吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2009年6月20日/〈津屋崎の四季〉457・入海と津屋崎浜の朝

2009-06-20 07:53:11 | 風物
写真①:静かな佇まいを見せる入海(向こうは対馬見山)
     =福津市渡で、2009年6月20日午前5時50分撮影

 福津市津屋崎は20日朝、爽やかな晴天です。それでも、午後には気温がグングン上がり、19日と同じく真夏日になりそう。

 早朝、渡の入海(いりうみ=通称「津屋崎干潟」)では、まだ潮が引かず、静かな佇まいを見せています=写真①=。竹内まりやの『人生の扉』を聴きながら、〈目に映る景色も少しずつ変わるよ〉と、来し方行く末を想ったりしました。

 入海の南側へ行ってしばらくすると、対馬見山(標高243㍍)の方から朝日が射し、眩しく輝く景色に=写真②=。

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写真②:射し込む朝日に眩しく輝く入海
     =福津市渡で、20日午前5時54分撮影

 天神町の津屋崎浜=写真③=では、釣り人たちがボートを沖に出す準備をしていました。砂浜を散歩する夫婦の姿も見られます。7月1日は、津屋崎海水浴場の海開きです。今年は、孫娘を連れて久しぶりに海で泳いでみようかな。

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写真③:津屋崎漁港(向こう側)方向に白い砂浜が続く津屋崎浜
     =福津市天神町で、20日午前6時03分撮影
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2009年6月19日/〈東京・町歩き〉004・「亀戸天神社」

2009-06-19 19:57:54 | 東京・町歩き
写真①:「亀戸天神社」拝殿と境内
      =東京都江東区亀戸3で、2009年6月3日午前10時20分撮影


〈東京・町歩きスポット〉 4 

:「亀戸天神社」
 6月2日に東京都渋谷区の「東郷神社」と、「明治神宮」に初めて参拝しましたが、3日は江東区亀戸(かめいど)3の「亀戸天神社」=写真①=に初参拝しました。

 菅原道真を祀り、通称「亀戸天神」または「亀戸天満宮」、総本社・太宰府天満宮に対する東の宰府として「東宰府天満宮」とも呼ばれています。道真の末裔である太宰府天満宮の神官・菅原大鳥居信祐が、天神信仰を広める諸国巡りをして江戸の本所亀戸村に着き、寛文元年(1661年)に創建しました。

 境内の一角に「五歳の官公銅像」=写真②=が、建てられていました。そばにある立札には「昭和52年の御神忌1075年大祭記念として奉納される。台座に道真公の五歳の時 庭前の紅梅を詠まれた和歌を刻す。
美しや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある」と書かれています。

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写真②:境内に建てられている「五歳の官公銅像」
     =「亀戸天神社」で、3日午前10時18分撮影

 境内社に「御嶽(みたけ)神社」=写真③=がありました。祭伸は、道真の教学の師・比叡山延暦寺第13代座主、法性坊尊意僧正。知徳優れた高僧で、天慶3年(930年)2月の卯日の卯の刻に亡くなったことから、春の陽気を迎える「卯の神」として知られ、月毎の卯日には卯の神札を求め、福徳・才智を願い、除病・延命を折る参拝客に信仰されています。

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写真③:道真の教学上の師・法性坊尊意僧正を祀る「御嶽神社」
     =「亀戸天神社」で、3日午前10時16分撮影

 また、境内にある「塩原太助奉納」と大きく書かれた立札のわきには、石灯篭=写真④=が建っています。立札の説明文によると、奉納されたのは天明元辛丑年(1781)8月17日で「太助は、本所相生町(墨田区両国)で薪炭商を営み、辛苦を重ね豪商をなした」としています。

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写真④:江戸時代の豪商・塩原太助が奉納したという石灯篭
     =「亀戸天神社」で、3日午前10時15分撮影

