梅雨の日はやっぱり紫陽花だね。
雨に輝く紫陽花がいちばん美しい。
雨に輝く紫陽花がいちばん美しい。
もっとも今日は晴れてたけど・・・
それで毎年毎年今の時期、
やっぱり紫陽花を撮っちゃうね。
そうそう紫陽花は大好きな花。
この農園いっぱい紫陽花園にしたいけど、
すでに日の当たるところでは先住者、1万本近い水仙が住んでいるので、
ここはひっそりこっそり隅っこで我慢してもらおう。
もともと紫陽花は日陰者。
日陰の湿っぽいところでも咲いてくれる。
紫陽花の学名は「オタクサ」
シーボルトの長崎での現地妻「お滝さん」からきている。
でもシーボルトはきっと本当にお滝さんが好きだったんだよ。
だからこの花に「オタクサ」という学名をつけた。
その後無骨な学者シーボルトは禁止されていた伊能忠孝の日本地図を持ち出そうとした。
それもひとえにシーボルトの日本への思いと「日本学」の著作を書くため。
でもそれが発覚して、それを手伝った日本人のシーボルトの弟子たちは処罰された。
そしてこのシーボルト事件のためシーボルトは2度と日本に戻ってくることはできなくなった。
そしてドイツに帰っても日本の事が忘れられず、
そしてこのシーボルト事件のためシーボルトは2度と日本に戻ってくることはできなくなった。
そしてドイツに帰っても日本の事が忘れられず、
年老いても日本のことを語り続けた
その侘しい悲しいシーボルトの思いをドーデは「月曜物語」の一編に書いている。(幕末開港して、やっと日本に戻ってくることができた)
そしてこのドーデの「月曜物語」とともにピエール・ロティの「お菊さん」を読んでほしい。
幕末日本に来た欧米人は気楽に日本人と結婚した。
だってその結婚は現地かぎり、日本を出たらその契約は解消される。
気楽な現地妻なのだ・・・とかってに思っていた。
それはアレクサンダーのペルシャでの集団見合いと同じ。
集団見合いして結婚した相手をギリシャに連れ帰ることは禁じられていた。
この集団見合い、しょせん現地妻、ギリシャの兵士のセックスのはけ口でしかなかった。
この集団見合いにはもちろんペルシャの男たちは排除されていた。
それでペルシャの男たちはどう思っただろう?
東西文化の融和、なんて言ってられるだろうか?
ところが欧米人だけでなく日本人の書いた世界史でも、西洋史観の受け売りで同じようなことを言っている。
相も変わらずアレクサンダー「大王」
なにが大王か!
蒙古の「黄禍」をことさらに言うけど、どうしてそれ以上に地球の人類に甚大な被害を出した「白禍」を言わない?!
アフリカで、アメリカで、アジアで、いったい何をしてきたか?!
アフリカで、アメリカで、アジアで、いったい何をしてきたか?!
いえいえそんなことじゃなかったな
いえいえ当時の日本人はお見合い・結婚式をとってもまじめに考えて、やっていた。
ところが当時に日本に来た西洋人にとってはしょせん現地妻。
ロティは、なんとお見合いの席でお見合い相手の人が気に入らなくて、そのそばにいた女の子・お菊さんのほうがいいと言い出した。
売春宿で相手を選ぶ、それとまったく同じ感覚。
西洋人の傲慢さがとっても感じられる。
(こうしてあちこちでマダム・バタフライやお菊さんの悲劇が起きた)
そしてとなり子の方がいいと言い出して、
たちまちみんな慌てふためき、でもなんとかその場をおさめ、
その後、お菊さんと「結婚」することになった。
でもしょせんロティにとっては、現地妻。
お菊さんとの「結婚」がうまくいくわけはない。
後はだらだらお菊さんの悪口ばかり・・・
きっとこんなことが昔のペルシャでも起きたのだろうな。
紫陽花を見るとついついこんな思いが起きるのだよ。
紫陽花とってもきれいな花。
でもじっと見つめているとなんかとっても辛い花。
この花の中には、きっときっと、
シーボルトや、お菊さんのこと・・・
そしてその娘、お稲さんのこと・・・
不幸なことに青い目、西洋人の顔で生まれてきた、
とっても目立つ美人に生まれてきたおいねさん。
そのために数々の差別をうけ、
そしてきっと父親に対するとっても屈折した思いはあったものの、
父の跡を継ぎ日本初の女医になったおいねさん。
紫陽花を見るとこんなおいねさんの気持をとっても感じる・・・
ぞう、とってもつらい花。
でもやっぱり今の時期、梅雨になると紫陽花の花を撮ってしまう。
我が家には今50本近くの紫陽花が咲いている。
もっともっと増やしたいと思ってるけど・・・
でもいくら増やしても、きっとでもでも一番美しいのはやっぱり長崎のシーボルトの鳴滝塾跡に咲いてる、小さな庭の紫陽花だよ。