写真①:江戸時代末期から創業の醤油屋・旧「磯民」だった「光ふるさと郷土館」本館
=山口県光市室積5丁目6番5号で、2015年12月11日午前9時40分撮影
〈光市・町歩き〉 4
:「光ふるさと郷土館」本館
2011年10月31日、山口県光市束荷にある旧「伊藤博文邸」を紹介して以来の〈光市・町歩き〉シリーズの再開掲載です。15年12月11日午前、同市室積での岳父の墓参旅行帰りに立ち寄った同市室積5丁目の「光ふるさと郷土館」からリポートします。
「光ふるさと郷土館」は、海外貿易の隆昌をきわめた足利・室町時代からの古い町並みで知られる「海商通り」に面し、本館=写真①=と別館があります。市制50周年記念と、ふるさと創生事業の一つとして整備されました。本館は、江戸時代末期から昭和30年代まで醤油屋・「磯民(いそたみ)」(後に「磯屋」の屋号に)を営んでいた礒部家(いそべけ)を修復したものです。
明治初期に建てられた町家づくりの商家で、間口が狭く奥行きが長い「うなぎの寝床」といわれる造り。江戸時代に室積に寄港していた北前船をはじめ廻船に関する資料や醤油の醸造用具などが展示されています。
醤油醸造の工程に欠かせないレンガ造りの「麹室」も、残されています=写真②=。
写真②:レンガ造りの「麹室」
「麹室」の右手には、古めかしいレンガ造りの煙突が建っていました=写真③=。
写真③:「麹室」の右手に建つ煙突
圧巻は、廻船に関する資料展示室です。まず、250石積の弁才船の大型模型=写真④=に見ごたえを感じました。
写真④:250石積の弁才船の大型模型
実際には、室積の廻船の多くは「弁才船」より小さく、近距離の商品流通に活躍した100石積(約15トン)の「小型弁才船」や、3~4人乗りの「イサバ船」=写真⑤=、さらに小さい80石積前後の「猪牙(チョキ)船」だったという。江戸時代から明治にかけて「津屋崎塩田」の塩を運んだ〈津屋崎千軒〉の廻船・「イサバ船」は「五十集船」の漢字で書かれています。
写真⑤:パネルに展示されている「イサバ船」の解説
江戸時代末期から醤油屋を営み始めた「磯民」の鬼瓦(丸に桜) =写真⑥=や、その後の「磯屋」の鬼瓦(梅の花を上から見た形を図案化した「梅鉢」)=写真⑦=も、通路わきに展示されていました。
写真⑥:「磯民」の鬼瓦(丸に桜)
写真⑦:「磯屋」の鬼瓦(梅の花を上から見た形を図案化した「梅鉢」)