 「心字池」には、甲羅干し中の亀=写真⑤=が何匹もいました。学問の神様である亀戸天神で合格祈願した受験生が、合格のお礼参りで亀戸の地名にちなみ亀を池に放つことが多いという。

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写真⑤:「心字池」で甲羅干し中の亀
     =「亀戸天神社」で、3日午前10時20分撮影


「亀戸天神社」(東京都江東区亀戸3-6-1):◆交通アクセス=〔電車で〕総武線「亀戸駅」下車、北口より徒歩15分。

亀戸天神社
      「亀戸天神社」位置図
      (ピンが立っている所)
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2009年6月18日/〈東京・町歩き〉003・「明治神宮」

2009-06-18 10:30:08 | 東京・町歩き
写真①:「明治神宮」拝殿と広々とした境内
      =東京都渋谷区代々木神園町1で、2009年6月2日午後0時01分撮影


〈東京・町歩きスポット〉 3 

:「明治神宮」

 6月2日、東京都渋谷区神宮前1の「東郷神社」を訪ねたあと、明治天皇と昭憲皇太后をお祀りしている「明治神宮」(同区代々木神園町1)=写真①=に初めて参拝しました。三が日の初詣者数が300万人以上と全国1位でもあり、一度はお参りしたい神社でした。

 表参道から歩いて、JR山手線「原宿駅」そばの南参道に入りましたが、道幅が広いうえ、鬱蒼とした樹林に包まれており、気持ちが和みます=写真②=。さすが、歴史に触れ、自然に憩う「神宮の杜」です。東京ドーム約15個分という総面積約70万平方㍍の杜には、大正9年(1920年)の神宮御鎮座にあたり全国から献木された365種・約10万本の樹木が茂り、約50種の野鳥が生息しているそうです。

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写真②:鬱蒼とした樹林に包まれた南参道
     =「明治神宮」で、2日午前11時46分撮影

 しばらく南参道を歩くと、左手に「神宮御苑」の入り口=写真③=があり、見ごろの花菖蒲を観賞しようと入苑(拝観料大人500円)する参拝客の姿も見られました。江戸時代初期には、大名加藤家・井伊家の下屋敷の庭園で、武蔵野の雑木林の面影を伝える風情が楽しめるそうですが、この日は時間がないので次の機会にはぜひ入苑したいと思いました。

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写真③:花菖蒲観賞に入苑する参拝客の姿も見られた「神宮御苑」入り口
     =「明治神宮」で、2日午前11時52分撮影

 南参道をさらに歩くと、右手に全国の酒造家から奉献された「清酒菰樽(こもだる)」=写真④=が並べられていました。

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写真④:南参道に並べられた「清酒菰樽」
     =「明治神宮」で、2日午前11時53分撮影

 南参道の左手には、明治天皇が葡萄酒を好まれたことから、フランスのブルゴーニュ地方の醸造元各社から献納されたという「葡萄酒樽」=写真⑤=も置かれていました。

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写真⑤:フランスのブルゴーニュ地方の醸造元各社から献納された「葡萄酒樽」
     =「明治神宮」で、2日午前11時54分撮影

 「参集殿」近くの「大鳥居」=写真⑥=は、日本で最も大きい木造の「明神(みょうじん)鳥居」(装飾的で、柱がやや斜めに立つのが特徴)で、参拝客らの記念撮影スポットになっています。高さ12㍍、柱と柱の間の長さ9.1㍍、柱の直径1.2㍍。原木に樹齢1,500年の台湾産ヒノキを使い、大正9年創建当時の鳥居の形状・寸法のまま、昭和50年(1975年)に建て替えられました。

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写真⑥:木造の「明神鳥居」では日本一の大きさという「大鳥居」
     =「明治神宮」で、2日午前11時55分撮影

 「本殿」前の境内には、御神木の2本の大きなクスノキ(クスノキ科)がそびえいます。神宮創建の大正9年に献木され、「夫婦楠(めおとくす)」=写真⑦=として親しまれ、縁結びや夫婦円満、家内安全の象徴とされているという。

