ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

里山

2018年10月19日 17時32分03秒 | 田舎暮らし
里山に15年以上も住んで里山へのイメージは昔と今とではずいぶん変わった。
いったい里山ってなんだろう?

本当の自然はそれ自体で循環する。
ところが里山はどうだろう?
絶えず人が手を加えないと維持できない世界ではないか。

里山を見ると現代の宅地造成地を思う。
宅地造成地と同じように、木を伐り山を削って自然を徹底的に破壊することによって里山ができた。
そのために里山を維持するためには絶えず人の手を入れないといけない。
それでも昔は人口増に対応すべく里山を作る意義は確かにあった。
でも人口減の今、果たして里山を維持する必要性があるのだろうか?

いったい本当の自然よりも、もののけ姫的のような自然よりも、里山の自然の方がいいのだろうか?
それなら、そう思うなら、知床の、白神山地の、屋久島の自然をつぶして里山に変えたらいい。
でもそうしろという人は誰もいないだろう。

本当の自然と人工的な里山の自然と、いったいどちらが優しいのだろう?
実は先日のC・W・ニコルさんの講演を聞いてとっても疑問に思った。
その中で「放置と保護は違う」という言葉に・・・
きっとニコルさんはイギリスの森を、イギリス風な里山をイメージして長野県にアファンの森を作ったのだろう。
クマ笹や倒木に覆われ誰も踏み入れることができなくなった所を、
ボランティアの人たちの協力を得て笹を切り、倒木を片付け、間伐材を伐採して、地面に日当たりを良くして、人が踏み入れる土地に変えて、
そして今のアファンの森ができた。
きっと今はきっと経営的にも成り立っているのだろう。

しかし、しかし・・・コスモス祭りや田んぼの学校のように、みんながそれをまねしたらどうなるのだろう?
競争社会、そしてその先に見えるのは共倒れ。

ニコルさんは言った、「放置と保護は違う」と。
では放置せずを得ない今の日本のほとんどの里山はどうしたらいいの?
税金を使って維持するのか。
砂漠にジョロで水まきするように税金を垂れ流しするのか?

ニコルさんは今でも里山の呪縛から逃れていないのではないか?
正直、今の気持をはっきり言う、日本の里山の9割はつぶれていい!と。
そして補助金やボランティアの無償奉仕などを当てにしないで、
まず自分達だけでこの里山を再生しようというところだけ生き延びればいい。

でもまずは誰も当てにしないで自分でできることだけをしよう!
そして、それだけで、満足して生きていこう!
絵本の「木を植えた男」のようにただただ偏屈に自分の好きなことだけをやったらいい。
木を植えるのが好きなら、好きなことをやったらいい。
それは村興しに繋がろうとも、繋がらなくとも、自分の好きなことをやったのだからそれで満足じゃないか。
そしてたまたまそれが村おこしに繋がったら、それはとっても嬉しい!!

自分たちが住んでるところじゃない?
その活性化にどうして人を当てにする?
まず自分でやる。
それでもだめなら集落のみんなに頼る。
それでもだめなら公に頼る。
それが普通じゃない?
そんなことができないなら、里山を自然にお返ししたらいい!
自然に「今までありがとうございました」と言って、里山をお返ししたらいい。


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