ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

鶏をさばくといういこと

2008年10月26日 10時48分53秒 | 鶏の話
先日ホームページの鶏についての記事
(「ヒヨコがやってきた」の一番最後の記事~ヒヨコの写真をクリック)を見た人から次のようなメールをもらった。

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たまたま、鶏のことを調べていて、HPを拝見致しました。

ひよこから育てていく過程を興味深くみさせて頂きましたが・・
途中、たいじと称して、鶏をしめるところ。
とても残酷です。

私自身も鶏肉を頂きますが・・
だけど、なにか釈然としない気持ちが残り、メールをしてしまっている次第です。

ひよこから育てた鶏に情は生まれないのでしょうか?
私なら、絶対に殺せないと思ってしまいました。
(だったら、鶏肉を食べるなと言われると胸が痛むのですが)

淡々と、殺す様子をHPで紹介してますが・・
その心理がわかりません。
とても、とても、不愉快に感じました。

命を頂いて生きているのが人間なので、きれいごとは言えないのは承知ですが、そういった描写を堂々と載せるのは、どうなんだろうと思いました。

鶏を殺すことに慣れたくありませんとありましたが、それであれば、やめればいいのにと思います。
もしくは、殺す描写まで、HPに載せる必要がないのでは?
食べれるものなら、猫でもなんでも殺しちゃうのでしょうか。
そして、堂々とHPに載せるのでしょうか。

複雑な思いですが、生きているものを頂くという現実を見たように思います。
人間って残酷ですね。

通りすがりで、きつい意見を申し訳ございません。
失礼致しました。

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以上のメールに対して次のような返事をした。

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お返事遅くなりました。
言われていることはよくわかります。
今でも鶏をさばくときには、前日から覚悟を決め、気持ちを整えていき、何度も深呼吸をしてからさばきます。
それでもどんなに家畜だと割り切っていても、やっぱり割り切れないやりきれない気持ちが残ります。

ではそれならどうして飼っている鶏をさばくのかというと、
いつまでも飼っていられるといいのですが、現実の問題としてはそんなに甘くはありません。
鶏は4~5年で卵を産まなくなります。
そして冬の間も卵の産みが悪くなります。
そのため養鶏業では普通、冬は夜も明かりをつけて産みが落ちないようにして、産ませるだけ産ませて、1年間でさばいてしまいます。
我が家ではなかなかそんな気になれなくて、4年間くらいは飼っています。
でもこれ以上飼うと、身体が弱って病気になりやすいのです。それに卵も産みが悪くなって変形の卵を産むようになります。
それでも飼えたらいいのですが、そのために鶏舎を増やすこともできないし、餌を無駄にすることもできません。

自給自足や田舎暮らしという言葉に憧れを持つ人は多いのですが、現実はそんなに甘くはなく、自分で育てた鶏を自分でさばく覚悟が必要だと思います。
それでも飼っている鶏をどうしてもさばくことができなくて、山に逃がしたりしている人もいます。
すると、たいていの場合その夜のうちにタヌキや狐にやられてしまいます。
逆の見方をすれば自分が育ててきた鶏をタヌキや狐の餌にしているのです。
鶏を逃がすことは結局さばくことと同じようなもの、あるいは鶏にとってはもっと残酷なことかもしれません。
それにその鶏を食べてたら、その分の鶏肉を店で買う必要はないでしょう?
鶏1羽の命が助かったかもしれないのです。

雄鶏の場合はどうでしょうか。
雄鶏を飼っている養鶏業者はほんの一部の自然養鶏を除きまずいません。
ヒヨコのときに鶏肉用以外はほとんど殺されてしまいます。
我が家の場合鶏を家で孵しているので半分は雄鶏が生まれます。
これをそのまま飼い続けると、餌の無駄というよりも、雌鶏がとても傷むのです。
交尾のときに雌鶏は毛をむしられてとてもかわいそうな状態になります。
普通雄鶏と雌鶏の割合は1対10くらいがいいとされています。
自然の状態でも雄鶏はしだいに淘汰されていきます。
それで雄鶏どうしがそのうち血みどろの喧嘩を始めとても悲惨な状態になるのです。
このような状態見ていられるでしょうか?

鶏をさばくのをホームページにのせたのは、このような気持ちをわかってほしかったからです。
鶏肉を単に食材と見てほしくなかったのです。
消費者は鶏を育てている人がいることに、
そして鶏を殺している人がいることに目をそらしています。
きっと鶏を育てている人も、大量に鶏を殺している業者の人も、みな心の中に傷みを持っていることでしょう。

自分で育てて、自分でさばいてこそ鶏に感謝の気持ちを持つことができます。
口では感謝しながら食べているという人もいるでしょうが、実際にその鶏のことを知っている人でないと本当に感謝することなんかできないと思います。
我が家で育てた鶏は単に食材としてしか見ない人には食べてほしくはありません。
その鶏のことを知ってる人にだけ食べてほしいと思います。

ぜひ一度は自分で鶏をさばいて食べることをお勧めします。
鶏肉を店から買ってくるということは、
人に鶏を殺させているということ、いやなことを人に押し付けているということでもあるのです。
自分で鶏を殺すことは残酷で人に殺させることは残酷ではないのでしょうか?
どうかこのことから目を背けないで下さい。

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この返事で相手の人が納得してくれたとは思わない。
自分でも半分は納得していないのだから。
でも家畜を飼うということはそれなりの覚悟が必要なのだということ、そして心の痛みもわかってほしい。
そして店で買ってくる鶏肉を、レストランで食べる鶏肉も無駄にはしないでほしい。
無駄にするということは、その分、別の鶏の命が失われるということでもあるのだから。

この返事に対して相手の人からの返事は・・・なかった。
コメント (10)
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