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写真⑦:「本殿」前の境内にそびえる「夫婦楠」
     =「明治神宮」で、2日午前11時55分撮影


「明治神宮」(東京都渋谷区代々木神園町1-1):◆交通アクセス=〔電車で〕JR山手線「原宿駅」下車徒歩すぐ。

明治神宮
        「明治神宮」位置図
        (ピンが立っている所)
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2009年6月17日/〈津屋崎の四季〉456・ナスの生命力

2009-06-17 15:56:57 | 風物
写真①:艶やかに生ったナスの実
     =福津市宮司6丁目で、2009年6月17日午前6時31分撮影

 福津市津屋崎は17日、真夏並みの暑さになったようです。そんな福岡地方の天気なのに、新型インフルエンザがじわじわと感染者を増やしているのは信じがたいことです。

 早朝、宮司6丁目の畑で見かけたナス(ナス科)の実=写真①=は艶やかで、溢れる生命力を感じました。人間も、暑さに負けないたくましさが必要な季節です。
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2009年6月15日/〈日記〉365・ジャガイモ初収穫

2009-06-15 08:02:42 | 日記
写真①:初収穫のジャガイモ
     =福津市津屋崎2の拙宅で、2009年6月15日午前6時30分撮影

 細君が福津市津屋崎末広の友人宅の畑を借りて、2月8日から栽培していたジャガイモを6月14日夕、初めて収穫=写真①=。種イモを植える際、畝作りを手伝った私も、おこぼれに預かり、ゆでたイモを夕食て食べましたが、ふかふかで甘く、おいしく味わえました。

 2㌔の種イモを一畝半の畑に植えたジャガイモの収穫量は、8倍の16㌔。ジャガイモ栽培経験のなかった細君の初めての野良仕事でしたが、上々の出来でした。この津屋崎で取れた旬の野菜を味あわせたいと、神戸と東京に住む子供夫婦と孫に15日、宅配便で送りました。
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2009年6月14日/〈津屋崎の四季〉455・朝食タイムの野鳥たち

2009-06-14 07:58:42 | 風物
写真①:畑で餌探しのバン
     =福津市津屋崎生家で、2009年6月14日午前6時30分撮影

 福津市津屋崎は14日早朝、靄がかかった天気です。生家の畑では、バン(クイナ科)=写真①=が朝食の餌を探して歩いていました。

 しばらく畑の中を歩き回ったバン=写真②=は、畑と農道を隔てて北側にある溜池に飛び移りました。近くの里山からは、ホトトギス(カッコウ科)の鳴き声が心地よく何度も響いてきます。

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写真②:畑を歩き回るバン
     =福津市津屋崎生家で、14日午前6時25分撮影

 末広の水田でも、2羽のカルガモ(カモ科)が仲良く朝食のひとときを楽しんでいるようです=写真③=。

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写真③:水田で餌を取る2羽のカルガモ
     =福津市津屋崎末広で、14日午前6時36分撮影
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2009年6月10日/〈東京・町歩き〉002・「東郷神社」

2009-06-10 07:58:05 | 東京・町歩き
写真①:神明造りの「東郷神社」拝殿
      =東京都渋谷区神宮前1で、2009年6月2日午前11時18分撮影


〈東京・町歩きスポット〉 2
:「東郷神社」

 東京都渋谷区神宮前1にある「東郷神社」=写真①=は、福津市津屋崎渡の大峰山(標高114㍍)中腹にある「東郷神社」の観光ガイドの参考に、ぜひ訪ねたいと思っていました。JR山手線「原宿駅」を降り、若者向けのファッション・ブティックが並ぶ商店街で有名な「竹下通り」=写真②=をしばらく歩くと、すぐ近くでした。はにわ型をした津屋崎の「東郷神社」拝殿に比べ、東京の拝殿は神明造りです。


