であいまいにすればいい。

ともあれこれから日本はオリンピックではますますヨーロッパ型になるだろう。
オリンピックは国ではなく個人の発揚の場に。
今でもオリンピックを国威発揚の場だと考えている国は大いに発揚すればいい。
でも日本はそんなのごめんだね。
個人がのびのびとその実力を発揮できるような場だったらそれでいいと思う。
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春眠

2010年03月01日 03時50分34秒 | 田舎暮らし
冬眠(?)を始めて1ヵ月半。
そしてもう3月。
そろそろ起きなくっちゃ!!
もう蝋梅は散りだして、紅梅は八分、白梅は5分咲き。
そして杉もいよいよ花粉を撒き始めた。

3月になったとたんに春が来た!と思う。
別に昨日と今日それほどの違いはないのだけど・・・
でも3月、昨日1日早くウグイスが鳴きだした。
それも、ホーホケキョ、
ホーホ、ともホーキョキョキョとも鳴かないで、
いきなり、ホーホケキョ!
どこかでこっそり練習してしたのだろうか?

ところで冬眠の後は誰でも思い浮かべる言葉は春眠。
春眠暁を覚えず、という漢詩の一節。

 春眠暁を覚えず
 処処啼鳥を聞く
 夜来風雨の声
 花落つることを知る多少

外は春一番。
そして日曜日。
もうちょっと眠っていよう!
というサラリーマンの気持ちを歌った歌(?)
ともあれ春の二度寝は気持ちがいい。

でも春と言うとやっぱり眠いのは昼間。
もやもやとした空気にスギ花粉でもやもやっとした頭。
そしてうすぼんやりと桜が咲くころ。

 春の海のたりのたりかな

といってのたりのたりと暮らしたくなる。
もっとものたりのたりしているのはいつものことだけど。

ところで冬眠、春眠、があるのに夏眠はないのだろうか?
と思ったらやっぱりあるらしい。
とっても暑い日は爬虫類は寝て過ごす。
人間だって昼寝をしたくなる。
でも今ではみんな昼寝をしないであくせく働く。
昼寝をする習慣をなくしてしまったのが人間の堕落の始まりかもしれない。

冬眠、春眠、夏眠があるのなら秋眠だって・・・
ところが秋眠はない。
秋は厳しい冬に備えて精一杯準備するとき。
夏中歌い暮らしたキリギリスだってあわてて働き出す。
というわけで、
冬眠、春眠、夏眠、働く・・・
冬眠、春眠、夏眠、働く・・・
このサイクルがもっとも自然に合った生き方かもしれない。

ともあれ今は春。
まもなく草木も芽生える。

 石ばしる垂水の上のさ蕨の 
 萌え出づる春になりにけるかも
コメント (2)
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