吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2009年6月8日/〈東京・町歩き〉001・「萬松山泉岳寺」

2009-06-08 09:40:45 | 東京・町歩き
写真①:堂々とした「萬松山泉岳寺」の山門
     =東京都港区高輪2で、2009年6月2日午前9時22分撮影

 きょう6月8日から、東京都の〈東京・町歩きスポット〉シリーズを掲載します。6月1日、東京・虎ノ門のニッショーホールで行われた「平成21年度まちづくり月間国土交通大臣表彰」式に、魅力あるまちづくりについての功労者として国土交通省大臣から表彰された「津屋崎千軒 海とまちなみの会」(会員117人)を代表して出席した機会に、〈津屋崎千軒〉の観光ガイドに役立つスポットを訪ねたリポートです。

〈東京・町歩きスポット〉 1 
:「萬松山泉岳寺」

 赤穂義士の墓地がある東京都港区高輪2の「萬松山泉岳寺」=写真①=を訪ねたのは、福津市津屋崎天神町に「新泉岳寺」があるからです。

 高輪の「萬松山泉岳寺」は、地下鉄都営浅草線の「泉岳寺駅」から歩いて3分の坂の上にありました。曹洞宗のお寺で、本山は福井県の永平寺。もともと江戸時代初期の慶長17年(1612年)、徳川家康が外桜田に創建したお寺が寛永18年(1641年)の大火で焼失したため、時の将軍家光が浅野、毛利ら5大名に命じて高輪に移転したという。

 入り口にある総欅(ケヤキ)造りの「中門」=写真②=は、江戸時代後期の天保7年(1836年)の再建。「中門」の中央から入ろうとしていたら、近くにある高輪中・高等学校に登校する生徒が右脇の通用門を足早に潜って行きました。


写真②:天保7年に再建された「中門」
     =「萬松山泉岳寺」で、6月2日午前9時21分撮影

 「中門」を入ると、右手に浅野家家老・「大石内蔵助良雄」の銅像=写真③=が立っています。羽織姿で連判状を手に、東の空をにらむポーズで、津屋崎天神町の「新泉岳寺」近くにも一時住んでいた明治40年代に爆発的な人気を得た名浪曲師・桃中軒雲右衛門の発願で鋳造、寄進され、大正10年(1935年)に除幕されました。


写真③:連判状を手にした「大石内蔵助良雄銅像」
     =「萬松山泉岳寺」で、6月2日午前9時22分撮影

 「中門」を潜って境内の真正面にある「本堂」=写真④=は、鎌倉様式の堂々とした建築です。正面に、釈迦の説法を意味する「獅子吼(ししく)」の額が掲げられています。以前の本堂が第二次大戦の空襲で焼け、昭和28年(1953年)に再建されました。本尊は、釈迦如来。


写真④:正面に「獅子吼」の額が掲げられている「本堂」
     =「萬松山泉岳寺」で、6月2日午前9時24分撮影

 「四十七士墓所」へ向かって歩くと、右手に「主税の梅」の案内板が立っていました。
大石主税が切腹した松平隠岐守三田屋敷に植えられていた梅という。青い梅の実が、生っていました。


写真⑤:青い梅の実が生っていた「主税の梅」
     =「萬松山泉岳寺」で、6月2日午前9時25分撮影

 歩を進めると、右手にあるのが「首洗い井戸」。案内板には「吉良上野介義央の首をこの井戸にて洗い、以って主君の墓前に供う」と書かれています=写真⑥=。


写真⑥:主君・浅野内匠頭長矩の墓前に供える前に吉良上野介義央の首を洗ったという井戸
     =「萬松山泉岳寺」で、6月2日午前9時27分撮影

 いよいよ「四十七士墓所の門」=写真⑦=が、見えてきました。浅野家の鉄砲洲上屋敷にあった裏門を移築した門で、石段の上にがっしりとした構えを示しています。


写真⑦:石段の上に移築された「四十七士墓所の門」
     =「萬松山泉岳寺」で、6月2日午前9時33分撮影

 石段を上って入った「四十七士墓所」=写真⑧=には、数人の参拝者が訪れていました。墓碑は、元禄15年(1702年)、吉良上野介の屋敷に討ち入りし、同16年に切腹した四十七士と、討ち入り前に切腹した萱野三平の供養墓を含め48基あります。


写真⑧:48基の墓碑が祀られている「四十七士墓所」
     =「萬松山泉岳寺」で、6月2日午前9時28分撮影

 大石良雄の墓=写真⑨=と主税の墓は、小屋の中に安置されていました。


写真⑨:小屋の中に安置されている大石良雄の墓
     =「萬松山泉岳寺」で、6月2日午前9時29分撮影

 近くには、浅野長矩公の立派な墓=写真⑩=もありました。


写真⑩:四十七士墓よりひときわ大きな浅野長矩公の墓
     =「萬松山泉岳寺」で、6月2日午前9時30分撮影

 最後に、境内の端にある大石良雄の木像や書、義士の遺品などを納めた「赤穂義士記念館」=写真⑪=を見学、「泉岳寺」を後にしました。津屋崎の「新泉岳寺」は、コンパクトな形で高輪の「泉岳寺」の雰囲気を伝えていると感じました。


写真⑪:大石良雄の木像や義士の遺品などを納めた「赤穂義士記念館」
     =「萬松山泉岳寺」で、6月2日午前9時56分撮影


「萬松山泉岳寺」(東京都港区高輪2-11-1):◆交通アクセス=〔電車で〕地下鉄都営浅草線「泉岳寺駅」下車徒歩3分、JR山手線「品川駅」下車徒歩15分。「赤穂義士記念館」(℡03-3441-5560)の入館料は、大学生以上500円、中高生400円、小人250円。開館時間は、午前9時-午後4時。休館日は、2・8月最終水曜日。


萬松山泉岳寺
      高輪・「萬松山泉岳寺」位置図
         (ピンが立っている所)
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