写真②:若者で賑うファッション・ブティックが並ぶ「竹下通り」
     =東京都渋谷区神宮前1で、6月2日午前11時10分撮影

 日本海海戦でロシア艦隊を撃破し、日露戦争を勝利に導いた旧日本海軍連合艦隊司令長官・東郷平八郎元帥を祭神として、昭和15年(1940年)に創建。境内には、連合艦隊の旗艦「三笠」に掲げられた「Z旗」や、Z旗が刺繍された「勝守(かちまもり)」、同元帥の直筆の「勝」の字を焼印にして作った「勝札」の説明文が掲示されていました=写真③=。初穂料は、「勝守」が700円、「勝札」が600円とあります。


写真③:社務所に掲示された「Z旗」や「勝守」、「勝札」の説明文
     =「東郷神社」で、6月2日午前11時16分撮影

 境内の一角には、当時のものと思われる砲弾=写真④=が、置かれていました。日本海海戦のあった玄界灘を遠望できる津屋崎・大峰山山頂の「東郷公園」にある砲弾と同じタイプのようです。


写真④:境内の一角に置かれた砲弾
     =「東郷神社」で、6月2日午前11時16分撮影

 また、境内には「Z旗」を掲げた旗艦・三笠で指揮を執る東郷元帥の絵=写真⑤=や、明治天皇に戦勝を説明する同元帥の絵などが掲げられていました。


写真⑤:「Z旗」を掲げた旗艦・三笠で指揮を執る東郷元帥の絵
     =「東郷神社」で、6月2日午前11時19分撮影

 明治通りへ通じる参道へ出ると、東郷神社の由緒説明板=写真⑥=が立てられていました。木々の緑に囲まれた参道は、参拝客や散歩を楽しむ人たちが行き来しています。


写真⑥:参道わきに立てられた東郷神社の由緒説明板
     =「東郷神社」で、6月2日午前11時18分撮影


 明治通りに接する参道入り口まで行くと、鳥居の近くに「東郷神社境内案内図」=写真⑦=がありました。


写真⑦:鳥居の近くにある「境内案内図」
     =「東郷神社」で、6月2日午前11時27分撮影

「東郷神社」(東京都渋谷区神宮前1-5-3):◆交通アクセス=〔電車で〕JR山手線「原宿駅」下車徒歩3分。

東京・東郷神社
      「東郷神社」位置図
      (ピンが立っている所)
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2009年6月9日/〈日記〉364・タカの巣とり

2009-06-09 18:00:56 | 日記
写真①:猪崎隆さんの初の著書『タカの巣とり』

宮崎市の〝鳥友〟・猪崎隆さんが初出版
詩情あふれる「野鳥少年」の実話読み物
タカの巣とり ――我が生涯の最良の日々――』

 私の鳥仲間の畏友・猪崎隆さん(宮崎市)が、同市田代町の出版社「鉱脈社」から初の著書『タカの巣とり』(変型A5判、173㌻、定価税込み千円)=写真①=を出版しました。

 「我が生涯の最良の日々」の副題が付けられ、本の帯には「さようなら、クロス。」の大見出しに、「野鳥とともにあった少年の喜びと笑いと涙の感動の実話」の小見出しに挟まれ、「小学4年生の時、先輩に連れられて行った山でタカの巣作りを見た少年は、自分でも巣を探してタカのヒナを捕り、鷹狩りをしようと心に決める。中学2年生の時、待望のタカのヒナを育て上げたが…。」とあらすじが紹介されています。

 〈一 タカとの出会い〉から、タカの巣から獲ったヒナ「クルス」を育て、野に放つ〈九 別れ〉まで九章に分けて執筆。昭和33年(1958年)当時、古里・宮崎県佐土原町の農家で暮らす猪崎隆少年が、一ツ瀬川近くの自然いっぱいの環境のなかで、タカやフクロウ、コアジサシなど多くの野鳥たちと触れ合い、山に分け入っての冒険的な行動を通じて、感受性豊かに、かつ逞しく育っていく様子が平易な文章と方言を駆使して描かれ、詩情豊かな実話読み物となっています。

