ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

当たり前のこと

2016年07月14日 05時42分39秒 | 雑感
1+1=2
これは当たり前のこと。
でもふと思う。
1+1=2?・・・と。
現実にはこんな当たり前の見方ができない人ばかり。
1+1=-2
1+1=3
自分たちの都合のいいように色眼鏡をかけ、すぐにレッテルを張る。
またそんな見方に迎合する人たちは自分たちが競馬馬のように目隠しされて周りを見えないようにされているのに気づいていない。

それで当たり前に見るようにずっと心がけてきた。
当たり前の見方、普通の見方。
そんな見方をするようにと。

でも現実はそれがなかなか難しい。
1+1=-2、だとかプラス3だとか色眼鏡をかけて見る人が多い。
そしてこんな当たり前の見方をできない人は、それを論理的に証明するのでなく、無理やりレッテルを張り隠し取り繕う。
そこにはとっても無理がある。
無理やり本当だと思い込み、それを人にも押し付ける。
そしてすぐにレッテルを張る。
この人はこうだと決めつける。
こんな人はものを正しく見ることはできない。
(福島瑞穂)

でもね人はいろんな面があるんだよ。
喜びも悲しみもいいことも悪いことも。
それを、レッテルを張って1面でしか見ようとしない。
(福島瑞穂)

でもねレッテルを張った時、もうすでに思考は停止し、その頭脳は化石化しているんだよ。
喜びも悲しみを良いことも悪いこともみな1枚のレッテルを張って自分の都合のいいように隠してしまう。
そして自分たちの都合よい人しか受け入れないでよそ者は排除する。
こんな古い古い村社会に生きているんだよ。
(福島瑞穂、大手メディア)

例えば「憲法改正反対!」
これを普通の目で見ると、正しく変えることがどうして悪いことなの?と思う。
「憲法改悪反対!」
悪く変えようと思ってる人は誰もいないよ。
自分なりにもっといいように変えようと思っている。
それを自分の意にそぐわないというだけで、他人の意見を押さえつける。
それが「憲法改悪反対!」ということば。

今まで一部の大手メディアは、
(どことは言わない、朝日・毎日とは言わない)
1+1=-1だとか-2だとか報道してきた。
そこにあるのは論理的思考でなく、
自社の利益のための大衆誘導、大衆蔑視。
そしてそれにのせられて、普通にものを考えることができなくなった一部の大衆。

そこで言いたいのはまず普通にものを考えること。
あたりまえにものを考えること。
そうするともっともっと大きな世界が開けてくるんだよ。
そう、1+1=2
この当たり前の見方をすること、
人をレッテルや色眼鏡で見ないこと、
そうするとまったく違った見方ができる。
視野がとっても広がるよ。

そしてそんな見方ができたうえで、
1+1=2
ではなく
1+1=2?
と考える。
それが哲学するということなのだ。
哲学するということは、当たり前に物を見るということだ。
でもそれはとっても難しい。
1+1=2!ではなく、本当にそうなのだろうか?
1+1=2?と考えた後、
それを論理的に証明したら、
1+1=2?ではなく1+1=2だとして次に進む事ができる。
それが進歩ということなのだ。
(1+1=2はすでに論理的に証明されている。ただしそれを証明するには大学ノート1冊分かかるらしい・・・)
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