イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

山菜採り 2回目

2019年04月25日 | Weblog
森に暮らすひまんじんさんの情報では、ワラビはまだまだでコシアブラはいいですよ~。ということだ。
今年は海だけではなくて山もどうも季節のうつろいがおかしいようだ。例年ならワラビは絶頂期を迎えているはずなのだ。それでもにっくき10連休の直前の休みは今日しかない。ワラビはダメでもひまじんさんの導きであの美味しいコシアブラは確保させてもらえるだろうと夜明け前の道路をひた走った。

まずはひとりで生石山の南斜面に取りついてワラビを散策。しかしひまじんさんの情報通り、ワラビは生えていても細くて小さい。そして小さい芽もすでに葉が開いてしまっているものが大半だ。芽が大きくならないまま一気に成熟してしまったようなイメージだ。



まあ、ワラビは採れなくてもこの景色を見るだけでも心地よいものだ。



理由は季節のうつろいだけでなく、今年は山焼きをしなかったことも大きな要因だろう。今日も「黄金の谷」に入ってみたけれどもススキのしげみが大きすぎて何も見えない。ここには大きなヤマウドの株があるはずなのだがまったく確認できない。



その後ひまじんさんと合流しワラビを採っていくがどこもあまり生えていない。それでも長時間彷徨った甲斐がありおかずにするには十分な量を確保してヤマウドポイントへ。
この季節の不順さはヤマウドにも影響していないかと心配したけれども、ヤマウドは大きくなりすぎていないよい芽を採ることができた。
まだまだ季節のはしりなのだろうけれども先客はすでに入っている。去年の枯れた茎を目安に株を探すが、そこはすでに一度盗られた気配がある。しかしヤマウドの生命力はすごいもので数日で次の芽が出てくるようである。




僕は勝手に「処女株」と呼んでいるが、今シーズン初めて掘り出されたあろう株はこの一株くらいだった。こういう株を見つけることができる眼力が悟りを開いたと言うのであろうが、まだまだその境地には達することができない・・。



その後、ひまじんさんの案内でコシアブラを豪快に採って今年も春の最後のミッションを無事に終えることができた。



今回もひまじんさんにはお世話になりました。ありがとうございました。


山菜を採っていていつも思うのであるが、今でこそ春の味だとかあの苦みがデトックスに効果があるのだとか言っているけれども、遠い昔、それこそ縄文の時代、その前から、飢えをしのぐことができる唯一の食材ではなかったかと思うのだ。前の年の秋に十分な収穫がなければ冬の間は飢えていなけれならない。ひょっとしたら、そこで命を落とした人もいただろう。寒い季節を乗り越えてやっと食べるものにありつける、それがワラビであり、ヤマウドであったのに違いない。

僕が今、ここに生きているということはその縄文時代、いやいやもっと古い時代から生き延びてくれたひとが居てくれたからにほかならない。そういった春を待ちわびる心が僕のDNAにも刻みこまれているのである。
だから、やはり山菜をいただくときはそういった先人の心を思いながら食べなければならないと思うのだ・・。

と、言いながら、山菜は普通以上に美味しい。この季節しか食べることができないと思うとなおさら美味しく感じる。先人の心を思わなくても美味しいものは美味しいのだというのが今年の春の結論だ。
コメント (2)
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