 「鉱脈社」のPRチラシ=写真②=には「猪崎ワールド、待望の刊行」とありますが、読後感は「少年と野鳥の交流散文詩」を思わせる格調の高さが清々しく、その意味で本のタイトルは詩的に『さようならクロス』がよかったのではないかと思いました。

 猪崎さんは1948年生。宮崎大学工学部事務長などを歴任。現在、環境省自然公園指導員、宮崎県自然保護推進員。著書には、猪崎さんと親交のある元NHKアナウンサーで、財団法人日本野鳥の会顧問の松田輝雄氏と、宮崎大学名誉教授・田坂英紀氏が、発行に寄せた一文も収録。〝自然児〟猪崎さんの横顔が、ユーモラスに紹介されています。夏休みの小学生に読んでほしい本としてお勧めです。問い合わせは、「鉱脈社」(℡0985-25-1758)へ。


写真②:「鉱脈社」発行の『タカの巣とり』PRチラシ
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2009年6月8日/〈東京・町歩き〉001・「萬松山泉岳寺」

2009-06-08 09:40:45 | 東京・町歩き
写真①:堂々とした「萬松山泉岳寺」の山門
     =東京都港区高輪2で、2009年6月2日午前9時22分撮影

 きょう6月8日から、東京都の〈東京・町歩きスポット〉シリーズを掲載します。6月1日、東京・虎ノ門のニッショーホールで行われた「平成21年度まちづくり月間国土交通大臣表彰」式に、魅力あるまちづくりについての功労者として国土交通省大臣から表彰された「津屋崎千軒 海とまちなみの会」(会員117人)を代表して出席した機会に、〈津屋崎千軒〉の観光ガイドに役立つスポットを訪ねたリポートです。

〈東京・町歩きスポット〉 1 
:「萬松山泉岳寺」

 赤穂義士の墓地がある東京都港区高輪2の「萬松山泉岳寺」=写真①=を訪ねたのは、福津市津屋崎天神町に「新泉岳寺」があるからです。

 高輪の「萬松山泉岳寺」は、地下鉄都営浅草線の「泉岳寺駅」から歩いて3分の坂の上にありました。曹洞宗のお寺で、本山は福井県の永平寺。もともと江戸時代初期の慶長17年(1612年)、徳川家康が外桜田に創建したお寺が寛永18年(1641年)の大火で焼失したため、時の将軍家光が浅野、毛利ら5大名に命じて高輪に移転したという。

 入り口にある総欅(ケヤキ)造りの「中門」=写真②=は、江戸時代後期の天保7年(1836年)の再建。「中門」の中央から入ろうとしていたら、近くにある高輪中・高等学校に登校する生徒が右脇の通用門を足早に潜って行きました。


写真②:天保7年に再建された「中門」
     =「萬松山泉岳寺」で、6月2日午前9時21分撮影

 「中門」を入ると、右手に浅野家家老・「大石内蔵助良雄」の銅像=写真③=が立っています。羽織姿で連判状を手に、東の空をにらむポーズで、津屋崎天神町の「新泉岳寺」近くにも一時住んでいた明治40年代に爆発的な人気を得た名浪曲師・桃中軒雲右衛門の発願で鋳造、寄進され、大正10年(1935年)に除幕されました。


写真③:連判状を手にした「大石内蔵助良雄銅像」
     =「萬松山泉岳寺」で、6月2日午前9時22分撮影

 「中門」を潜って境内の真正面にある「本堂」=写真④=は、鎌倉様式の堂々とした建築です。正面に、釈迦の説法を意味する「獅子吼(ししく)」の額が掲げられています。以前の本堂が第二次大戦の空襲で焼け、昭和28年(1953年)に再建されました。本尊は、釈迦如来。


