ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

納豆のこと

2019年04月08日 19時28分25秒 | 食の話
この2~3日久しぶりに焼酎を呑んでいる。
実はそれまで、ここ3カ月で酒を呑んだのはなんと3日だけ!
これって信じられる?
きっと誰も信じないだろうね。
なにより自分自身が信じられないのだから。
でも人は酒がなくても生きていけるということが、おかげでよ~~~くわかった。
そしてわずかな酒でとっても良い気分になれることも、
さらにちょっと多く飲んだだけでなんと気分が悪くなることも、おかげでよ~~~くわかった。
といっても別に体を壊していたわけじゃない。
体はいたって健康なのだけど、しばらくやめた。
でも意外とその気になれば酒はやめられるものなのだ。

ところでこんな話じゃない。
納豆の話。
今肴に納豆を食べている。
肴というと手軽に食べられるので、たいてい納豆か豆腐。
豆腐の方が好きなのだけど最近は不満ながら納豆が多い。
納豆は嫌いじゃないけどそんなに好きでもない。

豆腐はピンからキリまである。
ピンは高級料亭でそれなりに手をかけそれなりの人がそれなりに食べる。
でもキリの豆腐は、それなりでない人がそれなりに食べる。
パックに入ってるだけ、何もついてない。
「サービスなんてしてあげないもんね。食べたかったら自分で勝手に醤油やワサビを入れて食べたら?」
それで自分でわざわざ醤油かけて、さらにワサビをつけて食べる。
実に不愛想だ。
そもそも腐ってもいないのになぜ「腐った豆」なのだろうか?
どうもパック入りの豆腐はどうせキリなんだから・・・とすっかり不貞腐れているようだ。

一方納豆はというと、こちらははなからピンはなくキリだけ。
それで少しでも気に入られようとパックの中にはタレや辛子がついている。
実にいじらしい、実に涙ぐましい努力ではないだろうか?
でもいくら努力しても育ちの卑しさは隠せない。
豆腐のように謙遜して「腐った豆」と言っているのでなく、こちらこそ正真正銘の腐った豆なのだ。
それで納豆を見るともうこれだけで充分、これ以上のスペシャルサービスを、あのねばねばに接するにつけ、指名したら追加サービスを期待できるのではないか、別室でとってもとっても濃厚なサービスを・・・なんてそんなよからぬことを期待する気には、やっぱりなれない。
そうそう、そのままでいいんだよ、しょせん納豆なんだからね。

ところが、にも拘わらずやっぱり納豆にも不満がある。
それはせっかくの好意のタレと辛子。
今まで子袋に入ったタレを辛子を満足に納豆にかけたことは一度もないのだ。
何とか封を切ったとたんにタレも辛子もあらぬ方向に飛んで行く。
うむ、いかん、損した!
いつもこの、損した!気分を味わい悔しい思いをする。
まったく納豆は何の進化もしていない。
もっとまじめに考えろ!
と、いつも憤りに満たされる。
どうしてタレを辛子をきれいに空けることができる方法を考えないのか。
これが納豆に対する最大の不満だった。

ところが最近この考えが改まった。
そうだ、納豆も進化していたのだ!

それがこの写真。



なんと蓋にタレが入っていてこれを割るとタレが納豆にかかる仕組み。
これだとあらぬ方向に飛び出すこともなく、みんな納豆にかかる。
まったく感激だ!
だってこの発想すごいと思わない?
蓋にタレを入れるなんて!
こんなこと一度も思い浮かべたことはなかった。
やったことは小さなことなのかもしれないけど発想はすごい。
「まんぷく」のチキンラーメンやカップヌードルと同じ。
どちらもすごい発明だ。
チキンラーメンは今でも、何十年もたった今でも、ほぼそのままで売られている。
進化と言えば卵を入れるくぼみをつけただけ。
これだって余計なこと、そのままでも十分通用する。
今では類似品もない。
独立独歩、これこそ真のオリジナルな発明ではないだろうか?
さらにカップヌードル。
これは逆に類似品をいっぱい出している。
それだけに革命的な発明だった。
容器付き・・・これはそれまで誰も考えなかった。
乾燥した具・・・これも今では普通だけど当時は誰も思いつかなかった。
それからフォーク。
ラーメンは箸・・・それが常識だったのに今ではインスタントラーメンなら普通にフォークで食べる。
まさに食の革命!
朝ドラ「まんぷく」が終わった後、ふと思う。
モデルとなった日清食品、そのあといったい何を作ったのだろう?
チキンラーメンやカップヌードルのあと、いったいどんな革命的な食品を?


コメント
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