写真④:正面に「獅子吼」の額が掲げられている「本堂」
     =「萬松山泉岳寺」で、6月2日午前9時24分撮影

 「四十七士墓所」へ向かって歩くと、右手に「主税の梅」の案内板が立っていました。
大石主税が切腹した松平隠岐守三田屋敷に植えられていた梅という。青い梅の実が、生っていました。


写真⑤:青い梅の実が生っていた「主税の梅」
     =「萬松山泉岳寺」で、6月2日午前9時25分撮影

 歩を進めると、右手にあるのが「首洗い井戸」。案内板には「吉良上野介義央の首をこの井戸にて洗い、以って主君の墓前に供う」と書かれています=写真⑥=。


写真⑥:主君・浅野内匠頭長矩の墓前に供える前に吉良上野介義央の首を洗ったという井戸
     =「萬松山泉岳寺」で、6月2日午前9時27分撮影

 いよいよ「四十七士墓所の門」=写真⑦=が、見えてきました。浅野家の鉄砲洲上屋敷にあった裏門を移築した門で、石段の上にがっしりとした構えを示しています。


写真⑦:石段の上に移築された「四十七士墓所の門」
     =「萬松山泉岳寺」で、6月2日午前9時33分撮影

 石段を上って入った「四十七士墓所」=写真⑧=には、数人の参拝者が訪れていました。墓碑は、元禄15年(1702年)、吉良上野介の屋敷に討ち入りし、同16年に切腹した四十七士と、討ち入り前に切腹した萱野三平の供養墓を含め48基あります。


写真⑧:48基の墓碑が祀られている「四十七士墓所」
     =「萬松山泉岳寺」で、6月2日午前9時28分撮影

 大石良雄の墓=写真⑨=と主税の墓は、小屋の中に安置されていました。


写真⑨:小屋の中に安置されている大石良雄の墓
     =「萬松山泉岳寺」で、6月2日午前9時29分撮影

 近くには、浅野長矩公の立派な墓=写真⑩=もありました。


写真⑩:四十七士墓よりひときわ大きな浅野長矩公の墓
     =「萬松山泉岳寺」で、6月2日午前9時30分撮影

 最後に、境内の端にある大石良雄の木像や書、義士の遺品などを納めた「赤穂義士記念館」=写真⑪=を見学、「泉岳寺」を後にしました。津屋崎の「新泉岳寺」は、コンパクトな形で高輪の「泉岳寺」の雰囲気を伝えていると感じました。


写真⑪:大石良雄の木像や義士の遺品などを納めた「赤穂義士記念館」
     =「萬松山泉岳寺」で、6月2日午前9時56分撮影


「萬松山泉岳寺」(東京都港区高輪2-11-1):◆交通アクセス=〔電車で〕地下鉄都営浅草線「泉岳寺駅」下車徒歩3分、JR山手線「品川駅」下車徒歩15分。「赤穂義士記念館」(℡03-3441-5560)の入館料は、大学生以上500円、中高生400円、小人250円。開館時間は、午前9時-午後4時。休館日は、2・8月最終水曜日。


萬松山泉岳寺
      高輪・「萬松山泉岳寺」位置図
         (ピンが立っている所)
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2009年6月7日/〈津屋崎の四季〉454・チェリーセージ

2009-06-07 18:10:55 | 風物
写真①:唇形の可愛いチェリーセージの花
     =福津市津屋崎2丁目の拙宅垣根で、2009年6月7日午後5時36分撮影

 この赤と白の可愛い花の名は、チェリーセージ(シソ科)。サルビアの仲間で、別名サルビア・ミクロフィラ。アメリカ原産の唇形のユニークな花です。拙宅の垣根を5月から飾っています=写真①=

 花や野鳥は、心を慰めてくれます。日本人は、花鳥風月を愛する民族です。美しい花や野鳥、心地よい風に澄んだ月――。「日本人に生まれて良かった」と思い、そしてなぜか、信州の伊那谷に行きたくなりました。

 福津市津屋崎は7日、曇り空で時折、小雨がぱらつく天気でした。
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